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暁の巫女 -月の女神2-  作者: 実月アヤ
第五章 真昼の月
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女神と銀の魔導士

 刻は少し戻り。

 赤い煙幕が空高く昇ったのを最初に見つけたのは、城の見張りの兵士だった。

 緊急連絡であるそれを、兵はすぐさま魔法で近衛騎士団の分隊長──アランへ報告する。その時、彼は会議を終えた主と共に、会議の間を出ようとしたところだった。


「ラセイン様、フォルディアス湖にアレイルの緊急煙幕が上がったそうです」

「アレイルの?──色は」

「赤です」


 城に仕える魔法使い達は、それぞれ独自の紋様を描く煙幕魔法を持っていて、それが署名のような役割をも果たしている。模様と色で、打ち上げた者の名と危険度を示すのだ。

 そして──赤は危険度の高い色。彼がそれを使うとなれば、危機が迫っているのは彼の主だ。


「ディアナはどこだ」


 それに気付いたセイは臣下と精霊達へ問うが誰も答えられず、アランがはっきりと顔色を変えた。扉を押し開けた王子とアランの元へ飛び込むように、リルディカが走り寄る。


「ラセイン王子、ディアナ様とアレイルが──」

「フォルディアス湖に転移だ。今すぐに」


 経緯を聞いたセイはすぐにセアラ姫と魔導師を呼び、フォルディアス湖の婚約者の元へと駆けつけようとした。が、城の魔導師達は青ざめた顔で黙ってしまい、セアラ姫が同じく首を横に振る。


「森全体に強い魔法結界が張られていますわ。これでは湖どころか森へ入ることさえ叶わない」


 目を見開いたセイは、アランと顔を見合わせた。どうも良くないことが起こっている。


「ならば、森の入り口まで飛ばして下さい」

「私も行こう、ラセイン」


 硬い声音で命じた王子へ、そう言葉を掛けたのは銀の魔導士だった。明日に控えた王子王女の婚礼の儀の手伝いをと、城を訪れていたシーファとリティアが、騒ぎを聞きつけてやって来たのだ。


「助かります、シーファ」


 セイは短く礼を述べて、フォルレインを手にする。いつもならば女神を求めて騒ぐ剣の精霊が、不気味なほど大人しい。


「フォルレイン。ディアナの気配がわかるか?」


 主の言葉に、退魔の剣は微かに震えた。


『女神の気が乱れている。恐ろしいほどに美しくて強い力が溢れ出している』


 フォルレインの言葉に、セイは嫌な予感がよぎる。

 今朝会ったディアナはいつもと同じ、穏やかな表情をしていた。異変の前触れなど何も──そこで、会議前に見た白い月を思い出し、彼は胸がざわめく。

 リティアを見れば、彼女は硬い顔をしてリルディカと顔を見合わせていた。強い魔力を持つリティアと、特異な力を持つリルディカには何かを感じとれるのだろうか。

 セアラ姫と魔導師達は転移の魔法陣を描き、その縁に青い光が滲み始めた。姫君は自分の婚約者へ頷いてみせる。


「準備は宜しくて?」


 魔法陣の中にセイ、アラン、シーファ、リティアが立った。すると薄紫色の髪の少女がそれに続く。当たり前のように王子の顔を見上げた。


「ラセイン王子、私も参ります。私も王太子妃殿下の護衛魔導士になる身です」

「リルディカさん、それは──」


 リルディカの言葉に、アランがうーんと唸る。彼女を連れて行くとなれば、甘い顔立ちの広報官は黙っていないだろう。レイトを呼ぶべきか迷った瞬間、廊下の先から亜麻色の髪の青年が走って来た。


「リルディカ!さっきの煙幕魔法──」

「レイト。丁度良いところに」


 彼女の言葉で察したのだろう。レイトは腰の魔弾銃を確かめて、アランへと頷く。その視線を受けてアランは主へと頷き、セアラ姫へ向き直る。一瞬だけ躊躇いを浮かべた彼女に、力強く頷いて促した。


「セアラ様、魔法陣の発動を」

「──どうか、全員無事でね」


 アクアマリンの強い光が溢れ、部屋中を満たしていく。



 一瞬目を瞑った一同は、すぐに頬に風を感じて瞼を開いた。そこはもう、アルレイ伯爵家の領地。目の前に広がる広大な森は緑深く、清浄な空気に包まれている。どこも異変などない──ように見えたが。


「これが結界か」


 シーファが白く光る魔法を纏った手を伸ばして、自分の目の前へと触れる。見えない壁に阻まれて、魔法は溶けて消えた。


「フォルレイン」


 セイはフォルレインを抜き、刀身に炎を纏わせてその魔法の障壁へと振りかぶる。けれどそれを打ち下ろそうとして、パアンッ!と跳ね返される衝撃を受けた。


「ラセイン様!」


 衝撃に一歩、後ろに下がった主へ、近衛騎士が呼びかける。けれどセイは前を睨みつけたまま。

 もう一度フォルレインを掲げ──勢い良く振り下ろす。今度は先程よりも更に大きな音を立てて、衝撃は王子へと返って来た。破れない結界を前に、王子は思わず婚約者の名前を叫ぶ。


「──ディアナ!」


 呼びかけたセイの言葉に応える声は無く、森は静まりかえったままで。今度はフォルレインに稲妻を纏わせて打とうとしたセイの腕を、シーファが掴んで止める。


「落ち着け、ラセイン」


 彼のブルーサファイアの瞳に映る自分が、驚くほど硬い顔をしていることに気づき、王子は剣を下ろした。


「……僕は大丈夫です」


 冷静さを失ってはいないと示してみせるが、自分でも焦りを感じていると自覚している。セイは息を吐いた。


「けど、どうします?これ何とかならねぇの、陰険魔導士」


 アランがシーファを見つめながら聞くが、軽口の割には目が真剣だ。彼は仲が悪いと言いながら、銀の魔導士の実力は正しく評価している。彼に手に負えない魔法ならば、相当のものなのだ。


「これは、月の魔法です。シーファや私の力とは違う」


 答えたのは弟子のリティアで、彼女の言葉にセイは目を見開く。


「月の、魔法……?」


 弟子の頭をポンポンと撫でながら、シーファは白い杖を取り出した。


「私が隙間から潜り込んで、中からこじ開ける。リルディカ、それを貸してくれ」


 彼が指し示したのは、リルディカの指にあるムーンストーンの指輪だ。お守りがわりの品であるとはいえ、魔力の安定した彼女にはもう必ずしも必要なものではない。外したからといって身体が退行することもない。

 リルディカが指輪をシーファに手渡すと、何故かサイズの違うはずの彼の指に、すんなりとはまる。


「お師匠様……」


 心配そうなリティアにニヤリと笑って、銀の魔導士は指先で彼女の額を弾いた。


「心配するな。お前のお師匠様は世界一格好良くて、無敵の魔法使いなのだからな」



 そして、いま。

 迫りくる気配に躊躇う間もなく、シーファは手にした杖を顔の前で構えた。


──ガンッ!!


 凄まじい音がして、彼の白い杖に女神の剣が打ち込まれる。それを間一髪で止め、払う動作でシーファはくるりと杖を返し、戻した時には青い稲妻を纏わせて、もう一度打ち込まれた剣を受け止めた。魔法で身体能力の強化をしていなければ危なかったかもしれない。

 シーファに魔法を使う猶予を与えないためか、ディアナは素早く次々に剣を打ち込んでくる。けれどシーファの“大魔導士”という呼称は伊達ではない。魔導師ならば必要不可欠な最低限の呪文詠唱でさえ、彼には必要無い。杖の一振りで、空中にいくつもの水球が現れ、ディアナへと向かっていく。

 戦いが長引けば、彼女を傷つけずに止めることは難しい。てっとり早く意識を失わせることにしたのだ。それですらラセインには嫌な思いをさせるだろうから、この場で見せる羽目にならずに良かったと内心安堵したのだが。


──パシャアアンッ!


 シーファが放った水球はどれもディアナがたちどころに斬り捨てた。魔法さえもその剣で消滅させる女神に、銀の魔導士は感嘆しながらも眉根を寄せる。これではなるべく穏便に、は通用しないだろう。


「ディアナ」


 低く艶めく声は、戦いの最中でもはっきりと響いた。それでもディアナは止まらない。もはや目の前の敵を殲滅することだけしか見えていない。自分の護衛魔導士も、相棒でさえも。

 それが、後でどれだけ彼女を苦しめるか──過ぎる力に怯える彼女が、同じように苦しんだ彼の弟子の少女と重なった。

 間合いに飛び込んで来た彼女の剣を魔法の盾で受け止めるが、女神の剣のあまりの強さに一撃で防御魔法が霧散した。ガキンと剣と杖がぶつかり、合わせられた至近距離で、銀の魔導士は月の女神と視線を合わせる。


「私は、あなたに感謝している」


 いつもなら強い意志で煌めく紫水晶は、今は暗く沈んだまま。杖に纏わり付く稲妻に、彼女の髪が大きく揺らめくが、そのダメージすらまるで与えられていないかのようで。青い光に照らされたディアナの顔は、恐ろしいほどに美しかった。


「ディアナ。あなたと出逢って、ラセインは救われた」


 心に届かなくても良い。ただ耳に入れば。そう思って、シーファは言葉を継ぐ。


「ラセインは私やアランを救ってくれた。魔法大国の王子でありながら、魔法を拒む体質のアランを受け入れ、魔導師を拒む私を自由にさせてくれた」


 シーファがその絶大な魔力を現してから、誰もが彼を欲しがった。彼はまだ子供だったために、身の守り方すら知らなかった。セインティアの王もまた、彼が宮廷魔導師になることを望んでいた。それもあってシーファを利用するもの、排除しようとするもの、多くの欲望と悪意に晒された。

 それを押しとどめてくれていたのはセイだ。


『あなたは自由なんです、シーファ。誰にも囚われなくていい。魔法が嫌なら一生使わなくてもいい。──けれどあなたにしか守れない、大事なひとがいるのでしょう?ならば僕が、あなたの道を守りますよ』


 そう言って、魔導師たちから、貴族たちから、色々な思惑から守ってくれた。シーファよりも年下の、幼い王子が。

 シーファを取り込んで、聖国のために利用することだってできたのに。王子ならば国の利のために、むしろそうすべきだろうに。

 そして今ではシーファだけではなく、リティアのことも。シーファが守りたい何よりのものを、彼はそのまま受け入れてくれた。優しすぎるほどに、優しい、王子なのだ。


「けれどいつだって彼自身は“セインティアの世継ぎの王子”のままで、他人の期待に応え続けて。誰からも好かれていたが、彼の心には誰にも埋められない穴が空いていた。知っているだろう?ラセインはずっと、それを埋めてくれる存在を、怖れながら求め続けていた」


 セインティア王の一目惚れ。

 そして恋が叶わなければ魔導の命を失うと言い伝えられた、世継ぎの王子への呪縛。


『19年間魔法の発動を恐れて、ずっとその瞬間が来るのを避けて来た』

『けれどあなたを一目見た瞬間、僕は自分を幸せだと思えたんです。あなたに逢うために生まれて来たのだと思えた。それだけで、僕は幸せになれたんです』


 望まぬ力を与えられて魔導士になり、けれどそれを受け入れることだけが唯一、愛おしい存在を守る手段だったシーファには、ラセインの気持ちが良く分かる。そして彼がやっと、満たされる存在に出逢えた喜びも──同じように知っている。


「月の女神。あなただけが王子の運命のひとだ──ディアナ。あなただけがラセインを救ってくれるひとだ」


 寄り添って、共に支え合うことも。

 年頃の恋人達のように、仲睦まじくしている姿も。

 冷静な王子からは考えられないほど、子供っぽいワガママや他の男に嫉妬するセイの姿も。

 シーファが望んでいた、心から微笑むことのできる友人の姿なのだ。


「頼む、ディアナ。私の友人からあなたを取り上げるな。あなたはラセインの妻になるのだろう?」


 ディアナから打ち込まれた刃を、魔法障壁を纏わせた手のひらで受け止めた。その腕にディアナの蹴りが飛ぶ。普段の彼女ならやらないような戦い方は、女神としての本能を暴走させているせいなのか。とんでもない早さで繰り出された脚を受け止めた衝撃に、彼の銀の髪が背中で舞う。もう一度剣が振り下ろされた。

 シーファは片手で剣を受け止めたまま、もう片方の手は杖を持ったままディアナの背に回す。抱き締めるように彼女を拘束して、これはラセインとリティアには見せられないなと、こんな時でも苦笑が漏れた。

 じりじりと圧され始めた魔法にヒビが入り、わずかに触れた刃が彼の皮膚を切り裂いて血が滴る。それでもブルーサファイアの瞳は、女神から離されることは無く、シーファの魔法によって彼らの周りをぐるりと光球が取り囲んだ。ディアナが気付いて魔導士の腕から逃れようともがくが、背に回る彼の杖がそれを許さない。

 シーファはそれを、自分をも巻き込むことに構わず、ディアナへと撃ち込んだ。


「──あ、うッ」


 四方から光魔法に撃たれ、ディアナの剣がわずかにブレる。彼女の口から苦しげな声が溢れた。

 大きく手を払ったシーファに剣を弾かれ、その勢いのまま女神が跳んで、彼から距離を取る。さすがにダメージを受けたのか、彼女は荒い息をついて肩を押さえた。


「ディアナ!」


 イールがたまらずに叫ぶ。その場でただ戦いを見守るしか無かったアレイルとイールだったが、ディアナが傷ついても何も出来ない。彼らには到底、彼女に攻撃をすることなど出来ないし、しても敵わない。

 大魔導士で、友のために汚れ役も厭わない、シーファに任せるしかないのだ──悔しいけれど。


「……」


 女神は剣を構え直そうとして、思うように動かない自分の肩にチラリと目を走らせる。その隙を逃さずに、銀の魔導士は白い杖を両手で掲げて口を開いた。


「我は溢れし力を受ける器。月の女神の騎士、魔法の光満つる地に在りし魔導の徒。我が道を阻む壁を破壊せよ。──お仕置きタイムだ、馬鹿者め!!」


 シーファが杖をくるりと回して、その先端を地面にドン、と打ち付けると、彼の杖からパアッと強い光が溢れる。アレイルとイールは、目を開けていられずに片手を翳し──


──パアアンッ!!


 大きな音と共に、森全体を覆っていた結界が消え失せた。

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