悪夢の再来
レイトの思惑通り、すぐにアランによって魔法の発動が感知され、二人の誘拐が明るみになると同時に、最高レベルの警戒態勢がとられて数刻。セイの謁見室は、彼とセアラ姫、アラン、ディアナ、イール、アレイル、そしてシーファとリティアまでが揃っていた。
「リルディカさんとレイトが囚われました。巫女の力を繋がりに、強制召喚をされたようで」
アランの口調は淡々としているが、その顔色は悪い。アレイルが彼の隣で同じような表情をして口を開いた。
「──リエイルの力だ」
ハーフエルフの兄の名を告げる彼に、シーファが溜息をつく。
「確かに、人間の魔導士には考えもしないやり方だな」
言外に警備の不備ではないと、珍しくアランを庇うような彼の言葉にも、近衛騎士の顔は晴れなかった。
「申し訳ありません、ラセイン様、ディアナ様」
臣下として謝罪する彼に、ディアナは慌てて声を掛ける。
「アランさんのせいじゃないわ。誰にも予測できなかったことよ。リルディカ自身にだって」
アランは王太子宮の警備主任でもある。だからこそ、この失態は身に堪えたに違いない。けれどこればかりは、彼の落ち度ではなく、誰も彼を責められなかった──本人以外は。
本来ならセインティア王宮の魔法の守りは万全だ。だからこそ警護対象を全員王宮に集めたのだ。
原因があるとするなら、リルディカの存在だった。リルディカの異国の巫女の力は、異質だ。そして彼女の存在さえも精霊に近い性質を持っている。セインティア王宮の精霊達が彼女を“仲間”と見なしたように、リエイルは彼女の力を引き寄せて、リルディカを人間として転移させるのではなく、精霊として召喚したのだ。
侵入者に対しては鉄壁の防御を誇る魔法大国の城だが、まさかこんな形で中から引きずり出されるとは思ってもみなかった。
「まさか本物の精霊みたいに、使い魔として契約させられたりはしないよね?」
イールが恐る恐るアレイルに問う。ハーフエルフは首を横に振った。
「さすがに意志を持つ人間を使い魔にはできないが──巫女を従わせる方法ならいくらでもあるだろう。キャロッド大公になぜ彼女が従っていたか思い出してみろ」
リルディカの愛するレイトは、彼女と一緒に飛ばされたのだ。彼を護る為なら、巫女は皇帝に頭を下げることも厭わないだろう。そして今ではレイトにも同じことが言える。
シーファが青い瞳を一同に向けて、考え込みながら口を開いた。
「だが巫女を攫って、皇帝は何をするつもりなのだ?ディアナの心情はともかくとして、青の聖国に対する人質としては弱いだろう」
預かっているとはいえ、リルディカとレイトは他国の人間だ。たとえディアナやセイ個人が彼女を助けたいと思っていても、青の聖国としては世継ぎの王子やその婚約者と引き換えに出来る存在ではない。
彼女が操っていた四属性の魔竜はもう居ない。ヴァイスがリルディカの魔力を必要としたのは、彼自身に魔力が無かったからだが、ドフェーロの皇帝は違う。
壊れかけた巫女に、何の利用価値を見いだしたのだろうか。
「どちらにしろ、居る場所は分かっています。ここにいる全員にあらかじめ追尾魔法を仕掛けておきましたから、魔竜の時と同じように転移すれば良いだけです。……が」
セイはそこで言葉を切った。彼の葛藤に気付いたディアナは、いち早く顔を上げる。
「私は、行くわ」
「ディアナ……」
皇帝を恐れて怯えていた彼女の姿を思い出したのか、王子は眉を顰めた。けれど女神はまっすぐに見つめ返す。
「あの人と決着をつけなくちゃ、私は前に進めない」
今度はセイは黙って彼女を引き寄せ、その腕に抱き締めた。ディアナの微かな震えに気づいて、いつもより少し強く。そして強い視線を感じて、アクアマリンの瞳を近衛騎士へと移した。
「──今度こそ、俺をお連れ下さいますよね?我が君」
アランは当然のようにそう言って、主の言葉を待つ。セイは穏やかな瞳でそれを見つめて。
「ドフェーロの皇帝は卑劣な手を使う。僕の大事な者を害して揺さぶりをかけることもするだろう。僕の最優先はディアナだが──お前には姉上を護って欲しいんだがな」
主君の言葉に、近衛騎士は目を伏せた。王子の大事な姉姫は、彼の婚約者でもある。もちろん傍に居たい。が──
「……俺は、あなたの近衛騎士です」
あの日の傷は、ディアナだけではない。アランの心にも巣食っている。
主君の傍に居られずに、ただ危険を見ているしかできなかったあの悔しさを。
「あらわたくし、自分の身は自分で護れますわ」
セアラ姫が扇を手にそう言い放って、アランは彼女を心から抱き締めたい衝動に駆られた。彼の気持ちに気付いたかのように、セアラ姫は深く微笑んでみせる。彼の最愛の金の薔薇はいつだって、こうして背中を押してくれるのだ。それに応えたい。だから彼はまっすぐに立って、王子へ向き直る。
「だそうです。俺もお連れ下さい」
けれどセイは目元をわずかに緩めた。
「お前も駒にされる可能性があると言っているんだ。だからここに残って欲しい気もするが」
「へ?」
アランは目を見開いて聞き返す。その意味を思い当たって──思わず顔が赤くなるのを押さえられなかった。
つまり、姉姫だけでなく、兄代わりの幼馴染であるアランもまた、王子にとって人質にされる危険があるほど大事な存在だということで──。
「ず、ずるいですよ!こんなときばっかりデレやがるとは、この策士!」
「おや、効かないか」
「効きまくりですけど!デレが可愛いのはセアラ様だけで充分です……じゃなかった、絶対に足手まといにはなりません!!」
「頬を染めるな、アラン。気持ち悪い」
「あら、わたくしの立場が無いわ。アランたら、わたくしよりラセインに甘いんじゃなくて?」
主従二人のやり取りに、銀の魔導士と姉姫が冷静に突っ込むが、アランはシーファへクッションを投げつけ、婚約者へはこめかみに素早くキスをするに留める。改めて主に騎士の礼をとった。
近衛騎士になったときから、心は決めている。そして今は、アランが忠誠を誓う主はラセイン王子だけではない。
「御身を御護り致します、我が君──新しき我が主、月の女神」
ディアナとセイは顔を見合わせて。その手をしっかりと絡め繋いだ。
**
「っつ……」
レイトはゆっくりと目を開いた。
仄暗い部屋の中。石床に倒れていたことに気づき、痛む身体を起こす──と、その腕に薄紫色の髪の巫女が居ないことに気づき、ハッと辺りを見回して気付いた。
「ここ……リンデルファ……?」
崩れかけた石牢の壁の紋章、特徴のある扉の装飾、滅亡し朽ち果てていても、そこは懐かしき故郷の城で。見覚えのあるものを目にしてしまえば、一気に記憶が蘇った。
ヴァイスに滅ぼされてから、人ひとり居ないこの城の牢は、人を閉じ込めておけるような場所では無くなっていたはずだ──唯一、今レイトの足に嵌められている足枷以外は。
足枷は重厚な鎖で石の壁に繋がれていた。鎖は牢の中を歩き回れるほどの長さはあるものの、簡単に壊せそうもない。その先を視線で辿ると、小さな少女の姿がそこにあった。
「リルディカ!」
駆け寄ってその息を確かめる。幸いにも彼女は気を失っていただけのようだ。レイトの呼びかけにうっすらと瞳を開けた。
「レイト、無事……?」
巫女は彼の安否を問い──大きく目を見開く。レイトと同じく、この場所がどこなのか気付いたのだろう。
「どうして、リンデルファに」
「そなたの力を引き出すならここだろう?」
リルディカを捕らえた闇、その人の声が響き渡った。
二人が顔を上げると、荒れた石牢の入り口に、男が立っている。漆黒の鎧に、漆黒の髪、がっちりとした体躯の、けれど端正な顔立ちの男。彼の後ろには数人の兵士と朱金の髪のエルフが控えていて、レイトはそちらを見て息を吞んだ。
「アレイルに良く似たハーフエルフ……あいつの兄か。ではそちらがドフェーロの皇帝?」
リエイルはアレイルの名を聞いて、ピクリと尖った耳を動かす。が、表情には何の感情も浮かべること無く、皇帝へと頭を下げた。
「申し訳ありません、余計な者まで召喚してしまいました」
皇帝は口元を歪めて笑う。
「良い。玩具は多いほど楽しめる」
「オモチャに痛い目に遭わされることもあるぜ?」
オモチャ扱いされたレイトは、手元の魔弾銃を回転させて構えた。何故かその武器は取り上げられること無く、彼の手に握られたままだったのだ。レイトの指でかちりと安全装置が外される音が響くが、皇帝は動じない。
彼が訝しげに眉を上げた瞬間──
「レイトッ!」
“ダァンッ!!”
リルディカの悲鳴混じりの声、派手な音と共にレイトの頬に衝撃が走った。
焼け付くような痛みは一瞬で、皇帝の手に握られた魔弾銃から発射された弾丸が、自分の頬をかすめたのだと知る。チリリと残る熱さは炎魔法を纏った弾丸だったのか、壁に灼けた痕を残して消えた。それを認識して彼は目を剥く。
「──な」
「キャロッド大公の厚意でな。早速使わせてもらっている。複製を造るのも造作も無いことだった」
無理矢理に侵略して奪ったことなど棚に上げて、皇帝は楽しげに手の中の魔弾銃を弄んだ。その後ろに控える兵士達にも同じ武器が握られているのを見て、レイトとリルディカは息を吞む。
「青の王子はどの銃弾が好みであろうな。あの綺麗な顔が苦痛と血に染まるのはさぞ美しいだろう。この魔弾をぶち込んでやるのが楽しみで仕方ない」
皇帝の嘲いに、二人はぞくりと背筋が凍った。レイトがぬめる頬の血を拭って、彼を伺うようにそっと問う。
「ヴァイス大公から奪った設計図で、量産したのか。本物と同じように?」
レイトの問いに、皇帝は頷いた。
「ここにいるリエイルが、完璧に。お前達の機械技術も魔法技術も、設計図さえあれば複製など簡単なことだ。まあ材料や魔法のこともあって、今はここにいる兵士分の十数丁のみだが、乗り込んでくるセインティアの奴らなどこれで充分」
リエイルは目を伏せて、無言でそれを肯定する。皇帝は黒い瞳を巫女に向けた。それに赤い光が混じるのを見て、リルディカは小さく悲鳴を上げる。皇帝は彼女に囁くように言葉を継いだ。
「お前の力は多いに利用できる。月の女神を我の手に──そしてあの美しき戦いの女神の命を啜り、永遠に我のものに」
狂っている。
リルディカは青ざめた顔で皇帝を見つめる。
恐ろしく獰猛で、知略に長けた争乱の国の皇帝。けれど女神のことを口にするときの彼は、どう見てもまともではない。だいたいなぜ皇国の最高権力者が自らここにいるのだ。
彼女もレイトも、アレイルがセインティア王国に身を寄せている事情を聞いていた。傍にいるリエイルはこれで良いのか。ハーフエルフを見ても、無表情で佇む姿にその思いは窺い知れない。
「失われしリンデルファの王女。肉体の時を狂わせる巫女。その力を寄越せ」
皇帝の言葉と共に。
背後のハーフエルフが呪文を唱え始め──リルディカの身体を赤い光が覆った。
「──ッ、ああああぁッ!」
根こそぎ魔力を奪い取られる感覚は、ヴァイスのそれよりも強く、慈悲の欠片も無くリルディカを追いつめていく。
嫌だ、もうこの身体を退行させたりはしない。
巫女の力を奪わせまいと、リルディカは懸命に崩れそうになる身体を保つ。滲んだ視界で、レイトへと手を伸ばした。今度こそ求める相手を見失ったりしない。けれど──
「レイ、ト」
「リルディカ!」
彼の切羽詰まった声。レイトが彼女の手を掴んで、小さな身体をその胸に抱き締める。
「きゃあぁぁあ!──っ」
奪われていく、チカラ。なす術もなく、リルディカはただ悲鳴をあげつづけて──。
魔力の源の一つである巫女の薄紫色の長い髪が、先から光の粒になって消滅し、腰まであったそれは一気に肩まで短くなった。両手の爪は全てひび割れ、悲鳴を上げていた喉からは声が消え、瞳は焦点を失う。
「リルディカ──!!」
彼女を抱き締めたレイトの叫びが、石牢に響き渡った──。




