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暁の巫女 -月の女神2-  作者: 実月アヤ
第四章 近衛騎士の反乱
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仕掛けられた罠

 セアラ姫の部屋を出て、主の元へと戻ろうとする途中で、アランは小さな精霊が自分の傍に舞い降りたのに気付いた。アレイルからの通信だ。


『アラン、ベルフェリウス公爵が不穏な動きをしている。見慣れぬ魔導師と接触した』

「──あ~面倒を起こしそうだね、そりゃ」


 王城のあちこちに精霊がいて、監視されていることは彼らも知っているはず。だというのに怪しい動きを見せるのは、大胆なのか、策略なのか。いずれにしても主に向けられる害を事前に防がなくては。

 しかし仮にも同盟国からの使者だ。滅多なことで問いつめるわけにもいかない。


「どーするかな。ラセイン様にはあまり心労を掛けたくないんだけどなー」

『精霊を使えば王子に伝わる』

「だよな。いい、俺単独で探ってみる。ありがとな、アレイル。あと申し訳ないんだけど」

『ディアナには秘密だろう。わかっている』

「さすが。悪いね」


 アランは少しの間考え、一人で客間へと向かった。



 フレイム・フレイア王国の使者に宛てがわれた部屋では、ベルフェリウス公爵と魔導師、レイジール、数人の護衛が居る。魔導師に気付かれては警戒されるだろう。精霊の監視を外させたアランは、そっと賓客の間へと近づき、中の様子を窺おうとして──


『眠れ、深き闇に』

「──っ!?」


 膨れ上がった魔力を感知した時にはすでに遅く、勢い良く開かれた扉の向こうから放たれた魔法がアランを直撃した。衝撃波にも似た黒い光が彼へとぶつかり、それと同時に凄まじい眠気が襲ってくる──睡眠魔法だ。

 自分へ纏わり付く闇の向こうに、ベルフェリウス公爵の笑みを浮かべた顔が見えて、歯ぎしりしたくなった。


「精霊たち、王子に、知らせ……」


 もはや主に知らせずになどと言っている場合ではない。だが精霊を呼ぼうと必死で紡ぎ出した言葉はかすれ、魔導師に掻き消されて命令にならずに散る。声を封じられ、彼は思わず悔しげに唇を噛んだ。このまま意識を手放してはマズイ。

 眠りの魔法に抵抗する為に、アランは咄嗟に長剣と一緒に装備していた短剣を引き抜いて自分の腕に突き立てようとしたが、公爵にその手を蹴り上げられて短剣は床を滑っていった。


「さすがは王子の犬。油断も隙もない」


 その口調に、ラセイン王子への敵意を感じて、アランは顔を上げて彼を睨む。

 王子の側近である自分にこんな真似をするならば、もう間違いなくベルフェリウス公爵は敵だ。


(しまった──油断した。罠の方だったか)


 常ならば魔法が発動する直前に感知することも、それを避けることもできたはずだ。

 しかし、先程リルディカとリティアの魔法をまともに受けてしまった身体は、彼自身が思うよりダメージを受けていたのだと、今更気付く。アランの感知能力は便利な反面、彼自身を苛む諸刃の剣なのだ。だからこそ、シーファが忠告したというのに。弱った隙を突かれるなと。己を過信するなと。

 悪友は、アラン自身よりも彼の状態を見抜いていた。単独行動など取るべきではなかったのだ。


 ごめん、シーファ。すみません、ラセイン様。……怒るかな、セアライリア。


 とりとめもなくそんな想いが浮かんで。握りしめて爪の食い込んだ掌に血が滲む。それでも遠くなる意識を引き止められずに。ついに彼は──闇に沈んだ。




 暗闇の向こうで、薔薇の香りがした。そちらに行こうとして、足が動かないことに気付く。

 知っているのだ。咲き誇る美しい薔薇は、同時に強い魔力を持っていて、自分は本能的にそれを恐れているのだと。

 けれど彼は、無理矢理に足を進めようともがいた。

 畏怖する以上に、もう彼女からは離れられない。怖いのは彼女の魔力に耐えられなくなることではなく、彼女を護れなくなることだ。彼女の魔力を身体が拒否しようと、彼女を失うことは魂が拒否する。


──何よりも、愛しているんだ。


『ならば、王女を害するものを排除しろ』


 耳に忍び込んだ言葉に、アランは振り返った。暗闇から伸びる手が、彼を絡め取る。


『王女をお前の唯一にするのだ』


──違う。俺の唯一の主は。俺が護るべきひとは。


『お前が王子を選べば、王女を失うだろう。お前の剣で護れるのはただ一人だ』


──それでも。俺は誓ったんだ。王子の唯一無二の剣であり、盾であることを。


『いいや、お前は迷っている。王子さえ居なければ、お前は王女にだけその身を捧げられる』


──やめろ。俺は迷わない。


『セアラ姫を失っても?』


 黒い手に絡め取られたアランは、無理矢理にその顎を掴まれて顔を上げさせられた。その先に散らばる、赤い薔薇の花びらと。それに埋もれて倒れている、美しい姫。

 その胸に突き立てられていたのは、輝く退魔の剣。王子の、フォルレイン。



「セアライリア──!」



彼は絶叫し──黒い手の中に崩れ落ちた。



***


「疲れましたか?」


 晩餐を終えて、ディアナは王子の部屋に招かれていた。


「少しだけ……でも大丈夫よ」


 月の女神は紫水晶の瞳を婚約者に向けて、微笑んでみせる。セイは彼女の隣に座ると、その波打つ栗色の髪に手を差し入れて優しく撫でた。


「リリーナ達から報告は受けました。すみません、あなたに嫌な思いをさせましたね。まさかレイジール殿がそんな振る舞いに出るとは想定外でした」



 ベルフェリウス公爵子息の行動はセイを静かに激怒させた。

 今彼は精霊達によって厳重に監視されている。何か不穏な動きをすれば、適当な理由をつけて強制送還するつもりだ。むしろそうなればドサクサに紛れて蹴りの一発でも入れてやると、王子が密かに決意していることを女神は知らない。


「アランさんが助けてくれたから大丈夫だったわ」

「それでも、僕が甘かった。あなたには誰も触れさせない」


 セイはディアナの手を取って、指先に口づけた。それから手の甲へ。手首へ。戯れるように落とされるキスにディアナは頬を染めながら、それでも彼に身を寄せていたが。


「……そういえば、あの後からアランさんを見てないわね」


 ふと思った言葉はそのまま零れ落ち、セイが訝しげな顔をする。


「いつもならそろそろ大量の書類を抱えて、邪魔しにくる時間ですが」


 彼女は賓客の相手をする為に、ここ数日は王宮に泊まり込んでいる。もともと王宮内にはディアナの為の部屋が与えられているのだが、もちろん婚約者と片時も離れたくない王子があの手この手で自室に引っぱりこんでは閉じ込めようとする。これを毎晩のように側近であるアランが「まだ仕事残ってますよ~」と乱入して、ディアナを部屋に帰らせてくれるのが定番になっていたのだが。


「晩餐にもいなかったわよね?侯爵様のお仕事じゃないなら、騎士団でなにかあったのかしら」


 首を傾げる彼女に、セイは精霊へと呼びかける。アランが報告無しに長時間王子のもとを離れることなどあり得ない。レイジールの件で多少心乱されていた為に、それに気付くのが遅れた。


「報告を。アランはどこだ」

『いらっしゃいません。フォルニール様は、どこにもいらっしゃいません』


 部屋の中空に現れた精霊から返った言葉に、セイは耳を疑う。ディアナも身を起こして、精霊を凝視した。


「どういうことだ」

『城の中に気配を感じません。王宮内にいらっしゃらないか、もしくは魔法で隠されているかです』


 精霊の報告に、二人は顔を見合わせて、その顔に戸惑いを浮かべた。セイは引き続きアランの捜索を指示し、精霊は空に消える。


「どういうことなの……?」

「わからない……けれど、何かが起こっている。誰かの、企みかもしれない」


 王子は低く呟いて、腕の中の女神を抱き締めた。


 ***


 アディリス王国王子、レオンハルトは与えられた客室で休んでいた。真夜中に近い時刻、いつもなら眠っている。けれど今日はなかなか眠りが訪れない。他国で緊張しているのではない。何だか空気が、精霊が騒いでいるのだ。

 アディリス王国にはセインティアほどではないが、精霊は生息している。加えてレオンハルトは神竜を護り神としている王家の一員だ。精霊の気配を探ることくらいは出来る。他国からの客人を多く抱えている今、多少騒がしいのは仕方ないとしても、このざわつき方はそんな雰囲気でもない。

 どちらかというと、張りつめた糸があちこちに巡らされているような──緊迫感と焦燥に満ちたものだ。


 何かあったか。

 思った瞬間に、ザワリと粟立つ気配を感じて、彼は枕の下に手を伸ばす。微かなカタ、という音を聞くと同時に、掴んだ短剣をそちらに向かって投げた。


──ダンッ!


 それは音を立てて壁に突き刺さり、紙一重で避けた影がレオンハルトに迫る。彼は寝具を掴んで侵入者へと放って視界を遮り、戦闘態勢を取った。王宮の精霊に異変を知らせなくては。


「誰か!侵入者だ!」


 彼は叫びながらもう一本、今度は長剣を引き抜いた。鞘を抜く間もなく、それで振り下ろされた剣を受け止める。ガキン、と大きな音と小さな火花が散り、侵入者の姿を闇に一瞬照らし出した。

 真っ黒なフード付きのマントを目深に被った黒づくめの、しなやかな体躯の──おそらく男。


「何者だ」


 レオンハルトの問いに相手は答えない。ギリギリと圧す剣に、男が相当の手練だと感じて、彼は舌打ちした。


「レオンハルト殿下!」


 衛兵の声と共に大きく扉が開けられ、侵入者はハッとそちらを振り返る。レオンハルトへのもう一撃は諦めたのか、剣を構えて突破しようとする男に気付いて、レオンハルト王子は扉へと警告した。


「危ない、下がれ、セアラ姫!」


 そこには近衛騎士と、セアラ姫が居たのだ。

 剣を構えてなだれ込んで来た数人の騎士を、侵入者は流れるような動きで躱し、剣を打って落とさせた。ついでに足技を掛けて床に倒す。精鋭のはずの近衛騎士達がなす術も無く、侵入者に翻弄されていた。彼らでは止められないと悟って、セアラ姫は厳しい表情で手をかざす。


『戒めの鎖よ、侵入者を──』


 捕縛の魔法を掛けようとした彼女の目の前に、騎士達を躱しきった黒いローブの男が迫った。触れられるほど目前まで近づいた侵入者に、彼を見た姫君の目が大きく見開かれ──呪文の詠唱が止まる。


「セアラ姫!?」


 レオンハルトが血相を変えて呼ぶが、男はそのまま何もせずにセアラ姫の横をすり抜けた。


「え?」


 床に倒れ込んだ騎士達のように、姫君が害されると思ったレオンハルトは、あっさりと姿を消した侵入者に拍子抜けする。


「殿下、姉上、大丈夫ですか!?」


 そのとき、廊下の先から鋭い声が掛けられた。セイとディアナだ。

 セイが二人の安否を気遣い、精霊へと侵入者の追跡を命じる。ディアナは、目を見開いたままのセアラ姫に気づき、彼女へと駆け寄った。


「セアラ姫、どうしたんですか?何か……」

「ああ、セアラ姫はあいつの顔を見たよな?どうしたんだ、一体」


 レオンハルトには侵入者の顔が見えなかった。相手はフードを被っていた上に、闇の中で襲われたからだ。けれど明かりを灯された廊下に居たセアラ姫は、真正面から侵入者と向き合って、しかも相手は彼女よりも背が高かった。セアラ姫にはフードの下の顔も見えたはずだ。

 レオンハルトの指摘に、姉姫はその美しい顔を蒼白にして、ディアナと弟王子へと視線を向けた。の泣き出しそうな、怒っているような、張りつめた表情に、セイは「まさか……」と小さく呟いて。黙って目を伏せた姉と、同じような表情を浮かべた婚約者に、ディアナは息を吞んだ。

 この場に居るはずの、居なくてはならないはずの青年を思い浮かべる。


「……アランだったわ。レオンハルト殿下の命を狙ったのは、アラン・フォルニールよ」


 硬く強ばった表情と、今にも倒れそうな風情で、それでも彼女ははっきりと言った。セイが身を起こした近衛騎士達を見回すと、彼らもまた信じたくないといった表情で頷く。


「顔は見ておりません……が、我らがこんな簡単にしてやられるなど、相当な使い手です。情けない限りですが。確かに、無駄に血を流さないあの戦い方、フォルニール隊長そのものでした」

「あの身の躱し方も……先日鍛錬中に見せて下さった動きと全く同じでした」


 毎日アランと共に働いている部下達の進言に、セイは片手で額を押さえて俯いた。ディアナは彼らの言葉に、ふと違和感を覚えてセイを見上げたが、彼はディアナの視線に気付きながらも軽く瞬きして口を開かせない。


「レオンハルト殿下、大変申し訳ない。御身を危険に晒したことを深くお詫び致します。が、事情を把握するまで、どうかご内密に」


 彼は心得たと頷き、侍女と騎士に別室へと案内されていった。それを見送ったセイは姉姫の背を抱いて、騎士達へと命じる。


「フォルニールを探せ。直ちに僕の前へ連れて来い」


 騎士達は一瞬躊躇った後に、主へと口を開いた。


「……抵抗、されたときは」


 アランは近衛騎士団分隊長で、国で二番目の剣の達人だ。その彼を力づくで取り押さえるなど、犠牲が出ないわけが無い。ディアナは嫌な想像に思わずセイを凝視してしまうが──。


「……命は奪うな。あとは任せる」


王子の下した命令に、月の女神と金の薔薇は息を吞んで立ち尽くした──。

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