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暁の巫女 -月の女神2-  作者: 実月アヤ
第三章 失われた女神
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暁の先に

 レイトとリルディカは、二人で与えられた客室へとやって来た。何となくお互いに黙ったままソファへと座る。ただし隣同士で、その距離は肩が触れるほどに近い。



 暁の国で魂を取り戻した後、ディアナは自分の指にはめられた月の指輪をはずし、リルディカへと手渡した。


「これをつけていて。この指輪は月の力とあなたの魔力を閉じ込めている。少しずつだけど、あなたの魔力を回復して、本当の姿に戻してくれるはずよ」

「でも、これは」


 彼女の差し出した指輪は、確かディアナの兄の形見だと聞いていた。リルディカがディアナの顔を見上げると──彼女は微笑んでいた。


「あなたに持っていてもらいたいの。私も、イールも」


 イールが白い翼をはためかせて、リルディカの肩へ舞い降りて。声で続ける。


「もうキミは魔力に命を奪われない。リルディカ、キミは幸せになっていいんだ」


 二人の言葉で気づいた。彼らはただ誘拐された二人を助けるためだけでなく、最初からこのために来てくれたのだと。リルディカの命を救い、未来を与えるために。

──ずっと覚悟していた。リンデルファを失った時から、レイトに背を向けた時から。覇王の隣で、けれど独りきりで破滅することを。諦めていた。幸せになる資格などないと。

 なのに。異国の友人は、月の女神は、彼女に新しい希望をくれた。


「……ディアナ、イール、ありがとう……」


 薄紫色の瞳から溢れた涙は、ぽとりと床に落ちて。隣にいるレイトも真剣な表情で女神を見た。


「俺からも礼を言う──ありがとう」


 彼はセインティアの面々に向かって頭を下げた。

 ラセイン王子を始め、全員がリルディカの為に危険を冒してくれた。レイトと彼女のこじれた関係を解いて、二人の居場所を作ってくれた。感謝してもしきれない。



「ねえ、レイト……これから、どうしたい?」


 ポツリと問いかけたリルディカは、けれど隣で彼がゴーグルを外したことにドキリとした。端正な甘い顔立ちが露わになって、綺麗なブルーグリーンの瞳が彼女を見つめる。


「君は?」


 問いに問いで返されて、けれどきっと同じ気持ちなのだと思えて。巫女は微かに微笑んだ。


「もうリンデルファは無い。キャロッド公国も私達の故郷ではないわ。私は、この国で暮らしていきたい。穏やかで、優しいここで。そしてもし、私の力が何かの役に立つのなら──私は王子と女神の為に働きたい」


 リルディカの言葉に、レイトは微笑みを返す。彼女の膝の上に置かれた小さな手を、大きな男性の手が包み込んだ。


「俺も、そう思ってた」


 二人で微笑み合った一瞬後に。レイトは彼女を見て目を軽く見開く。


「……あれ?リルディカ、成長した?」

「え?」


 慌てて彼女は立ち上がり、ドレッサールームに駆けて行って、鏡を覗き込んだ。そこに映る姿に──小さく息を呑む。


──変わっている。


 失った魔力の髪こそ短いままだったけれど、10歳前後だった容姿はわずかに成長して、子供というより少女になっていた。13、14歳ほどだろうか。といってもレイトの隣に並ぶにはまだまだ幼いが、それでも後退することばかりを恐れて来たリルディカにとっては、とてつもなく嬉しいことで──


「レ、レイト!私、頑張るから。頑張って、大人に戻るから」


 思わず隠せない笑みを浮かべたまま振り返れば、レイトはリルディカを引き寄せてその膝に少女を乗せた。


「──まあ、君なら何でもいいけど。気長に待ってるよ」


 そうして彼女の頬に軽く唇を触れさせる。そのまま至近距離で見つめ合って、苦笑した。


「そうだな……もう少し大きくなってくれた方が、キスするのに罪悪感は少なくなるかな。膝に乗せるのはちょっとエロく見えるかもしれないけど」

「なっ、何言ってるの!」


 リルディカの頬が真っ赤に染まったのを見て、レイトは声を上げて笑う。彼女に対しての弾けるような笑顔は、もうずっと見ていなかったそれで。彼女は自分の胸が温かいもので満たされていくのを感じる。


──イールは私に幸せになって良い、と言ってくれたけれど。私の幸せはレイトと共にあるのだわ。


「大好きよ、レイト……」


 小さく呟いた言葉が届いた証に、彼はリルディカの腰に回した両手を、彼女の背まで回して手を組む。互いの額を合わせて、柔らかく微笑んだ。


「俺もだ、リルディカ」


 魔法大国の部屋の一つ。異国の巫女と青年は、ただゆるやかに寄り添っていた。



***



 ディアナを横抱きに抱えて、セイはフォルディアス城の廊下を早足で歩く。すれ違う臣下が目を丸くして王子の行動を見送るが、彼には目に入らない。


「セ、セイ。私自分で歩けるわ」

「だめ」


 恥ずかしさに、王子の腕の中でディアナはどうにか降ろしてもらおうとしたが、彼は短く返事を返すのみ。何度止めようとしても取り合わない。ディアナの言葉を聞こうとしないセイなど、普段ではありえない姿だ。混乱する彼女をそのままにすることも。



 そして王太子宮の最奥、王子の自室まで来ると、日頃の優雅さなどどこへやら長い脚で扉を蹴り開けた。応接間を横切って、まっすぐに寝室へ向かう彼に、ディアナは予想していたこととはいえ、身を硬くする。

 けれど──ここへ来るまでの性急さと乱暴さからは考えられないくらい、セイはそっと彼女を寝台に降ろした。まるで壊れやすい宝物を扱うかのように、丁寧に、優しく。

 そしてディアナを見つめて、切なげに息を吐いた。美しい指を伸ばし、彼女の服を開いて、柔らかな寝具の上にその肌を晒す。


「セイ、あのちょっと待っ──」

「──黙って」


 命令というよりは懇願するような響き。王子のアクアマリンの瞳には隠しようもない熱と欲が揺れている。彼女にだけ見せるその表情を前にするたびに、ディアナは心臓が暴れ出してどうしようもなくなってしまう。

 けれどセイは、それを押し込めるかのように、彼は女神の頬にそっと触れて、それからその指先で唇を、細く白い首を辿った。


「痛いところはないですか?気分は?」


 問われた言葉には、欲よりもただ乞い願うような悲痛な色が含まれていて。セイは何よりもまず彼女に傷が無いか、体温があるかを確かめているのだと気付いて、彼の想いにディアナは泣きたくなった。


「……どこも、何ともないわ。大丈夫よ」


 何とか絞り出した最低限の返事でも、セイは酷く安堵したようで、深く息を吐いてディアナに覆い被さり、その首元に顔を埋める。


「良かった……」


 無防備なその声に、もう涙を抑えることは出来ずに。ディアナはセイの首に手を回して彼を抱き締めた。

 彼の苦しみと愛情を感じて、どう返せば伝わるのか、安心してもらえるのか、わからなくてただ指先に力を込める。だめだとわかっていても、声が震えるのを抑えきれない。


「っ、セイ、私」


 彼女の涙に気付いて、王子は身体をわずかに起こしてディアナの顔を見つめる。やはりガラス細工に触れるかのようにそっと、女神の涙を拭った。ふわりと微笑んで──


「ディアナ、キスしてもいいですか?」


 彼女が返事を返す前に。

 アクアマリンの瞳に浮かぶ穏やかな泉は、青い炎に変わった。


「──セ、」


 降って来たキスは──もう羽のような軽く優しいものではなく。ディアナを奪い尽くすかのように、激しい熱が込められていて。息継ぎをする間もなく、角度を変えて、何度も何度も女神を堕としていく。数秒前には彼女を傷つけぬよう、壊さぬようにそっと触れた指も、肌に食い込むほどに強く女神を辿り、その腕が彼女をきつく抱き締めた。

 彼女の全てを確かめるようなセイに、切なさと悦びが入り交じった涙を零して、ディアナは途切れ途切れになる息を必死で整える。


「セイ……私も、確かめて、いい?」


 彼女は手を伸ばして、王子の衣裳の釦を外した。わずかな羞恥はあるものの、どうしても確かめなくてはならない。セイは時折キスを落として邪魔をするものの、ディアナの好きにさせている。

 全ての釦を外して、彼の服をその肩から滑り落として──鍛え上げられた体躯が目に入る前に。


「肩の傷は──大丈夫なの?」


 セイが皇帝から受けた剣に、あのとき背筋が凍り付いた。

 あれは、二度と片腕が使い物にならなくなってもおかしくない重傷だった。魔法は万能ではない。治癒魔法だって回復しようとする力が残っていなければ効きはしないのだ。


「痛かったでしょう?いいえ、そんなものじゃなかったわよね。私を庇って、あんな……」

「僕も大丈夫。シーファが治療してくれましたから」


 そっと触れたセイの肩は、見た目には元通りの肌をしていた。傷が残っている様子もない。さすがは銀の大魔導士が処置しただけのことはある。

 それでも。あの時の光景と、血の匂いと、倒れ込んだ彼の身体の感触は、決して忘れることはできない。自分が害されるよりよっぽど恐怖と絶望を感じた、あの瞬間を。

 セイは自分の肩から彼女の手を取って、震える細い指先に口づける。


「あなたが怪我をしていたら、僕はもっと辛かった。けれどそのせいであなたをあんな目に遭わせてしまって──」


 謝ろうとした王子の唇を、女神が塞いだ──自分の唇で。

 思いがけずディアナからされたキスに、セイは目を見開いて、彼女の狙い通り言葉を継ぐのを忘れてしまう。


「セイは私を助けてくれたわ。だからお互い、もう謝るのは止めましょう」


 辛い記憶ではなくて、今この瞬間の愛おしさを伝えたくて。ディアナはセイへとそう告げた。

 見つめ合い、二人はどちらともなく微笑んで。


「そうですね。やっとこの腕に抱き締めた愛しい人への言葉なら、もっと相応しいものがある」


 甘い声音と、彼女だけを映した瞳で、王子は囁く。


「愛してる、ディアナ。あなたを抱いていられるなら……長い夜も悪くはない」


 アクアマリンは、深い湖のように吸い込まれそうな色をたたえていて。女神の紫水晶の瞳は、囚われて沈んでゆく。


「私も愛してるわ、セイ。日が昇っても、傍にいるから……ずっと私を抱き締めていて」


──愛おしさでおかしくなりそうだ、と囁いた彼の声に。同じよ、と返した声は聴こえただろうか。

 セイは先程よりはそっと、けれど確かな熱を持ってディアナに触れて。ディアナもまた、彼に応え、彼を求めた。



 そして王子は宣言通り、翌日の夕方まで部屋から出ることは無く──更に次の日の朝まで執務室に現れることはなかった。






第三章 「失われた女神」 end.

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