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暁の巫女 -月の女神2-  作者: 実月アヤ
第三章 失われた女神
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たった一つの道

「ディアナを、取り戻せる……?」


 その意味がきちんと届く前に、一条の希望にすがりつくように。反射的に言葉を返してから──アクアマリンの瞳に、光が浮かんだ。無表情であったときには作り物めいた氷の美貌に、徐々に色が差す。セイはゆっくりとその顔をアランに向け──次いで硬い声で問いかけた。


「どういう、ことだ」


 やっとその意識を向けられたことに息を吐いて、シーファが進み出る。


「リルディカの特殊な魔力は知っているな?彼女の力は失った魔力の代わりに肉体を再構成し、その成長を歪める。言い換えると、肉体の時間に干渉できるということだ。不老や長寿の精霊や魔法使いも肉体の成長を遅らせることは出来るが、根本的に違うのは、巫女はその命の時間を流れから切り離して、完全に時を止められる」


 リルディカが自分の小さな手を見つめて息を吐いた。魔力を失って、身体が保てずに作り直され、ヴァイスから解放されるまでは成長さえ止めていた少女の身体。

 銀の魔導士は深く息を吸って続ける。


「皇帝は以前、月の女神の力で不老不死を得ようとしていただろう?それに惑わされた。誰だって、肉体の時を止める魔法と聞けば、不老不死を思い浮かべる。


今回は違うのだ。リルディカの力は保つための魔法ではなく──ただ停滞させる。皇帝は巫女の力を使って、女神の時を止めた。ディアナの心臓の時間さえも止めて──仮死状態にしたのだ」


 リルディカはレイトに抱えられて、セイと視線を合わせる。向けられた王子の視線だけの問いに頷いた。


「ドフェーロの皇帝は私からその魔力を取り出した。そして月の指輪の力に混ぜたんでしょう。異質ないくつもの魔法が重なって、アランさんにも感知できなかった」


 巫女の言葉にイールも頷いて続ける。


「ディアナの魂は月の指輪に囚われているんだと思う。クレスはあの指輪でボクを作って、死ぬ時に自分の魂を閉じ込めた。皇帝は同じように、仮死状態にしたディアナの魂を指輪そのものに閉じ込めたんだよ」


 シーファはそれぞれの言葉を聞いて、その青い瞳を煌めかせた。弟子の少女は目を白黒させながら聞いている。銀の魔導士の知識は底知れない。各々が特殊な力を持ちながらも自分の魔力の性質しか知らずに、今まで繋げられなかった糸を、シーファがより合わせていく。


「目の前で心臓を止められて魂を失ったディアナを見れば、誰だって彼女が死んだと思う。肉体は確かに死んでいる訳だしな。我ら魔導士は人を生き返らせる魔法は無いと知っている。リルディカにとっては巫女の身体の時間を止める魔法は、失った魔力の補完に過ぎない。月の指輪の力は魂を閉じ込めると知っているのはイールだけで、だが仮死状態の人間の魂を捕らえようなどとは考えない。


──だから誰も思いつかなかったのだ、皇帝の本当の狙いに」


 アレイルが王子へと歩み寄った。皇帝の言葉を思い出して。


『気付いたのだ。永遠に我がものにするためには、その命を喰らって魂を閉じ込めればいいのだと』


「“転換の聖杯”」


 ハーフエルフのその一言に、セイはハッと目を見開いた。

 つい最近、王宮を騒がせたあの呪いの宝物。シーファによって一度は王宮から遠ざけられたあの聖杯は、その後回収に赴いた。その際にちょっとした事件も起こり、未完成であるための暴走を危ぶんで、結局は転換の魔法を完成させたのだ。しかし──その後、所在不明になっていた。

 アレイルは兄が口にした言葉を繰り返す。


「“闇に囚われし魂に平穏を。やがて新しい光に生まれ変わるまで。その魂が転じ換わるまで”──これは、転換の聖杯の発動呪文だよな」


 アレイルはあの聖杯を手にした時に、表面に刻まれたこの呪文を目にしていたのだ。リエイルのくれた答えは、何よりも今の皆の話を繋ぐものだった。ハーフエルフはかつて仕えた皇帝の本質を思い浮かべながら、王子へと語り続けた。


「皇帝は狡猾で、知略に長けている。何もかも計算ずくだ。リルディカが触れた転換の聖杯の制作者は、もとはドフェーロから逃げ出した魔導士なんだろう?もしかしたらそれすら、皇帝の策略だったのかもしれない。そしてドフェーロで完成させられなかった呪いの宝物は、セインティアの魔導師によって完成した。

ディアナを殺したと見せかけ、ラセイン王子に諦めさせて、あとでゆっくり魂を他の肉体に入れれば──女神は彼のものだ。皇帝は外身など気にしない。転換の聖杯を手に入れているなら、魂を移して女神を新しい身体に入れ換えるつもりだろう」


 聞いていたレイトが口を歪める。


「──身体を取り替えても、女神の魂があればそれがディアナだと?ふざけてる」


 今のままのリルディカを選んだ彼らしい言葉に、シーファが頷いた。


「同感だな」


 イールが寝台へと舞い降り、相棒の身体の上にその羽をそっと触れさせる。


「今のディアナは完全に死んだわけじゃない。ただこのまま諦めたら本当にもう還って来ない。──キミはどうする、ラセイン王子」


「諦めたりなどしない!!」


 青い炎が灯るように。王子はその瞳に強い意志を浮かべる。絶望の縁から這い上がろうとするセイに、イールは挑むように、縋るように言った。


「フォルレインの魔法が無いキミに、あの子を取り戻せる?」

「もちろんです。──取り戻す。何をしてでも」


 間髪入れずに返って来た答え。イールが、アランが望んでいた言葉だ。

 セイは寝台から立ちあがった。

 月の女神の身体をそっと横たえて、一度は辛そうに顔を歪めたがその腕から離し、身を屈めて恋人の額にキスを落とす。そのまま瞼に、頬に──そして、唇に。


「待っていて、ディアナ。必ずあなたには、花嫁衣裳を着て僕の隣に立って貰いますから」


 もう立ち止まらない。わずかでも可能性があるなら、彼女を取り戻せるなら、なんだってしてみせる。


 顔を上げた彼は、もう傷ついて打ち拉がれた青年ではなかった。まっすぐに背筋を伸ばして、しっかりと立つ姿は、王者の堂々たる威厳に満ち溢れ、前を見据えるアクアマリンの瞳は強い意志に彩られて、彼の美貌をより鮮明にする。

 もうそこに在るのは魔法大国セインティアの世継ぎの王子だ。魔力を失っても、フォルレインの声が聴こえなくなっても、変わらない。


 セイは乱れた金色の髪をくくり直して、退魔の剣を掴む。ずしりと重みを感じたが、他の剣を握る気にはなれなかった──今でもフォルレインは、確かに彼の相棒なのだから。

 自分の前で膝をついたまま頭を垂れる近衛騎士を見下ろして口を開く。


「アラン、女神の魂と月の指輪を皇帝から奪い返す。僕の背中を守れ。命令だ」

「御意に、我が君。どこまでもお供致します。命の限り」


 顔を上げた近衛騎士の表情は、喜びと強い責任感に満ちていて。いつもの王子と側近の絆をはっきりと取り戻していた。


 そして。ラセイン王子──セイは扉を押し開ける。

 愛おしい女神の笑顔に逢うために。




 謁見の間、不在の王の玉座。他国の皇帝が兵を従えてそこに居た。

 ムーンストーンがはめ込まれた指輪を見つめ、ドフェーロ皇帝ゲオルグは低く笑う。白い石の中に時折、虹色に輝く光が混じって、それに唇を寄せればチリリと軽く痛みが走った。


「魂となってもなお、我を拒むか」


 呟く皇帝は、けれど全く動じていない。指輪を掲げてクスクスと笑った。


「あの美しく可憐な身体を捨てるのはもったいなかったが、まあ良い。そなたにふさわしい、もっと素晴らしい器を手に入れてやろう」


 彼の言葉を聞きながら、リエイルはそっと目を伏せる。

──あるのだろうか。他に、女神に相応しい器など。


 遺伝や生まれながらのものは別として、外見には生き様が現れる。例えば青の王子なら、優雅で上品な所作の中で生きてきた彼は、指先まで余計な力が入らず、歪みの無い美しい体躯をしている。繊細で優美な容貌も、好意に包まれて育てられてきたのだとわかる。

 ディアナの背筋の伸びた美しい姿は、そのまま前を向いてまっすぐに生きてきたからこそであるし、華奢でもしなやかな手足は、森を駆け回ってのびのびと暮らしてきた証、強い瞳は意志の現れだ。彼女に恋愛感情などないリエイルでも、目を奪われる美しさは、ディアナの積み重ねてきた命から発せられる輝きなのだ。

 女神の魂を持って生まれ変わるならともかく、皇帝は赤子から女神を育て直すほど、気長では無い。他の器に入れ替えたとて、それはもうディアナではないのだ。


 けれどリエイルはそれを皇帝に伝えたりはしない。彼の主が必要としているのは、耳に痛い綺麗事ではなく、絶対的な忠誠心なのだから。皇帝はリエイルを見て、目を細めた。


「アレイルは生きていたか。お前が私の傍に居るということは、そうなのだろうと思っていたが」


 ハーフエルフはピクリと動いた肩を押さえる。


「おっしゃる意味が分かりかねます。私は皇帝陛下への忠誠のためにここに居るのです」

「戯れ言を。我は裏切りを許さぬ。お前はいつかアレイルを私が殺すのではないかと懸念したのだろう。だからここに残ったのだ」


 皇帝の言葉は、リエイルを鋭く刺した。彼は無表情のまま目を伏せる。


「私の陛下への忠誠は、確かなものです」


 皇帝は低く嗤った。


「死にかけたアレイルを月の女神に託したのは良くやったがな。おかげで今回の事態にも容易にセインティアを引っ張り出せた」


 容赦のない主の言葉に、リエイルは目を見開く。


「──それも、あなたの策だったのですか。アレイルを半死で逃がしたのも、温情ではなく、駒として使う為に」


 リエイルは愕然としたまま、俯いた。自らの意思で皇帝を裏切った弟も、皇帝に背くように弟を助けた兄も、皇帝にとっては全て計算ずくで。意識しないまま、彼の思い通りに動いていたのか。

 皇帝は忠誠さえも必要としていない。今この瞬間にも大勢の兵士にかしずかれているのに、誰の命であろうと彼の駒と玩具でしかないのだ。


「それでも、私は陛下の傍に」

「──ならばアレイルを殺せ」


 無造作に投げられた命令に、リエイルは凍り付く。いずれそう言われるのは分かっていた。分かっては、いたが。


「……御意」


 弟はきっともうすぐここにやってくる。女神の為に。そのとき──自分がするべきことは、一つだ。

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