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暁の巫女 -月の女神2-  作者: 実月アヤ
第一章 裏切りの巫女
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それぞれの夜明け

 *

 転移魔法の光が消えた瞬間、彼らを迎えたのは、アクアマリンの瞳と金の豪奢な巻き毛の絶世の美女。聖国の金の薔薇と呼ばれる、王子の姉姫だった。


「おかえりなさい」


 悠然と微笑むそれは、まさに大輪の薔薇で。けれど弟王子よりも先に、彼女が目に映したのは──王子の近衛騎士だ。彼もまた、王女を見つめている。いつもならば目を伏せて、騎士の礼をする筈が──。


「……セアライリア」


 アランがそう呼びかけると、彼女は目を見開いて、何かを問うようにちらりと弟を見た。セイは姉に頷いて、側近に命じる。


「アラン、姉上に報告を」

「──は」


 アランはセアラ姫と共に転移門の部屋を出て、彼女の私室に移る。

 二人で部屋に入り、侍女を下がらせて扉を閉めた瞬間──彼は目の前の婚約者を抱きしめた。姫君はただそれを受け入れる。


「……主に気を遣われるなんて、困った従者ですね、俺は」

「あなたがラセインの前で、わたくしの名を呼ぶのは珍しいもの」


 彼が姫君の正式な名──セアライリアと呼ぶのは、婚約者としてのごくプライベートな時だけだ。普段アランは主であるセイへの配慮として彼女をセアラ様、と呼んでいる。主の前で、彼が姉姫の恋人としての姿を見せるのは、うっかりかふざけてでもない限り滅多にない事なのだ。


「……それほど異国の魔法は辛かったの?」


 愛おしい婚約者を目にして、気が緩んでしまうほどに。アランは彼女の肩に乗せていた顔を上げて答える。


「……帰りはそれほどでも。ちゃんと正式な術式に乗っ取った転移魔法でしたし」


 キャロッド公国に向かう際の、追跡魔法をねじ曲げた転移魔法を感知した時のような酷い状態にはならなかった。けれど──あれを思い出して、思わずじわりと嫌な汗が滲んだのは否めない。

 アランは自らを情けなく笑って、せめてそんな顔を見せぬようにとセアラ姫を抱きすくめる。


「大丈夫。あなたに触れていれば、すぐに元気になるから」


 彼の言葉に、姫君は薔薇が綻ぶように笑った。


「だからこそラセインが気を利かせて、早々に二人きりにしてくれたんでしょう。全く、困った義兄君ね」


 その言葉の割に、セアラ姫はとても楽しそうに、嬉しそうに彼の背中へと手を回す。


「わたくしがあなたの帰る場所なら、いつだってこうして待っているわ。……おかえりなさい、アラン」


 柔らかな力で抱き締め返されて。アランは自分を見上げる彼女に微笑んだ。

 王子と月の女神のように、一緒に肩を並べて戦うわけではないが、ただ凛とそこに居て彼を待っていてくれる、彼女のその強さを、アランは心底愛している。

 愛おしさに唇を寄せてキスを落とした。



「……ただいま。俺の金の薔薇」



**



 リティアは疲労にがくりと膝をついた。

 度重なる上級魔法の行使に、さすがに身体が悲鳴を上げている。彼女の師を見れば、息一つ乱さず、しっかりと立ったままだ。

 強大なアルティスの魔力が封じられているのはリティアの身体で、シーファにはその欠片が流れ込んだに過ぎないのに。彼はその才能と努力とセンスで、魔力の差など凌駕するような大魔導士となり、リティアは見習いのままだ。凄い、と尊敬する反面、コンプレックスでもある。焦ってもしょうがないと分かってはいるが。

 けれど彼女の師は弟子を見下ろして、その身体を抱き上げた。


「え、お、お師匠様!?」

「立てないんだろう。運んでやる。……今回は良くやったからな、ご褒美だ」


 え、と思わず聞き返す。


「わ、私、良くやりました?」

「ああ。転移魔法のサポートも、私達を守った事も。成長したな」


 戸惑いは、けれど彼の滅多に聞けない褒め言葉に一気に嬉しさに変わる。単純だと分かっているが、日頃は『馬鹿弟子』などと呼ばれているのだから、有頂天にもなろうってものだ。


「シーファ。私少しは魔導士らしく……あなたの弟子らしくなりましたか?」


 彼の腕の中で小さく問えば。シーファは彼女を見つめて微笑んだ。


「らしかろうとなかろうと、私の弟子はお前だけだ」


 そう言って彼がリティアに口付ければ、少女はさらりと溢れる彼の銀の髪に触れ、頬を赤く染めて問いかける。


「……また、私の愛情を確かめたくなったんですか?」

「……いや」


 虹色の光を放って胸元に現れたアルティスの秘石を握りしめたリティアに。彼のブルーサファイヤの瞳が優しく煌めいて、否を告げた。


──封じられた秘石は、リティアが愛し、かつ『彼女を愛する者』とのキスで現れるのだから。



「私がどれだけお前を愛しているか、見せてやりたかっただけだ」



***



 セイは隣に立つディアナを見た。彼女もまた彼を見つめていて、安心させるように彼女に微笑む。

 紫水晶の瞳と、その同じ色のペンダントが煌めいたように見えたのは、その身体がそっと揺らめいて彼に寄り添ったからで。触れた身体を抱き寄せれば、その肩の華奢さに思わずセイの心臓が音を立てた──今更だというのに。

 剣を取る彼女は美しくて、荘厳ささえ感じる。騎士の血が、跪きたくなる衝動をもたらすほどに。けれど、こうして頼りなく見える瞬間に、向けられる無防備な笑顔に、たまらなく心が騒ぐ。


「帰ってきたわね、ここに」


 ポツリと落とされたディアナの言葉に、セイは頷きかけ──気付く。

 アディリス王国のセレーネの森に住んでいた彼女が、セインティア王国に『帰って』来たと口にしたことを。

 は、と彼女を見れば、ディアナは柔らかに微笑んでいて──その微笑みに、また胸が詰まる。


「愛していますよ、ディアナ」


 アクアマリンの瞳が、心のままに告げた言葉に。彼女はさっと頬を染めた。

 本人は気付かれてないつもりなのか平然を装っているが、セイの手が彼女の長い髪をかきあげれば、耳や首までほんのりと色づいているのだから、隠しようがない。それを見て、セイは思わず笑みが零れた。


──可愛い。


 それこそ今更、毎日どころか顔を見れば告げているのに。

 言葉の安売りをしているわけではない。甘い言葉を重ねれば彼女が絆されてくれると思っているわけではない。

 ただ──溢れてしまうのだ。


 セイの身に流れるセインティア王の血。本能で選び出した、一目惚れの相手。

 そんなもの、今はもう大した意味を持たないと知っている。

 ディアナと重ねた時間と、彼女を知って深まっていった想いが何よりもセイを動かしているのだから。

 けれど、何度言っても、伝えきれる気がしない。


「あなたが好きだ。とても」


 向けられた言葉と視線に、月の女神は泣きそうな微笑みを向けて。


「ありがとう。──私もあなたをとても愛しているのよ、セイ」


 彼女だけに許された呼び名で、そっと囁いた。彼がとても幸せそうに微笑んだのを見て、嬉しそうに。

 けれど転移魔法の部屋に今だ残っているイールやアレイル、リルディカとレイトの視線に気付き、ディアナは赤く染まる頬でこほんと咳払いをする。違う話題を探そうと視線を彷徨わせ、あっと顔を上げた。


「あ、そうだわ、私の剣!セイったら、ボロボロにしたでしょう!」


 しまった、覚えていたか。

 そんな思いで王子はあははと乾いた笑いを浮かべて。


「ヴァイス殿と交渉してすぐにでも良質の魔法鉱物を輸入できますから。そうしたらあなたの為に魔法剣を作りましょうか。ね?」


 愛らしい自分の婚約者に対し、慌てて機嫌を取ってみせる美貌の王子など、本来なら臣下の前では見せられないが、何故か部屋の隅にいる近衛兵は生暖かい視線を送っている。完璧王子のポーカーフェイスが崩れるのが、微笑ましくて仕方ないらしい。ラセイン王子は非常に愛されている。

 仕方ない、と溜息をついたディアナは、彼を見上げた。


「……セイ、あなたの二剣なんて、私初めて見たわよ。どうして今まで見せてくれなかったの?」

「あなたの傍では使えませんから」


 セイの言葉に、彼女は首を傾げた。なぜ?と問う。彼は悪戯っぽく笑って女神の肩を引き寄せた。


「だって両手が塞がってしまうでしょう?あなたを掴まえておく為に、この片手は空けておかなくては、ね?」


 金色の長い睫毛が軽く伏せられて、その顔が近づく。ディアナにはもう、それがキスの合図だと知っている。

 かすかな躊躇いは、人前だからだ。心得たようにセイがその背中で、他の者からの視線を遮って。


 重ねられた唇は、いつもよりも更に、甘くて優しかった。



****



 寄り添う女神と王子を見ていて。まるで幼い頃憧れた物語の主人公のようだと思った。

 リルディカはそこから離れようとして、ふと自分の手を掴んだままのレイトに気付いた。王子たちをただ黙って見つめている彼を密かに仰ぎ見る。

 子供の身長になってしまった今、下から見上げるしかない彼の形の良い顎と、唇。亜麻色の髪から覗くブルーグリーンの瞳。整った甘い顔立ちは、ずっと好きだった人のもの。けれど──。

 空いている方の自分の手を見た。小さな子供のそれを。その爪の先がひび割れていて、崩れる兆候かとぎくりとする。レイトが彼女の視線に気付いて見下ろす前に、こっそりとそれを後ろ手に隠した。


 今は、いい。何も気付かせたくない──気付きたくはない。


 視線が合えば、レイトは戸惑ったように、笑みを浮かべかけて、どうして良いか分からないといったように止める。

 無理しなくて良いのに。そう思ったが、繋がれた手を放したくは無かった。


「レイト」


 今だけ。今だけは──。


「あなたが無事で良かった」


 ポツリと呟いた彼女に、レイトは目を見開いて。軽く舌打ちをしてから、思い切ったように彼女に向かい合った。腰を折ってリルディカと目線を合わせる。跪きはしない、ただ屈んだだけだ。そして巫女のその手を自分の額に押し当てる。

 驚きに固まったリルディカの前で、彼は口を開いた。


「リルディカ。俺を救ってくれて、ありがとう」


 俯いた顔を上げて、その薄紫の瞳を見つめる事は、まだできないけれど。


「もう一度、お前を守らせてくれるか」


 巫女のその顔を見なくても、凝視されている事は分かる。触れた指先が震えていて、彼女が静かに泣いている事も。


「……はい」



 小さな手の甲に額を触れさせるのに紛れて。そっと指先にかすめた唇を、その密やかな熱を。

 誰も気付かなかった。


 リルディカも──レイト自身も。






第一章「裏切りの巫女」end.

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