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3万字未満のお話

サトリの怒り

作者: 狼子 由

 私のクラスでは最近、占いが流行っている。

 占い――ううん、まじない?

 スピリチュアルなグッズとか。好きな人と両想いになったり、嫌いな友達と縁を切ったり。

 ビーズっぽいブレスレットや、不思議なマークのついたキーホルダー。厳密にいえば校則違反なのだろうけど、こそこそつけている分には先生たちは黙って見えないふりをしてくれている。高校生にもなって子どもっぽいかもだけど、先生たちのなれた感じからすると、言ってしまえば、いつの時代も流行ってるものなのだろう。


 もちろん私は、そんな無駄と分かりきったものを信じたりしない。ちょっとしたお試し、くらいなら別にして。

 ――そんな好奇心が、こんな事態を引き起こそうとは、夢にも思ってなかったけれど。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



「あの、柳原やなはらさん」

『ああ……! できたらこっち向いてくれないかな。ちらっとでも良い、恵梨さとりさんの可愛い顔が見たいんだ』


 ぼんやりと教室を眺める私の背中から、ステレオ音声的に聞こえてくる声。

 可愛い顔なんて、そんなこと言われるほどの顔面偏差値じゃない。恥ずかしいこと言わないでって怒鳴りつけてやりたいけど、そういう訳にいかないことはもう分かってた。


 私は黙って斜め後ろに視線を向ける。

 振り向いた先には、びっくりした顔の男の子が立っていた。


 声で予想はついてた。同じクラスの(たちばな)くんだ。

 寝癖のついた髪、ちょっと困ったような表情。子犬みたいな顔して成績は学年トップなんだからほんと、人は見かけによらない。


『あっやったぜ、こっち見た。やっぱり可愛いなぁ! ああ、恵梨さんが僕を……僕を見てる!』

「……僕、日直だから、家庭科の――」

「分かってる! 提出だよね」


 みなまで言われる前に、プリントを素早く差し出した。

 このまま黙ってればもう一つの声が、延々とうるさいのも予想がつくし。


 目が合うと、照れたように視線を逸らされる。

 これで黙るかな、とほっとしたところで、追いかけるように耳元で声が響いた。


『……ああ、もうほんと可愛い。見たかあの子ウサギのようなつぶらな瞳。恵梨さんは今日も最高に可憐で素敵だ、世界一可愛い。可愛過ぎて天使と間違えちゃいそうになるくらい』


 橘くんがちらちらこちらを見る度に、度を越した賛辞が耳元で聞こえてくる。

 子ウサギとか天使とか、そんなこと言われても困る。私の外見なんて、良く言って十人並みより少々上くらいなもの。こんな風に異性から面と向かって言われることなんてなかったので、恥ずかしくてどうしようもない。


 だいたい、普段はあんなに言葉少ななのに、橘くん、頭の中ではこんなにキザなの?

 もうやめてって止めたいのに、それを口に出すことはできない。何故かと言うと――


「柳原さん? 疲れてるみたいだけど……」

『どうしたの。君の悩みなら聞きたい。もっと喋って欲しい。鈴を鳴らすような声っていうけど、それよりもっと静かな恵梨さんの声は、小川のせせらぎみたいで聞いてるだけで癒されるから……あっ、顔を隠しちゃった。親しくもないのに喋り過ぎちゃったかな……でも、そんな風に気怠い感じも可愛いなぁ』


 問いかけたのは橘くんの声。

 そして、それと並行して私を賛美してるのも橘くんの声。

 ただし、後者の声は口が動いてない――つまり、あれは彼の頭の中の声で、どうやら聞こえているのは私にだけ、みたいなのだ。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 何でこうなったのか、思い当たりなんてない――と言いたいとこだけれど、私の場合はめちゃくちゃ思い当たることがあった。

 きっと、昨日『占いの館』で借りたブレスレットのせいだって。


 右手首、制服の袖に隠してる、薄桃色の天然石のブレスレット。昨日の放課後、友達の夕実ゆみにクラスで流行ってるからって誘われて行ったお店だ。雑居ビルの地下にあって、一見さんは入るのもためらうような場所。

 とはいえ、ついていったのは面白半分みたいなもので、私は全然信じてなんかなかった。だから、「悩みがあるならアミュレットで解決できますよ」って『占いの館』の店主に言われたとき、深い考えもなしにこう答えた。


「じゃあ、私も高校生だし、一度くらい恋愛をしてみたいです」

「恋愛ですか……では、これを身につけてみては。鞄の中でもいいですけれど」

「これ? 数珠みたいなブレスレットですね」

「恋愛に効くアミュレットです。一か月はお試しとして無料でお貸ししますから、満足できる効果がなければ返しに来て。続けたくなったら、買い取ってください」


 ここのブレスレットは確かに学校でも流行ってて、周りでも結構な数の女の子たちがつけている。

 私もせっかく借りたんだからって、今朝、早速つけて登校してみた。

 こういうのって、効果がなくても面白いものだし。


 だから、こんなことになるなんて全然思わなかったのだ――


『ああ、授業受けてる時の恵梨さとりさんも可愛い……。真面目な顔で、でもちょっと面倒くさそうで……あっ、今顔をしかめた。そんな顔でも可愛いなんてどんな魔法だろう。恵梨さん、三次方程式は苦手かな』


 たちばなくんの頭の声が、ずっと私に聞こえている。

 すごくうるさいし、とにかく……恥ずかしい。


 大体、私のこと普段は「柳原やなはらさん」って普通に呼んでる癖に、頭の中じゃ「恵梨さん」なんて下の名前で呼んでたなんて。


 とにかく、このままじゃ大人しく授業を受けることすらままならない。

 何とかしたいと思ってブレスレットを外してみたりもしたけれど、鞄にしまったくらいじゃ橘くんの声は聞こえっぱなしのままだった。

 お店でも言われたけど、きっともっと遠くに……投げ捨てでもしなきゃいけないんだと思う。

 だけど、借りてるだけのものを捨てるのはちょっとマズい。それよりは、放課後にでもお店にもう一回行って、返却してしまえばそれで片付くはずだ。


 授業が終わったら、速攻で行こう。

 そんなことを考えてると、また橘くんの声が聞こえてきた。


『あっ、シャーペン回してる。手先が器用だなぁ。僕はとてもあんな風には指が動かない。指先もすごく細くてきれいだし、爪も整ってて……』


 私はノートに突っ伏した。

 橘くんの席は窓際、私は教卓の三つ先で教室の真ん中付近。

 つまり結構な距離があるはずなんだけど、声は全然止まらない。


『あっ……あのノート、今、恵梨さんの綺麗な唇とキスしてる……いいなぁ、羨ましい』

「――ちょっと、あなたね!」


 熱い頬を押さえて思わず立ち上がる。

 しっかりと橘くんを睨み付けたところで――静まり返った教室の空気に気付いた。


「……柳原、どうした?」


 授業中、突然立ち上がって怒声を上げた私に、先生が恐る恐る声をかけてくる。


「気分でも悪いのか?」

『えっ、恵梨さん大丈夫かな? さっきから身体をじたじたさせていたのは、そのせい? 気分が悪いなら、保健室に行った方がいいんじゃないかな。何なら僕が一緒についていってあげたい。彼女にだったらいくらでも手を貸すのに』

「……うぅ、その。な、何でもありません……」

「調子が悪いなら、保健室――」

「――何でもありません!」


 慌てて先生の言葉を遮り、元通り、椅子に腰を下ろす。

 頭の中で私を心配する声を何とか振り切りながら。

 とは言え、その後もずっと聞こえ続ける声に――私の羞恥心は、午前中で限界を迎えた。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



「……たちばなくん、ちょっと一緒に来て」

「え、ぼ、僕? 分かった」

『どうして憧れの恵梨さとりさんがお昼休みに僕を……今まで一緒にご飯食べたこともないし、クラスは一緒でも部活も委員会も全然違うし、僕と恵梨さんが話をする理由なんて何にもないはずだけど……あっでも近くで恵梨さんを見られるのすごく嬉しい!』


 表面上はあっさりと頷いて、橘くんは立ち上がった。

 頭の中では疑問符がたくさん並んでるみたいだけど、そんな声はちっとも表情に出ていない。


 落ち着いて話せるよう、誰もいない場所を探して校舎の裏へ向かう。まだ昼休みが始まってすぐのせいもあって、幸い、狭い日陰には誰の姿もない。

 後ろをついてきた橘くんに向き直ると、深呼吸をしてから、彼の顔を見上げた。

 私よりちょっとだけ上にある瞳。ほんとに子犬みたいな澄んだ目をしてる。この目の奥で私のこと、あんな……あんな風に思ってるなんて、この耳で聞いたのじゃなければ信じられなかった。


『うわ、近くで見ると恵梨さんやっぱ可愛いなぁ。太陽に透けて茶色くなる髪も柔らかそうで、後ろに流した感じがいかにもお嬢様って感じだ。目がおっきくて、睫毛も長くて、僕よりもずっと華奢で。わっ、唇すっごいぷるぷるだ。これって――』

「――それは、グロスを塗ってるだけだから!」

「……えっ?」

『あれ、僕、唇のこと声に出したっけ……?』


 心の声に思わず答えてしまった。でも、ここに呼び出したのもこのためだ。ここまで来たら開き直るしかない。

 私は橘くんをじっと睨み付けて声を上げた。


「あのね、声に出してなくても聞こえてるの! あなたの声、今朝からずっとうるさいんだから……!」

「え……」

『待って、それほんと!? じゃあ、僕がずっと思ってた恵梨さん可愛い可愛い大好きだ抱きしめたいって気持ちが……』

「やめて、それ以上言わないで! 聞こえてるから!」


「聞こえてるんだ……」

『聞こえてるんだ! うわー、すごい。あっ恵梨さん可愛い、耳まで真っ赤になってる。このくらいのことで照れちゃうなんて、そんなところも可愛いなぁ……』

「やめてってば!」


 思わず手が出そうになるのを、なんとか堪えた。

 私の大声で一瞬、止まったけど、すぐにまた橘くんの心の声は饒舌に私について語り出す。一挙手一投足を事細かに賛美しながら。


 だめだ、やっぱりこれじゃ声は止められない。

 考えてみれば当たり前のことだった。

 私だって、「考えるのをやめなさい」って言われたところで、やめられる訳がないし。

 生きてれば、色々考えるのは当然のことだ。


「だけど、さすがにこのままじゃ私だって困るよ。あの……とにかく、私以外のこと、なにか考えていて」

「柳原さん以外の?」

『だけど、せっかくこんな近くにいるのに……恵梨さんすっごくいい匂いだし!』


「匂いとかそういうこと言わないでってば!」

「言ってないけど」


 即座に言い返されて、私は頭を抱えた。

 そう、頭に浮かぶことまで止めることは誰にもできない。


「……あの、とにかく向こうを……私以外のものを見ててくれる?」

「ああ、うん。分かった。壁でも眺めようか」


 くるりと九十度回って、壁を正面にする。

 けど、その直前に壁を指した私の手が、橘くんの頭には焼き付いてたらしい。


『ほんとに指がきれいだな。ピアノとか弾いてそうな指をしてる。つやつやしてるのはあれ、マニキュアってヤツなのかな。恵梨さんがするとなんだか薄ピンクの花びらみたいに――』

「ピアノなんか弾かないし、マニキュアは校則違反だから、これは磨いてるだけなの!」


 言い返したことで、『へー、磨くだけでこんなにきれいに光るんだ、つま先まで整えてるなんてすごい。恵梨さんってそんなところまで気を付けてるんだなぁ、丁寧だね。そういうところすごく素敵だな』……って結局私に対する言葉が増えたので、心の声に反応するのは、結果として大失敗だってことが分かった。


 私は反射的に怒鳴り返したくなる気持ちを抑えて、何とか落ち着いて声をかける。


「とにかくね、橘くんの気持ちが聞こえちゃうから、私、今……すごく恥ずかしくて」

「そうだろうね」

『だってさ、僕がこんなに心の中で恵梨さんのこと好きなのが全部聞こえちゃってるってことだろう。そりゃ僕も恥ずかしいよ。僕の思ってることが全部、こんな可愛くて魅力的で素敵な恵梨さんに……』


「やめてってば! あのね、とにかく、この状態を直さなきゃいけないんだけど」

「うん?」

『何か思い当たることある? 僕が手伝えることなら、君のために命を賭けて何でもするけど――』

「ありがたい申し出だけど、命まではいらないから」


 断ったはずなのに、なぜか橘くんは嬉しそうに笑っている。ほわっと笑った顔が何だか可愛くて、少しドキっとしてしまった。


『……僕のこと考えてくれるなんて、恵梨さん、やっぱり内面も優しいなぁ』

「私、別に優しい訳じゃなくて」


 ただ、そんなに想われてるのが照れ臭いっていうか、なんというか。


「あの、とにかくね。問題はこのブレスレットをつけてから起こったんだから、借りたお店に持ってって相談すれば大丈夫だと思うの。それより……」

「それより?」

『なんだろう。今の状況を改善するより大事なこと……あっ、壁は白いなぁ。この辺のシミは雨水だろうか』


 私は言うべきか言わないべきか迷って、結局はそのまま黙る方を選択した。

 だって、私が聞くようなことじゃないじゃない。「私のこと好きだって分かっちゃったけど、あなたはこのままでいいの?」なんてこと。


 橘くんは私の沈黙をどうとったのか、このときだけは校舎の壁を一生懸命眺めてて、それ以上、私に関する声は何もなかった。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 放課後まではとにかく長かった。

 昼休み後の授業中も休憩時間も、ずっとたちばなくんの声は聞こえてる。

 男女ばらばらのはずの体育の時間中ですら、私が走る度に橘くんの応援のような歓声のような声が聞こえてきてたし。どこから見てるのか気になって、私の方も思わず橘くんを探してしまった。


 あんなにいつもぼんやりした顔してるのに、意外。バスケとか得意なんだ……。

 見事なスリーポイントシュートを決めて、照れたような顔で笑う彼が私の方を向く。

 目が合いそうになって、慌てて逸らした。私も見てたなんてバレたら絶対うるさくなる、と思ったからだけど――ちょっとばかりタイミングが遅かったらしい。その後の彼の声の狂喜乱舞っぷりったら、防げないと分かってるのに耳をふさぎたくなるほどだったもの。


 結局、最後の授業が終わってすぐ、私は教室を飛び出した。

 橘くんの心配する声で、彼もまた私の後ろをついてきてくれてるって分かった。


 そのまま一緒に、とも言えない距離でまっすぐ走って、占いの館へ、途中で道を間違えながらもなんとか辿り着いた。


「――待って、柳原やなはらさん」

『僕も一緒に行くよ。恵梨さとりさんこんなに可愛いのに、ここはなんだか怪しげなお店だし、一人で行かせるなんて心配だ』


 扉を開けようとしたところで、ちょうど私に追いついた橘くんが、後ろから私の代わりに扉を押してくれる。


 前にも一度来てるんだから心配することなんてないのに――と、思いつつも気にかけて貰えるのはちょっと嬉しい。それに、扉を支える腕が思ってたよりずっと逞しくて、なんでもない仕草なのに胸が高鳴ってしまった。


『ああ、本当に恵梨さんたら可愛いなぁ……!』


 感極まったような橘くんの声が聞こえてくる。頭を振って声を振り払いながら、館の中へ入ると、昨日のまんまの部屋の奥に、私にブレスレットをくれた店主さんが立っていた。


「あの、こんにちは」

「おや、どんなお客様かと思えば、昨日のお嬢さんか。アミュレットの効果はどうでしたか?」


 うっすらと笑う店主さんの表情も、昨日と一緒。どこか飄々とした、中性的なお兄さんだ。


『これが店主さん? 何だか怪しい人だな』

「あの……でも、これを貸してくれたんだし。優しいひとだと思うよ」

「そうかな」

『でも、結局君はそれで困っている訳だろう? 僕は警戒した方がいいと思うよ。だから……恵梨さんは危ないからあんまり近付いちゃだめだ』


 橘くんが横をすり抜けて私の前に立つ。

 その様子を見て、店主さんは面白そうに目を細めた。


「おや、随分と効果があったのでは?」

「効果って……やっぱり店主さんは分かってたんですか。このブレスレットをつけると、人の心の声が聞こえるようになるって」


 制服の袖を捲って、薄桃色の天然石が飾られた手首を差し出す。

 途端に感激した橘くんの声が耳元で響いた。


『……うわあ、恵梨さんの手首細い。この、飛び出した骨のところの形がすごく綺麗だね』

「なんでそういう細かいところ見てるの、橘くん!」


 思わず怒鳴りつけたけど、私達のやり取りを見てた店主さんは、堪えきれない様子で笑い始めてしまった。


「すごくいい感じになってるじゃないですか。どうです、このままつけていては」

「い、嫌です!」

「えっ……」

『このままでも、僕は別に――』

「――嫌だってば! だってずっと橘くんの声が聞こえてるんだよ!? 私……もう、どんな顔すればいいか分かんないよ、頭爆発しそう……」


 頬が真っ赤になってて、熱い。

 思わずへたり込みそうになったところで、横から橘くんの腕が伸びてきたものだから、うっかり支えにしてしまった。


「あっ、ごめん」

「ううん」

『全然問題ないって言うかむしろ嬉しいし、うわ、すごい柔らかいしいい匂いして僕なんかがこんな幸せでいいのかな、世界でいちばん甘い重力だよ……ほんと嬉しい』

「うっ……ご、ごめん、ちょっと離して」


 やっぱり男の子なんだ、力強くて格好良い――なんて思っちゃった自分を叱り付け、ちゃんと自分の足で立った。

 店主さんはそんな私達をコントでも見るように笑いながら眺めている。


「笑いごとじゃないんですけど!」

「いいじゃないですか、仲良くなれたんだし。願いは叶ったでしょう? 高校生にもなったんだから、恋愛がしてみたいって、あなたの願いは」

「それは……」


 このブレスレットを借りたとき、好きな人もいないのにあえて恋愛運を選んだのは、確かに今店主さんが言った通りの理由だ。

 押されそうになって、私は慌てて首を振った。


「だ、だけど、これは恋愛をするって言いません。一方的に、橘くんの声を聞いてるだけなんて、私の方からはどんな気持ちも――」

「えっ」


 店主さんが、不思議そうな顔で私を見ている。

 その表情の意味が分からなくて、私も思わず口を閉じた。橘くんが、私の斜め前でひっそりと顔に手を当てるのが見える。


「……あの、店主さん?」

「えっと、あなたは――あなたが一方的に彼の声を聞いてるだけ――だと、思ってるの?」

「えっ? だって……橘くんの声が私に聞こえるから……それが一方的かどうかなんて、そんな……」


 口元を押さえたままの橘くんの顔が、みるみる赤くなっていく。

 待って、なんでこのタイミングで赤くなるの?

 それってつまり。一方的じゃないってことは、つまり――


 今日一日で橘くんに対して抱いた私の感情が、走馬灯のように私の目の前を走っていく。朝、彼の声に気付いてから、授業中やお昼休みや体育の時間の活躍や、ついさっきこのお店に着いてからのこと。まさかそれは、全部、ぜんぶ――


「――ぜんぶ聞こえてたってことおっ!?」


 大声で叫んだ私の声が、館中に響く。

 脳内でもまったく同じことを考えてたから、ステレオで聞こえた橘くんは、さぞうるさかっただろう。

 けど、今までずっと秘密にしてた罰だと思って、甘んじて受けてもらいたいと思う。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 店主さんにすすめられたソファに座って、私はぐったりと頭を抱えた。


「……何で言わなかったの、たちばなくん」

「いや、それは」

『別に強いて内緒にしてた訳でも何でもないんだ。ただ、口で説明するのが難しくて。恵梨さとりさんは僕の考えてることが伝わってるって言ってたから、最初は今の状態も正しく理解してるんだと思ってたんだ。どうもおかしいなって思い出したのは割と後になってからで……』


 多分、あれだ。体育の時間とか、あの辺りから……


『うん、そう。だって、明らかにこっち見てるって僕は君の声で分かってたのに、恵梨さんは見てないフリなんてしようとしたから』

「――私が口に出してないことに、脳内で返事をしないでっ!」


 思わず言い返したけど、それが非常に難しいことだというのは、私自身も分かってる。

 苦笑してる橘くんにも、私が本気じゃないっていうのは伝わってしまっているだろう。


 頭をぐちゃぐちゃ掻きまわしてる私を他所に、店主さんが、人数分の紅茶をテーブルに置いていった。

 私たちの座る反対側のソファに腰かけると、優雅な仕草で自分のカップを手に取る。


「ね、あなたの願いは叶ったでしょう?」


 憎らしいほど澄ました顔で、そんなことを言っている。

 反射的に否定したくなったけど――ちらりと隣を見れば、懐いた子犬のような無垢な瞳で、橘くんが私を見下ろしていた。


『無垢な目をしてるのは恵梨さんの方だよ、子犬どころか、君の瞳は宝石みたいだ。純粋で、きらきらしてて。おぼえてないかな? 同じクラスになったばかりの頃に、日直で一緒に仕事したこと。僕、実はあの頃から恵梨さんのことが――』


 彼の思い出の中の私はずいぶんきれいで、なんだか自分でも自分が分からなくなりそうだ。


 おぼえているかと聞かれれば――そう、おぼえてはいた。

 二人で日直をしてたとき、先生から叱られそうになったとき。

 前の授業の先生が「まだノートを取ってる子がいるから、黒板は消さなくていい」と言ってたのに、次に来た先生にはその話が伝わってなくて、日直は何をしているんだと言われて――ううん、先生がそう言うなって分かった瞬間に、立ち上がった私が凛とした態度でそのことを主張した瞬間。とっさに何も言えなかった橘くんの方を振り向いて、きらきらした目で彼を見詰め、微笑みかける自分の姿――と、いう感じで橘くんの脳裏には残っているらしい。

 私がおぼえてるのは、ただその時に目が合ったな、ということだけだ。


『女神が降臨したのかと思ったよ。ほら、僕はあんまり喋るの上手くないから、きっと何も言い返せずに無駄に叱られてただろう。それを助けてくれたのが恵梨さんだった。あんなにも生き生きと立ち上がる女性、初めて見たんだ。それからずっと君のことが気になって……』

「そんな、それは……ただ、理不尽に叱られるのが嫌だっただけで、そんなことは別に大したことじゃないよ……」


『大したことだったんだ。僕にしてみたら、世界がひっくり返ったみたいだった。ね、僕が恵梨さんのこと大好きな理由が分かるでしょう』

「わっ、わ、分かんない……」


 私は思わず橘くんから目を逸らした。

 店主さんは静かにカップを置く。


「……それで、どうしますか? 返却してもらえば、アミュレットの効力はなくなりますけれど」

「えっ、そ、それだけでいいんですか?」

「もちろん。お試しでつけてもらったものなんだから、そんなに解呪が難しい代物じゃありません。だけど……あなたは本当にそれでいいの?」


 店主さんの目が私をじっと見つめる。私は反射的に頷こうとして――


「い、いいに決まって――」


 頷こうとして、でも言い切れなかったのは、きっと隣の橘くんが捨てられる前の子犬のような寂しそうな目をしてたからだと思う。


『僕、あんまり喋るの上手くなくて。本当はもっとずっと前から恵梨さんに話しかけたかった。だけど、いざとなるといつもタイミングを逃したり、上手い言葉が出てこなくて。だから、もしこの道具でそれが何とかなるなら……もし、恵梨さんが良ければ……』

「そ、そんなこと言ったって、ずっとこれつけてる訳にもいかないじゃない!」


「一か月後に買い取ってくれたら、それは永遠にあなたのものになりますよ」

「そ、そういうことじゃなくて……」


「あなたが身につけているのが嫌なら――そうだな、このアミュレットは、好意を持つ者同士のどちらがつけてもいいんです。だから、逆に彼の方がつけるという手もありますが」

「えっ……? そ、それは」

「そうなんですか?」


 橘くんの目がきらりと光る。もしかして、と思ったところで彼の声が聞こえてきた。


『じゃあ、逆に僕が買い取って僕がつければ、恵梨さんの――』

「それだとおかしいじゃない……!」


 それじゃ、私が橘くんのこと好きってことが前提になって――ん? 既に私の声が聞こえてるってことは、それはつまり――ああ……もう、何も考えないことにしよう。


『恵梨さん! 嬉しいよ、僕……恵梨さんのこと大事にする!』

「待って、まだそんな話になってないから! それに私、あなたの声を聞くのは好きだけど」

「そう、好きなんだ……」

『ありがとう! 嬉しいな、僕も恵梨さんの声がすごく好きで――』

「待ってってば! 声は好きだけど、私の声を勝手に聞かれるのは嫌! だって、私、自分の言葉は自分でちゃんと伝えるもの!」


 橘くんが目を見開く。可愛い丸い目がますます丸くなって、なんだか微笑ましい。

 私はすうと息を吸って身体を捻り、橘くんに向き直った。


「――あの、私、やっぱり橘くんのことが好きみたい。どんな風にかは、まだはっきり分かんないけど。だから――その、まずはお友達から始めてくれると嬉しい」


 差し出した手を、橘くんは、大きな手でゆっくりと握り返してきた。


「……うん、僕も嬉しい」

『友達からだって、これはもっと先のチャンスがあるヤツだもんね。これで、大好きな恵梨さんと今までよりもっと話ができるなら』


「僕、頑張って柳原やなはらさんのこと、楽しませられるようになるよ……話術とか」

『恵梨さんが褒めてくれたから、スポーツも頑張るし勉強ももっと頑張るしもっと格好良いところ見せられるようにするね!』


 にこにこしながらそんなことを言うものだから、私はまた恥ずかしくなってきて、慌てて両手を振りほどいた。


 まだブレスレットはつけたままだから、私の声は橘くんにも聞こえてるはずだ。

 なのに、彼ときたら、なんにも分かんない顔してにこにこしてるから憎らしい。


 まあ、とりあえず一か月は無料らしいし、もうしばらくこのブレスレット、借りておこうかな。

 せめて、橘くんの考えてることが、彼の少ない言葉から分かるようになるまで。


 私の考えたことが伝わったのだろう。途端に、橘くんがぱっと顔を赤くする。

 そう――橘くんが、生の声で私のこと、名前で呼んでくれるようになるくらいまで、ね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 橘君のこの饒舌さは、きっと成績の良さにも由来しているんだなあ、という恥ずかしくなってしまう美辞麗句でした! 唐突に壁のシミに意識を逃がす場面が楽しかったです。 聞こえてしまうのが困る、とい…
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