-暁(あかつき)の巫女- prologue
巫女は自らの力と引き換えに、命を乞うた。
覇王はそれを受け入れ、巫女の祖国は跡形も無く消し去られた。
かろうじて生き残った者は、彼女をこう呼ぶ。
──裏切りの巫女と。
重厚な石造りの宮殿の奥。黒い玉座に座った、一人の王が居た。
深い緑の髪に、琥珀色の瞳。鋭い目つきは何もかも見通すよう。しかしその整った顔が酷く愉しげに歪む。
「リルディカ」
彼の膝の上に、小さな少女が座っていた──否、座らされていた。
10歳程だろうか。薄紫に輝くまっすぐな長い髪と同じ色彩の瞳、彼女の浮かべる無表情と色素の薄さも相まって、作り物めいた美しさの少女。人形のような細い腰に王の手が当てられて、動くことを許さない。
少女は諦めたようにそのまま、両手を差し伸べるとその上に光の球を作り出す。
「お前の魔力で探し当てたか、次代の巫女を」
「遥か西の島国、魔導の地に月の女神が降り立ちました」
王の問いに応え、光の先を覗き込むように、巫女は厳かに告げる。それを聞いた王はニヤリと笑った。
「ならばその女神を我がものに。さすればお前は用無しだ、リルディカ」
告げられた彼女は、小さく息を吐いた。しかしその表情は動かない。幼き少女はその心を読ませない。
「御意に、覇王ヴァイス様」
やっと彼の手が離れ、リルディカは玉座から飛び降りた。そのままゆっくりだがしっかりと歩き、重厚な扉を押し開ける。廊下を自室まで戻ろうとすれば、その先に若い男が立っていた。
優男風に緩く結んだタイと、着崩した細身の軍服。王宮にはそぐわないが、不思議とこの男には似合っている。顔を隠すように色付きのゴーグルを掛けているが、端正な顔立ちだと分かる。
彼は少女に気付くと、睨みつけるように眉を上げた。
「お前か」
「レイト……」
思わず彼の名を呟きかけて、リルディカはハッと口を閉ざす。彼と視線を合わせぬよう、さっと通り過ぎようとして──
「裏切りの巫女」
ぼそりと呟かれた言葉に硬直したのは、一瞬。少女は唇を噛み締めて、廊下を一人歩いてゆく。
止まらない。止まってはならない。その望みを叶えるまで。
*
魔法大国セインティア、アルレイ伯爵家の応接間は、煌びやかな面々が揃っていた。
元セレーネの魔物退治屋にして現伯爵家令嬢、ディアナ。
その婚約者でセインティア王国世継ぎの王子、ラセイン──セイ。
王子の近衛騎士、皆のお兄さん、アラン。
銀の大魔導士、歩く破壊神、シーファ。
大魔導士の弟子にしてアルティスの秘石の器、リティア。
そして女神の相棒、白き魔法の鳥、イール。
「魔竜退治?」
ディアナが聞き返すと、美貌の魔導士はブルーサファイヤの瞳を煌めかせた。
「ああ。私が受けた依頼なのだがな。魔法が効きにくい相手なのだ。出来れば剣士のあなたに手伝ってもらいたい」
イールが思い出したように口を挟む。
「魔法の効かない魔竜……あの海竜みたいなヤツ?」
「そうだな、近いかもしれない。再生能力は無いがな」
魔導士が肯定し、彼の言葉にアランが顔をしかめた。
「おい、ディアナさんはもう伯爵令嬢なんだぞ。魔物退治に引っ張り出すなんて……だいたいお前だって剣くらい使えるじゃないか」
確かこの男は魔導士にしておくには惜しいくらい剣の腕が立つはずだ。ついでにデカい態度に正しく比例して喧嘩も強い。何せ得意技は回し蹴りだと公言しているくらいなのだ。わざわざ世継ぎの王子の婚約者を危険に誘うとはどういうことだ。
アランの視線を受けたシーファは肩を竦める。
「魔物が逃げ込んだのは、このアルレイ領なのだ。領地侵入の許可を貰うついでに手伝ってもらえたなら、丁度良いではないか」
どこまでも自分ルールでふん、と言い切る彼に、リティアが付け加える。
「すみません。でもさすがにお師匠様一人じゃ手が回らないんです。魔竜は目撃されているだけでも4体居て、浄化しようにも近づけなくて。私が剣を使えれば良かったんですけど」
弟子の少女は華奢な少女だ。強大な魔力を持っていても剣を振り回すタイプではない。
「馬鹿弟子。お前にそこまで期待などしていない」
俯くリティアに、師は淡々と言葉を向けたが、その手はポンポンと少女の頭を柔らかく撫でる。その様子に笑みを誘われながら、セイはふとシーファに問うた。
「少なくとも4体なのでしょう?必要なのはディアナだけですか?」
「何を言う。女神を引っ張り出せばもれなく君が、君を引っ張り出せばもれなくそこの阿呆がついてくるだろう」
尊大な態度で言い切ったシーファに、セイはただただ苦笑し、アランが拳を握りしめて「アホウって俺のことか、この野郎……」と呟く。ちなみにリティアはずっと「すみませんすみません」と謝っていたが。
「分かった。手伝うわ。良いわよね、セイ?」
ディアナはそう言って、婚約者を見る。セイも頷いて微笑んだ。
「アルレイ領地内のことなら、どちらにしろ放っておけませんしね。もちろん、僕も行きますよ」
王子の退魔の剣が、同調するようにキラリと煌めいた。
翌日。
アルレイ領、フォルディアス湖の南の森では、シーファとリティアが魔法を使っていた。リティアは後頭部で一つに結んだストロベリーブラウンの髪を揺らし、目を閉じて探索魔法を唱える。
「我は銀の魔導士シーファの唯一の弟子にして、偉大なるアルティスの秘石の器。我に示せ、異質なるものの息吹、その存在を」
彼女特有の発動呪文を口に乗せ、続けて何節かの呪文を続けて口にした。歌のような音となって周りの耳に届く。リティアの周りにきらきらと光が散って四方へと散っていった。しばらくして彼女が師を振り返る。
「──お師匠様、西です。4体とも一緒にいます」
まずは魔竜を捜索範囲から出さないように、結界を張って足留めするつもりなのだ。
銀の大魔導士は長い白い杖を持ち、地面に魔法陣を描いてゆく。その端正な横顔が魔力の光に照らされながら、発動呪文を唱えた。
「我は溢れし力を受ける器。月の女神の騎士、魔法の光満つる地に在りし魔導の徒。我が魔力を紡ぎ、何をも通さぬ壁となれ。──お仕置きタイムだ、馬鹿者め!」
彼の言葉と共に、ぱあっと周囲に光が走り、四方へと散って行く。
イールが木の上からぼそりと呟いた。
「ねえ、だからその発動呪文なんなの?ねえ、なんなの?」
「イールさん、深く考えちゃ負けっすよ」
アランが首を振って諭す。そんな彼らに苦笑しつつも、セイは退魔の剣──フォルレインを抜いた。魔物に近づくと赤く光るそれは、西に向けると淡く赤みを帯びる。
「まだ距離があるようですね。気付かれないように近づきましょう」
ディアナは頷いて、彼に続いて歩き出す。アラン、シーファ、リティアも後ろからついてきて、イールは空から偵察しようと飛び立った。
ディアナは森の奥へ進んで行くにつれて、静かで清浄な空気に満ちていることに気付く。とても魔物が潜んでいるようには見えない。アルレイ領といっても湖周辺は広い。おまけにディアナはここに来たばかりで、まだ領地のすべてを把握していない。初めて見る森の様子に、つい周りを見回してしまう。
「珍しい?」
彼女の様子に気付いて、セイがそう問いかけた。“聖国の太陽”と称されるほどの輝かしい美貌が、柔らかな笑みを浮かべてディアナを見つめている。アクアマリンの瞳が愛おしげに細められるのを見て、未だに慣れない彼女の心臓がドキン、と跳ねた。
婚約してから彼は少し変わった。丁寧な態度も敬語もそのままだが、ふとした時の距離や言葉が近くなった気がする。ディアナはそれが嬉しくて、微笑み返す。
「ええ。セレーネに似ているけれど、でもやっぱり違うわね。精霊がたくさん」
精霊のあまり居ないアディリス王国に比べて、魔法大国セインティアは精霊と人が共存する国だ。特にこんな自然の多い場所には小精霊が多くて、あちこちに光をまき散らしながら飛んでいる。
「綺麗」
「精霊達もあなたを好いているようですよ。アディリスでもそうでしたね」
セイが笑いながら彼女の髪に手を伸ばすと、ディアナに纏わり付いていた精霊がふわりと飛び上がった。
「やっぱりあなたは、こういう森だと活き活きとしている。城でも、僕の隣でそうしていて欲しいな」
そう言ってセイは、彼女の髪から自分の指に移らせた精霊に唇を寄せる。まるで、ディアナの髪に口づけるように。彼女は彼のその行為に、頬をわずかに染めた。
そうだ──彼に初めて逢った頃、同じようにされたっけ。
ふと思い出して、なんだかくすぐったくなっていたなら。
「いちゃつくのは結構だが、そろそろだぞ」
シーファが冷静に言葉を挟み、頬を染めた弟子に「お師匠様シーッ!いいとこだったのに!」と耳打ちされていた。
「少しは空気読めよ、シーファ」とアランまで言っている。
「……っ、そんなんじゃないったら……」
ディアナは恥ずかしさを誤摩化すように剣を抜いて。しかし隣に居るセイが、フォルレインを見て怪訝な顔をした。
「フォルレイン?」
その剣は淡い赤のまま。いつものように強く光るわけでもない。
「……危険を察知して光るのよね?魔竜は危険じゃないのかしら」
ディアナの疑問に、剣自身が答えた。
『わからぬ。魔竜自身は邪悪な存在。けれど何かに操られている。その糸に、悪意を感じぬのだ』
「え?」
聞き返そうとした次の瞬間、ディアナは強い視線を感じて顔を上げる。
木々の間、その先に──4体の魔竜が居た。竜としては小さい──それでも3、4メートルほどの高さの体躯だが。
赤、青、黄、緑と見事に色別れした翼竜。
その全てが、ディアナを見ていた。
「──っ!」
「ディアナ!」
魔竜の視線にセイも気づき、フォルレインを構える。けれど魔竜達は動こうとせず、ただこちらを見ていて。
『──月の女神』
不意に呼びかけられて、ディアナはビクリと背を逸らした。
「誰?」
「ディアナ?どうしました?」
セイが彼女を見る。アランもだ。その表情で、声が自分にしか聞こえていないのだと悟った。
『月の女神。見つけた──』
「あなた、誰?」
なおも響く声。魔竜を操る者なのだろうか。相手を問おうとして。
『見つけた、女神』
『次代の巫女』
『いいえ、だめ。来てはならない』
『助けて』
『逃げて』
薄紫の髪の、幼い少女が。
「──な」
混濁した意識が押し寄せ、ディアナを襲った。奔流に飲まれるように、声が溢れて彼女を溺れさせる。
「い、やぁあっ」
「ディアナ!!」
尋常ではない様子に、セイが彼女を抱き締めた。
「ディアナさん、聞いてはダメ!──守りの衣よ、いかなる意志をも遮断せよ!」
リティアが魔法でディアナを護る結界を張る。その途端に音が途切れ、ディアナはセイの腕の中に崩れ落ちた。しっかりとそれを抱きとめた彼は、愛おしい女神が意識を失っているのを見て、フォルレインを握り直す。
「アラン!」
主の声に、近衛騎士は彼らを護るために前に出た。銀の大魔導士に鋭く問う。
「シーファ、原因はあいつらか」
アランが魔竜を見据えて飛び出そうとして、白い杖に止められた。
「待て。──お仕置きタイムだ、馬鹿者共め!」
彼の放った魔法弾は魔竜に向かって飛び、それを避けて4体は散り散りに飛んでいく。なおも追撃するようにシーファは魔法を放ったが、それは魔竜達の身体に吸い込まれるようにして消えた。
「追尾魔法だ。誰がどんな目的であいつらを操ったのか、突き止める必要がある」
銀の魔導士は杖を下げてそう言ったが、王子は魔竜の去って行った方向へ、鋭い視線を空に向けた。
「一体……どういうことなんだ」