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暁の巫女 -月の女神2-  作者: 実月アヤ
第二.五章 番外編・転換の聖杯
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小さな嫉妬

 ディアナの身体を乗っ取った女はエミルと名乗った。遺跡がまだ神殿だった頃から、そこに住んでいた精霊なのだという。


「遺跡調査に来た魔導師の中にいたのが彼──シルディンといって、とっても良い人だった。人間だけじゃなく、私たち精霊も大切にしてくれたの。私は彼と恋に落ちた」

「精霊が、人間と?」


 エミルの言葉にセイは目を上げる。彼女は微笑んで頷いた。


「でも私は精霊、彼は寿命のある人間。そのままでは上手くいかないことくらいわかりきっていた。だからシルディンはあの魔法を編み出した」


 シルディンは寿命の短い人間の身体を捨てて、精霊と同じ存在になろうとして。肉体から精神を切り離す魔法を行使しようとした。


「人がその身体を捨てて精霊になろうなどと……そもそも二つは異なる存在です。上手くいくはずが無い」


 セイの言葉に、エミルは辛そうに顔を歪めた。


「そうね、あなたの言う通り。上手くいかなかった」


 完成しなかった術。暴走した魔法。肉体を離れたシルディンの魂は、魔獣の中に取り込まれてしまった。彼は人としての意識を失い、暴れ続け、次第にエミルのこともわからなくなって。


「それでも……今まではまだ希望があった。いつかは戻れると思っていた。あの遺跡に盗賊が入って、シルディンの残した魔法を奪ってしまうまでは」


 シルディンは肉体から魂を切り離す魔法を、魔法石に閉じ込めて発動させていた。それが最近奪われ、彼の発動した魔法は元に戻す術を失ってしまったのだ。

 落ち込んでいたエミルの前に現れた王子と月の女神。彼らの持っていた転換の聖杯ならば。精神を入れ替えることが出来るそれなら、魔獣から彼の魂を抜き出せるのではないかと考えたのだ。

 けれど聖杯は未完成で、魔法も不安定だった。聖杯は自身に触れたディアナの身体に、近くで機会を窺っていたエミルを引き込んだのだ。そしてエミルは女神を乗っ取った。


「青の王子、彼を助けて。私達を助けて」


 精霊の願いに、セイはしばらく考え、彼女を見つめて口を開く。


「ディアナと話して決めます。彼女を出して下さい」


 彼の断固たる眼差しに、エミルは顔を歪めた。


「女神は無事よ。信用できないかしら」

「いえ、ただ単にディアナの姿で、他の男の話をされたくありませんので」


 しれっと言うセイの、独占欲に満ちた言葉にエミルは吹き出す。


「その言葉、女神も聞いてるからね」


 そういえばそうだったか、とセイが思っている間に、ディアナの表情が変化する。妖艶なエミルから可憐なディアナへと。


「ディアナ」


 セイは確信を持って呼びかけた。ディアナは何度かパチパチとまばたきをして、身体が自分の支配下に戻ったことを確認する。


「セイ」


 彼の名を呼んで、ほっとしたように微笑んだ。


「大丈夫ですか?」


 気遣うセイに頷いて、自分の身体を見下ろす。先程からの会話を全て聞いていた彼女は、自分の中にいる精霊の訴えを無下にすることが出来ずにそっと呟く。


「エミルは悪い精霊じゃないわ。出来ることがあるなら力になってあげたい」

「体を乗っ取られたのに?」


 眉を顰めたセイが言うと、ディアナはそうね、と言いかけ──精霊の行為を思い出したのか、頬を真っ赤に染めた。


「あ、あのねセイ。私、彼女にずっとやめてって言ってたんだけど」

「わかっていますよ、エミルの仕業だってことは」


 セイは羞恥に俯くディアナに優しく呼びかける。


「僕はどんなあなたでも変わらず愛していますよ。それがあなたの意志ですることならね。そうでないなら忘れますから」


 柔らかな王子の言葉に安堵し顔を上げたディアナに、彼は悪戯めいた顔ですかさず付け足した。


「だからあなたの意志で押し倒してくれるなら、いつでも大歓迎ですが」

「押し……って、もう、セイ……!」


 顔をますます真っ赤にし抗議する恋人に、セイは笑った。やっと彼女らしい反応を引き出せて、内心安堵しながら。


「では良いんですね?エミルの依頼を受けるということで」


 最後に確認をしたセイの瞳を見返し、ディアナは頷いた。


「エミルとシルディンを助ける。あるべき姿へ、然るべき場所へ」




『で?そのエロ精霊の色仕掛けにまんまと嵌って、大人しく言うことを聞くわけですか、我が君は』


 通信魔法から聴こえる側近の声は、もの凄く不機嫌だ。あけすけな言い方に、主であるはずの王子は首を傾げる。


「……別にエミルの言うことを聞くわけじゃない。ディアナがそうしたいと言うから……なんだアラン、機嫌が悪いな」

『別にィ~?俺を置いていったあげく、厄介事に首突っ込んだウチの王子様のことなんて怒ってませんよぉ?』


 あからさまな態度に、セイは溜息をついた。

 セイは宿屋の部屋で通信具を使い、フォルディアス城にいるアランと通信していた。ディアナはひとりで宿の浴場へ行っている。彼女の居ない隙にアランに事情を話しておきたかったのだ。


「……わざと送り出してくれたんじゃないのか」

『そりゃイールさんだって我慢してるんですから、俺も耐えましたよ?けどそう言う時に限って面白い事態になるんですから、ラセイン様は。今回の転換の聖杯の魔法は、リルディカさんの時よりも更に不完全なんでしょう?ディアナさんからその痴女を追い出すことだって簡単でしょうに』


 近衛騎士の口調に、精霊への毒が多分に含まれているのは、王子に同情してなのか、女神を哀れんでいるのか。

──そう、エミルがディアナの身体に入り込んだのは一時的なことで、今なお女神の身体を乗っ取っているのは、聖杯の魔法ではなく精霊の意志だ。エミルが現れたり、ディアナの意識を出したりできるのが良い証拠。

 ならばフォルレインで無理矢理精霊を引きずり出すことも出来るが……。


「ディアナが嫌がる。それに無理に引き剥がして、ディアナに何か悪い影響を及ぼされても困る」


 今はまだ、意識を一時的に乗っ取るくらいで済んでいるが、もし本気で精霊が女神を操ろうとしたなら。むろんそんなことを下級精霊に出来るとも思えないが、他ならぬ大事な婚約者のことだ。念には念を入れるべきだと言うのが王子の考えだった。


『ええとそれで、転換の聖杯の正しい術式ですよね?今セアラ姫が解析中です。……シーファにやらせりゃ良いじゃないですか。そんなとこまで飛ばしたのあいつだし』


 通信具から聴こえるアランの声に、王子は穏やかに反論する。


「これは王宮の宝物で、僕の責任の範疇だ。何でもかんでもシーファに甘えるわけにはいかないだろう?」


 銀の魔導士には充分過ぎるくらい手助けをしてもらっている。本来なら王国の登録魔導師ではない彼が、そこまでする義理はないのだ。


「──それに、ここまで聖杯が飛んできたのは、偶然とは思えない。シルヴィンが作った魔法と、転換の聖杯の魔法はよく似ている。引き合ったのかもしれないな」


 人間から精霊へ転換しようとした、シルディンの魔法。魂を移して身体を乗り換える、聖杯の魔法。似た魔法は、近いものを呼び寄せる。

 考え込んだ王子へ、通信具から姉姫の声がした。


『ラセイン、解析できたわ。術式を送るけど……』

「大丈夫、僕が生成します」


 セイは手にした細身のナイフをくるりと回して、手の内に収めた。柄が銀で出来たそれは、魔法の道具を作る際に使うもので、それ自体に魔力が込められている。セアラ姫が通信具から魔法を唱えると、セイの目の前にふわりと光が走り、それは空中に美しく複雑な文様を描いた。彼はそれに目を走らせながら、手元の金の杯に全く同じ模様を彫っていく。


『器用だな、ラセイン』


 傍に立てかけてあるフォルレインが、感心したようにそう言った。王子は聖杯から目を離さぬまま苦笑する。


「昔はこうやって、よく姉上やシーファの魔法具作りを手伝わされていたんですよ。何事も経験しておくものですね」


「へぇ、凄いわね」


 応えたのはフォルレインではなく、椅子に座るセイの後ろから伸ばされた白い腕の持ち主で。それはするりと王子の首に回されて、彼の背に抱きついた。


「刃物を扱っている時に危ないですよ、エミル。ディアナの身体で遊ぶのは止めてくれませんか」


 セイは動じることなく冷たい声音で言い放つ。ディアナ──今はエミルが笑った。


「バレちゃった?」


 巻き付いたままの細い腕をちらりと見下ろして、セイは溜息混じりに言う。


「ディアナの意志では無いことを、あなたが勝手にやるのは止めて下さい。だいたい、シルヴィンという恋人がありながら、何故僕にちょっかいを?」


 王子の言葉に、彼女はクスリと笑った。片腕をゆるめ、見せつけるようにその手を開いて、拳を握って。


「あら、あなたにちょっかいをかけてるのは“ディアナ”よ。それにディアナだって恥ずかしがってるけど、本当はこうしたい筈だし。私はちょっと手伝ってるだけ。あとは……サービス?」


 ギュッと押し付けられたディアナの身体。入浴で温められた柔らかな熱が背中から伝わって、セイは複雑な気分だ。

 精霊に乗っ取られてから、ディアナはエミルが居ることを気にして、彼に触れさせようとしない。ディアナの意識が現れているときでさえ、挨拶のキスも、手を繋ぐことすらさせてもらえず、王子は密かにもどかしい気持ちでいっぱいだった。有り体に言えば、欲求不満というやつだ。

 けれどディアナの気持ちは良く分かるし、自分がもし彼女の立場だったら同じようにしていただろう。だからこそ、セイもディアナの熱から意識を逸らす。愛しい月の女神の気持ちを尊重したかった。


「本当にそうなら、あなたではなくディアナにしてもらいます。放して下さい、エミル」


 王子がそう言ったとき、絡み付いていた腕が一瞬ビクリと引きつった。かすかに走った緊張に、セイはディアナの意識が戻ったことを感じ取る。けれど彼女の腕は、王子の首に回されたまま──



(私、ズルい……)


 ディアナは羞恥に俯きながら、セイの背中に頬を寄せる。

 エミルに抗議する前に、彼女はすぐに引っ込んだ。なのに自分はセイに抱きついたままでいる。本当に精霊はディアナへの“手助け”をしたのだと気付いた。

 ディアナが自分の積極性の無さに少し引け目を感じて、迷っていたから。セイほど愛情を表現できていない気がして、少しだけ落ち込んでいたから。


 だけど、エミル。あなたほど情熱的になれたら。彼が私に与えてくれるものに、私はどう報いればいいのかしら。


 触れ合ったセイの背中の温もりを感じる。彼は作業のために、薄いシャツ一枚でいたからその鼓動さえ聞こえてきそうだ。きっと、自分の鼓動も。ふとセイが聖杯とナイフをテーブルに置き、首に絡んだディアナの手に自分の手を重ねる。


「あなたからこうしてくれるなんてね、ディアナ」


 エミルと替わったことを、すっかり見抜かれていたことに気づき、ディアナは途端に怖じ気づいた。彼女は腕を引き抜こうとするが、セイは離さない。逆に引っ張られて、体をずらした彼の膝の上に乗り上げる羽目になった。


「っ、意地悪……」


 呟くディアナの声を聞いて、セイはクスリと笑って心底嬉しそうな声で言う。


「それとも、妬いてくれましたか?」


 そう。本当は。

 セイになんの躊躇いもなく抱きつくエミルに嫉妬した。確かにディアナの身体なのに、自分の意志では無いキスは、まるでセイと見知らぬ女性とのそれを見せられているようで、心臓を鷲掴みにされたような痛みを覚えていた。

 彼は私の恋人なのだと。勝手に触らないで、と。

 自分の身体相手に、そんなドロドロした感情は認めたくなくて、だけど腕は離せなかった。離したくなかった。ディアナは思う。


(私がそんな感情を抱えてることも、セイは全部お見通しなんだわ)


 小さな嫉妬も恥ずかしい。逃げ出したくなるほど。だけど──全部わかっていてくれる相手だからこそ、逃げるなんて馬鹿げてる。

 ディアナは自分の頬が真っ赤に染まるのを感じながら、セイの顔を両手で挟み込んだ。羞恥の涙に潤む紫の瞳が、どれほど彼をそそるのか気付かずに。セイの唇に自分のそれを重ねた。


「妬いたわ。それにエミルの言うとおり、こうしたかったの」


 セイは素直なディアナの言葉に、一瞬驚いた顔をして。それから幸せに満ちた目で、美しく微笑んだ。

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