東の覇王
*
「だから俺がついて行くと言ったんだ!俺はディアナの護衛魔導士なんだぞ、どうして城で待機させられなきゃならない!」
ディアナはふと耳を澄ます。微かに浮上した意識の向こうで、誰かが怒りを含んで叫んでいるのが聞こえた。
──アレイル。
あの声は、朱金の髪と金の瞳のハーフエルフの青年だ。彼がセイに詰め寄っている。
「ちょっと落ち着け。仕方ないだろう、お前は魔導師の資格試験中だったんだから。ディアナさんにこちらを優先するように言われてたでしょーが」
アランが主と彼の間に入ってハーフエルフを宥めた。
王国に認定される魔導師になるための試験──いずれ王妃となるディアナの護衛を任されるには、避けて通れない大事な関門だ。
だからこそディアナは彼に、しばらく城で試験勉強に集中するよう伝えていたのだが、その間に彼女が倒れるような事態になったことが悔しかったらしい。
「吠えるな、ハーフエルフ。言っちゃ悪いが、ここに居るのはディアナも含めて、お前さんなんぞ足元にも及ばない最強メンバーだぞ。これだけ揃っててどうしようもなかったんだから、お前が居たところで同じだ」
冷静に言ってのけたのはディアナの義父、ディオリオだった。娘を溺愛する父だが、騎士団の指南役としての目は確かだ。彼の言い分は正しい。彼の言葉にアレイルはぐっと息を吞んだ。
(ああ、心配させてる)
ディアナは目を開けた。
「ディアナ!」
彼女の様子に、セイが酷くほっとした顔で覗き込む。彼に微笑んでみせて、ディアナはアレイルに声を掛けた。
「私なら大丈夫よ、アレイル。皆にも心配かけてごめんなさい」
「よかった、ディアナ」
枕元に居たイールの羽を撫でてやれば、アレイルが勢い込んで覗き込んでくる。
「もう離れないからな!俺に任せて……痛っ!!」
「それは僕のセリフです」
王子は後ろから容赦なくハーフエルフの背を蹴り飛ばして、婚約者の前から退かせると、彼女の手を取って額を合わせた。
「すみません、ディアナ。あなたを護りきれなくて」
「あ、いえ、大丈夫よ。ただびっくりしただけなの。それに悪意は感じないってフォルレインも……あのセイ?」
セイの綺麗な顔が迫って。近すぎるその顔から必死で逃れようと、ディアナは赤く染まった顔を引こうとするが、彼がそれを許さない。
「それでも倒れるほどの圧力だったのでしょう?あなたに何かあったら僕は」
「あの、今はあなたのせいで倒れそうなんだけど」
今にも触れそうな唇に、ディアナは爆発寸前だ。イールが冷たい目でセイを睨む。
「キラキラ、それくらいにしておかないと、ボクとディオリオとアレイルのトリプル攻撃喰らうことになるよ」
二人で寝台の傍らを見やれば、今にも飛びかかりそうなアレイルはアランに羽交い締めにされており、ディオリオが「うちのスイートエンジェルから離れろ、コラ」と凄んでいる。
彼らをアランに命じて部屋から追い出すと、さすがにイールも気を利かせてか窓から飛び立っていった。
誰もいなくなると、セイは溜息をつく。寝台の上に起き上がったままのディアナの隣に座り、その肩を抱え込んだ。
「やれやれ。僕にも婚約者の無事を確認する時間くらいくれてもいいじゃないですか。ただでさえセインティアにディアナを迎えてから小舅だらけで、あなたを堪能する余裕がない」
「……これで?」
人の目も場所さえも気にしない、羞恥心など欠片も持たない王子は、遠慮なくディアナにちょっかいを掛けているように見えたが。
「そうですよ。これでも色々と我慢しているつもりなんですけれど」
クスリと彼は笑って。ディアナのこめかみに口付けた。それから頬に。そして──唇に。
「……っ、セイ」
「ちょっとだけ。ね?」
離れたと思ったら角度を変えてまた繰り返されるキスに、ディアナは思わず彼の腕を掴んで。
「ああ、可愛いですね。僕の愛しい女神」
優しく囁かれた言葉に、更に赤く染まった頬を撫でられた瞬間。
「いちゃつくのは結構だが、そろそろ魔竜の行き先について話してもいいか?」
いつの間に部屋に入ってきたのか、扉の前で腕組みしているシーファと、「お師匠様!すっごく良いとこだったのに!!」と慌てている弟子の少女の発言に。ディアナは悲鳴をあげ、セイは珍しくもがっくりと肩を落とした。
「……空気読んで下さい、シーファ」
「ある意味、一番空気を読んでいるのは私だと思うが。面倒事は早めに片付けたいだろう?」
けろりと返した大魔導士は、銀色の髪をさらりと掻き上げて、口を開く。その様子に、王子は苦笑して友人へ問うた。
「で?どこなんです、はた迷惑な四色トカゲを寄越してきたのは」
彼の問いに、魔導士は杖を持ち直す。
「──キャロッド大公国。東の連合国だ」
神託を告げる予言者のように、厳かに。シーファは言葉を継いだ。
「知っているか。列島を統合した覇王と、彼の巫女の噂を──」
*
東の諸島には、小さな国がいくつかある。
国と言うよりは地域共同体、中には集落と言っても良いほどの規模の小さいものもあるが、もともと海賊の多い海域に面した領地で、個々の力は強かった。そして小さいが故に諸島の民族達は連合を組み、外敵に備え大国との均衡を保っていたのだが。
最近になってそれを統合した者が居た。
各国の代表者をねじ伏せ、連合国の代表として君臨したのは、キャロッド大公国の領主、ヴァイス・レーヴェルグ・キャロッド。30歳にわずかに届かないほどの歳の若き大公である。
元は海賊上がりの、武力行使を厭わない粗野な男と言われる一方で、端正かつ精悍な顔立ちと鍛えた身体は東の覇王と呼ばれるほどの評判だ。
「彼のやり方は乱暴でしたが……けれど統治後の政策は理にかなったものが多い。各国のバラバラだった関税を統一し、貿易や文化の交流を円滑にした立役者です。有能な方でしょうね」
セイはセインティア王国の世継ぎの王子として、彼の評価を述べる。それに頷いて、シーファは補足した。
「大公が統一の際に潰した国の一つに、一番東の諸島、暁の国リンデルファというのがあった。そこの王女は神の力を使う巫女として崇められていたが、大公が国を陥とす際に彼女と側近だけが生き残り、後は全滅したそうだ。その王女は今は覇王の巫女として彼に仕えている」
シーファの言葉に、セイはふと視線を向ける。彼の微かにしかめられた眉に、ディアナが気付いた。
「セイ、どうかした?」
「……いえ。それで?」
彼女の疑問に、セイは軽く首を振って、シーファの言葉を待つ。銀の魔導士はニヤリと不敵な笑顔を浮かべた。
「その巫女が、薄紫の髪と瞳をした娘だそうだ。ディアナが見た子供の特徴と一致するな」
ディアナは倒れる直前に見た幼い少女の幻覚を思い出す。今にも泣きそうな顔で、月の女神へ思念を送っていた、あの子。
「え?でも、リンデルファの王女は──」
後ろで話を聞いていたアランが、思い出したように顔を上げた。それを聞く前に、扉が叩かれ、事務官が姿を見せる。
「ラセイン王子、フォルニール隊長。キャロッド大公国から書状が届いております」
なんというタイミングか。全員が顔を見あわせた。
セイが臣下からそれを受け取り、開いて目を走らせる。顔を上げた時には“王子”の表情で。
「キャロッド大公から、セインティア訪問の申し入れです。魔竜が我が国に侵入したことへの詫びと、貿易協定の交渉の為に」
その言葉を受けて、アランが呆れたように魔導士を振り返った。
「シーファ、お前魔竜の追尾魔法、わざとバレるようにつけた?」
近衛騎士の問いに、彼はニヤリ。
「セインティアの魔導士に首輪をつけられたペットが戻れば、何かしら向こうから行動してくるだろうと思ったのだ。しかも私でないと解除は不可。ほら、早く片付くだろう」
ディアナは目を見開き、この美貌の魔導士が一筋縄ではいかない理由を知る。小細工せずに用があるならそちらから来いと。分かりやすく、かつ効果的な嫌がらせを行ったらしい。師匠の策略に弟子は「お師匠様性格悪い」とうっかり呟いて、頬を引っ張られていた。
セイは苦笑しながら事務官に返事を書くように告げる──是と。
「本当にあなたは魔導士にしておくのがもったいない。その上手な喧嘩の売り方は、是非うちの軍師に見習わせたいところですね」
彼はそう言ってから、ディアナを覗き込んだ。
「その少女があなたに何を伝えたいのか、確かめるいい機会ですが──あなたに危険が及ぶようなことになれば、僕は迷いません」
何を、とは言わないのは、ディアナへの彼の優しさだ。
幼い子供であっても、神の巫女であろうとも、容赦しないと言っているのだ。だからディアナはセイへ頷いた。
「ええ。あなたを信じてる。だから、大丈夫」
どんなことがあっても。何をしても。
彼の隣に居ると決めたのだから。
*
「お前、女神にちょっかいをかけたのか」
ヴァイスは目の前の少女に一瞥をくれると、そう問うた。
「俺がお前に命じたのは、偵察のみだったと思うが。おかげで妙なマーキングをされて四竜は使い物にならん。わざわざ魔法の国まで出張する羽目になった」
彼の叱責ともいえる言葉を受けて、身体の両側で拳を握りしめた彼女は、けれど表情を変えずに首を横に振る。
「申し訳ありません。近づいたら、女神の力に引きずられました」
わざとではないと──少女の真意を見抜くように鋭い目を向けてくる公主に、無表情で押し通せば。彼は興味を失ったように目を逸らした。
「まあいい。ちょうど良い機会だ。セインティアに乗り込んで、月の女神とやらを直接拝んで来ようではないか。次の俺の巫女を」
「──女神には、想う方が」
咄嗟に口に出してしまった少女は、ハッと口を閉じた。しかしヴァイスは面白そうに彼女に視線を戻す。
「……ああ、かの女神は、青の聖国王子の婚約者だと聞いたな。それでお前は、わざと偵察をしくじったのか?女神に同情して?」
──バレている。
リルディカはひやりと背中に伝った冷たい汗を隠して、再度首を振った。
「それとも俺に捨てられるのが怖いか」
彼への返事を、躊躇ってはいけない。彼の機嫌を損ねるわけにはいかない。
「いいえ。私は、覇王のご意志のままに」
リルディカの想いを見透かすように、ヴァイスは手招きして幼い少女を傍に寄らせると、その顎を掴んだ。
「リルディカ。お前の願いを叶えてやったのは誰だ」
その琥珀色の瞳を見つめて、彼女は深い息を吐く。深い深いそれが浮かべる色は、きっとリルディカにしか分からない。彼女にとって、彼は残虐な王ではなく──彼女の望みを叶える希望なのだ。これまでも、これからも。
「あなたです、ヴァイス。あなたは私の王」
彼女の答えに、公主は興を削がれたような顔をして、手を離す。
解放された顎には、微かな痛みと、うっすらと赤い跡が残っていた。