魔法使いたち
ディアナを主の元へ送り届けると、アランはその足でセアラ姫の部屋へ向かった。
扉の前まで来て、いつも通りに押し開けようとした瞬間──中から溢れた異質な魔法の波動を感知して低く呻く。
──しまった。リルディカさんか。
どうやらちょうどリルディカの魔法指導の時間だったようだ。彼女はセアライリアの教えを受けているため、週に何度かこうして姫君の部屋を訪問している。そしてアランはなるべくその時間には近寄らないようにしていた。
セインティアの魔法とは違う暁の巫女の魔力は、未だアランの感知能力には慣れないもので、構えずに浴びてしまうと魔力酔いを起こしてしまう。幸い他国からの客人も多い最中でいつも以上に警戒していたために、それほど酷い影響は無いものの、わざわざ体調を崩しかねない場に行くことも無い。
自分の婚約者の顔を見るのは後にしようかと、思い直したが。
「──ですわよね?レオンハルト殿下」
中から聴こえてきた声と名前に、アランは思わずその扉にゴン、と額を打ち付けた。
先程苦労して阻んだはずの『悪い虫』が、まんまと愛しい婚約者の傍に居る。これを見過ごせようか。いや、出来まい。
「随分楽しそうですね、我が金の薔薇は」
そう言いながら押し開けた扉の先では、にこやかに談笑するセアラ姫とレオンハルト王子、魔法陣を組んでいるリルディカとリティア、それを見ているシーファが居た。魔導師および魔導士達揃い踏みの中に入ることに躊躇しないでも無かったが、今は目の前の害虫退治が先だ。
「レオンハルト殿下、どうやってこちらに?」
にっこり微笑んで聞いてみれば、アディリス王国の王子はしれっと口を開く。
「そこの銀の魔導士に案内してもらった」
アランは目を剥いてシーファを睨みつけるが、彼は涼やかな美貌を崩さずに手元の本を示して見せた。
「神竜の王子が珍しい魔導書を持って来てな。セアラも興味があるだろうから一緒に読もうと思ったのだ」
(それがレオンハルト殿下の作戦なんだよ!まんまと買収されやがってこの強欲魔導士め!)
視線でそう訴えるアランをよそに、セアラ姫は嬉しそうに笑う。
「さすが最大国家よね。わたくしもなかなか手に入れられなかった魔導書をこんなに容易く入手してしまうなんて」
「まあうちには魔導士がほぼ居ないし、宝の持ち腐れだと思ってな」
「あら、今回の協定で魔導師の貸借制度を決めたのでしょう。この辺りの魔法、国家間で使えたら便利ですわよ」
どうやら魔導士たちはその珍しい魔法を実践していたらしい。未だ残る濃密な魔法の気配に、アランは密かに苛立つ。しかし何よりも愛おしい姫君が笑顔で喜んでいるのを見れば、それを表に出すほど馬鹿ではない。
「それは良かったですね」
にこりと甘い笑みを見せれば、セアラ姫は頷いて、その絶世の美貌を輝かせる。
ああ、またそんなに美しい微笑みを振りまいて、無自覚にそこの王子を誘惑しないで欲しい。
アランは切に思いながらも、ふと気になってリルディカを見た。彼女は自分の魔法がアランに負担を掛けると知っていて、先程まで組み上げていた魔法を止めようとしていたが、「大丈夫ですよ」と彼が応えてみせると、申し訳なさそうに頷いてそれを再開する。
一度組み始めた魔法陣を途中で止めてしまうと、最初からやり直しなのだ。鍛錬中に乱入したのはアランの方なのだから、彼女にそんな手間をかけさせるつもりは無い。
「ああそうだ。今フレイム・フレイアの使者が来ているのだったな。私とリティアはしばらくこちらを離れることにする」
シーファがそう言って、銀色の髪を掻き上げた。銀の魔導士はかの国に大事な弟子を奪われかけてから、フレイム・フレイア王国をあまり良く思っていない。解決した今でもそれは同じだ。リティアを取り戻す際に大暴れしたこともあるし、砂漠の国の人間とは顔を合わせたくない気持ちもまあ、理解できるが。
「そういやどうして今回、アルヴィオス王じゃ無くてあの公爵が使者に立ったんだろう?リティアさん、何か聞いてますか?」
アランの問いに、銀の魔導士の弟子は首を横に振る。 ストロベリーブラウンの髪が後頭部で尻尾のように揺れた。
魔導士リティアの真の素性は砂漠の王の生き別れた妹であり、兄と再会して一度は決別しようとしたものの、今はわずかながら交流を持ち始めたところなのだ。砂漠の国の事情に一番詳しいのは彼女だろう。
「兄様は何も。あ、でも、公爵はセインティア行きをご自分で希望されたそうですよ」
王命ではなく、立候補したのだと。
それを聞いてしまえば、彼の血族と、レイジールの態度、何もかもが怪しく思えてならない。アランはそちらに思考を傾け──その一瞬が組み上がった魔法への警戒を遅らせてしまった。
──あ。ヤバい。
リルディカとリティアの魔法が発動し、虹色の光が魔法陣から溢れた瞬間、久しく忘れていた強い圧迫感がアランを襲う。魔法自体は攻撃性のあるものではない。王宮の守りを強め、精霊と意識を繋げる守護魔法だ。けれど、頭を横殴りにされたような鈍痛に、近衛騎士は思わずギュッと目を瞑る。
「アラン!?」
「だいじょーぶ、です」
気付いたセアラ姫が立ち上がって彼へ寄り添おうとするのを片手で制した。慌てて彼を見たリルディカとリティアが気に病まぬように、ことさらへらりと笑ってみせる。
「油断しているからだ。馬鹿者め」
シーファは彼の状態を正しく気付いていただろうが、アランの意図を察してわざと軽口に紛らわせてくれた。普段は喧嘩じみたやりとりばかりなくせに、こういうところの心遣いは、本当に出来たヤツだよなと思う。
「あはは~面目ない」
アランの様子をレオンハルトは頬杖をついて眺め、口を開いた。
「お前、よくそれで魔法大国の王女の婚約者なんてやっていられるな」
「……!!」
──息を飲みそうになるのを。かろうじて堪えた。
当てつけだと分かっている。けれどレオンハルト王子が割と本気でセアラ姫に心を傾けていて、隙あらばアランから奪ってやろうと考えていなくもないことを、知っている。大国の王太子だ、そのあたりの手腕も決して軽くはないだろう。
だからこそアランは、まっすぐに立って自分からセアラ姫を引き寄せた。彼女の手を借りるのではなく、自分が彼女を護るのだと見せつけるように。
「ええ。セアラ様のためなら、何でもありませんよ」
それは、間違いなく揺るがない愛情と、巧妙にごまかした本心。
主と同じアクアマリンの瞳が、彼の心を見透かすようにじっとアランを見つめていた。
やがて魔法指導の時間が終わり、リルディカは一同に礼をして立ち上がる。レイトと待ち合わせをしているらしく、足早に出て行った。レオンハルトはそれより前にセイとの公務の為に客室へ戻っている。シーファはリティアを伴って出て行こうとして──足を止めた。
「アラン」
銀色の髪を靡かせて振り返った魔導士に、彼は「ん?」と視線を向けて。
自分に向ける悪友の表情が、労わるように呆れたように、複雑に歪むのを見てしまう。
「……つけ込まれるなよ」
それはアランだけに分かる彼への忠告で。
リティアには意味が分からなかったのだろう、不思議そうな目を師に向けていた。分かりづらい友の気遣いに、アランは苦笑して頷く。
二人きりになると、セアラ姫はアランを振り返った。
「我が弟の側近たるフォルニール侯爵が、こんなところに居て良いの?」
彼は曖昧に笑って、婚約者を引き寄せた。その腰に手を回して、正面から向かい合う。
「王子の守りは万全ですよ。それより今は、目の前の薔薇を愛でたい気分です」
その視線に艶めいたものが混じり、セアラを射抜いた。皆の前では決して見せない“男”の顔で。アランはゆっくりと誘うように口を開く。
「今だけは良いでしょう?あなたは人気者だから。俺の番はなかなか回って来ない」
「レオンハルト殿下にヤキモチを焼いたの?」
歌うように楽しげに囁かれた姫君の言葉に、王子の近衛騎士は笑みを浮かべて。金色の巻き毛を絡め取りながら、唇を寄せる。
「分かっていて、仕掛けた?怖い人だな、あなたは」
密かに妬いているのを知っていた上で──他の男に微笑みかけていたのか。婚約者への当て付けに他の男へあんな柔らかな言葉をくれてやっていたのか。そう問うアランに、セアラは妖艶な笑みを浮かべた。
「ラセインばかりにかかりっきりになっている仕返しよ」
「それでも俺がラセイン様よりあなたを優先したら怒るくせに」
「あら、当たり前じゃない。あなたは王子の騎士なのよ。主を何よりも優先し守るのは当然のこと。有事のときはわたくしを見捨ててでも、あなたはラセインを守るの」
でもね、と美姫は深い微笑みを返す。
「わたくしはそんなあなただから、愛しているのよ」
アランは一瞬目を見開いて──それから複雑そうに笑った。
彼が金の薔薇への愛情を確信するのは、いつもこんな時だ。愛おしくてたまらない。その薔薇の棘が彼のために道を切り開いてくれる気さえする。そしてその道が、彼女自身のものでもあると言ってくれる。
王子が女神に感じたように、近衛騎士も自らの唯一に出会った幸運に感謝したくなる。こんな愛情の形は、きっと誰からも得られない。
アランは手の中で遊んでいた金色の髪をそっと放して、その手を愛おしい姫君の頬に滑らせた。
「そう言ってくれるから、俺はあなたを手放せない。セアライリア」




