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暁の巫女 -月の女神2-  作者: 実月アヤ
第五章 真昼の月
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プロローグ

 精霊は警告する。


 真昼の月に触れてはならぬと。

 それは月でありながら異質なるものなのだと。


 月の女神は囚われ、狭間に堕ちる。

 夜の安寧なる闇も、太陽が昇る光も届かぬ場所へ。


 ただ、静かに。



**



 ふと目を覚ましたディアナがまず見つけたのは、零れ堕ちた金色の波だった。

 そのまま視線を上げれば、形の良い紅い唇と、すっと通った鼻筋、金色の長い睫毛──眠っていてもなお美貌が陰ることの無い、聖国の太陽の整った顔がそこにある。柔らかな温もりと心地よい重みに、彼の腕がディアナを抱き締めていることに気付いて、彼女は口元を綻ばせた。

 アディリスの小さな家に住んでいた頃や、二人で魔物退治に出ていた頃ならともかく、セインティア王国に来てからは、王族として貴族としての立場がある。いくら婚約者とはいえ、毎日すぐ傍に居ると言うわけにもいかないし、ましてや結婚前に一緒に眠ることなどとんでもないことだ。

 心は寄り添っていても、そこにはどうしても埋められない距離があった。


 けれどそう思っていたのはディアナだけで、セイは構わずに彼女を抱き締めて眠りたがる。ディアナの、アルレイ伯爵令嬢としての名誉を傷つけぬよう気を配っていながらも、あれこれと理由をつけては王宮に置き、いつの間にか彼女の寝室に滑り込んでいた。

 面と向かって「部屋に行ってもいいですか」と聞かれたり、彼の部屋に連れ込まれてしまうと、恥ずかしさが勝って慌てて逃げ出したり怒ったりしてしまうけれど、こうして目を覚ました時にふと傍に居てくれる瞬間は、言いようの無い安心感と、幸せな気持ちでいっぱいになる。

 彼女はそっと手を伸ばして、セイの頭を撫でてみた。いつもならディアナが彼にそうされているように。


「ん……」


 セイが微かに身じろぎして、少しだけその瞳を開いた。起こしてしまったかと手を止めたディアナをぼんやりと見つめ──彼女の頭を自分の胸の中に引き込む。


「ディアナ……もう少し」

「ええ、まだ早いわ」

「……どこにも、行かないで」

「行かないわ。あなたの抱き枕になってるもの」

「贅沢な抱き枕だな……」


 彼はディアナの額に口づけ、ふわりと微笑んで──また安らかな寝息を立て始めた。ディアナはクスクスと笑って彼の胸に頬を寄せる。


 寝ぼけてた……可愛い。


 明日からは、こんなに幸せな朝が毎日続くのだ。そう思って、ディアナは目を閉じる。


──セイとディアナの結婚式。その前日の朝のことだった。




 セインティア王国に広がる空がだんだんと明るくなり、まだ光の射さない紺色からだんだんと赤く染まっていき。その暁の空を一羽、真っ白な鳥が飛んでゆく。

 イールはその翼をはためかせ、青の聖国を見下ろして飛び続けた。

 自然に恵まれ、魔法の息吹が行き渡り、精霊が踊るこの美しい国。


 ディアナの兄クレスに造られた魔法の鳥でありながら、クレスの記憶と想いを受け継ぎ、かつ自我に目覚めた彼は、女神の相棒であり、友人であり、兄であり弟でもある。

 ディアナがこの王国に嫁ぎ、王子を支えると決めた時、イールも迷わずにディアナの傍に居ることを決めた。大好きな彼女をセイに取られてしまうという嫉妬が無いわけではないが──けれど彼女の幸せは王子の元にあるということも良く分かっている。彼女を守れるのはセイだということも。


「まあ、キラキラは世継ぎの王子様だし、ディアナを大切にしてるし、浮気もしなさそうだし、ディアナと結婚してもボクを追い出したりしないし。仕方ないから認めてやるよ」


 そんな言葉で激励したのは、最近のことだ。

 王国をひとしきり飛んで、イールは城に戻ろうとして。ふとフォルディアス湖の精霊が騒いでいることに気付く。


「なんだ……?」


 彼ら精霊は、早朝や深夜関係なく活動するが、こんなにも落ち着きがないのは珍しい。湖面に舞い降りると、水の精霊がぱしゃりと水面に顔を出してイールに声を掛けた。


『月の女神の眷属よ』

「なんだか騒がしいね。どうしたの?」


 けれど問いながら、彼もざわつく魔法の気配を感じて嘴を噤む。そしてここがどこか思い出した。フォルディアス湖──月の女神の作った湖だ。


「ねぇ、なんなの?この変な魔力。まるで月の──」


 言いかけたイールを遮り、水の精霊は口を開いた。


『我らの手の届かぬ力が忍び寄っている。白い月に、真昼の月に気をつけて。月の女神を奪われてしまう』


 そんな言葉を落とすと、彼らは一斉に姿を消す。残されたイールは、茫然と精霊の消えた水面を見つめていたが。


「……大変だ、知らせなきゃ。ディアナ、ラセイン王子──」



 朝食のテーブルについたのはセイ、ディアナ、セアラ姫、アラン、そしてつい2週間程前に帰還したセインティア王リライオと王妃イリアレティア。親子と親子になる者達水入らずの食事も、既に何度目かになっていた。

 最初は相手が国王と王妃、しかも舅姑になる相手であり、恐ろしく(アランの言葉を借りるなら『化け物級に』)美しい二人に、ディアナは緊張していたものの、もとより彼女は青の聖国の民が心酔する月の女神、そして国を救った英雄だ。加えて聡明な息子が選んだ可憐な少女となれば、王と王妃が彼女を気に入らないわけが無い。


「ときに、ディアナ」


 すっかり彼女を娘と認識している王は、にっこりと笑ってパンの籠を差し出す。蜂蜜色の波打つ髪にラピスラズリの瞳を持つ王は、息子ととても良く似ているうえに、実際の年齢よりもかなり若く見える。少し年上の兄と言っても信じてしまいそうな容姿をしているが、さすがに王としての余裕と威厳に満ちた貫禄を感じさせた。


「明日の準備は滞り無く終わっているか?何か困ったことがあればいつでもこのパパに」

「馴れ馴れしいですよ、陛下」


 アランのツッコミがさらりと入り、彼は雇用主であるはずの王に呆れ顔を遠慮なく向けた。


「なにがパパですか、図々しい。ディオリオさんがまた怒ります」

「ふん。お前は可愛くないからパパは許さん。陛下と呼べよ」

「頼まれたって呼びませんよ!!」


 半ば青ざめた顔で本気で拒否するアランに、ディアナはクスクスと笑ってしまう。そんな彼女に向かい側から、王妃が柔らかな微笑みを向けた。


「ディアナ、セアライリア、あとでわたくしのところへいらっしゃい。わがままな旦那様に困ったときの対処法を教えて差し上げてよ」

「ありがとうございます、王妃様」


 冗談めかして言う王妃と答えるディアナに、セアラ姫は溜息をついて言う。


「全く、こんなお父様にずっとついてらっしゃるお母様を尊敬いたしますわ。今回の外交も色々な国を回ったのでしょう?」


 イリアレティア王妃は王リライオの“一目惚れ”によって選び出された王妃だ。プラチナブロンドのまっすぐな髪とアクアマリンの瞳を持った美しい女性で、防御治癒に秀でた第一級魔導師である。セアラ姫の魔法の才能は彼女から受け継いだものなのだろう。


「ええ、そのせいでベルフェリウス公爵の件に対応できなかったこと、申し訳なかったわ。本来ならば現王である陛下がお収めになるべきことでした」


 子供達へ謝りながらも、夫への刺を含ませた言葉に、彼女の夫が慌てたように弁明する。


「レ、レティ。それは」


 しかし妻は反論を許さない。アクアマリンの瞳が、冷ややかになる。


「あなたはラセインに国を任せ過ぎなのですわ。いくらわたくしたちの息子が良く出来た子でも、それでとばっちりを喰らうのは周りの子なのですよ」

「……それは、すまないと思っているが」


 一見おっとりとした優しい母だが、こうしてたまに怒る時には頑固だ。そして王はベタ惚れの妻に頭が上がらない。

アランがこっそりガッツポーズをして「ナイス王妃様!」と密かに呟いた。

 母に気遣われた息子は、にっこりとその美貌を更に彩る笑みを浮かべて。


「母上、ありがとうございます。けれど僕にとっては、これも世継ぎの王子たる者の使命だと思っておりますから。今まで父上からの試練を超えて来たからこそ、父上も僕を信頼してセインティアを任せて下さっているのでしょう」


 父王からの数々の嫌がらせめいた試練を与えられて来たことに対する皮肉を忘れずに、聖国の太陽は隙のない微笑みを両親に向ける。


「……ああ、いや、うん」などと威厳をどこかへ捨てて来た王が視線を逸らして、答えた。アランがもう一度、「グッジョブです、我が君!」と呟いたのには幸い気付かずに。

 そんなやりとりを眺めていたセアラ姫はふと食卓を見回して、首を傾げる。


「あら、イールは?」


 女神の相棒たる白い鳥は、両陛下にとっても友人だ。特に魔導師である王妃はイールをとても気に入っていて、彼女の話し相手になるために、彼は度々食事の席に呼ばれていた。問われたディアナは困ったように窓の外を見る。


「いつもなら朝の散策からとっくに戻っている時間なんですけれど……今日はまだみたいで」

「マリッジブルーじゃないですかあ?家出かもしれませんよ。なにせ明日にはディアナさんをラセイン様に奪られちゃうんですから」


 アランの冷やかしに、セイはすました顔でスープを口に運んだ。


「僕とディアナが結婚しても、イールは変わらず大事な友人だ。ちゃんと分かってくれている」


 なんだかんだと、イールもセイを認めている。多少拗ねたりしても、心配させるような真似はしないだろう。彼の言葉にディアナも頷いて──ふと窓の外の空を見上げる。そこには日が昇った後も残る、白い月が見えた。


──珍しい。


 そう思って、けれど何故かざわめく胸を抑えきれずに。ディアナは白い月から目が離せなかった。


***


  朝食後、セイとアランは重臣と騎士団を連れ、会議の間へと移動した。婚礼の儀の警備について確認する為だ。

 ところが二人が部屋に入る前に中から聞こえて来たのは、先に待つ若い騎士達の声で。


「あああ、我らが聖国の太陽もとうとう結婚かー」

「咽び泣く女性の悲鳴が聴こえるようだな」

「でもほら、最大無敵のライバルが減って、ホッとしただろ?これでやっと王子を諦めた令嬢も多いだろうし」

「あっ!てめ、キャサリン嬢にOK貰ったな、こん畜生」

「前っから何度告っても『わたくし王子をお慕いしてますの』だったもんなー」


 彼らの本音にセイとアランは顔を見合わせて苦笑したが。


「それにさ、ほらディアナ様は可愛いし!」

「あれですっげえ強いってのがまた良いよな、我らが月の女神!」

「さすがウチの王子様、連れてくる嫁のレベル高すぎる」

「あ、知ってる?去年の舞踏会で無謀なるチャレンジャーがさ、ディアナ様にちょっかいかけて振られたじゃん」

「あーあの大貴族の馬鹿息子?お前ニュース古いよ、先月エルンストんとこの阿呆息子と、レイガルんとこの長男にも言い寄られてたぜ」

「俺、ディアナ様へ是非ってラブレターすっげえいっぱい預かったよ。全部ディオリオさんが燃やしたけど」

「あの可憐~て感じと、庶民の出だからって手が届くとでも思ってんのかな~ウチの王子様が許すわけないじゃんねー」


 次々と部下達から明かされた事実に、王子はぎ、ぎ、と音がしそうなほど不自然に側近へと顔を向け、にっこりと微笑みかけた。その恐ろしい程完璧な微笑みに、アランは「ヒッ」と息を吞んでおずおずと口を開く。


「いやあの、全てディアナ様に届く前に防いでますよ?主にディオリオさんという怒れる親父が。直接のお誘いはもちろんディアナ様が一刀両断してますし」


 しかしそんな言葉が主人の気休めになるわけもなく。


「そうか、当然だな。で?参考までに聞くけれど、ディアナに密書を寄越したのは、どこのどいつだって?」

「わ、我が君がお気になさるほどのアレでは……!」


 やべえ、城内暴力事件が勃発する。

 国内の有力貴族の跡取りが一掃される危険を前にして、アランは冷や汗を拭いながら扉に手を掛け、おしゃべりな騎士達へ制裁を加えようとしたが。


「なんといっても金の薔薇のご結婚もなーショックだよなー」

「クソ、アランめ!皆の高嶺の花を!滅べ!爆発しろ!」

「ムカつく!食事んときあいつの皿だけ肉抜いてやる。紅茶を薬草スープに変えてやる」

「ブーツの靴ひも、両足まとめて結んでやる。強固魔法で解けなくしてやる!!」


「……あの地味な嫌がらせはコイツらか……!」


 衝撃の真実にふるふると拳を震わせるアランに、彼の主が生温かい目を向けた。ポン、と側近の肩を叩いて気の毒そうに言う。


「敵は城内に在りだな」

「今その同情嬉しくないです、我が君!!」


 そうして扉を開け放って。話を聞かれた騎士達は一様に慌てて作り笑いを浮かべるものの、それを見逃すアランではなく。部下には「お前ら後で鍛錬場の外周100周ランニングだからね!」と叫び、先輩騎士には歯がみするに留めた。それぞれの心中は異なるがおおむね平和なその光景に、王子は長机に資料を広げ、一同を見回す。


「では最終確認だ。婚儀の間及び城内の警備について。第一部隊長から──」


 セイの視線を受け、臣下達は表情を引き締めた。そこに居るのはもはや、世界最高の結束を誇る、魔法大国セインティアの近衛騎士団。そしてその中の誰もが明日に向けて緊張し、期待し、主と同僚の幸福を祈っていた。



 会議の合間にふと、セイは窓の外に目を向ける。雲一つなく晴れ渡った空に、何故か白い月がポツリと残っているのに気づき、珍しいなと思った。

 セインティアでは月は夜に見えるもので、日中に見えるようなことは滅多にない。自然現象として、季節や時間、場所によって見えることがあると書物による知識では知っていたが、少なくともセイが生まれてから一度もこの国では見たことがなかった。

いつもなら愛おしく見上げるはずの月に、何故か胸がざわめいて──アクアマリンの瞳は、漠然とした不安を抑えるように、淡々と白い月を映していた。

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