長い夜の終わり
──“暁の裁き”
皇帝の命令で兵士が引き金を引く前に、レイトの声が特殊な音を奏でるように言葉を紡いで、広間に響き渡った。言葉自体に魔法が織り込まれたそれは、どの言葉よりも速く、どんなに小さな声でも確実に魔弾銃に届く。
“パァァァンッ!!”
そしていくつもの破裂音と共に、兵士達の持つ魔弾銃が火を噴いた。兵士達が慌てて手から離すのを待つ猶予も無くバラバラに崩れる。それを全て見る前に、素早く密かにされたセイの目配せにアランとシーファ、アレイルが動いた。一瞬で異文明の兵器は全て破壊され、恐慌状態になった兵達を近衛騎士と銀の魔導士が倒す。アレイルは立ち尽くしたままのリエイルの手から、転換の聖杯を奪い取った。イールがその足に受け取って、誰にも届かぬように高く飛ぶ。
一気に逆転した形勢に目を見開く皇帝の後頭部に、レイトが自分の魔弾銃を突きつけた。彼の魔弾銃は弾けることも無く、レイトの手に収まったまま。彼はカチリと撃鉄を起こす。それを知って皇帝が呻くように問うた。
「なぜ……お前の魔弾銃だけ無事なのだ」
「レイトの発したコードは“初期設定”だ」
彼の疑問に答えたのはセイだ。
「キャロッド公国軍の魔弾銃は、使用者に渡ったのちに使用者専用のコードを設定しなおすそうだ。そしてこの機能の全ては口伝で、設計図には載っていない。残念だったな、ドフェーロ皇帝。ヴァイス殿の信用を得て正式に譲り受けていれば、知り得た情報だったというのに。ご丁寧に自爆機能までオリジナルを完璧に模造してくれるとはな」
皇帝がキャロッド公国に侵攻し魔弾銃と設計図を奪ったと聞いて、王子はその特性をレイトに徹底的に聞き出し、万が一の事態に備えていた。そしてあの石牢で、やはり皇帝が魔弾銃を量産したと知って、レイトは皇帝に『本物と同じように』作ったのかと聞いたのだ。
彼の答えで確信した──皇帝は自爆機能を知らないままに模造したと。
その報告を受けたセイの指示で、全員がこの機会を窺っていたのだ。王子へのとどめを刺す時に、皇帝は必ず魔弾銃を使うだろうと。そして自爆させる瞬間は、この時だと。
皇帝は乾いた笑みを浮かべて、目の前の王子を見つめる。
「……なるほどな。やはり私はそなたを見くびり過ぎた。化け物じみているのは、その美貌だけではないということか。そなたを敵に回すのを怖れた我が重臣達の気持ちが分かるな」
彼の言葉に、セイは冷たい微笑を浮かべて、わずかに剣先に力を込めた。
「力ずくで奪ったお前自身の過ちだ、ドフェーロ皇帝」
王子の声は冷たく、どこか嘲笑を帯びていて、図らずも皇帝との血の繋がりを感じさせるようで。アランはすぐにそう考えた自分を叱咤する。残虐な皇帝と、我らの王子は違うと。
彼の考えはすぐに証明された。退魔の剣と魔弾銃を突きつけられて両手を挙げた皇帝の指から、セイが指輪を抜き取ってひどくホッとした顔をした瞬間に。
「良かった、これで──」
ずっと望んでいたそれを手に入れたことに、セイの気が緩んだ一瞬に、皇帝が隠し持っていた短剣を掴み取った。
「女神は渡さぬ!」
「ラセイン様!」
「ラセイン!」
アランの呼ぶ声と、シーファの声が重なる。
皇帝の振るった短剣の先が王子の胸に突き立てられようとした、瞬間──
『だめ』
ふわりと、セイの前に広げられた白く華奢な腕。ゆるやかに波打つ、栗色の長い髪の少女の姿──
「ディアナ……」
王子が思わず口にした彼女の名前は、音になったのか。光に包まれて現れた月の女神の姿に、皇帝は茫然と動きを止めたまま。
──セイの手の中、フォルレインの刀身にゴオッと音を立てて炎が走った。
『ラセイン!』
響いた退魔の剣の精霊の声に、セイは無意識に剣を振りかぶる。皇帝へと一気に振り下ろした。
「ぐあぁぁぁあ!!」
肩を深く切り裂かれ、精霊の炎で灼かれ、皇帝は苦痛に叫ぶ。セイがとどめを刺そうとして、けれど女神と目が合った瞬間に、紫水晶の瞳が悲しげに伏せられるのを見て手を止めた。
──どんなに否定しても、血縁者。なによりも“セインティア王の一目惚れ”の陰に犠牲になった王女の子。
『皇帝を自分の手で殺してしまったら、あなたはきっと後悔するから』
彼女がそう言ってくれていたことを思い出す。けれど。セイは苦しげに眉を寄せて、口を開いた。
「けれど僕は、あなたの害になる存在を許しておけない。──もうあなたを失いたくない」
ディアナは深く微笑んで、セイを抱き締めるようにその身を寄せて──
『だったらセイ、私を迎えにきて。待ってるから』
ふわりと。女神は指輪に吸い込まれるように消えた。フォルレインの炎も消え失せ、声も聴こえなくなる。
セイは一度だけその姿を瞼に閉じ込めるように瞳を閉じて、皇帝を見つめた。ゆっくりと剣を下ろす。
「哀れみか、青の王子。我は何度でも女神を欲する。殺さない限り終わらぬ」
皇帝の瞳には狂気の色が浮かんでいる。赤くギラギラと光る目は、もう魔物のそれだ。彼の言う通り、生かしておいたならずっと悪夢は終わらないだろう。
アランは剣を掴み直した。主に手を下させるわけにはいかない。確かにそこだけは彼はディアナと同じ気持ちだ。
──ならば近衛騎士である自分が、その役目を負えば良い。主を守るためには、いくらでもこの手を血に染めてみせる。その覚悟は、とうにできている。
ふと祖国で自分の帰りを待つ、金の薔薇が頭をよぎったが、彼女はどんなアランでもその強い心で受け止めてくれるはずだ。決意の瞳で近づく側近を、王子は手を伸ばして止める。
「それでも、僕は──」
「あなたが手を汚す必要は無い」
“ドスッ”
響いた声に重なった鈍い音。
皇帝の背から腹を貫いた剣に、彼はのろのろと目を落とし──嗤った。
「リエイル、か」
滴る血に、皇帝は自分を刺した相手の名を呼ぶ。
「そなた、魔弾銃を……わざと自爆機能ごと模造したな」
「リエイル……?」
兄のした密やかな抵抗にアレイルが茫然と呟き、イールは痛ましげに俯く。リエイルは主の身体を支えるようにその背に寄り添い、けれど更に剣を深く突き刺す。
「どうかもう、安らぎを。私が共に参りますから、皇帝陛下」
その言葉の意味を弟が気付く前に。リエイルは皇帝から剣を引き抜き、自らの胸に突き立てた。
「リエイルッ!!」
止める間もない兄の行動に、アレイルは絶叫する。セイも目を見開いて、ハーフエルフの行動を見つめていた。何も出来ない一同の前で、リエイルは倒れ伏した主の隣に自らも身を横たえる。
「──私は、あなたのお傍に、おります。あなたが、信じなくても」
瞳を閉じ、その鼓動が止まるその時まで。主従はただ傍に居た。それ以上言葉を交わすこともなく。
苛烈な戦いの後とは思えないほどに、静かにその命を終わらせた二人を見下ろして。アレイルは目を伏せた。
「最期まで、道を変えることはなかったんだな、リエイル」
リエイルは弟を守って、皇帝を選んだのだと。喪った兄の為に、彼はそっと囁いた。
セイの元へ舞い降りたイールは、転換の聖杯を銀の魔導士に預け、王子の手にあるムーンストーンの指輪を覗き込んだ。
「早く、これをディアナの指に嵌めてあげて」
イールの言葉に頷いて、セイはシーファを見る。
「何か特別な魔法は必要ですか?」
銀の大魔導士はその青い瞳を煌めかせて微笑んだ。
「──昔から、姫君の目覚めに必要なのは、王子様のキスと決まっている」
*
シーファによって先に一人、部屋の中に転移されてきたセイを見た瞬間。リティアとリルディカは顔を見合わせて、隣の続き部屋へと出て行った。そっと閉じられた扉を気にする余裕もなく、王子は部屋の奥へと足を進める。
一体、自分はどんな顔をしているのだろう。ふとそんな思いが胸をよぎったが、今は何よりも彼女の顔を見たくて。
寝台に近づくと、月の女神は変わらずそこに横たわっていた。まるで先程彼の前に現れたのが、嘘のように。たとえあれが夢だったとしても、夢のままにしておくつもりは無い。
セイはディアナの左手を取った。眠っているだけのように見える可憐な少女。今にも笑いかけてくれそうだというのに。けれどひんやりした、熱を持たない指先に触れれば、嫌でも彼女の命が失われていることを感じて、心臓がぎしりと軋んだ音を立てる。
「──迎えに来ました、僕の月の女神」
囁きが、彼女へ届くように祈りながら。セイは月の指輪を取り出した。
事前にイールから教わった通りに、ディアナの中指へ指輪を滑らせる。皇帝の指にはまっていたそれは、持ち主の指に合わせて変化するらしく、今は華奢なディアナの指にぴったりの大きさになっていた。
指輪をはめた瞬間──ムーンストーンから淡い虹色の光が溢れ出た。女神の身体を包み込み、部屋の中を満たしていく。やがてそれが消え、セイはディアナの顔を覗き込んだ。
──けれど彼女は瞼を閉じたままだ。
かすかな不安を押し込めて、セイは指輪ごと女神の手を自分の手で包み込んだ。顔を寄せて、金色の睫毛を伏せる。
──姫君の目覚めに必要なのは、王子のキス。
魔法使いの言葉を信じて、そっと唇を重ねた。
「どうか、戻ってきて。ディアナ、あなたがいないと僕はもう駄目なんだ。あなたがいないと生きていけないと言ったけれど、嘘でも誇張でもない。──月のない夜は、僕には長過ぎる。あなたがいなくては越えられない」
包み込んだ手の下でピクリと動いた指先に、セイが顔を上げれば。震える瞼の下から、ゆっくりと紫水晶の輝きが現れた。恋焦がれた、待ち望んだ、たった一対の輝きが。
「──私もよ、セイ」
微笑みと共に落とされた言葉を聴いた瞬間に、頭が真っ白になって。
ディアナの手を引き寄せたのか、それとも彼女がセイを引き寄せたのか。気付けばその胸に恋人の身体を掻き抱いていた。
「──ディアナ……、ディアナ!」
強く、強く。
鼓動を確かめるように。体温を確かめるように抱き締めて。両手でも足りないもどかしさに、唇を重ねる。何度も何度も。
「──セイ……」
「──ディア、ナ……っ」
愛おしい女神の声を聴いた瞬間に、あれほど泣けなかった瞳から溢れたものに、彼は言葉を紡ぐことが出来なくなって。ディアナの髪に顔を埋めるように深く抱き込んだ。
微かに耳に届く、ただ彼女の名を呼ぶセイの声に、隠しきれない震えが混じっていることに気付いて、ディアナの頬にも涙が伝う。
そうすればもう、互いの名前すら口に出せなくなった。セイが唇でディアナの涙を拭い、彼の頬に伝わるそれをディアナの唇が拭う。そして王子は肩を震わせてまた彼女を抱き締めた。彼女を思い遣って柔らかく包み込むようなそれではない。激情のままに痛いほどに強く。
いつもの冷静さも穏やかさもかなぐり捨てて、灼けつくような感情を露わにするセイの背を、ディアナもまた強く抱き締め返した。
「辛い想いをさせて、ごめんなさい。私を取り戻してくれてありがとう、セイ」
指輪に囚われてから、ずっと昏い闇に閉じ込められていた。もう自分の存在さえ分からなくなってしまいそうな時に──彼の声が聴こえたのだ。皇帝に立ち向かい、ディアナを求めるセイの声が。
そして月の指輪は月の女神に反応して、不思議な力を見せた。一瞬だけ彼女の魂を、指輪の外へと送り出してくれた。
「ずっとあなたの声が聴こえてたわ。いつだって、私を長い夜から連れ出してくれるのは、あなたよ。“聖国の太陽”」
『そして我の主は君だけだ、ラセイン』
続いて響いた声に、セイは口元に笑みを浮かべた。
王子の腰に下げられた退魔の剣から、水色と金色の髪の美しい精霊が現れる。ゆらめく光の中に浮かぶ剣の精霊が。
「フォルレイン。また君に会えて嬉しいよ」
ディアナと寄り添ってそう言うセイを見つめて、フォルレインは嬉しそうに微笑んだ。
『君が魔力を失っても、君は私の主だったが──やはり言葉を交わせるのは良いものだな』
彼の言葉に、やはりフォルレインの声が聴こえなくても、彼は相棒であり続けていてくれたのだと分かって、セイは深く微笑む。信じられたのは、ディアナのおかげだ。
今度こそ。眠る彼女ではなく、目の前の微笑む彼女に告げたい。セイはまっすぐにディアナを見つめて口を開く。
「あなたを愛している、僕の女神」
彼女は目を見開いて。
それから幸せそうに微笑んだ。一粒の涙と共に。
「私も、あなたを愛しているわ。私の王子様」
そして二人は、もう一度キスをした──。




