王子のお仕置き
剣を握りしめて魔竜へと踏み出そうとしたディアナの腕を、セイが掴んだ。
「──セイ?」
怪訝な顔をする彼女の瞳を覗き込んで、彼は真剣な顔で口を開く。
「一つだけ、約束して下さい。絶対に、無理をしないこと。何よりもまず自分の身を守ること」
掴まれた腕に痛みは無いものの、セイの手はディアナをしっかりと捕らえて離さない。いつもと少し違う彼の様子に、ディアナは戸惑う。
「ええ……分かってるわ」
「そうは思えませんね」
珍しく強固で厳しい彼の態度。セイは魔竜退治を楽観視していない。キャロッド公国軍のように恐れてはいないが、困難だとは思っている。そして月の女神は周りのために無茶をする事も予想しているのだ。
王子は女神の護衛魔導士を振り返った。
「アレイル。僕かアランが動けなくなったら、ディアナとイールを連れてセインティア王国へ戻れ」
「あ、ああ」
急に命を下されたハーフエルフは戸惑いながらも頷く。セイは隣に立つ魔導士へも言葉を継いで。
「シーファ、リティアさん。もしものときは僕ではなくディアナを最優先に守って下さい。僕にはアランとフォルレインが在る」
「……承知した」
「はい、ラセイン王子」
それに抗ったのはディアナだ。
「セイ、私は子供じゃないわ!ちゃんと引き際くらい自分で見極められる」
彼女の言葉を黙って聞いて、けれど彼は眉を顰めた。
「僕はそう思いません。僕が危機に陥ったら、あなたは絶対に無茶をする。月の力を暴走させてでも」
「そんなこと!わからないじゃない」
断じるセイに、ディアナは苛立ち紛れに反論する。
どうして今になって聞き分けの無い子供のように扱われるのか。ヴァイスとの試合のときは信じてくれていると思えたのに。本当は信用されてなどいないのかと悲しくなった瞬間。
「わかります。僕もそうだからです」
──アクアマリンの瞳が、彼女を射抜いた。
「あなたに何かあれば、僕は冷静ではいられない。この身などどうなっても良い。フォルレインで自分ごと何もかも滅ぼしてしまうかもしれない」
強い光に、ディアナは言葉を失う。
目の前で語っているのは、穏やかで優しいラセイン王子ではない。自分に激しい熱と愛情を持つ、一人の男で。今はディアナを失う事を何よりも恐れている。
「──私」
ディアナは息を吞んだ。セインティア王国の世継ぎの王子の婚約者という立場を甘く見ていた自分に気付く。
セイはディアナの為に他国に来た。魔物退治も引き受けてくれた。危険も顧みず。彼は強いから、そうそう害される事はないと思っていたが──ディアナへの危険もまた、そのまま彼の破滅に繋がるとは思っても見なかった。彼に何かあれば、セインティア王国は次代の王を失うのだ。ディアナの行動、意志ひとつで。
彼女の行動は、次期王妃としては間違っているし、何よりも軽率だった。それでもセイもアランも、彼女を止めなかったのだ──ディアナの為に。
「──ごめんなさい、セイ……」
「謝らせたいわけじゃない。僕はあなたのまっすぐで強いところが好きですよ。だから何も変わらなくて良い。だけど、僕にも僕なりの譲れない意志がある。あなたを護りたいんだ、ディアナ。だから僕はアレイルに命じるし、シーファに頼む」
彼の言葉遣いは丁寧なばかりではなくなって。本気でディアナに訴えようとしているのが分かる。アランはただ黙って主の言葉を聞いていた。ディアナの表情に、セイは口調を和らげる。
「……だからね、今ならリルディカ嬢の気持ちが分かりますよ。あなたに嫌われても憎まれても、あなたを護るためなら僕は何でもします」
前半はレイトに向けられた視線と共に。後半は剣を握るディアナの手に自分の手を重ねて継げられた。ディアナはもう反論せずに、頷く。
「──わかった。無理はしない。自分を守る」
「ええ、そうして下さい。僕の為にも」
『女神よ、我らの為に。何一つ損なわれる事なく居てくれ。その身体も、その意志も』
セイの言葉と共に、フォルレインの声がディアナへと響いた。
レイトは彼らのやり取りを黙って見ていた。ラセイン王子の気持ちはよく分かる。他人事ならこんなにもすんなり納得がいく。
今ここにいないリルディカを想った。イールと共に陣営に残してきた小さな巫女。たった一人で破滅していこうとする彼女を。リルディカも王子と同じ、ただ大事な相手を護っていたのだ。
それだけは──理解しなくてはならないのだろう。
その隣でヴァイスは青の王子と月の女神を見つめていた。あの冷静な王子を駆り立てる少女に、酷く興味をそそられているのを自覚している。
──美しく強い月の女神。自分の巫女として側に置いたら、どんな気持ちになるのか。滲んだ思いは、染みのように彼の胸に広がっていった。
4頭の魔竜が居たのは島の端にある広い入り江で、その周りを岩山に囲まれている。リティアとアレイルは魔竜に見つからないように、岩山の上に身を潜めて魔法を唱え始めた。彼らの魔法が発動した瞬間、前衛のディアナ達は一斉に剣をとり魔竜へと斬り掛る。まずは火属性の赤い竜に向かって剣を振り下ろした。
驚いた火竜が咆哮とともにその爪や尾で薙ぎ払おうとするが、セインティアの面々は魔物退治には慣れている。アランとシーファはそれぞれ横側から回り込み、火竜の勢いを削ぎつつ近づいた。
「さあ、こっちよ」
ディアナの声に火竜が彼女を見る。魔物の瞳に憤怒が浮かんだ。女神目がけて火を吹こうと、その口を開けて牙を剥く──がその空いた口にセイがフォルレインで何十本という氷の矢を放ち、怯んだ火竜は首を振って吠える。その隙に一気に近づいたディアナとセイが、同時にその刃で火竜の首を薙ぎ払った。
あっという間の出来事に、ヴァイスもレイトも驚愕の表情で、月の女神と青の王子の連携を見つめる。
「なるほど、戦いの女神と守護騎士か。見事なものだ」
ヴァイスの呟きにレイトも頷く。最初の一体は奇襲とはいえ、見事な早業と的確な攻撃に見惚れ。しかしすぐに我に返り、目の前の次の一体に目標を定めた。
『ディアナ、あまりもたない。もう風竜の網が破られる』
魔法の声で伝えてきたのはアレイルで、火竜の相手をする間に動きを鈍らせていた他の3体への魔法が効き目を無くしそうなのだと。それを聞いたディアナは咄嗟に風竜の方を見た。大きく首を振ったそれに気を取られ、彼女の方へ牙を向く青い水竜に気付くのが一瞬遅れる。
「ディアナ!」
セイの警告に、ハッと目を向ければ。
「──っ」
グワッと風を切る音と共に、自分目がけて噛み付こうと迫るそれに、間に合わないと感じつつも剣を構えた瞬間。
──パアンッ!パアンッ!パアンッ!
銃声が響き、魔力を込めて水竜の片目に撃ち込まれた弾丸が、更に体内で爆発魔法を発動させる。ドン、ドン、ドン、と続けざまに数発が連鎖して爆発すると、さすがに水竜も苦しげに身を捩った。
その死角を狙ってセイとヴァイスが剣を揮う。アランとシーファも追撃し、水竜は怒り狂いながらもその動きはだんだんと鈍くなっていって。
「レイト、ありがとう!」
女神は魔弾銃の使い手を振り返った。レイトは手の中で銃を回転させてグリップを握り直し、次の弾丸を込める。すっと腕を伸ばして、片手で構えた。
「魔竜相手じゃせめてもの時間稼ぎにしかならないよ。トドメを頼む」
そうして黄色の風竜へも同じように魔弾を撃ち込む。ハッとそちらを向けば、魔法が解けてしまった風竜が、水竜を倒そうとしている者達へ風の刃を放ってくるのを見て、ディアナは駆け出した。
風竜を何とかしなければ、皆に攻撃されてしまう。彼女は走りながら叫ぶ。
「リティア、私を飛ばして!」
『疾く飛べ、高き天へ!』
強い言葉で願えば、魔導士の少女は女神の意図を読み取って、魔法を掛ける。そのまま見えない魔法の翼で空高くへと舞い上がったディアナは、風竜の遥か上から一気に急降下し、その頭上に剣を振り下ろした。
──ギャァアァァ!
「きゃあっ!」
空気を震わせる魔物の苦痛の悲鳴は呪いめいた魔法を纏っていて。その圧力にディアナは耳を覆う。思わず両手で押さえたせいで、首を振った魔竜から足を滑らせた。
「!」
──落ちる!
竜としては小さな体躯の種だが、大暴れしている魔物の足元に落ちでもすれば、一瞬で踏みつぶされる。風竜の光る赤い瞳、牙、鱗が視界を流れて、地に落ちる痛みを覚悟した瞬間。
どさり、と重みの掛かった音。けれど身体に触れたのは痛みではなく、温かい腕。
「無理をしないでと言ったでしょう」
声を聞かずとも分かる。ディアナを抱きとめたのは、婚約者である王子だ。叩き潰そうと振り下ろされた風竜の尾を、セイがフォルレインの結界で弾き返し、それをアランが叩き斬った。どうやら水竜は片付いたらしい。そのまま風竜から少し距離を取って、態勢を立て直す。直ぐにアランが駆け寄ってきた。
「ラセイン様、ディアナさん、ご無事で?」
「ええ、大丈……」
言いかけた彼女だったが、たった今離れた筈の王子の腕が、それを許さないようにもう一度ディアナの身体を囲い込む。強引にセイに引き寄せられ──。
「っ!?、きゃあああ!」
がぶりと。
何の脈絡も無く突然、彼がディアナの首筋に噛み付いた。
「な、な、なに!?」
驚きのあまり涙目になって、慌ててそこを押さえる彼女の手から、いつの間にかセイは剣を取り上げて。視界に映るアクアマリンの瞳が妖艶に不敵に、悪戯めいた笑みを浮かべた。
「──無理しないって約束を破ったからですよ。お仕置き」
さらりと愛しい女神に言ってのけ、ディアナをアランへ託す。彼は複雑そうに主を見た。
「ラセイン様、どっかの変態魔導士みたいですよ」
「手に負えなくて可愛い恋人が相手じゃ、僕だってたまには彼を見習いたくなる」
軽口は、けれど隠しきれない愛しさを滲ませて落とされ。
青の王子は右手にフォルレイン、左手にディアナの剣を持ったまま、未だ暴れる風竜へ向き直った。
「ペナルティとして一回休み、ですよ。そこで待っていて下さい、ディアナ」
そして地を蹴る。フォルレインの刀身に炎を纏わり付かせて、ディアナの剣に稲妻を纏わり付かせて。その両腕で、美しい舞のように剣を揮う。
残されたディアナは唖然とそれを見送りながら。隣に立つ近衛騎士にぎこちない視線を向けた。
「……セイって、二刀流なんてできるの?」
「はい。我が君は結構何でもできるんですよ、ディアナさん」
「ほんっとうに……腹立つくらい器用よね」
「格好良いでしょう?」
「……格好良い。けど、ズルい。言いたくない」
見た事のないセイの姿。こんな時に知らされるなんて。ズルい。戦いの最中に知ってしまったら、頼ってしまう。護りたいのに、護られてしまう。
「ズルい」
頬を染めて、女神は呟いた。
セイがフォルレイン、と小さく呼べば、退魔の剣は同調して輝く。その身に保護魔法が掛かるのを感じながら、地を蹴って跳んだ。青の王子はその両手に掲げた剣で、風竜へ斬りつける。交差させた腕を振り下ろして魔竜の背を切り裂けば、風竜が苦し紛れに風の刃を放った。彼は器用に手の内で剣を返して、それを巻き上げて弾く。そのまま炎の軌跡に雷撃を灼きつけるように魔竜の首を叩き斬った。
吹き出した炎の蒸気にセイの金色の髪が煽られて揺れる。アクアマリンの瞳が風竜を静かに見下ろして。魔物の凄惨な最期だというのに、場違いなほど彼の姿は美しくて──神聖だった。
「セイ……」
思わず見惚れてしまっていたのに気付いて、ディアナは胸元でぎゅっと手を握りしめる。彼女の声が聞こえたはずはないのに、彼はふとディアナを見て、微笑んだ。戦いで高揚しているのか、いつもの優しい聖国の太陽の笑顔ではない。熱と気怠さが入り混じる艶めいた不敵な笑みだ。
──ズルい!
ディアナは彼から目を逸らせない。心臓がドッキンと一際大きな音を立てた。
胸が痛い。格好良い。綺麗。凄い。子供みたいにそんな言葉しか思いつかない。どうしよう。こんな人が私の恋人で、婚約者。この先ずっと彼の傍に居て、心臓が持つのだろうか……。
──やがてドオン、と音を立てて風竜の身体が地に倒れた。
フウ、と息を吐いて。セイは両手を見下ろす。
「ああ、やり過ぎた」
退魔の剣であるフォルレインには異常ないが、ディアナの剣は普通の剣だ。魔法を纏わせるなど本来は刀身が持たない。その表面に細かなヒビが入っているのを見て、彼は苦笑する。
「もうこれじゃ使い物にならないな……怒られてしまうかな」
『なるべく壊さぬように保護結界を張ったのだがな』
フォルレインが少しだけ困ったように告げてくる。退魔の剣の精霊は主同様、月の女神にめっぽう弱いのだ。
『銀の魔導士にもう一振り、剣を出してもらおう。この地は魔法鉱物が豊かだぞ』
精霊の言葉に、王子は笑った。
「やっぱりそうか。ならば貿易協定は是非とも結んでおきたいところだな。シーファも喜ぶし、ここまで出張った言い訳も立つ」
未だ蒸気が立ち上る中、彼の元へ魔法で跳んで来た銀の魔導士が降り立つ。レイトも駆け寄って来た。それぞれいくらか軽い怪我を負ってはいるものの、大事ない様子を確認して、セイはシーファに声を掛けた。
「あとは地竜だけですね。どうですか?」
「あれは厄介だな。他と比べても防御力も高い。ここの地と相性がいいんだろう」
視線の先には仲間を失って暴れる緑色の竜がいる。それが吠える度に地面が揺れ、岩がめくれ上がっていた。迂闊に近づけそうにない。
彼らから少し離れた場所では、ディアナはアランに向かって手を差し出していた。
「アランさん、剣を頂戴」
「だ、駄目ですよ!一回休みでしょう!ラセイン様に怒られちゃいますもん、そんな顔しても駄目ですったら!」
「一緒に怒られてあげる。頂戴?」
「クソ可愛いな!上目遣いもダメです!全く、似た者カップルですね、あなた方は!色仕掛けしてもダメー!!」
菓子をねだられるように首を傾げて言われて、近衛騎士は慌てて首を横に振った。自分の剣を隠すように一歩、ディアナから身を退いたその瞬間。
「ならば俺の剣をやろう、月の女神」
女神の背後から響いた声と、蒸気を掻き分けるように現れた覇王に。ディアナとアランがそちらを見る──が、彼の腕が女神の腰を掬いとるように引き寄せた。
「ちょっ──」
ヴァイスの悪ふざけかとディアナは抗議の声を上げるが、アランははっきりと顔色を変えて剣を鞘から抜きかけ。それを止めるように地竜が大きく尾で地面を叩いた。
“──ドゴッ!!”
そこから地に大きな亀裂が入り、ヴァイスとディアナの足元が崩れる。彼女がしまった、と思った時には地面に大きな穴が空いて──抱え込まれたままにぐらりと傾いた身体が、虚空に吸い込まれるように投げ出された。
「──っ、きゃああ!」
「ディアナさん!」
アランが伸ばした手は、女神の髪に触れたが、その指先を掴む事は出来ずに。
「──ディアナ!?」
彼女の悲鳴に気付いたセイが見たものは、ヴァイスと共に地の底に落ちていく女神の姿だった。




