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暁の巫女 -月の女神2-  作者: 実月アヤ
第二章 暁の巫女
16/66

夢の続き

「君の気持ちは?」


 彼が屈んで、彼女の顔を覗き込んだのを感じる。けれど今にも溢れそうな涙を堪えるのに精一杯で、リルディカは硬く閉じた瞼を上げることができない。

 目を開けば、きっとあの表情があるはずだ。前には確かにリルディカのものだった、甘くて柔らかな、恋の熱を浮かべたあの──。

 震える彼女のすぐ傍で、彼の甘やかな声が囁いた。


「君の気持ちを聞かせて。答えて欲しい。



──リルディカ」



「──え?」


 耳に届いた名に、彼女は反射的に顔を上げる。


 今、レイトは、なんて……?


 涙に濡れたままの瞳で見上げれば、ブルーグリーンの瞳には確かにマリアベルの姿が映っているのに。レイトは少しだけ困ったように笑った。


「君だろ、リルディカ。俺を思いやってくれる言葉も、落ち込んでる時に慰めてくれる触れ方も、昔と変わらない。最初はまさかと思ったけど──すぐ気付いた」


 肩に置かれたままの両手にわずかに力が篭って。レイトはリルディカを抱き寄せた。


「どうしてそんな姿なのかは知らないけど──もう俺は間違わないよ。君はリルディカだ」

「レイト……」


 その言葉は、暗闇に沈むリルディカを、一気に引きずり出してくれる。震える手で、彼女を抱き締める彼の背に手を回した。レイトはリルディカにそっと告げる。


「どんな姿だってリルディカ自身なら構わない。だけどそれは他人の身体なんだろう?」


 マリアベルという侍女が実在していることをレイトは知っていた。今まで話したことはなかったが。しかし、美人だとは思っても、今まで特別に彼女を気にしたことなどなかったのだ。なのにマリアベルと話せば話すほど、彼女がリルディカにしか見えなくなり──今ではもう確信していた。


「馬鹿みたいに自分に言い聞かせてた。リルディカは以前とは違う、もう恋愛感情なんか無いって。でも、わかった。姿を変えても君は君で、俺は何度だって君に惹かれてる。俺はやっと自分の気持ちを認められたんだ。幼女趣味と言われようが構わないし、大人の姿になるまで何年待っても良い。他の誰でもない、君がいい」

「レイト……」

「君はどう?……俺を信じてくれないか、リルディカ」


 リルディカの溢れる涙を拭って、レイトは彼女の手を引いた。寝台に眠るリルディカの前に彼女と並んで立つ。あどけない少女の顔を見下ろして、苦笑した。


「……元の身体になってくれなくちゃ、抱き締めても罪悪感ばかりだよ。おとぎ話なら、王子様のキスで姫君は目覚めるものだけど」


 マリアベルと手を繋いだまま、レイトは眠るリルディカの額にキスを落とす。


「還って来い、リルディカ。本当の君と、新しく始めたい」



 レイトの報告を聞いて、セイとディアナ、アラン、イールが客間に駆けつけた。

 ディアナは、マリアベルの姿のリルディカを見て息を吞んで。それから眠る彼女へと目を向けた。


「リルディカ……」

「元の身体に戻りたいんです。レイトが望んでくれた元の私に」


 リルディカは微笑んで、その表情にディアナはセイとイールと顔を見合わせて頬を緩める。セイの後ろに控えていたアランがレイトを見て頷いた。


「そう。……それがいいわ」


 ディアナがそう言って笑うと、扉が開いてアレイルが入って来る。その手に金色の杯が握られているのを見て、リルディカがあっと声を上げた。それはまさに、彼女があの部屋で触れてしまった“転換の聖杯”だったのだ。


「精霊達が混乱してる。未完成の魔法を発動させて反動を喰らったみたいだ」


 アレイルの言葉に皆がそれを覗き込むが、杯の中に金色の光が渦巻いて、バラバラになってはまた渦を巻く、を繰り返している。


「これってちゃんと発動するの?」


 イールが疑わしげに言うが、リルディカはそれを受け取った。精霊達は彼女の弱さに応えたのだ。呼びかけるのは自分でなければならないと思って。


「精霊達、お願い。私を元に戻して」


『元に、元に』

『駄目だよ、また無くしてしまう』

『違う、巫女の身体に──』


 光の渦は膨れ上がり、もはや杯から溢れそうになった瞬間──


「──っ!」


 リルディカはグイッと自分を引っ張るような力を感じて目を閉じる。遠くなる意識の向こうに、薄紫の光が見えた。


『元に、あるべき姿に』


 ひどく乱れた魔法の気配が彼女から離れて、倒れかけたマリアベルの身体をディアナが、そして彼女ごとセイが支える。同時に寝台の上のリルディカの瞼が震え、指先がぴくりと動いた。

 しかしマリアベルの手から離れた聖杯は、空中に留まったままその金色の光が杯から溢れかけて──


「マズい、暴走する……アレイル!」


 アランの声に、ハーフエルフは聖杯に手を伸ばした。が、弾かれて壁に叩き付けられる。


「うわッ!」

「アレイル!」


 ディアナが咄嗟に聖杯へと手を伸ばした。セイが鋭い声で彼女を呼んでそれを止める。


「駄目です、ディアナ!」

「だって、このままじゃ」


 波打つ光が、まさに溢れそうになった瞬間──



「邪魔するぞ」


 盛大な音を立てて扉が開き、銀色の髪の大魔導士がそこに居た。

 ずかずかと遠慮なく部屋に入って来ながら、その白い杖を手の中で滑らせて下方を掴む。流れるように彼がそれを両手で持って身体の後ろに振りかぶったのを見て、アランがハッと顔を強ばらせた。


「ちょ、ちょっと待てシーファ……!!」

「せーのッ」


 シーファは全く躊躇もせずに、白い杖で空中の聖杯を──思いっきり打った。


“──カッコーン!!!”


派手な音がして、聖杯は吹っ飛び、開いていた窓の外へと投げ出されていく──だけでは済まずに、遥か彼方の空へと飛んでいった。キラリと光る星になった呪いの宝物に、一同は茫然としたまま。


「「何やってるんだお前はぁぁ!?」」


 我に返ったアランとアレイルが目を剥いて叫んだ。美貌の魔導士は、額に手をかざして、己の成果を眺めて一言。


「ああ、良く飛んだな。よし」

「じゃねぇぇ!!」


 近衛騎士は悪友に掴み掛かって、がくがくとその首を揺する。


「シーファ!!お前は魔導士のくせになんだってそう力技なんだああああ!!」

「だって暴走すると困るだろう。片っ端から転換されるぞ。とりあえずそこの巫女から離せば落ち着くと思ってな」

「あれ王家の宝物!国家の財産の一つ!い~いスイングかましやがってこの野郎!!やり切った感を味わうな!!」


 血相換えて怒鳴るアランに、慌ててディアナが駆け寄った。両手でそれを止める。


「ア、アランさん、やめてあげて。シーファのおかげで助かったんだし」

「甘やかしちゃ駄目です!この不良魔導士は一度きっちりシメておかないと……」


 なんだか論点がズレてきた彼を宥めていると、セイが近寄ってきてアランの襟首を掴んで魔導士から引きはがした。ポンポンとその背を叩いて落ち着かせながら、シーファへ問う。


「外へ出して、影響は?」

「あれに結界を張って、しばらく普通の者には見えなくしておいた。まあ呪いの宝なのだし、早めに回収するに越したことは無いな」


 アランに崩された身なりを整えて、彼はそう答えて不敵に微笑んだ。それに苦笑しながら、王子は頷く。


「ではそうします。ありがとう、シーファ。助かりました」


 主が礼を述べた以上、アランにはもう彼を責めることができない。悔しげに「くそう、この歩くフリーダムめ!」などと悪態をつくのみで終わらせた。

 ひとまずの危機は去ったところで、ディアナは寝台のリルディカを振り返る。マリアベルはじきに目を覚ますだろうとイールが言っていたから、そちらは他の侍女に任せた。


 リルディカの薄紫色の瞳が開かれ、ゆっくりと視線が流れる。月の女神、王子──そして愛しい人へ。


「レイト」


 さらさらと溢れる薄紫の髪を揺らして起き上がれば、彼が支えてくれた。間近に見るブルーグリーンの瞳は、安堵の色を浮かべていて。


「おかえり、リルディカ」


 寄り添う二人に、ディアナは柔らかな微笑みを向ける。魔法の残滓にキラキラと輝くリルディカの髪を見つめて、口を開いた。


「リルディカ、あなたの髪と瞳は、夜明けの空の色ね。長い夜を終わらせて、朝を連れてくる光の色よ。──暁の巫女」


 月の女神の言葉に、リルディカは潤んだ瞳を向けて。

 暁の国リンデルファはもう無いけれど、王女であったリルディカにその証は残されている。全て無くしたと思っていたけれど、本当は──。

 彼女を支えるレイトを見上げれば、彼は微笑んだ。それが愛おしくて、リルディカは微笑み返す──溢れた涙に構わずに。



 いつも通り、リルディカを待っていたユオは、店のガラス扉を押し開けて入ってきた薄紫色の髪の少女を見て、慌ただしく奥から出てきた。けれどいつもとは違う変化に目を見開く。リルディカは一人ではなかったのだ。亜麻色の髪に、サングラスをかけていても分かる端正な甘い顔立ちの青年──レイトと一緒だった。彼は騎士団の団服ではなく、シャツの上にジャケットを羽織っているだけの私服姿だ。非番なのだろう。もちろんユオは知らないことだが──その上着の下には魔弾銃の入ったホルスターが下げられてはいるのだが。

 パンを選んでレジで代金を差し出した少女に、受け取りながら話しかける。


「今日は兄さんと一緒なんだ?珍しいな」


 リルディカは花が綻ぶように、ふんわりと微笑んだ。嬉しそうに、幸せそうに。それに見惚れて、ユオはお釣りを落としかける。少年の手のひらから滑り落ちた硬貨を、床に落ちる前に受け止めたのはレイトだった。不機嫌そうに彼を眺めて、ぼそりと呟く。


「俺はリルディカの兄じゃない」


 その視線につい怯んでしまったユオが我に返った時には、二人はもう店の外に出ていた。あの視線はどういう意味だろう、と考えかけて、手の中に硬貨が一枚残っているのに気付く。


「あ、しまった。お釣り」


 慌ててリルディカを追って扉を開け、外に出た。彼らの背中はすぐに見つかった。というのも、レイトが若い女に呼び止められていたからだ。近づくと、予想通りの会話が聞こえてくる。


「ねえ、いいでしょう?うちに行きましょうよ」


 艶めいた瞳で見上げる女が、甘ったるい声でレイトの腕をとろうとして、彼は軽くそれを手で押しとどめた。冷静な声で否を告げる。


「悪いけど。本命が大事だから、もう誰の誘いも受けない」


 彼の言葉に女は笑った。まったく信じていない様子で。


「子供のお守りはしてるのに?まさかそれともそのおちびちゃんが本命だなんて言わないわよね」


 レイトは隣に立つ幼い少女を見る。彼女は無表情を貫いているが、その手は彼の上着の裾を握りしめていた。

 リルディカの様子に、青年はふっと微笑んでサングラスを外す。ブルーグリーンの、艶と熱を込めた瞳で少女を見下ろした。


「そうだよ?彼女が俺の一番大事な女」

「はあ!?」


 女が素っ頓狂な声を上げた。ユオも同じ気分だ。

 確かこの男はしばらく前までとっかえひっかえ女を連れ歩いていた。どれも美人で色っぽい雰囲気の大人の女だ。この女と同じく。リルディカのような幼い少女に傾倒するような性癖ではないはずなのだ。

 何を言っているんだ、という目で女は彼を見る。どうやら体よく断られているのだと思ったのか。


「何言ってるのよ。そんなの誰が信じるって──」


「レイト」


 焦れたリルディカが無表情で彼を呼んだ。その小さな手をすっと差し出す。薄紫の長い睫毛に彩られた瞳が、子供らしからぬ艶めいた色を浮かべて──リルディカは傲然と顎を上げた。

 レイトはますます微笑みを深め、少女の手を取って、彼女の前に跪く。艶めいた笑みを浮かべながら、その甲に唇を落とした。


「……愛しい、我が巫女姫」


 幼い少女に隷属するような青年の姿に、ユオは絶句し、女は目を見開いた。


「ばっかじゃないの、このロリコン!」


 吐き捨てると、彼女は去っていく。それを見届けて、レイトは苦笑しながら立ち上がった。リルディカを見て吹き出す。


「すっげえ女王様っぷりだったな」

「……中身20歳を舐めないで。いちいちめそめそ泣いたりしないわ」

「リルディカ……ご」

「謝ったりしたら、ひっぱたくわ」


 昔のような、無垢で純粋で傲慢で強気な姫君のように振る舞う言葉の向こうに、けれど瞳を潤ませる彼女が居た。レイトはリルディカを抱き上げて、その顔を覗き込む。


「これからは君が俺を独占するんだ。俺がそうするように」

「私、こんな姿なのよ。色気も無いし、レイトの好みとは違うわ……まあ、前からだけど」


 リルディカは口を尖らせて呟いた。レイトは声をあげて笑う。それが治まった後は、ひどく優しい顔で言った。


「いつまででも待ってる。それに、その姿だって、キスしたくなるくらいには可愛い」


 少女は真っ赤に染まった頬で微笑みを返して。抱き上げられてやっと目の前に来た彼の唇に、自分のそれを一瞬だけ押し当てた。レイトの驚いた顔が彼女を呼ぶ。


「……リルディカ」

「こんな子供にあなたからキスしたら、犯罪よ。だから、私から」


 真っ赤になって小さな声で落とされたリルディカのその言葉に、彼は微笑んで──目を閉じた。


「そうだな。じゃあ、もう一度してくれるように、巫女姫に祈るよ」



 一部始終を目撃したユオは完全なる失恋を突きつけられ、落胆していたのだが、二人の目には入っていない。

 もう一度、唇に触れた幸せな温もりに、リルディカは浸っていた。



 だから──考えたくはなかった。

 この身体がいつまで持つのか。大人の姿になれる日が来るのか。



 今はただ、レイトの温もりだけを。

 ひび割れた爪で、逃さぬようにしっかりと彼にしがみついていた──。






第二章「暁の巫女」end.

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