異国からの客人
──なんだって俺までこんなところに来なければならないのだ。
レイジール・ベルフェリウスは溜息を押し隠して父を見る。
彼は公爵家の嫡男で、年は23歳。どちらかと言えば、生真面目でやや思い込みが激しいところもある。一家の主には従順なれと、厳格な父に逆らうことなく従ってきたが、今回ばかりはそれが仇となった。
最南端の砂漠の国、フレイム・フレイア王国はセインティア王国からはかなり遠い。同盟を結んだ今は転移門で繋がれているとはいえ、公式訪問にはいくつかの経由地と手順が必要なのだ。気候も全く違う国を何日も旅するのは、苦痛以外の何者でもなかった。
父であるベルフェリウス公爵が国の代表として、セインティア王子の結婚式に出席するのはまあいい。けれど何故息子である自分までかり出されなければならないのか。
レイジールは普段は父の補佐をしている。父が自国を離れる間はいつも、彼が領主代理として領地の管理をしているのだ。ところが今回に限って、父は息子を連れて魔法の国への訪れた。
「私の後を継ぐのなら、他国の王族とも親交を深めておけ」
父は彼の言い分など全く耳を貸さず、それだけを命じて。
その命令だけであれば、わからなくもない。けれど父はもう一つ、命令を下したのだ。彼を連れてきた真の理由である、その命令を。
「レイジール、月の女神を──」
ラセイン王子とディアナ・アルレイ伯爵令嬢が謁見の間に現れた瞬間、レイジールは二人の美しさに目を奪われた。
特に月の女神と称される令嬢は、一見華奢で可憐な容姿をしているのに、近くで見れば紫水晶の瞳が神秘的で吸い込まれそうになる。その瞳がこちらを向いた時には、思わず頬が熱くなるのを自覚していた。
「私達の結婚式の為に遠路はるばる、ありがとうございます」
王子は完璧な微笑みでベルフェリウス公爵に挨拶をする。続いてレイジールに向き直ったとき、その視線に冷ややかなものが混じった気がして、彼はわずかに身体を引いた。けれど瞬きした間にそれは跡形も無く消え失せ、気のせいだったかと首を傾げる。
「この度はおめでとうございます。まことにお似合いのおふたりですな」
ベルフェリウス公爵は落ち着いた声音で言い、ディアナへ目を向けた。
「王太子妃は青の聖国の護り神と、その武勇伝が我が国までも伝わっておりますが。なかなかどうして、可憐な姫君でいらっしゃる」
「……武勇伝だなんて」
ディアナは頬を染めて恥じらい、助けを求めるように隣に居る王子を見上げる。その可愛らしさに、レイジールの目が釘付けになっているのにも気付かずに。そして、それに気付いた王子の目が剣呑に細められたことに、レイジールもまた気付かなかった。
「我が女神の愛らしさを、公爵に知られてしまいましたね」
令嬢へ向ける王子の視線は蕩けるように甘く、そう言って女神の腰を引き寄せ、それを見た公爵が笑い出した。
「いやこれは、当てられてしまいましたな。幸せなお二人を邪魔して申し訳ないが、ラセイン王子。是非我が国の魔導士留学制度について相談に乗って頂きたく……」
仕事の話が始まる気配に、ディアナは控えめに下がり、待機していた侍女に目線でお茶の準備を頼む。他国との貿易交渉や文化交流も、今回の大事な公務の一つなのだ。
「申し訳ないが、長くなりそうだ。どうでしょうか、ディアナ様。我が息子に魔法大国の素晴らしい城を案内してはいただけぬか」
公爵はにこやかに微笑んだまま、彼女に頼む。ディアナは婚約者をちらりと見て、彼が頷いたのを見ると微笑んだ。
「ええ、私で宜しければ、もちろん。セインティアの素晴らしい景色が一望できる塔へご案内致します」
可憐な令嬢に微笑まれ、レイジールは頬を染めて「お願いします」と答える。父がわざとらしく作った機会に、さきほどまでの煩わしさなど吹っ飛び、感謝すら覚えた。
謁見の間を出た一行は、城の廊下をゆっくりと歩く。ディアナとレイジールが並んで進み、その後ろを護衛魔導士であるアレイル、侍女のリリーナとミルファが続く。
ディアナは他の貴族の令嬢のように堅苦しい気取った喋り方をしない。時折ユーモアも交えながら、丁寧に優しく、相手を退屈させないようにと気遣ってはいるものの、それがとても自然なのだ。レイジールはあっという間にこの令嬢に、好意を持った。
しかし、そもそも自分はこの可憐な令嬢と、王子の結婚を祝う為にここに来ているのだと思い出し、悔しさと王子への嫉妬に苛まれる。
いや──待て。
父からの命令を思い出して、レイジールはひっそりと笑った。
「あらいやですわ、あのボンボン。あからさまにディアナ様目当て」
遠慮の欠片も無い表現で、ディアナの侍女であるリリーナは呟く。同じくミルファも冷めた目で、少し前を歩く他国の公爵家嫡男を見やった。
「デレデレしちゃって~命が惜しくないのかしら。ただの馬鹿なのかしら。ラセイン様ったらもの凄い絶対零度の笑顔でしたのに」
それを聞いているアレイルも、侍女達の毒舌を諌めるどころか、今にもレイジールへ攻撃を仕掛けそうな殺気だった形相をしている。
「あっコラ!ディアナ様に近づき過ぎですわ、ボンボン。隙あらば肩に手を回そうとしてますわよ」
「甘いですわね、ディアナ様が可愛いからって隙だらけだと思ったら大間違いですわ。ほら、避けられた。ざまあみろですわ」
幸いなことに、彼女達の会話は客人には届いていない。精霊である二人とアレイルは、音を発しない言葉で内緒話をしているのだ。王城のあちこちにふわふわと生息している精霊達とは違い、普段から人に紛れて生活している彼女達は、ディアナの護衛でもある。だからこそセイもディアナを送り出したのだ。
「ちょっとアレイル、あのセクハラ三秒前野郎を懲らしめておやりなさいませ」
「そうよそうよ。わたくしたちのディアナ様にあんな視線を向けるだけで大罪ですわ」
主を非常に溺愛している侍女二人は、そう言ってアレイルを焚き付ける。もともとはセアラ姫の侍女だった二人は、ディアナがセインティアに住むことになって、自ら月の女神へ仕えることを志願した者達だ。だからこそ、王子と女神の障害になり得る要素を許しはしない──面白がることはあるが。
「そうだな、さすがにそろそろ躱しきれなくなりそうだし、俺もムカついてきた」
他国との外交問題になりかねないと、一応自覚のあるアレイルは何とか踏み留まっているが、逆らえない姉のような二人から背を押されたら、それも長くは持たないだろう。
「あれ?リリーナさん達、何してるんスか?」
その時、王子の近衛騎士が通りかかり、声を掛ける。侍女達は満面の笑みで彼を迎え──両側から捕獲したのだった。
ディアナは自分の肩に回されようとしていたレイジールの手から、偶然を装ってするりと身を翻した。
先程から妙に距離が近いとは思っていたが、まさか触れてこようとするとは。しかもセインティア王子の妻となる娘だと知っていて。交わす言葉からは、彼がそれほど軽薄な人間だとは感じない。けれど、自分に向けてくる視線には、明らかな下心を含んでいる。
「ディアナ嬢、とても素晴らしい景色ですね。あなたの可憐さには叶いませんが」
ついにレイジールは彼女の手を握った。あまりに大胆な彼の行動に、ディアナは大きく瞳を見開く。
「お気に召して頂けて何よりです。あの、手を……」
「もっと早くあなたにお会いしたかった。この素晴らしい国のみならず、こんなにも美しい輝きを手にするラセイン王子が羨ましい」
まさかこんな口説き文句まで口にできるような人とは思わなかった。どちらかといえば、真面目そうなのに。いや、真剣ならばなお悪い。
──どうしようかしら。
ディアナは内心で呟く。伯爵家令嬢としての振る舞いを心がけてはきたが、相手が礼儀を欠くなら自分だって、腕の一つも捻ってやってもいいかもしれない。少々手荒にやったとしても、勇猛な砂漠の民の青年が若い令嬢にやっつけられたなどと触れ回ったら、彼の恥になる。セイがやるよりは大ごとにはならないだろう。
そこまで一瞬で考えて。彼女はにっこりと微笑んだが──。
「その手をお放し下さい、レイジール様」
二人の後ろからやんわりと声が掛かり、振り返れば王子の近衛騎士がそこに居た。
「アランさ……アラン」
アランさん、と呼びそうになって、ディアナは言い直す。公式の場では、彼に敬称をつけて呼んではならないからだ。本来なら彼は侯爵なのだから、まだ結婚前で伯爵令嬢であるディアナより立場は上だ。けれど彼は騎士として、ディアナを王子の婚約者であると同時に、自分のもうひとりの主として認めている。だからラセイン様と同じように呼んで下さいね、と言い含められていたのだが。
「その方は我が主の婚約者。気安く触れてもらっては困ります」
彼は静かな笑みをたたえているものの、目は笑っていない。そしていつものように朗らかにふざけてみせることもない。
「……君は騎士だろう。賓客の俺にそんな口を」
レイジールが苛立たしげに彼を見るが、アランは軽く首を傾げる。
「──私は王女の夫となる男です。であれば王子の妻になるディアナ様は、私の将来の義妹なのですよ。心配性の義兄に免じて、ここはお引き頂きたい」
にっこりと、けれど好意の欠片も無いアランの微笑みに圧倒されて、レイジールはディアナの手を放した。その隙を逃さず、リリーナとミルファがレイジールに駆け寄る。
「さあ、レイジール様、こちらにお茶をご用意してございます。歩き回られてお疲れでしょう。休憩なさったらいかがですか?」
そのまま有無を言わさず、別室へと連れ出していった。後ろ手に「グッジョブ!」と親指を立てることも忘れずに。アランの無言の視線に応えて、アレイルがそっとそれを追って出て行く。レイジールの動向を見張るつもりなのだ。
「ディアナさん、あの色ボケぼんくら息子のこと、殴り倒そうとしてたでしょう」
彼が居なくなると、アランはディアナに向き直ってそう言った。問いかけではなく、断定の色の濃い響きで。
「そ、そこまではするつもりは無かったわよ。ただちょっとだけ腕を捻り上げようかなって」
「相手が逆切れしたらどーするんですか。あれでも一応砂漠の国の男なんですからね。色ボケぼんくらだけど。魔法ならともかく、腕っ節は結構なもんですよ」
フレイム・フレイア王国に潜入したことのあるアランは、あの灼熱の国の民がどれだけ強いか知っている。油断は禁物なのだ。
ディアナは素直に「ごめんなさい、気をつけるわ」と答えたが。
「それにしても、義妹だからって言ってくれて嬉しかった。そうよね、私とアランさんも義兄妹になるのよね」
クスクスと笑って言う彼女を、アランは照れくさそうに見やって。それから悪戯を思いついたように、にやりと笑ってひっそりと囁く。
「なら、今度ラセイン様の前で俺を『おにいさま』って呼んでみませんか?どんな反応するか、見てみたくありません?」
彼の言葉にディアナは目を丸くし、吹き出した。楽しそうに笑う彼女を、アランは眩しげに見つめて。
「──ディアナさん。どうかラセイン様を幸せにしてあげて下さいね。そうやって、あの方の隣でずっと、笑っていてあげて下さい」
そう落とされた優しい言葉に。ディアナは微笑んで頷いた。




