信じたい
「セイ、ねえ待って。何かの間違いか、事情があるのよ」
執務室に向かうセイの後を追って、ディアナは彼に訴える。セイの表情は硬いが、冷静だ。
「そうだとしても、まずはアランが見つからなければ話になりません」
「でもこんな、追い立てるようなやり方は」
ディアナは反論しかけて、王子の片腕たる近衛騎士を思い出す。そして、先程感じた違和感を。
「……アランさんがレオンハルト王子を襲うわけない。こんな襲撃、らしくないわ」
彼女の言葉に、セイは軽く眉を上げて聞き返す。
「レオンハルト殿下は姉上を少なからず想っているようですが」
「恋敵を排除しようって?まさか。アランさんはセアラ姫を信じてる。第一、セイの立場が悪くなると分かっててそんな真似するわけないわ」
「随分アランを信じているんですね」
「信じてるわ。アランさんはあなたのことを大事に思っているって。セアラ姫を愛しているからこそ、彼女が気に病むことをするわけが無いって」
セイは執務室のソファに座ると、自分の婚約者を手招きしてその膝の上に座らせる。吐いた息に疲労が混じるのは、隠しきれずに。ディアナの紫水晶の瞳に、セイは自分の瞳を近づけて、額を合わせた。
「──あなたはアランを案じてくれている?それとも僕を慰めてくれている?」
わずかに緩んだ彼の表情と口調に、ディアナは安堵しながら答える。
「どっちも。でもセイだってアランさんを信じてるんでしょう?」
幼馴染の兄代わり、じきに本当に義兄となる、この上なく信頼している腹心。彼が何の相談もせず、主の為でもなく他人を害するわけがないと。
「信じている。けれど、腹立たしいんだ。アランが面倒事に巻き込まれに行くのは、いつだって僕の為だから。黙って窮地に陥るアランのことも、そうさせた僕のことも、ムカつくんだ」
怒りを吐き出す言葉にしては、穏やかな口調で。困ったように言う彼が愛おしくて、女神はその手を王子の首に回した。伏せられた金色の長い睫毛の縁に軽くキスを落とせば、「大丈夫」とセイが小さく言う。ディアナの腰に手を回して彼女を緩く抱き締め、セイはクスリと笑った。彼女の髪に顔を埋めるように、その肩に顎を乗せて。
「騎士団をけしかけたのは、ちょっとしたお仕置きです。彼らもアランに鍛えられた精鋭達ですからね、たまにはお互い本気になればいい。それに──」
「アランさんらしくないと言ったのは、もう一つ理由があるのよ」
彼の言葉を遮って言った女神に、青の王子は分かっていると頷いた。
**
ベルフェリウス公爵の部屋では、レイジールが苛立たしげに床を踏みならした。目の前には黒いマントに身を包んだ男が、床に膝をついている。
「何だってアディリスの王子なんかを狙ったんだ。標的は青の王子だろう!魔導師、ちゃんと精神支配の魔法は効いているのか!?」
彼に問われた魔導師は頷く。
「彼へ掛けた暗示は『セアラ姫への執着心を煽る』ことだ。セアラ姫を唯一の主とする為に、主である王子を殺すように。しかし、まずは目の前の直接的な恋敵を狙ったんでしょうな」
魔導師の説明に、レイジールはそちらを睨みつけた。
「なんだってそんなまわりくどいことを!ただラセイン王子を暗殺するように命じれば良いじゃないか」
「セインティアの騎士に魔法は効きにくい。思ってもいないことを無理矢理植え付けるのは酷く難しい。秘められた欲を増幅させる方が簡単なのですよ、レイジール様」
レイジールは舌打ちすると、黒衣の騎士へ目を向ける。そのフードを払いのければ、アラン・フォルニールその人の顔が現れた。いつもの快活さなど欠片も無い、淡々とした読めない無表情を浮かべて、レイジールを見つめ返している。
「お前が余計な襲撃を仕掛けて、正体まで感づかれたおかげで、王宮の警備が更に厳重になってしまった。わざとじゃないだろうな」
「あの男が目障りだっただけだ」
短く返された言葉と、鋭い眼光に、レイジールは息を吞む。
ここにいる男は王宮の守護精霊と近衛騎士達から傷一つ負わずに逃げて来た、精鋭中の精鋭だ。ベルフェリウス公爵とレイジールのことを、セアラ姫を手中にするために必要な人間だとアランに思い込ませているために、彼の攻撃対象にならないだけのこと。完全にレイジールの操り人形になったわけではなく、従属しているのではない。敵意を向けられない、ただそれだけの保証しかない。扱いづらい。
父であるベルフェリウス公爵は黙ってアランを見つめている。射抜くような視線は、彼への精神支配が作用しているのか見極めようとしているのか──それとも息子の力を試しているのか。
時々で冷酷にも非情にもなれる父親から見限られることを恐れて、レイジールは魔導師へと問いかける。
「こいつを俺に従うように、操れないのか」
レイジールの言葉に、魔導師は口の端を歪ませた──嗤ったのか。
「さあ、効くかどうか」
言外に、お前はアランに欠片も敬われるような存在ではないと言われたようで、レイジールは悔しさに頬を染めた。彼の様子に構わず、ベルフェリウス公爵は自分の手元の懐中時計の蓋を開けて、中に収まっている写真を見つめる。アランの視線がそこに向く前に、ぱちりと音を立ててそれは閉められた。公爵がゆっくりと口を開く。
「──今度こそ、青の王子だ。分かっているな」
アランは黙って頷き、マントを翻して立ち上がった。闇に紛れるように姿を消す。
懐中時計を懐にしまう父を見ることもなく、レイジールは自分の手のひらを見つめた。思い出すのは、神秘的な紫色の瞳。
「王子が居なくなれば……月の女神は俺のものだ」
二日が経っても、アランの行方は知れず、王宮内は表面上は静かに、けれど確実に浮き足立っていた。
ディオリオ・アルレイは騎士達に警備を確認させながら、王宮を見回る。アランの抜けた部隊を任されたのだ。彼はディアナの実の叔父であり養父でもある。元セインティアの将軍にして、今はアルレイ伯爵。騎士団の指南役として王に仕えているものの、第一線からは退いた筈だった。
「あんの馬鹿。もしどっかの阿呆に操られてるとかだったら、全力で笑うぞ俺は」
まだセインティアの将軍だった頃に、アランに剣や情報収集のための隠密行動を教えたのはディオリオだ。
彼の行動が騎士としてのものならばいい。けれどもし『アラン・フォルニール』としての人格が失われていたら?一度操心の魔族に操られたことのある彼は、その恐怖を知っている。……そしてそれは、ラセイン王子とディアナもだ。
「よお、ディオリオ。お前まで担ぎ出すとは、ラセイン様もさすがだな」
「ニールセン」
他の部隊の分隊長が苦笑いで声を掛けて来た。ディオリオと同年代の彼とは仲が良く、たまに城下町で酒を呑み交わす仲だ。ニールセンは面白くなってきた、というニヤケ顔を隠しもせずに。
「うちの班のフォルニール捕獲作戦、聞くか?面白いぞー」
彼の言葉に、後ろについていたニールセンの部下達がわらわらと騒ぎ出す。
「ええー。隊長、あれで大丈夫なんですか?あの人ほんっと強いんですよ」
「セアラ姫を置いとけば出てくるだろうよ。殺さなければいいんだろ?この機会にあの小生意気な口を塞いでやろうぜ。捕まえたヤツ、特別ボーナスだからな」
「えっほんとですか。じゃあじゃあ、こんなのどうですか。王女に部屋の中央に居て頂いて、落とし穴と天井から檻落とすのと、精霊の捕縛魔法の3重攻撃」
「でもあいつめちゃくちゃ小賢しいからなー。爆発魔法の罠とか仕掛けるか、大量に。おい誰か銀の魔導士呼んで来いよ。あーお客様がいなきゃなあ、もっとド派手にやるのに。フォルニールの野郎、それも計算してるよな、絶対」
「隊長の案だと死んじゃいますけど。もっとこう知的な案でいきませんか」
「なにそれ美味しいの?」
緊張感の無いやり取りだが、彼らは決して無能ではないし、やると言ったら全力でやるだろう。ディオリオは苦笑して、彼らと別れて回廊を歩き出した。恐ろしいのはアラン直属の部下も今頃ほぼ同じノリで、自分たちの部隊長の捕獲計画を立てていることだ。
セインティアの騎士団は世界一の結束を誇る。謀反ともとれるアランの行動に動揺してもおかしくない事態だというのに、彼らはただ王と王子の命令のみに忠実で──仲間を信頼している。アラン自身を疑う者は無く、ただ一貫して全員の心は一つだ。
『アラン・フォルニールがラセイン王子を裏切るわけが無い』
だからこそ迷い無く行動できる。王子の命令にも、アランの行動にも意味があるのだと。
けれど、ディオリオには彼らほど楽観的にはなれず、王子の元を離れた近衛騎士を信じきることもできない。
どんなに忠誠を誓ったって、その心を壊されていたら──?王子への忠誠心のみで言えば元々が潔癖な男だ。他人に思考を歪められたアランが、何事もなく元に戻れるとは思えない。
あいつは俺のように、主の元を去る羽目にならなきゃ良いが。
「アラン。お前は今、何を考えてるんだ?」
**
セアラは額に触れる感触に目を覚ました。
精霊の明かりを灯していたはずの自分の寝室は、今は真っ暗で何も見えない──。
否。自分の瞼を誰かの手が覆っているのだ。視界を塞がれていても、恐怖も嫌悪感も無い。この気配を、この香りを、この熱を、良く知っているから。
「……アラン」
彼の名を呼べば、手のひらの向こうでふ、と微笑んだ気配がした。
「あなた何をしているの。何をしようとしているの。わたくしはどうすれば良いの」
真っ暗闇と、いつものような優しい気配に、虚勢を張ることは出来なくて。幼子のようにぽつりと呟いたセアラの額に、また先程と同じ感触が落ちてくる。温かくて柔らかな──彼の唇。
「何も」
返された言葉は、穏やかで。彼が追われていることなど忘れてしまいそうで。もう何もかもが夢だったならと、目が覚めれば、いつもの彼の笑顔がそこにあるのではないかと、そう願ってしまう。なのに、優しい声は残酷に囁く。
「何もしなくていい、セアライリア。俺を信じて、待っていてくれたらそれでいい」
「それではいつもと同じだわ……っ」
思わず反論した姫君の声は、重ねられた唇の中に消えた。
「それが、いいんだ」
何度も角度を変えて繰り返されるキスは、どこか切なくて。
「あなたは変わらないでいてくれ。──俺が変わっても」
暗闇の向こうで聴こえた声に、セアラの瞳から涙が一筋、溢れて落ちた。




