救出作戦
リルディカとレイトの救出に向かうのは、セイ、ディアナ、アラン、シーファ、リティア、イール、アレイル。
転移魔法が発動する合間に、青の王子は一同に向かって言う。
「一つだけ幸いなのは、ドフェーロ皇国は戦争をするつもりではないと言うことです」
リルディカとレイトが攫われた先は旧リンデルファ王国。ドフェーロの領地ではない。
精霊の情報によれば、皇帝はわずかな戦力を連れてかの国に渡ったとのことで、それはドフェーロの総力ではない。なりふり構わないなら自国に捕らえて、セインティアを全軍隊で迎え撃てば良いことだ。それをしないのは。
「おそらく皇国の意志と、皇帝の意志は別なのでしょう。彼の独断か暴走か……もしかしたら前皇帝のように、謀反を起こされる日も遠く無いかもしれませんね」
セイは冷静に分析する。
セインティア王国としての、二人の引き渡しを要求する正式な書状に、ドフェーロ皇国は知らぬ存ぜぬで押し通した。拒んで開戦するのではなく、しらを切ったのだ。皇国も一枚岩ではない。
セインティア王国は小さな島国だが、世界最高の結束を誇る騎士団を持ち、他国の王家にまで魔導師を派遣している唯一最大の魔法大国だ。その外交力は計り知れず、正面から敵に回すのは得策ではないとどこの国も認識している。ラセイン王子はそのためにアディリス王国との同盟や、フレイム・フレイア王国との関係を深めてきたのだから。
「ただ、皇帝側の手駒も限られてはいますが、それはこちら側も同じことです。騎士団を動かしての総力戦は望めない」
セイの言葉に、シーファが弟子と共に魔法陣を描きながら振り返った。
「良いこともあるだろう。君も戦争はしたくないのだし、私闘だからこそ私とリティアが介入できる」
シーファ自身もだが、彼の弟子、リティアは“アルティスの秘石”という、歴史に名を残しているほどの強大な魔力の持ち主だ。だからこそ一つの国家で所有することを良しとしない。彼らを欲しがって他国から次々と戦争を仕掛けられては困るからだ。その存在はできる限り隠され、明るみになったときのために、二人は国に仕える魔導師ではなく、完全に自由な魔導士として存在している。
『シーファがラセイン王子の親友だから、セインティア国内の揉め事に度々手を貸しているに過ぎず、彼らは国の為に働く存在ではない』……という体裁を取り繕っているために、国家間の戦争には手が出せないのだ。
ちなみにシーファは宮廷魔導師にと望まれるほどの実力者であり、国家所属になれば大出世が約束されているが、この事情以前に彼には全くその気はないらしい。
というわけで『誘拐された二人は大魔導士と弟子の友人』であることと、『喧嘩を売られた友人への加勢』という建前で、堂々と彼らが手を貸してくれることにはなったのだが。
銀の大魔導士は大事な恋人兼弟子が救出チームに加わるのには難色を示した。シーファは魔法陣を描くのを弟子に手伝わせていたが、リティアの横顔を眺めながら静かに口を開く。
「ドフェーロの皇帝は月の女神しか見えていないとはいえ、多くの魔導師や魔物達にとってお前は極上の獲物だ。お前が行く必要は無いのだぞ」
師の言葉にリティアはふと顔を上げた。手は止めずに、にこりと微笑む。
「必要ならありますよ。ディアナさんもラセイン王子も私の大事なお友達だし、お師匠様にも大切な人でしょう?私だって二人を守りたいんです。それに──」
魔法陣からふわりと散った光が、彼女を照らした。いつもは可愛らしい顔に、ふと女性らしい艶がかすめて、師はつい目が離せなくなる。
「シーファが戦うなら、私に背中を守らせて下さい。私はあなたの弟子で──恋人なんですから」
少女の言葉に、シーファは真顔で呟いた。
「リティア、キスしていいか」
「今したら、秘石出ちゃうからダメです。余計な魔力使わせないで下さい」
「それは私を好きで好きで仕方ないと言っているのか」
「……お師匠様、恥ずかしいです」
周りも気にせず始まった二人のやりとりに、アランは突っ込みたくて仕方ないといった顔をし、空気を読んだセイに口を塞がれていた。その隣で思わず顔を赤くしながら聞いていたディアナだったが、リティアの幸せそうな笑顔に、緊張していた心を緩められて。セイがそれに気づいて言った。
「感謝していますよ、シーファ。リティアさんも」
実際には並々ならぬ絆で結ばれている魔導士たちと、セインティア王国の面々は微笑み合って。その間にリティアがストロベリーブラウンの髪を揺らして、最後の一節を描き終えた。
「お師匠様、準備完了です!」
「では。──お仕置きタイムだ、馬鹿者め!」
銀の魔導士の発動呪文が高らかに唱えられる。
──失われし暁の国へと。
*
二度目の変換転移魔法は、慣れたのか前回よりも負担が少なかった──だからこそ、異変に気付いたのは早かった。
「──シーファ!」
「チッ、割り込まれた」
溢れる光の中、セイの放った警告は銀の魔導士の舌打ちと同時で。ディアナは転移魔法を握りつぶすような黒い手の幻を見る。
「全員固まれ、分散させる気だ!」
魔導士の声に自分を抱き締めるセイの腕を感じて、女神はそれにしがみついた。
「ディアナ!」
「イール!」
相棒の声に応えかけて──途端に光が消え失せた。
**
転移魔法に無理矢理に割り込んだ魔法の波動に、アレイルは覚えがあった。だからそれを逆に辿って、一人で術者の前に降り立つ。
「久方ぶりだな、アレイル。元気そうだ」
朱金の髪に、尖った耳。今は深い色のローブに身を包むハーフエルフの青年。アレイルに酷似した姿だが、魔物の色が濃く現れた赤い瞳を持つ彼。弟を逃がしてはくれたが、自身は皇帝の傍に留まった、かつてはアレイルの分身のようだった兄。
「お前も、リエイル」
今やラセイン王子の臣下となり、ディアナの護衛魔導士であるアレイルの姿を見て、兄は赤い瞳を細めた。
その顔を見れば、嫌でも兄弟の絆を感じる。兄が今もなお自分を想っていてくれることを感じる──アレイルがそうであるように。
「リエイル、今もこちらに来る気は無いか?いつか皇帝はお前を捨て駒にする。俺のように。俺はお前を失いたくない」
無理だと知りながら、それでも言わずに居られないアレイルの説得に、リエイルは口元を歪めて笑う。
「たとえそうなっても、皇帝陛下にお仕えすると決めた。死にかけた我らを拾い、生かしてくれたのは確かにあの方なのだから。アレイル、お前こそ陛下の邪魔をするなら我らは敵同士だ」
その手に火球を生み出して、見せつけるようにアレイルへと差し出す兄に。ハーフエルフは一度強く瞳を閉じた。
「──そうか」
双子のように。いつも傍に居た片割れ。同じものを見ていたはずだった。けれど今はもう、見ている未来は違う。
どんなに想い合っていても、重ならない。
ごめん、リエイル。もう俺は破滅への道は歩けない。月の女神に出逢ってしまったから。
アレイルは金色の瞳を開いた。兄とは違う、その色を。
「なら、戦うしかない。俺はセインティア王国次期王妃の護衛魔導士だ」
***
「お仕置きタイムだ、馬鹿者め!──我が力を阻むものを排せ!」
「──陣は理。あるべき姿へ戻れ!」
師の発動呪文に続けて、リティアは咄嗟に魔法を唱えた。転移魔法に介入した呪文は、魔法陣を分断して、全員をバラバラの場所に転移させる魔法だ。それをシーファが弾き返したのを感じて、リティアは少しでも全員が離れないように、魔法陣を固め直す。
そうして光が治まった時、見慣れぬ石の床に降り立ったのは、シーファとリティアのみだったが、少なくとも全員がリンデルファ城内に無事に転移したはずだ。
「お師匠様、私達だけですか」
「……いや」
弟子の問いかけに振り返ったシーファは、その肩に白い鳥を乗せていた。リティアは目を見開く。
「イール?ディアナさんと一緒じゃ」
「ないよ!どーしてボクがキラッキラ変態魔導士と一緒なの?どうせならディアナのところに飛ばしてよ」
あからさまに不機嫌な彼に、リティアは苦笑しかけて。奥を見てハッと目を見開いた。
崩れかけた壁の先。亜麻色の髪の青年が、小さな少女を抱えて座り込んでいるのを見つけて。
「リルディカ!レイトさん!」
駆け寄った彼女に、レイトが顔を上げた。彼らを救出しにきた魔導士達と気付いて、シーファに縋るように腕の中を示す。
「頼む、助けてやってくれ!皇帝に魔力を吸い取られて、もう──」
リルディカの髪が短くなっているのを見て、リティアは息を吞んだ。魔導士である彼女は、その重大さを知っている。長い髪は強い魔力そのものだ。これほど失っているのなら、リルディカの魔力はほぼカラになっているのだろう。
そして今の彼女は、魔力が命そのものだ。
イールがリルディカの傍に降り立ち、息も絶え絶えの彼女を見つめて羽を広げた。
「リルディカ、頑張って。君を死なせたらディアナが哀しむ」
シーファはリルディカの様子を診て、リティアを振り返る。弟子にしっかりと視線を合わせた。
「リルディカを引き留めろ。何としてでも。できるな?」
戸惑う暇など与えない、疑問符はついていても彼女が頷くと信じての師の言葉に、リティアは頷いてみせる。
「必ず」
弟子の答えに満足げに微笑んだ銀の魔導士は、すかさず彼女の頬を引き寄せて唇を重ねた。石牢にパアッと虹色の光が溢れ、リティアの胸元にアルティスの秘石が現れる。秘石が出てもなお、名残惜しむように少々長めに触れていた唇を離して、シーファは立ち上がった。
彼が白い杖を石牢の入口に向けると同時に、数十人の兵士がなだれ込んで来て、剣を抜いたドフェーロ兵と杖を構えた皇国の魔導師が彼らを取り囲む。
銀の魔導士はそれを見渡して、不敵に笑った。
「私を誰だと思っている。我が名は大魔導士シーファ。私の道を阻む者は──全員まとめてブッ飛ばす」
「リルディカを頼む」
銀の魔導士の臨戦態勢にレイトもまた、リルディカをリティアに預けて立ち上がった。ベルトに引っ掛けていたゴーグルを装着して、手早く魔弾銃に銃弾を込める。
「弾は?」
「このくらいなら楽勝」
シーファと短い言葉を交わして頷くと、彼の隣で魔弾銃を構えた。
「キラッキラ。ボクの中のクレスを引き出せる?」
イールがばさりと翼を広げて、銀の魔導士へ問う。彼はブルーサファイアの瞳を面白そうに煌めかせて、「その手があったか」などと呟いた。シーファがその手に光を生み出してイールに触れると、白い鳥は光に包まれて形を変えていく──黒い髪に紫水晶の瞳を持つ、穏やかな色を浮かべた魔導士の青年の姿に。 うっすらと光を纏う姿は幻影なのか、微かに揺らめいている。
ディアナによく似た、神聖なほどに美しい存在感と、彼女よりも強く篭る魔法力。生きていれば間違いなく高位の魔導師になったであろう彼の力に、シーファは敬意を示して略式ではない呪文を口に乗せ、少しでも長く続くようにとその魔法を掛けた。
「一時的に具現化しただけだからな、あまり長くは持たないが」
シーファの言葉に、イールだった青年──クレスは微笑む。白い鳥の時の口調や顔つきではない、ディアナの兄のそれで。
「雑魚共の相手には充分だよ。それに──イールじゃない僕をディアナには見せられないしね」
もうクレスの意識は深い底に沈めたはずだった。イールとしてディアナを見守っていくつもりなのだから。
けれど。今だけは。
「巫女、君を助けたい。まだ君には希望があると見せてやりたい。きっとディアナが君にくれるから」
銀の魔導士の弟子は、戦いが始まった音を聞きながら、それでもそちらから意識を引きはがして集中する。
彼女の師は破壊神の名を欲しいままにしている大魔導士だ。それにレイトも、クレスも強い。心配などしなくて良い。私は、私の役目を果たすだけだ。
小さな巫女に手をかざして、リティアは目を閉じた。アルティスの秘石から溢れた光が、彼女達を包んでいく。
「必ず助ける。だから逝かないで、リルディカ。あなたは暁の巫女でしょう。闇を乗り越えて、光を連れてきて」




