幸せへの招待状
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その場に居た全員を持ち場に戻し、一部文句を言う者(主にアレイルとイールだが)を精霊の侍女達に任せ、聖国の太陽ことラセイン王子は自室へと戻った。
今日は公務を早めに切り上げても良いだろう。早々と処理しなくてはならない案件は片付いている。アランが騒動を起こしている間滞った処理も、まあ、彼自身にやらせれば良い。お祝い事で国内が湧いている時期に、他国の犯罪者の始末とは何かと面倒だが──他の誰にも任せるつもりは無い。それだけベルフェリウス公爵は王子の地雷を踏みまくったのだから。
「……あのっ、セイ。そろそろ降ろして貰える?」
「え?……ああ、すみません。ついあなたを離したくなくて」
ちなみにこの考え事と行動の最中も、セイはディアナを腕に抱きかかえたままだった。さすがに慣れたのか、彼女は抵抗を諦めたが、城中から生温かい目で見送られて恥ずかしいことこの上ない。
彼の腕から離れ、ソファへと崩れるように座り込んだディアナは、熱くなった頬を隠すように両手で押さえ、それを見つめていた王子はふと先程の女神を思い出す。
「まだ恥ずかしいんですか?さっきはあんな顔をしたくせに」
からかうような、けれどどこか熱を孕んだ視線で言うセイに、ディアナは息を吞んで。恐る恐る、問い返す。
「あんな顔って?」
「──僕を欲しがる顔」
「──っ!!!?」
あからさまな答えに、女神は思わずソファの背に突っ伏した。
恥ずかしい。自覚は無いが──でも間違いだとは思わない。
確かにあの瞬間は、セイしか見えていなかった。剣を合わせるより唇が触れる感触の方が、遥かに大切だった。彼に強く抱き締めて欲しいと願った。戦いの女神と言われるほどの自分に、そんな欲があるなんて思いもよらなかった。
「は、はしたないって、思った?」
「……正直、困ります」
ポツリと零されたセイの言葉に、ディアナは目を見開く。どきりと心臓が嫌な予感に震えた。彼はディアナに呆れたのだろうか。王太子妃になろうという娘に相応しくないと思っただろうか。
不安がよぎりそうになって、身を起こしてセイへと顔を向ける。けれど、片手で目元を覆った王子の指の隙間から、アクアマリンの瞳が彼女をじっと見つめていることに気付いた。
「愛おし過ぎて、どうしていいか分からなくなる」
伸ばされた手が、そっと彼女の肩を押して。気がつけばディアナの視界には、繊細で美しい装飾の天井と、その下に煌めく金色の髪、深みを増したアクアマリンの瞳だけが映る。
優しく、慈しむような表情で彼女を見下ろしているのに、その目に浮かぶのはどうしようもないくらいに激しい恋情を込めた熱。
「セイ……」
「ほら、また。最近はあなたの方が余裕だな。僕はあなたに振り回されてばかりだ。……凄く、嬉しいけれど」
彼の愛情表現に、恥じらって逃げるディアナも可愛らしい──が、徐々にそれを受け入れるようになってきた最近では、ふと滲ませる色香がたまらないほどに美しい。セイの冷静さと余裕など吹き飛ばしてしまう。
出逢ってから強く惹かれているのは分かっていたが、二人の時間を重ねれば重ねるほど、セイはまさに溺れるようにディアナを愛していく。
今回の事件だって、きっと彼女が居なければもっと動揺していたと思う。いくら先を読んで備えていたとしても、兄と慕うアランを一歩間違えば失うかもしれなかったのだ。少なくとも、本気で彼が敵の魔法に掛かっていたなら。王子として許すわけにはいかなかった。
それでも彼を──仲間を信じられたのは、一番傍に居る恋人であり相棒であるディアナが居たからだ。彼女を信じて、彼女を守る為に強くあろうとしていたから。
『僕は何も失わない』
公爵に言った言葉は本心だ。月の女神に出逢ってから、奪われたのは心だけ。それも、それ以上の愛をディアナに与えられている。
恋、信頼、仲間、友人、愛情、強さ、幸せ。何もかも、失うどころかこの手に増えていくものばかり。
「僕はどこまで、あなたに溺れてしまうのか。自分でも分からないというのに」
彼は優美な指先を伸ばして、女神の頬に触れる。そうすれば、ディアナの細い指がそれを包み込んで、小さく囁いた。
「余裕なんて、無い。私はいつだってあなたにドキドキして、惑わされて、勝てないのに」
赤く染まる頬と、恥ずかしげに逸らされた視線とは裏腹に、その指先は彼を離さないようにと、わずかに力を込められて。その素直なのか意地を張っているのかわからないディアナのなんともいえない可愛らしさにセイは参った、とその首筋に顔を埋める。
「この、小悪魔……っ」
「え、え、なんで……っ」
少しだけ悔しそうな、でも嬉しそうな王子の声を耳元に聞きながら。ディアナは続いて触れる柔らかな唇に、言葉を途切れさせた。そして愛おしさのまま彼の背中へと腕をまわす。
「愛してる、ディアナ。僕の愛しい月の女神」
キスと共に落とされた言葉に、微笑み返して。
「愛してるわ、セイ。私の王子さま。……ううん、もうすぐ私の旦那様、ね」
「~~っ……!この、小悪魔……ッ」
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「一生のお願いです、我が君」
後日。セインティア王国、フォルディアス城。ラセイン王子の執務室にて、王子の側近である近衛騎士は両手を合わせて拝み倒す。彼の主である美貌の王子はにっこりと微笑みを浮かべて、口を開いた。
「断る」
「まだ何も言ってないじゃないッスかあ!どうしてですか!?」
「嫌な予感しかしない。以上」
セイはその綺麗な顔で、何でも許してくれそうな優しげな面持ちをしながら、けれど一刀両断して。アランは王子の机に身を乗り出して迫った。
「セアラ様との結婚式、早めて下さい」
主の様子に構わずに、彼は単刀直入に本題に入る。セイは一瞬目を見開いて、それから頬杖をついてニヤリと笑った。
「確か、姉上の降嫁で公爵位になるのはまだ早いと、早すぎる出世は要らぬ嫉妬を浴びる羽目になると、だからしばらくは婚約者のままでいいとお前が言ったんだったな」
彼の言葉に、アランは怯まない。首を傾げて反論した。
「どんな嫉妬も嫌がらせにも立ち向かう覚悟は出来ましたよ。それでも俺が公爵位に相応しくないとお考えなら、俺ではなくセアラ姫にお与えになってください。セアラ様は女公爵であり、フォルニール侯爵夫人てことで」
軽い口調の割には、その瞳は笑っていない。セイは溜息まじりに問う。
「覚悟ができた、のは公爵位のことじゃないだろう?」
主の問いに、彼は真っ直ぐに視線を返して。
「──ええ。セアラ姫の夫になる覚悟、です」
真剣なのだと分かると、セイは指先でとんとんとデスクの上を叩いた。その先に、ラセイン王子とディアナの結婚式の招待状があるのを見て、アランは視線だけで主に問う。セイはクスリと笑って「それを見てみろ」と言った。
真っ白なペーパーに銀色の装飾の入ったカードを開けば、紺色の文字が目に入る。婚礼の儀の招待状──なんらおかしいところは無い、はずだった、が。
「……え?」
記された名前はラセイン・フォル・ディアス・セインティアとディアナ・アルレイ。
そしてその下に──アラン・フォルニールと、セアライリア・フォル・ディアス・セインティア。
二組の名があったのだ。
「……これ、どういうことっすか」
事前にアランへ回って来た書類には、確かに王子と女神の名だけしか載っていなかった。だとすれば、自分の知らないところで差し替えられていたわけで──。
茫然とするアランに、セイは悪戯が成功した子供のように無邪気に微笑んで。
「いい加減、腹をくくってもらおうと思ってな。お前の知らないうちに手配した。隠すのは苦労したけれど、宰相初め皆がものっすごく協力的でね。今回の活躍で父上からお前への爵位を上げるように言われているし、ちょうど良かった」
そろそろ政治も手伝え、と王子の優秀な補佐官であるアランを引き込みたい重臣達、たまには驚かせてやろうぜというノリの良い臣下や精霊達によって、準備は着々と進められていたのだ。もちろん招待客への口止めも忘れては居ない。だからこそアディリス王子レオンハルトが、アランに対して風あたりが強かったのを、彼は知らなかった。
「ええと、それでは」
「僕たちとの合同結婚式だ。──ついにこう呼べるな、義兄上殿」
セイのからかい混じりの呼びかけに、アランはぽかんと目を見開いて──それから机越しに主へと抱きつく。
「──っ、ありがとうございます!最高の弟を持っておにーさんは感激ですとも!!」
「良く出来た義弟だろう?」
「はいッ!我が君は素晴らしいッス!愛してます!!」
あまりのテンションの上がりっぷりについ、ここがどこか忘れていた。王子の執務室、部屋の扉は開いたまま、廊下には護衛兵と、お茶を用意して来た侍女達が──
「きゃああシャッターチャンス!!リリエラ!ちょっとちょっと早くぅぅ!!フォルニール隊長が王子とイチャついてますわー!」
「良いですわ、良いですわ!!ちょっとラセイン様、視線こっちにくださいませ!」
しまった、とアランが背後の不穏な歓声に振り返るが既に遅く、ごとり、と魔法道具の水晶が床に転がる音と、何とも言えない表情の金の薔薇が立っていた。
「わたくし……浮気する男性はちょっと」
「ち、違います!!完全に誤解です!分かってますよね、セアラ様!?」
慌てて婚約者の元へ駆け寄るアランに、侍女達が満面の笑みを向ける。
「あらあ、照れなくても宜しいのよ。さあ続きをどうぞ!」
「わたくし達の新刊のために是非」
「……マリアベルさん、間違いなく本物ですね」
引きつった笑みを浮かべて侍女達に言うアランを見ながら、セイはクスクスと笑って手元の招待状へと視線を落とした。
合同結婚式を提案したのは、意外にもディアナだった。
彼女はずっと傍でアランとセアラが絆を育んでいくのを見ていて、けれど二人がその一歩を踏み出すことを躊躇しているのを知っていたのだ。アランはその体質と忠義ゆえに。セアラは愛する人の負担になりたくないがために。
「でもね、もうそろそろ知って欲しいの。アランさんは誰よりもセアラ姫に相応しい人だし、護るべきものが増えたってそれは弱くなることじゃない」
ディアナはそう言って、セイに微笑んだのだ。
「それに、セイのことは私が守るから。アランさんだけの特権じゃないのよ」
抱き締めた華奢な身体は、けれど誰よりも力強い言葉で王子を満たして。その時にふたりで決めた、幸せな秘密だった。
「本当に、あなたは……かけがえのない僕の女神だ」
招待状の名を指でなぞりながら呟いた王子は、手元の書類の束を集め、公務に戻る。少しでも早く終わらせて、愛おしい女神に逢いに行こうと。
すぐそこまで迫ってきた婚礼の日を夢見て、彼は微笑みを浮かべた。
第四章「近衛騎士の反乱」fin.




