過去の夢
リルディカは生まれながらに巫女の力を持って居た。魔力の強い存在を探し当てたり、魔物を従わせることが出来たり。海に囲まれた列島では、その天候を予知する力がことさら重宝されていた。
その力を他国に奪われることを怖れ、父王は娘を城に閉じ込めた。王宮から滅多に出られないことを除けば、彼女はとても大事に育てられていたし、幸せだった。どちらかと言えば活発な方でもあって、そしてその傍らにはいつも、3歳年上の側近レイトが居て、彼女を守っていた。
リルディカが16歳になった年、彼女の国に度々キャロッド公国の大公が訪れるようになった。
「ねえ、レイト。ヴァイス様って素敵ね」
巫女は無邪気に微笑み、側近に同意を求めると、レイトは面白くなさそうに言う。
「リルディカはああいう男が好みなのですか?」
「いやあね、ただの憧れよ。キャー素敵ーって無責任に騒ぎたい感じ。わかる?」
「わかりたくありません」
小さな島の国であるがゆえの親しさに、レイトはリルディカに敬称をつけずに呼んでいた。そして彼女も、その距離をとても愛おしく思っていた。
「馬鹿ねえ、レイト。ヴァイス様は見ていると楽しいだけよ。あなたへの好きとは違うわ」
彼女の言葉に、レイトは目を見開いて。わずかに視線を逸らして言う。
「俺は臣下、あなたは王女です。身分が違います」
「そんな言い方ズルい、レイト。私をどう思っているの」
世間知らずの巫女らしい、率直な言葉に。レイトは迷って──彼女を抱き締めた。それが、答えだった。
けれど身分の差は確かに、彼らの障害ではあった。リルディカの父、リンデルファ王は娘と臣下との婚姻など認めないだろう。
「身分なんて、無くなってしまえば良いのにね」
リルディカの最初の願いは叶った。最悪の形で。
王女の身分は、リンデルファという国ごと、消え去ってしまったのだ。
リルディカが18歳を迎えた日、彼女の運命が変わった。キャロッド大公国が決起し、他の国を次々に食いつぶして行ったのだ。
「初めに裏切ったのはそちらだ、リンデルファ王」
剣を手にしたキャロッド大公ヴァイスは、躊躇いも慈悲も無く王を斬り殺した。けれどリルディカは知っていた。
父が、リルディカに操らせた4色の魔竜を使って海を荒れさせ、他国の船を遭難させたことを。そうやって自国の品物だけを流し、列島の流通を独占状態にしていたことを。
そして今や魔竜達は暴走し、近隣を荒らし続けている。ヴァイスがやらずとも、いずれ彼の仕業と気づいた他の国がリンデルファ王を討ち来ただろう。だから悲しかったが──予想していたことだったのだ。
ヴァイスは巫女に言い放った。
「俺の巫女になれ、リルディカ。俺に仕えるならお前だけは助けてやる。だが他は許しておけないがな」
殺されても良かった。けれど、ヴァイスはにやりと笑って。
「俺は魔竜の暴走を抑えることが出来る。が、俺自身は魔力を持たぬ。力を与えてくれる巫女が必要なのだ」
魔竜をこのまま解き放っていたら、いずれ人を襲い列島など沈めてしまうかもしれない──そんな使命感や罪悪感にかられたわけではない。
ただ。ただたった一つの願いを。
「ならば、覇王。お願いがあります。私の望みを叶えて下さるなら、私の力をあなたに差し上げます」
攻め入った大公軍と戦いながら、王女を救出しようと、辛うじて生き残った数人の仲間と共に満身創痍のレイトが何とか王の間に辿り着いた時、彼は自分の目を疑った。
玉座に座るのはキャロッド大公ヴァイス。そして、その膝に──薄紫の髪の幼い少女。
その面影は確かに、自分が仕えていた王女で。
「リルディカ……?」
茫然と呟く彼に、巫女は無機質な目を向けた。ヴァイスは口元を歪めて、彼等を見て。
「巫女は俺にその力を捧げた。その反動で肉体の時間は戻ってしまったがな。リンデルファはもう必要ない」
そしてその剣で、リンデルファの兵士達を斬り殺した。巫女の力を手に入れたヴァイスの圧倒的な強さに誰も手が出せず、レイトはただ立ち尽くして。気付いたなら生きているのは彼一人だった。
その間、リルディカは無表情でそれを見つめ続け、一つの言葉も、制止すらする事もなく。何も感じないと言ったようにただ、黙って自分の民が殺されるのを待っていた。その姿にレイトは絶望する。
「巫女は俺のものだ」
覇王の言葉に、レイトの心が砕けた。
「裏切り者……」
口から溢れたのは、巫女を断罪するそれ。
「裏切り者!お前だけが助かればいいのか!お前のせいで、皆が死んだ!俺はお前を許さない!殺してやる、リルディカ──!!」
レイトの悲痛な叫びに、ヴァイスは冷たい視線を落として、その剣を鞘に収めた。
「ならばやってみろ。お前だけ残しておいてやる。その憎しみで、リルディカの破滅を見届けるがいい」
そして、リンデルファは失われ、巫女リルディカと、レイトだけが生き残ったのだ──。
**
セアラ姫の部屋を出たレイトは苛立たしげに足を進めた。他国の城内を歩き回るなど、客人としての常識に欠けるだろうが、ここは魔法大国だ。きっと彼がどこに居ても精霊達が見張っているのだろうし、見られて困るものがあるならそんな場所に足を踏み入れることすら止められるだろう。
フォルディアス城の上階、広いバルコニーに出ると、そこから見える景色に思わず息を吞んだ。豊かな森と、キラキラと輝く湖。それは澄み切っていて、鏡のように城を映し出している。時折精霊が水面で舞い、光を煌めかせて遊んでいた。
彼は来る途中で見た街の様子を思い出す。真っ白な城と同じように、城下町の建物は白壁の家が多く、魔除けや家内安全などの魔法陣が繊細な文様で描かれていた。そして人々の活気に溢れた顔。王家について聞けば、民の誇らしげなその表情。
──リンデルファにもかつて在ったもの。失ったもの。
年若いレイトにも、リンデルファ王の褒められない所業は気付いていた。けれど、それもリンデルファの民の為だ。海賊が多く、略奪と抗争の耐えない地域で、小国が生き抜く為に少しでも優位に立とうとした王。だからこそその恩恵に預かっていた民として、王を責めることは出来ない。だというのに、その娘は。
「……チッ」
舌打ちして懐から煙草を取り出す。他国の王族への謁見だからと整えさせられた身なりも、もうどうでも良かった。せめてもの反抗で、制帽こそ小脇に挟んだまま被らなかったが、更にいつものように襟をゆるめ、タイを解いて胸ポケットに突っ込む。煙草に火を点けて、美味くも無い煙を吸い込んだ、瞬間。
「おやおや、マナーどうなってんの、大公国の軍人さんは」
「!」
咄嗟に腰の武器を確かめたが、そもそも入城したときに武器類は預けたままだ。謁見の間でもつい癖で武器を探ってしまった彼は、再度舌打ちして声の主を見る。軽妙な声と共に彼の口元から煙草が引き抜かれた。相手はそれを自分の口元に運んで一息吸うと、エメラルドの瞳を見開いて眉をしかめて突き返す。
「うわ、初めて吸った、マズ。東のってこんな味なんだ」
奪っておいて文句を言うその騎士──アランに、レイトは目を細めた。煙草を取り返す。
「ウチの国は他国のとは違うんだよ。あんた色々詳しいなら知ってるだろうが。ウチは他の文化を節操無く取り入れてきた特殊民族だからな。何せ先祖の中には異世界人だっているって話だし──」
レイトはそう言いかけて、自分を見つめる近衛騎士に気付いて言葉を切る。
「何か用か?あんたはあまり好きじゃない。俺と同類の匂いがするからな」
彼の視線を受けてアランは苦笑した。
「あー喋り方とか、被っててちょっと嫌だよねぇ。わざとやってるとことか、確かに君と俺は似てる。それにまあ、事情聞く限り多分、君の気持ちが一番わかるのも俺だよ」
近衛騎士の言葉に、軍服の青年は同情か、と自嘲気味に吐き捨てたが。相手はそれ以上に鋭く踏み込む。
「身分差の恋にぶちあたった気持ちも、どうにも臣下でいられなくて結局は抱き締めてしまう自分のどうしようもなさも、それでも手に入れた罪悪感と喜びも。よく──わかるよ?」
あまりに遠慮のないアランに、レイトは一瞬固まった。表情は笑っているが、目だけで近衛騎士を睨みつける。
「おい、立ち入るなよ、俺の事情だろ。……ああ、あんたも同じだっけ、フォルニール侯爵。あのおっかないくらいに綺麗な王女様の婚約者だってな」
「そう。俺の婚約者、すっごい綺麗でしょう。聖国の金の薔薇。それに優しいし、可愛いとこもあるし。ぶっとんでるけどそこもイイし」
臆面も無く惚気る彼に、もう帰っていいかと聞きそうになったレイトだったが。するとアランはレイトの肩に手を掛けて、囁くように言った。
「だけど、俺と君は決定的に違うんだよ、おこちゃま。少なくとも俺は、愛した女を詰ったり、当てつけにどうでも良いのを手当たり次第ひっかけたりはしない。おにーさん、そこんとこは同類にされたくないなー」
「──っ、お前に何が分かる」
思わずカッとして、レイトは口元から煙草を引き抜く。子供じみた行為だと言われた気がして。紫煙の立ち上るその向こうで、アランはひどく静かな表情で言葉を継いだ。
「……セアライリアなら、俺を決して裏切らない。彼女が何かをするなら、そうするべき理由があるからだ。彼女が自分の意志で行うことなら、俺は裏切られたなんて思わない。
そして彼女のすることなら、俺はどんなことでも信じる。彼女を愛し続けるし、彼女の進む道を守る。たとえ彼女が俺を殺しても、俺はその屍が彼女の道を遮ることすら許さない」
感情を乗せない淡々とした言葉だからこそ、そこになにも偽りの混じらない、彼の本心。
「俺の忠誠はラセイン様のもので、俺はラセイン様の為に死ぬだろう。けれど、俺を殺せるのはセアライリアだけだ。そしてお二人もそれを知っている──今ではディアナ様も」
飄々としているように見えたアランの、強く激しい志。
しばらくは彼の表情に虚を突かれた顔をしていたが、まるで一方的に責められたような気分になって、レイトは目の前の男から目を逸らす。
「あいつはヴァイスを選んだんだ。俺じゃない。ヴァイスは次の巫女を欲しがっているが、リルディカはあいつを想っている」
「だから?君は覇王が月の女神を手に入れないように邪魔しにきたわけ、巫女姫のために?裏切り者と罵っておきながら。──それとも、覇王が女神を手に入れれば、リルディカ姫は君の元に戻ってくるとでも?君の本心はどっち?」
アランは口元を歪めた。王子や王女の前では見せない、その表情──軽蔑しきった顔で。
「君は何を見てるのかな、レイト。一番大切なことは何なのか、部外者の俺ですらわかるのに」
「一番、大切なこと……?」
聞き返したレイトに、アランは残酷なほど優しく囁く。
「リルディカ姫の──本当の望み、だよ」
レイトの手元からぽろりと落ちた吸い殻を、彼はバルコニーの床に触れる前に指先で挟んだ。
「火気厳禁。よその国ではお行儀良くね、おぼっちゃん」
見せつけるように近衛騎士がそれを肩の上に掲げると、声にも出さず出された命令に、水の精霊が現れてその火を消した。その場にレイトを残したまま、アランは城内へと戻って行く。
リルディカの──本当の望み。ヴァイスからも言われた、その言葉。
「どいつも、こいつも……何を知ってる?──どうして俺だけ、知らないんだ?」
レイトは彼の姿を見送ったまま、茫然と呟いた。
「あーあもう、余計なお世話焼いちゃった。おにーさん、ウチの王子様と愛しい愛しい我が姫君で手一杯なのに」
歩きながらアランは天を仰いで嘆く。廊下の先で彼を待っていたセアラ姫が、その腕に手を掛けて笑った。
「あなたがお説教なんて珍しいこと」
「いつも皆さん俺の言うことをマトモに聞いてくれないからでしょう。ほんっとフリーダムなんだからウチの国。まあそれでもバカやらないって信じてますからね、陰険魔導士以外は」
エメラルドの瞳を婚約者に向けて、彼は嘯く。セアラ姫は彼の頬に手を伸ばした。
「……辛い?」
問われているのは、アランが感知したある魔法のことだ。あの東の国からの客人を招き入れた瞬間に、彼が目を見開いた、それ。
「……あのおぼっちゃんが気付いてくれることを望みますよ。手遅れになる前に」
頬に触れる姫君の手の平に口付けて。アランはそっと目を伏せた。彼にされるがままだったセアラ姫は笑う。
「あら、おぼっちゃんて。レイト殿はあなたと一つしか変わらないわよ」
「まじか」
「ところでアラン、わたくしのすることなら何でも受け入れてくれるのよね?この前の……」
「それはお断り致します」
「あら、何しても愛してくれるんでしょう?あの魔法実験だけど」
「俺にも愛情表現を選ぶ権利があります。お断りします」
「でも、アラン……」
「俺の彼女の愛が痛い……!」
先程までの苦しげな光は、もう彼の瞳には無く。ただ二人の笑い声が廊下に響いていた。




