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暁の巫女 -月の女神2-  作者: 実月アヤ
第五章 真昼の月
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手の中の光

 パァンッ──!


 確かな手応えを感じた瞬間、ディアナの耳に届いたのは鋭く高い音。そして切り裂いた黒鳥の身体が、真っ白な塵となって弾けた。他の黒鳥達もまた、次々とそれに続き、何故か空に舞っていた黒い羽までもが、白い光の粒に変わってゆく。きらきらと輝きながら落ちてゆくそれは、まるで雪のようで。ディアナはその中を墜ちていきながら、目の前の幻想的な光景に、声も出せずにただ眺めていた。

 もはや魔法も纏わずに、ただ墜ちるがままだというのに、ひどくゆっくりと時間が過ぎていくような感覚に囚われて。彼女は目の前の白い光を掴もうと手を伸ばす。


 そして。掴めたのか分からないままに、瞳を閉じた。




『──ディアナ』


 彼女を呼んだのは、柔らかな声。

 そこに居たのは暗闇に柔らかく輝く光に包まれた、月の女神。ディアナに良く似ているが、決定的に異なるその存在。以前、意識の底で会っただけの相手だが、不思議とその懐かしさは消えてはいなかった。


『リベルザのこと、ごめんなさい。あなたにも青の聖国にも、迷惑をかけたわね』


 悲痛な女神の顔に、ディアナは問う。


「リベルザは、どうなるの?彼はあなたとは会えないの?」

『彼は罪を犯し、異質な精霊となってしまった。私の姿も見えないし、声ももう届かないのです』

「私にはあなたの姿も、リベルザの姿も見えるのに?」

『だからリベルザはあなたに執着した。あなたは私の力を一番色濃く現した月の民ではあるけれど、人間だから、彼の目に映ることができたのね』


 いくら月の女神が呼び掛けようとも、リベルザはもう分からないのだと。その言葉を聞いて、ディアナは女神へと躊躇いがちに口を開く。


「リベルザを憎んでいる?」


 女神は俯いた。しばし言葉を躊躇う。


『リベルザは私の愛した人々を沢山死なせました。フォルディアスも彼が放った魔物から民を護って死んでいった。憎くないと言えば嘘になります。けれどそれ以上に、ただ哀しいのです。女神たる私が、自分の眷属を諌められなかった。私の力が及ばなかったばかりに、罪も無い者達を死なせ、リベルザをただ独りで消滅させてしまう』


 彼女の紫水晶の瞳が揺れた。ディアナは目を伏せて呟く。


「──私が、見届けるわ」


 その言葉に、月の女神がハッと息を吞んだ。


「私が、見届ける」


 もう一度繰り返された言葉に、女神は顔を上げ──柔らかな微笑みを浮かべる。


『ありがとう、ディアナ。人の中で生きる月の女神。青の王子と進むあなたの未来が、幸せに満ちるよう、願っているわ』


──思い出すのは、差し伸べられた白い指先。

 けれどディアナがとるのは、真昼の月の手ではなく。アクアマリンの瞳の、聖国の太陽の手なのだ──。




 身を包む風の魔法を感じた直後、軽い衝撃と共に、彼女は婚約者の腕に抱きとめられて。その紫水晶の瞳をゆっくりと開いた。目の前には自分を見つめる、アクアマリンの優しい瞳。太陽の如き輝く美貌。


「おかえり、ディアナ」


 彼が呼んだ自分の名に、彼女は微笑みを返した。

 ふと握り込んだままの自分の片手を開いたなら、そこにはリベルザの本体である白い小枝がある。舞い落ちて来た白い光がそれに触れた途端、小枝もまた白い光の塵となって弾けて消えた。


「……リベルザ」


 ディアナは手のひらを見つめたまま呟く。

 彼女を求めた月の精霊は、確かに自分の欲ばかりを優先した。しかもそれはディアナに向けられたものではなく、かつてのリベルザの主である月の女神への想いだ。ディアナを無理矢理に暴走させて、人であることを捨てさせようとした彼を、受け入れるつもりなどなかった。それでも──彼を憎むことは出来ない。懐かしいような、複雑な想いを抱いたことも確かだから。


「今度こそ、あなたの女神に逢える日がくると良いわね」


 囁いた言葉の先で、白い雪のような光が、ひときわきらきらと輝いたような気がした。それを見届けてから、ディアナはセイの腕から身を起こす。


「イールは?」


 きょろきょろと相棒の姿を探し、魔導師達の間に白い羽を見つけるとそちらへ駆け寄った。セイも彼女の後ろから続く。


「イール」


 イールはセアラ姫の治癒魔法を受けていた。いまだにぐったりと横たわってはいるものの、命は取り留めたようで、セアラ姫はディアナに頷いてみせた。


「大丈夫、休めば回復するわ」

「……良かった」


 ほっと息を吐いた彼女を、後ろからセイが支え、微笑む。軽く握られた手に、もう片方も重ねて頷き返した。

 そうしていると、戦いを終えた騎士達も集まってきて、魔導師達による治療が始まる。多少の怪我はしているとはいえ、全員の表情は明るく達成感に満ちていて。その中でも若手の近衛騎士達は軽口を叩く余裕もあった。


「ってゆーかさあ、ずっと気になってたんだけど、そっちの魔導士ってもしかして、リルディカちゃん?」


 カイルが驚きと共に見つめているのは薄紫の髪の美女。偽りの姿を解かれたリルディカだ。今までの幼い身体は仮の姿だと知っていても、本来の彼女の姿を見たことのある者は少ない。彼女が肯定の意を込めて頷くと、途端に若い騎士達がざわざわとし始める。


「こっちが本当の姿なの?うわー」

「へー。レイトってロリコンじゃなかったんだ。つまんね」

「一粒で二度美味しいとか何だろなー。色男ムカつくー。ヘタレだけど」

「おい聴こえてんだけど、そこの阿呆共!」


 レイトはリルディカの傍へと寄りながら、からかう騎士達を睨みつけた。弄られるのはいつものことだ。わいわいと小突いてくる手を避けるレイトと、それを見てクスクスと笑うリルディカ。平和そのものの光景につられて、若い魔導士が自分の怪我を治癒してくれている少女に笑いかけた。


「リティアちゃんもお疲れ様。戻ったら一緒にお茶しない?」


 キョトンとした表情で、ストロベリーブラウンの髪の魔導士は顔を上げて。彼女が反応する前に、すかさず師が少女の腕を引いて、その背に弟子を隠す。


「見るな。寄るな。話すな。これは私のものだ」


 銀の魔導士はあからさまな独占欲を露わにし、ついでに魔力でもって圧力をかけて威嚇してみせた。冷ややかな美貌にそぐわぬ大人げない行動に、エルフォルニーはじめ年嵩の魔導師達は苦笑いをし、若い者達は顔を青くしてリティアにちょっかいをかけた魔導士を小突く。


「おい銀の魔導士ご立腹だって!」

「早く謝っちゃえよ、相手は破壊神だぞ」

「せっかく魔物討伐したのに死にたくないぞ、俺は!」


などと不穏な言葉も飛び交い、未だ杖を手にしていない銀の魔導士を本気で恐れている。リティアは恋人である師の行動に顔を赤くして「お師匠様、恥ずかしいです!」とローブの袖を引っ張った。

 そんな弟子の訴えなど聞いていないかのように、銀の魔導士はついに彼女を抱えこんでしまい、リティアはシーファの腕の中で羞恥に悲鳴を上げる羽目になる。


「ったく、なにやってんだか……」


 アランはしばらくそれを眺めていたが、ふと視線を自分の婚約者へと向けた。イールの容態が落ち着いたのか、安堵の息を漏らすセアラ姫の横顔は、やや疲れてはいるものの一つの曇りすらない美貌で。その瞳が誰かを探すように泳ぎ──誰でもない、アランを見つけて輝いたことに、彼は密かに喜びを覚える。

 すぐにでも駆け寄って抱き締めたい気持ちはあるが、近衛騎士たる自分の職務を忘れるわけにもいかない。そしてセアラ姫も彼の気持ちを理解しているのだろう。大丈夫、と言うように目元を和らげて頷いた。彼女へ小さく微笑みを返して、アランは主の元へと近寄る。


「我が君、お怪我はありませんか」

「ああ、大丈夫だ」


 セイはイールに付き添うディアナを残して、さりげなく歩き出した。主の意図を察して、アランも続く。そして、彼女達へと声が聞こえない程度に少しだけ離れたところで、セイは立ち止まった。


「──真昼の月、女神に追放された月の精霊か。女神と対になる存在だと言っていたな」


 呟いた王子の言葉に、アランも低く言葉を返す。


「おそらくはかなりの高位精霊だったのでしょう。もしくは神の一人であったのかもしれませんね。人の身とはいえ、ディアナ様の力を解放させられるだけの魔力を持っていたのですから。……どう、お感じになられましたか」


 エメラルドの瞳はわずかに躊躇いながら、主の心を探った。アランの言いたいことに気付いて、セイはわずかに苦々しい笑みを浮かべる。


「──セインティアの民を殺し、青の聖騎士フォルディアスを死に追いやったのが、月の民だとはな」


 月の女神を敬愛するセインティア王国にとって、女神に連なる者が建国の王を死なせたという事実は、少なからず衝撃的だった。それも、女神の愛を受けたフォルディアスに嫉妬したがゆえの行動だったのだと聞けば、複雑な思いが残る。

 けれど、それでも。


「僕がディアナを愛しているのは、揺るがない事実だ。彼女が月の民の末裔であることも、我らにとっては月の女神であることも、関係ない。──いや、それも全て受け入れた上で、僕はディアナを妻に望んでいる」


 きっぱりと口にする王子に、アランは深く頷いた。幼馴染みである彼の口元に浮かぶのは、満足げな微笑み。セイはそれを見つめて、アクアマリンの瞳をまっすぐに側近へと向ける。


「アラン、ディアナを護れ。僕を護るように、彼女を何者からも護れ。ディアナはお前の主、セインティアの王太子妃だ。この先何があろうと」

「──御意」


 それは、命令というよりは、王子と近衛騎士の間に交わされた、密かな約束。

 セイはイールの傍らに寄り添う愛おしい彼女を見つめて、深く微笑んだ。

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