盗賊
転換の聖杯が見つかったのは、遺跡のすぐ近くだった。
普段は観光地であるこの遺跡に最近獣型の魔物が出没するらしく、観光客もめっきり減っているという。今までは森の奥深くに生息していたはずの魔物が人間の住む街近くに出てきたのは、遺跡に墓荒らしが入ったせいで呪われたのではないかと言う話もあった。
聖杯は魔法の膜に包まれて木々の間に転がっていて、その周りを遠慮するように精霊が舞っている。
二人はそれに近づいた。念のためディアナには触れさせず、セイが手を伸ばして聖杯を持ち上げる。その瞬間にシーファが施した魔法の膜が霧散して消えた。
結界が無くなったそれは、何の変哲も無い杯に見える。ワイングラスよりも一回り大きく、黄金で作られている為に祭事用の豪奢な杯かという感じだが、少なくとも呪いの品には見えなかった。
「良かった。誰も触れてないみたいですね」
セイは息を吐いて、持ってきた魔法封じの印の描かれた箱に聖杯を入れる。
「そこに入っていれば大丈夫なのよね?じゃあ後は持って帰るだけ──」
言いかけたディアナがふと顔を上げた。セイも同じように視線を向ける。
「そこのお前ら!その金の杯を渡せ!」
「命が惜しきゃ、言うこと聞きな!」
バラバラと現れたのは、一目でならず者だと分かる10人ほどの男の集団だ。めいめいが武器を持ち、凶悪な表情で二人を取り囲んだ。
「……盗賊かしら」
「……でしょうね。ああ、ちょうど良かった。警備隊に良い土産になります」
「「あぁ!?」」
可愛らしく小首を傾げて呟いた少女と、それにのんびりと答えた青年に盗賊達は面食らう。
若い男女の二人連れ──しかもかなりの上玉に、育ちの良さそうな優男だ。てっきり怯えて震えるかと思ったのに、二人は全く動じていない。しかも金髪の青年の口ぶりでは、まるで盗賊達を捕らえるのは簡単だと言ったような。
荒くれ者達は一気にいきり立った。
「舐めてんじゃねえぞ、コラ!」
「これだけ上玉なら、いくらでも買い手がつく」
「お前もだ、兄ちゃん。金持ちのババアか変態貴族に高値で売りつけてやるよ」
盗賊の言葉に、セイは鼻で笑う。
「さて、僕を欲しがる人なんているかな。国内では見つからないと思いますよ?」
なにしろ王家の魔法と退魔の剣の精霊と、世界一の結束を誇る騎士団に守られた王子だ。
その身を害したら呪われる、むしろ皆の大好きな王子様にお前何かしたら俺が呪うぞと貴族達の間でもっぱら噂になる程だというのに、誰が買うものか。
しかし彼らの身元を知らない盗賊達は、落ち着き払った二人の態度に首をひねるものの、そんな言葉では怯まない。
「黙れ!嬢ちゃんの方は売る前にまず俺達が可愛がってやるよ」
下卑た笑みを向けられて、ディアナは傾げていた首を今度は反対側に傾けた。彼らが期待したような、いきなりの災難に涙に暮れるか弱い令嬢とはほど遠い、ひどく可愛らしいきょとんとした顔で。
盗賊を眺め回して、さらりと言う。
「……私が7人、あなたが3人ね、セイ」
「どうしてそうなるんですか。僕が8人、あなたが2人です」
「え、じゃあ平等に半分こしましょ。5人ずつ」
「駄目。ここに来る途中の森ではあなたに譲ったでしょう。僕が8人」
「ケチ。じゃああなたが6人、私が4人は?」
「なら早い者勝ちにしますか。負けた方が勝った方にキスですよ」
「……それってどっちでも結果同じじゃ……」
「ちょっと待てぇぇ!!お前ら一体何の話を……」
周りを置いてきぼりにして、和気あいあいと続けられていた二人の会話に割り込んだ盗賊の首領は、ヒュッと目の前を通り過ぎた風に言葉を止められた。視線でそれが何かを確かめる前に、剣を持っていた手に大きな衝撃と痛みが走る。
「ウワッ!な、何だ──」
そこでやっと気付いた。目の前に居た可憐な少女が、いつの間にか抜いた剣で自分の握っていた剣を叩き落したのだと。彼女が剣を握ったことすら気付かず、まったくその軌跡も見えず、ふわりと舞った栗色の髪の向こうに紫水晶の瞳がこちらを見ていて、盗賊は息を吞む。
「お、おい──」
仲間が剣を落とされた彼に気付いて、はっと構えようとするが、遅い。
“──ガキィィン!!!”
彼らが一歩踏み出そうとした時には、金色の髪の青年が振り抜いた剣が、彼の両側に居た盗賊達の剣を叩き折っていた。首領は反射的に叫ぶ。
「くそ、やれ──」
命じながらも、彼は冷や汗が背中を伝うのを止められなかった。
しまった、とんでもない『化け物』に手を出してしまった。この外見はキラキラした美しい男女は、とんでもなく強い。
いままで好き勝手に暴れ、いくつもの商隊を襲って蛮行を繰り返していたはずの盗賊達が、今やこの少女に剣を折られ、青年に殴られ、蹴り倒されている。
そして10人もの盗賊は、ものの数分でこの二人に取り押さえられてしまっていた。陰惨な戦いの場であったはずなのに、繰り広げられている会話は。
「7人。僕の勝ちですね。約束忘れてませんよね」
「ズルい!セイわざと私と反対側に追い立てたでしょう!」
「さて、何のことかな」
……まるでテーブルゲームにでも興じていたような、どこまでも平和な二人に、却ってゾッとした。
盗賊の首領は、ふと王子の足元に置かれていた荷物に目を留める。せめてあの金の杯だけでも掴んで、逃げ出せないか。
勝敗とその公平性について呑気に(本人たちは大真面目に)言い合っていた二人だったが、怪我をして呻いていたり、意識を失って転がっていた盗賊達の中で、一人が突然飛び出してきた。
「ディアナ」
セイは婚約者を引き寄せたが、その盗賊が狙っていたのは二人ではなく──
「駄目!」
盗賊が掴んだのは、転換の聖杯をしまった箱だった。
それを取り返そうとして、ディアナが手を伸ばして、慌てた盗賊によって表面に魔法封じの印が刻まれた蓋が開き、中から金色の杯が転がり落ちてくる。地面に落ちていくそれを、女神は咄嗟に掴んでしまった。
「あ」
指先に走った、ぴり、という微かな痛み。
「ディアナ!」
セイが彼女の手から聖杯を取り上げて、その顔を覗き込む。
「大丈夫ですか!?何ともない?」
「え、ええ。大丈夫」
問われて答えた彼女ははっきりと意識を保っていて、とくに異常は無い。魔法の発動している様子もない。あの痛みは気のせいだったかと首を傾げた。
ディアナの様子を確認して、セイは安堵の溜息をついた。にっこりと微笑んだまま、盗賊を振り返って。
「半殺しと生殺し、どちらがお好みでしょうか?」
その極上の美貌で、王子様とは思えないセリフを吐いた。
**
夜になり、セイとディアナはキエルシュの宿屋に来ていた。
当初はその日中に城に戻る予定だったのだが、盗賊達を街の警備隊に突き出して、事情聴取と感謝の言葉を貰っているうちにすっかり時間を食ってしまい、急遽宿泊することにしたのだ。
ちなみに部屋を取る時に「ご一緒ですか?」と聞かれ、二人が、
「もちろん」
「いいえ、別々の部屋で!」
と全く正反対の内容を同時に答え、宿の従業員に生温かい目で見られたこと以外は、特に何事も無く。
結果的には「婚約者といえど結婚前の男女が同室なんてとんでもない!」というディアナの主張が通り、二人は隣同士の二部屋を宛てがわれた。
そして夕食のあと、ひとまずはセイの部屋で明日の行程について話していたのだが。
「……魔物退治屋をしていた頃は、同じ部屋でも野宿でも構わなかったじゃないですか」
やや恨みがましく言うセイに、女神は頬を染めて口を尖らせる。
「……それは、仕事だったし。今の私は一応、伯爵家の娘だし。ここはセインティア王国だし」
既に既成事実もある婚約者同士で何を今更、とも思うが、それでも誰かの耳に入って王子の評判に傷がついたら申し訳ない。そんな言い訳をつらつらと並べた後、セイの視線に堪え兼ねて、ディアナは俯く。
説得力がないのはわかっている。本当の理由はそんなんじゃなく──
ああもう!とディアナは立ち上がって叫んだ。
「それにっ、あなたと一緒だと、ドキドキしすぎて眠れないからっ!」
「え」
とんでもない爆弾発言に、王子は目を見開いて、手に持っていた聖杯の箱を取り落とした。幸い、床に激突する前に彼自身がかろうじて受け止めたが。
爆弾を投下した張本人はその隙に真っ赤な顔を押さえて「じゃあおやすみなさいっ」と、部屋を出て行ってしまう。不覚にもディアナを取り逃がしてしまったセイは、固まった姿勢のまま、ぱたりと横倒しに寝台に倒れ込んで。
「──可愛い。可愛すぎる。僕を殺す気か、月の女神は」
思わず誰もいない部屋に零してしまったのも、仕方ないことだった。
一方で、自分に与えられた部屋に戻ったディアナは、未だ熱い頬を押さえて。
「また逃げちゃった……」
あからさますぎるくらい全開に愛情表現をしてくれる青の王子と違って、ディアナはいつまでたっても彼に心を伝えるのは照れてしまう。彼の為に命を掛けたり、戦いに身を投じることは少しも躊躇わないし、そう言う時にはすんなりとでる愛の言葉も、こうして二人きりで穏やかな時を過ごしている時にはどうしても恥ずかしさが勝る。セイはそんな彼女を理解しているし、全く不満も言わないが、本当はどう思っているんだろう。
寝台によろよろと倒れ込んで、ディアナはシーツに顔を押し付けた。
「もっと、素直になれたらいいのに」
ポツリと溢れた言葉は独り言、なのだが。
『その願い、叶えてあげましょうか』
──応えた声があった。
深夜近くになって、セイは顔にかすかな風を感じて目を覚ました。部屋の入り口へ顔を向ければ、扉が少し開いている。先程感じた風はあれが開いていたせいだろう。王子としての習慣で、枕元のフォルレインへと手を伸ばしながら、身を起こす──が。
──カチャリ。
小さな音と共に扉を更に開けて現れたのは、彼の愛しい婚約者だった。思わぬ訪問者に、セイは思わず彼女を呼ぶ。
「ディアナ?どうかしましたか?」
ふと就寝前に逃げてしまったことを気にしているのだろうか、と思った。セイは剣から手を放し、彼女を見つめる。明かりを消した部屋で、窓から差し込む月の光に照らされた女神の顔が上げられた。紫水晶の瞳が、彼を見て──微笑む。
「ディアナ……?」
ぞくり、と。肌が粟立つのを感じた。
女神のその微笑みは妖艶そのもので、壮絶に美しい。匂い立つような色香と鮮やかさに包まれていた。
いつもの彼女と明らかに違う様子に、セイは戸惑う。そのまま動けずに彼女の様子を見守るしかできずに。固まる彼の前で、ディアナは意味深に微笑んだままセイへと近寄り、寝台に上半身だけ身を起こした彼の膝へのしかかった。白く細い腕をセイの首へと絡ませ、抱きつくそのままにセイへと口づける。
「……ッ!?」
いつになく積極的なディアナの行動に、セイは目を見開く。月の女神の甘い香りと、柔らかな重みを片手で受け止め、蕩けそうな深いキスを受けながら。
そして王子は誘われるままに、首に絡み付いた女神の腕を外してその両手首を掴み、身体を反転させて彼女を自分の身体の下に組み敷いた。
──しかし。
セイはピタリとそのまま動きを止める。女神を見下ろして眉を顰めた。
「あなたは誰です?」
唇が触れそうな、愛し合うかのような距離で、鋭く問うた。彼の言葉に、ディアナの姿をした女は妖艶に笑う。
「私は“ディアナ”よ。あなたの愛しい月の女神」
セイの手を取り、自分の頬に押し当てた。
「この声も唇も髪も。確かにあなたの恋人でしょ?」
そのまま頬から首、鎖骨をたどり、胸元へと掴んだ手を滑らせる。柔らかな膨らみを登らせ、艶めいた吐息を漏らす。
「この身体は、間違いなくあなたの大事な女神のもの」
と囁いて、笑った。セイは掴まれた手を振り払い、逆に彼女の手首を掴む。
「ディアナに何をしました?」
彼女は首を傾げる。その仕草はディアナそのもので、セイは力を緩めてしまいそうな自分を抑えた。
確かにこの身体はディアナのものだろう。どこもかしこもセイの知る彼女の全てと同じだ。でなければ、不意を突かれたとはいえキスなど許しはしなかった。
セイの目の前で、ディアナの身体を奪った彼女は口を開く。
「彼女の意識は沈んでもらっているわ。ちょっと身体を借りただけよ。私の声も聞こえてる筈よ」
「彼女から出て行って下さい」
鋭く放たれたセイの言葉に、彼女は挑戦的に言った。
「嫌よ。まだダメ。私の用が済むまでね」
脅すように自分の──ディアナの首へ片手をかける。
「やめろ!」
血相を変えたセイがそれを止めようと手を伸ばし──彼女はひらりと寝台から飛び降りた。王子がフォルレインに目を走らせる前に、ディアナの声で彼女が言う。
「あなたの持つ“転換の聖杯”の魔法を完成させて。私達を転換して欲しいの。私と──彼を」




