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暁の巫女 -月の女神2-  作者: 実月アヤ
第四章 近衛騎士の反乱
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剣に込めた心

 それは虫の知らせとも言うべき、ふとした予感だった。


──来る。


 セイは寝台から身を起こして、フォルレインを掴む。鞘はそのままだが、相棒は既に臨戦態勢だ。カタカタと鳴る刀身が、フォルレインの意志を伝えてくる。払いのけた寝具の下は、動きやすいようにすでに騎士の簡易服を身につけていた。解いたままの金色の髪がぱらりと肩に落ちるが、構わない。


「──それで気配を殺してるつもりか」


 部屋の隅へと声をかければ、ゆらりと立ち上がった影。エメラルドの双眸ははっきりと主を捉えているのに──その表情はいつも王子へ向けるそれではなく、冷たく淡々とした笑みで。


「あなたは誤摩化せませんね」


 確かに彼の声なのに、親しみなど欠片も無いそれは、まるで別人のようで。兄代わりの幼馴染であるはずの青年を、セイはただ黙って見つめた。その真意を探るように。

 けれどアランはその右手にすでに抜き身の剣を携えていて、ゆっくりと切っ先をセイへと向け構える。剣術大会や日頃の鍛錬で彼から向けられたことのある剣ではない。アランが本気で敵を殺す時の構えだ。主へと剣を向ける従者の行為に、セイは目を見開いた。


「アラン……」


 溢れたのは呟きか、呼びかけか。けれどアランの耳に届いたのか、彼はふと口元を歪めた。


「理解できないって顔をしてますね、ラセイン王子。俺もですよ。──いえ、俺もでした」


 彼はそう言って、セイを見つめ、言葉を継ぐ。


「俺が護れるのは一人だけだ。あなたの傍に居たら、いつか俺は彼女を見殺しにする。もっと早くに気付くべきだった。俺はあなたが邪魔なんだ、ラセイン王子」


 誰よりも信頼する側近の言葉に、セイは衝撃を受けたような表情を浮かべ──瞬きをする。


「アラン。それがお前の意志なのか」


 アクアマリンの瞳に応えた言葉は、ただ一言。


「──死にたくなければ剣を抜いて下さい、我が君」



 薄暗い部屋の中、窓の向こうの夜空に雲が流れ、隠れていた月が白銀の姿を覗かせた。差し込む月の光に、セイの金髪が照らされて淡く輝く。

──キン、と硬質な音が響いた時には、二人の剣は打ち合わされ、眼前でかろうじてお互いの刃を止めた。わずかに弾かれたアランの剣は、一瞬の後にはすぐに空を薙ぎ払う。それを避け、セイもフォルレインを一閃した。わずかに避け損なったアランの頬に赤い筋が走る。

 ひとたび攻撃されれば、セイは迷わない──迷えない。一瞬の迷いは命を落とす。それは世継ぎの王子としてあってはならない。腹心であろうと、自分の敵になる相手は討つ。目の前の青年本人に叩き込まれたことだ。

 けれど──。

 振り下ろした剣は一歩届かない。わずかにブレて、崩れかけた体勢を狙われて直した。


「我が君?手加減していては死にますよ。まさか俺を傷つけることを迷われていますか?そんな必要ありませんよ」


 アランの声は感情を感じさせず、彼の剣もまた同じ。彼は右腕を振り下ろし、剣はセイの居た場所を深く抉った。


「セイ!アランさん!」


 バンッと大きな音を立てて、隣室と繋がる扉が開く。そこに居たディアナにちらりと視線を向けたアランは、一瞬踏み込み遅れ──セイの剣が届く前に後ろに跳んだ。更に迫る王子の剣を自分の剣で弾き返して、口を開く。


「ラセイン王子、あなたが王になるときには、傍に居たかった。ディアナ様のことも妹のように思っていた。けれど同じくらい、憎しみが抑えられない。黒い炎のように俺を焼きつくして、いずれあなたを破滅させるだろう。もう昔のような幸せな日々は失われたんですよ。俺は俺の意志で、あなたに剣を向ける。永久に眠るまで」


 そうしてアランは窓を開け放ち、バルコニーへと走り出て、その柵に手を掛けた。


「アランさん!」


 ディアナの悲痛な声に応えることも、凝視する主の視線に応えることも無く、彼は身を翻すとそこから窓の外へと飛び降りる。咄嗟にディアナはバルコニーから身を乗り出して下を確認したが、アランの姿はどこにも見当たらなかった。

 部屋の中を振り返った彼女は、そこに立ち尽くす王子を見つけて言葉を失う。セイの元へと近づいて、そっとその腕に触れようとした時──。


「くっ」


 わずかに揺れた彼の肩と、漏れた押し殺した声に、泣いているのかと。ディアナの心臓が跳ねた。慌ててセイに寄り添うように覗き込もうとしたなら──


「……っく」

「セ、セイ?泣いて……え?笑ってるの?」


 その表情を見て、ディアナは目を見開いた。

 王子は泣いてなどいなかった。肩を震わせて、歪むその顔に浮かぶのは──笑み。

 ぽかんとしたままの彼女を引き寄せて、セイがキスをする。


「なるほど、ね」

「え?え?セイ?どういうこと?」


 混乱する女神の前で、王子は密かに笑い続けていた。


***


 翌日の昼間に、ラセイン王子から話があるとベルフェリウス公爵とレイジール、フレイム・フレイア一行が会議の間に呼ばれた。レイジールは冷静に見せようとしているが、どこか落ち着き無い様子が隠せていない。ベルフェリウス公爵は深く息を吐いて、呆れたように息子を横目で眺める。

 レイジールは母国ではそれなりに有能な部類で、公爵家の跡継ぎとして問題なく育ててきたつもりだった。けれどセインティアの王子を前にしてしまえば、自分の息子が──いや公爵自身さえも、いかに凡人なのか思い知る。ラセイン王子のあの若さで、その聡明さと冷静さ、判断力は素晴らしい。同盟国とはいえ脅威なほどに。

──王の教育か。セインティア王国の血筋か。……あの方の。

 ベルフェリウス公爵は懐から取り出した懐中時計を見つめた。蓋は閉じられたまま、彼の手の中で鈍く光る。


「お待たせ致しました、どうぞ席に」


 現れたラセイン王子は優雅な所作で着席を促し、にっこりと微笑んでみせた。ベルフェリウス公爵は眉を顰める。フレイム・フレイア側は公爵とレイジール、魔導師と護衛兵が二人。対してセインティア側はラセイン王子、いやに甘い顔立ちの広報官とまだ幼い少女の魔導士のみだ。

 ベルフェリウス公爵に疑惑を持っているはずなのに、命を狙われている身でこの人員はあまりに警戒心が薄いのでは無いか。有能な王子が、たったこれだけの手勢でベルフェリウス公爵と対面するとは。それともこんな公式の場で、公爵が仕掛けてくるとは思ってもいないのだろうか。


──仕掛けるのは、私ではないというのに。


 魔導師に命じて、アランを近くに待機させている。合図一つで乗り込んでくるはずだ。あとは知らぬふりで、なりゆきを見守るだけでいい。


「そういえばベルフェリウス公爵、あなたのご実家はドフェーロ皇国だとか」


 突然の王子の言葉に、公爵はハッと顔を上げた。ラセイン王子は隙のない微笑みを絶やさぬままに言葉を継ぐ。


「この度のご訪問の、真意はどこにおありなのです?ドフェーロ皇帝の敵である僕への意趣返し?」

「何をおっしゃいますか、ラセイン王子。私はもうフレイム・フレイア王国の貴族で、国家の中枢に入りつつある身です。自らの立場を捨ててまで、亡くなった皇帝へ義理立てするほどの思い入れはありません」


 王子の問いに、公爵はあらかじめ用意していた反論を口にした。

 そう、公爵の動機はそんなものではない。だからこそ決定的な証拠を掴ませることなどできないはずだ。

 しかしセイはちらりと公爵の手元に視線を向ける。


「では、僕ではなく、セインティア王国、ひいては王への当てつけでしょうか。──その懐中時計の中の方のために」

「ッ!」


 しまった。思わず懐中時計を掴む手に力がこもり、それを王子は見逃さなかった。ベルフェリウス公爵は咄嗟に魔導師に視線を送って、彼は頷く。密かに指を鳴らした。その瞬間、廊下で騒ぎが起こる。


「お待ち下さい!」

「止まらなければ、力づくで」

「「うわッ!!」」


──バンッ!


 廊下に面した扉が大きな音を立てて開き、そこに居たはずのセインティアの護衛兵が部屋の中へと吹っ飛んで来る。全員がそちらに目を奪われる中、兵士を倒して入って来たのは、栗色の髪にエメラルドの瞳の近衛騎士。躊躇うこと無く部屋へと押し入り、まっすぐに主であるはずの王子へ向かって歩く。右手に掴んだ剣を振り上げて。

 ベルフェリウス公爵とレイジールは密かにほくそ笑んだ。そうだ、王子を殺せ。


「アラン」


 ラセイン王子は場違いなほどゆったりと優しげに微笑んだ。まるで何も異変など無いかのように、親しげに彼の名を呼んで。しかし──隣に控える広報官にクイッと顎で彼を示す。


「レイト、撃て」

「な、」


 公爵は耳を疑う。アランはラセイン王子の唯一無二の腹心であり、義兄のはず。だからこそ、セインティアを引っ掻き回す火種としてアランを捕らえたのだ。しかし王子は躊躇いも無く、いっそ冷たいまでに美しい微笑みを浮かべている。反対隣に控える薄紫色の髪をした、幼い魔導士はびくりと肩を震わせて杖を掴んだ。怯えたように王子と広報官を交互に見やる彼女の反応こそが、一番まともに見える。


「御意」


 レイトは懐から銀色に輝く魔弾銃を取り出した。アランに向かって照準を合わせると、彼が走り出す前に引き金を引く。


──ダアァァンッ!


 光の軌跡を描いた弾は、アランの胸に命中し、彼の身体は衝撃に数十歩後ろまで吹っ飛ばされた。床に倒れ込んだ彼のその瞳は、ぐったりと閉じられて開かない。

 誰もが固唾を呑んで状況を見守る中、レイトがつかつかと歩み寄ってアランの首筋に手を当てた。


「全て、問題なく」


 言葉少なに報告する彼に王子は頷く。ひっ、と声を漏らして、魔導士の少女が慌てて俯いた。泣いているのだろうか。


「ラセイン王子……その者は、あなたの腹心では?こんな簡単に……殺してしまえるのですか」


 恐る恐る投げられたレイジールの問いに、セイはクスリと笑って彼らを見る。そして倒れ伏すかつての側近の傍まで行くと、片膝をついて手を伸ばした。乱れたアランの髪を長い指で梳いて、その顔を晒す。開かない瞼と青ざめた頬を眺めながら、無表情で。


「そうです。僕の大事な部下です。だからこそ他人に玩具にされるのは我慢なりません」


 その美しい顔に、何の動揺も浮かばないのを見て、ベルフェリウス公爵は背筋がぞくりと震えた。

 やはり、この方は。格が違う。最初から、何もかも──。

 不思議と気分は高揚している。あれほどに邪魔だと思い、その絶望する顔が見たかったというのに。こんな姿を見せつけられては──いっそ跪いて忠誠を誓ってしまいたい。

 まるで『あの方』のようだ。


「僕の質問に答えていませんね、公爵。あなたの行動の全ては、その時計の中の方の為でしょう。違いますか?」


 セイに詰問され、公爵は手元の時計を開いた。レイジールがちらりと横目でそれを見て、目を見開く。古い懐中時計が父の大事にしているものだとは知っていたが、その中を見るのは初めてだったのだ。


「それは……?」


 中にあったのは、ひとりの貴婦人の写真だった。レイジールの母親ではない。蜂蜜色の髪に瑠璃色の瞳。輝く美貌。誰かに、とても良く似た──


「ライアフィリナ・フォル・ベルデ・ドフェーロ。その方はドフェーロ皇国前皇妃にしてセインティア王リライオの妹。僕の叔母上ですね」


 ラセイン王子の言葉に、ベルフェリウス公爵は頷いた。


「そうだ。ドフェーロに嫁ぎ、夫にも民にも見捨てられ、精神を病んで亡くなった非業の妃。そして──セインティア王の政略の犠牲になった哀れな姫君だ」


 公爵は語る。姫君に良く似た面差しの王子を前にして。

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