第5話 名ばかりの魔王
朝目が覚めると、そこは白と藍色を基調とした、なんとも綺麗な作りの部屋だった。
体を包んでいる布は、これまで使ったことのある寝具とは次元の違う手触りだ。すごく柔らかい上に、重さを感じない。まるで柔らかい水みたいだが、とてもサラサラしている。これが異世界の寝具かと、その現実離れした感覚にうっとりしながら自分の置かれている状況を思い出した。
(――良かった。現実だ。)
天井を見上げながら、あれほど待ち望んだ現実逃避を成し遂げたにも関わらず、心がざわつくのを感じた。昨日はあまりにもバタバタしすぎてゆっくり考える余裕など無かったが、元の世界はどうなっているんだろうと不安になった。
(今日は土曜日だからいいだろうけど、月曜日出勤しなかったら問題だよな。無断欠勤が続けばクビだろうし。迷惑かけるんだろうな。親にも連絡取れないのはちょっと申し訳ないよな。自分の子供が行方不明とか・・・ごめんな、母ちゃん、父ちゃん。)
ぼんやりと考えていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「はい。」
「お食事のご用意が出来ましたので、ご案内致します。」
「あ、ちょっと待ってください!」
頭ボサボサのまま、顔も洗わずにたくさんの人に会いたくないと、部屋の中を見渡す。すると、化粧台のような鏡を見つけた。鏡をのぞき込むと、なんともまぁ冴えない男が映り込んでいた。
「うわー。ブッサ・・・」
「魔王様、失礼いたします。」
痺れを切らしたのか、ドアを開けて若い女の人が現れた。こちらの世界のメイドさんみたいな人だろうか。
「おはようございます、魔王様。お食事の準備が出来ましたので、ご案内させていただきたいのですが。」
「おはようございます・・・あの、他の人もいますよね?できればその前にお風呂入れたらなーって思うんですけど。」
「お風呂・・・ですか。」
なんとなくだが、怪訝な顔をしている気がする。
(あれー?なんだこの女。ちょっと態度悪くね?俺魔王様なんだよね?一番偉いんだよね?しかも可愛い顔してんのが余計腹立つわ・・・)
「寝ぐせとかすごいんで、ちょっと顔洗って頭直して行かないと、他の方に失礼かと思って。」
(なんでこんなモブに気つかわなきゃいけないんだろ。腹立ってきた。)
心のメモにこの失礼女をサラっとメモし、後でどうやってとっちめようか楽しみにすることにした。すると、失礼女が「失礼します。」と言いながら、俺の目の前に来て両手を広げた。とっさのことにビクッとしたが、失礼女はその手を俺の顔の横に近づけた。何をされるのかとキョドっていると、彼女の両手からとても暖かい波動を感じた。次の瞬間、彼女は一歩下がって、俺にお辞儀をした。
「これでいかがでしょうか。昨夜のお風呂上りにお見かけした状態に近づけてみたのですが。」
そう言われて、何が何だかわからないと頭をかこうと手を伸ばすと、さっきまでのゴワゴワ頭ではなくなっていた。慌てて鏡に目をやると、昨夜の宴会時の髪型に戻っていた。それどころか、目ヤニもとれてるし肌もスッキリしてる。
「これでしたらお食事にご案内してもよろしいですか?」
「あ・・・はい。」
(すげー!魔法だ!え、本当に魔法の世界なんだ!でも初めての経験した魔法がお風呂の代わりって。なんか微妙・・・てか、やっぱりこの女失礼な気がする。キライ。)
失礼女に案内されるまま、廊下を歩いていく。昨日の施設もそうだったが、やはり旅館のようなつくりだ。どことなく落ちつく。昔の魔王が作らせたらしいが、その人は建設関係か旅館で働いていた普通の人だったんだろうか、と考えながら歩いていると、失礼女がこっちを向いた。
「こちらでございます。」
そう言うと、失礼女は扉を開いた。昨日の宴会場とは違い、この部屋はどこか洋風だ。昨日の宴会で見た顔がちらほら見えるが、昨夜に比べれば随分少ないようだ。俺が部屋に入ると同時に、長テーブルを囲っていた全員がその場に立った。
「おはようございます、魔王様。」
ベンデルさんが右手を胸に当て、頭を下げて挨拶してくれた。ベンデルさんに続いて、部屋の全員が同じように頭を下げた。
「おはようございます、皆さん。お待たせしてしまったようですみません。」
俺も皆に応えるように軽く会釈をした。そのままベンデルさんとヴォルドさんの間の席に促され、席に着き、それに続いて他の皆も席に着いた。俺が入ってきた扉とは別の、奥の扉が開き、失礼女と同じ格好をした女性たちが食事を運び入れてくる。
料理がテーブルの上に瞬く間に並べられ、見たことのない色とりどりの品が食欲をそそる。静かな雰囲気の中、皆が食べ始めたので、俺も同じように食べ始めた。皆喋らずに食器の音だけが部屋に響く。
なんとなく気まずい・・・と感じながらも、昨夜の会席料理とはまた違った、食べたことのない味わいが、口内を駆け巡る。まさに朝食にピッタリの味付けだ。新しい味を楽しんでいると、ベンデルさんが手を休めて言った。
「昨夜は楽しんで頂けたようで何よりでございます。」
「えぇ。ああいった席は久しぶりだったんですが、すごく楽しめました。」
「それは何よりでございます。料理人たちも喜ぶでしょう。」
ベンデルさんはそう言うと、「さて。」と続けた。
「本日は、お食事の後に別室にて今後のお話をさせて頂きたく存じます。」
「わかりました。」
朝食を終えると、一度部屋に戻って着替えるようにヴォルドさんに言われ、一緒に俺の部屋に向かった。
「そういえば、昨日見た頭首さん全員はいなかったですよね?他の方はもう帰られたんですか?」
「えぇ。ほとんどのものは魔王様がお休みになられてから、昨夜のうちに各自の領地に戻りました。さっきの部屋にいたのは、少しゆっくりしたいと残った党首達です。ここは魔族領の中でも普段から保養地として使われているので、頻繁に来るんですよ。昨日の星の湯意外にもたくさん温泉があるので、今日の夜にでもご案内しますよ。」
「そういえば、朝俺の部屋に迎えに来た女の人、あれ何なんですか?メイドさん?」
「えぇ。狼の者です。ここの従業員は皆、狼の者たちですよ。」
「あーそうなんですか・・・」
(あの失礼女の悪口言おうと思ったけど、ヴォルドさんとこのメイドならやめといた方がいいかなぁ。なんか五月蠅い小姑みたいに思われるのも嫌だし、黙っとこ。)
部屋につくと、ベッドはきれいな状態になっていた。まさに旅館という感じだ。
「お召し物はこちらですよ。」
ヴォルドさんはそう言って壁に手を当てると、クローゼットが開いた。今までに見たことのない量の服がズラーっと並んでいる。その中に、俺が着てきたスーツも掛けてあった。クリーニングに出したみたいに綺麗になっている。
どんなのがあるか見ていると、ヴォルドさんが1着出してくれた。濃紺の和服みたいなつくりになっている。さっそく着てみると、着心地はこれ以上ないくらい良かった。なんでも魔力が練りこんである特別性らしく、着用者に自動でフィットするんだそうだ。動きづらそうかと思ったが、さっきまで来ていた浴衣よりだいぶ動きやすい。
「お似合いですね。」
「これが魔王の正装みたいなもんなんですか?似たような形の服が多いですけど。」
「魔王様が何を着ていようと、それが正装となるのです。ですから、魔王様はしたい格好をすればいいのですよ。ちなみにこのクローゼットの中は、魔王様の好みに合わせた服が用意されるようになっているんです。ですから、着たい服があればそれを望むだけで望んだ服が用意されるらしいです。魔王様が召喚されたときに身に着けていた衣服は別ですけどね。」
「さすが魔法の世界ですね。なんでもありじゃないっすか!みなさんも同じようなの持ってるんですか?」
「いいえ、魔王様専用ですよ。というか、この部屋自体が特別なんです。代々の魔王様が、この部屋で暮らしてきたんですよ。魔王様の波長を読み取って、この部屋自体が形を変えるんです。言うなれば、この部屋のデザインは魔王様がお決めになられたってことです。白と濃紺のバランスがとても綺麗ですよ。」
「俺、実はセンスいいんですね。あれ、でも代々の魔王がこの部屋だって言いましたけど、毎回狼の領地に召喚されるわけじゃないんですよね?領地が違うのに部屋が同じってどういう意味ですか?」
「この部屋の凄いところは、魔族領のどの領地にも門が繋がるってとこなんですよ。今は狼領と繋がってますが、魔王様が望めば他の領地にも容易に行けますよ。ま、今代は俺んとこにいらっしゃったんで、他の領地になんて行かせませんけどね!」
(俺んとこって・・・え、ほんとにこの人無自覚?今のって、「お前は俺の物だ!他の奴に渡すもんか!」の同意語だよね。駄目だわ、心のブレーキ壊れそう。)
「ご馳走様です。」
「はい?」
「いえ、なんでも。さぁ、着替えも終わりましたし、ベンデルさんのところに行きましょう。」
ヴォルドさんに連れられてやって来た部屋には、ベンデルさんの他に、宴会の時にベンデルさんの隣に座っていた一角獣のユリさん、顔面がどうみてもライオンの獅子のレグレスさん、熊耳プロレスラー体系の大熊のメレズさん、そして背中から生えた白い翼で天使にしか見えない白鳥のセレスさんが待っていた。
朝食の時にもいた面子だが、他の頭首陣はもう帰ったのだろうか。朝食の時と同様、俺が入室するとそれに気付いた皆さんが俺に向かって右手を胸に当て、頭を下げる。
近づいていくと、ヴォルドさんに映画でどっかの王様が座っていそうなたいそう立派な椅子へと案内された。座り心地はなかなかどうして悪くない。俺が座ったのを確認すると、ヴォルドさんは他の頭首さん達と同じように俺の前に横一列に並んだ。そして、レグレスさんが一歩前に出る。
「魔王陛下、発言の許可を。」
ヴォルドさんよりも大きい、2メートルはあるであろうライオン顔のレグレスさんは、この部屋で最も魔族らしい風貌をしている。ライオンは動物園で見たことがあるが、飼育されているからかそこまで怖いというイメージは持たなかった。しかし目の前にいるのは、これぞ百獣の王!と思えるほどのオーラを放つ存在だった。目の前に何の遮蔽物もない為、いきなり襲われたらどうしようかとビクビクした。
「はい、どうぞ。」
「昨日、ベンデル殿よりこの世界について話があったかと思いますが、魔王陛下には我ら魔族を率いて人類の殲滅をして頂くこととなります。まずはそれについて、魔王陛下のお心をお聞かせ頂きたい。」
「といいますと?」
「魔王というのは代々異世界より召喚される存在です。中には戦いとは無縁の世界より召喚され、人類の殲滅に否定的な考えを持った方もいらっしゃったそうです。その為、今代の魔王陛下にお聞きしたい。あなたは、人を殺せますか?」
(俺も戦争なんて教科書とか映画でしか知らないからなぁ。それに人殺しとか・・・あんまりピンとこないし。)
「その前に一つ確認したいんですけど、具体的にはどうやって人類殲滅するんですか?魔族は魔法を使えるそうですけど、俺にも魔法使えるんですかね?元の世界に魔法っていう概念はありましたけど、実際それを使える人は誰もいなかったんで。その魔法で戦う感じですか?」
「魔王陛下は魔族の代表となる方ですので、魔法の行使は可能です。ただ、魔王様には魔法は必要ありません。」
「え、じゃぁどうやって戦うんですか?俺格闘技の経験もないし、運動神経もいいわけではないんですけど。」
「異世界より召喚される魔王と勇者には、『権能』と呼ばれる力が神より与えられます。これがどういった力なのか詳しくはわかってはおりませんが、召喚された者それぞれで発現できる能力が異なるのです。この『権能』は、この世界では魔王と勇者にしか使えない力とされており、それ故強大な力を発揮できるのだそうです。故に、魔王陛下にはご自身の『権能』を使い、戦って頂くことになります。」
(『権能』ねぇ・・・。『スキル』とか『ギフト』みたいなもんかな。)
「俺のその『権能』って、どうすればわかるんですか?」
俺の前に並んだ全員が、驚いたように俺の顔を見つめる。
(え、何何?なんか変なこと言った?)
「魔王様は・・・ご自身の『権能』がわからないのですか?」
ベンデルさんが怖い顔をしている。
「え・・・わかんないです。」
皆が、突然慌てたように話し始めた。
「・・・そんな馬鹿な。そんな話、聞いたことがない。」
「どういうことです?『権能』は最初から使える力ではないのですか?」
「セレス!『権能』に関する記録を片っ端から調べてください」
「メレズ、貴方も一緒に。」
「私も参ります。魔王様、一度失礼致します。お許しを。」
そう言うと、ユリさん、セレスさん、メレズさんが部屋から慌ただしく出ていった。
部屋にはベンデルさんとレグレスさん、そしてヴォルドさんが残った。
ベンデルさんとレグレスさんが言い合いをしている。
何が何やらわからず、ヴォルドさんに目で助けを求める。気づいたヴォルドさんは、俺の横に来てくれた。
「魔王様、今のは本当なんですか?『権能』がわからないって。」
「それってかなりヤバイですか?」
「正直言って、絶望的です。それだけ『権能』ってのは強大な力なんですよ。俺もそうですが、皆それを頼りにしてたってのがデカイですからね。」
「えー・・・そんなこと言われても。『権能』の調べ方とかないんですか?」
「過去の記録にそういったことがないか、セレス殿たちが調べに行きました。俺も聞いたことがありませんね。歴代の魔王様の中には、召喚されてたった3日で、当時の人類の3分の2を殺したって話もありますから。なんとかなりませんか?」
「なんとかって言われても・・・。待ってくださいね。」
俺は目をつぶって、俺に秘められているであろう力を一生懸命感じ取ろうとした。
ここに来る前の感覚と、今の感覚で違うところはないか?と考えてみたり、召喚ものでありがちの「ステータス」と唱えてみたり、手を前にかざして「権能!」とか言ってみたが、全然駄目だった。とてつもなく申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「俺召喚されましたよね?他の人と間違えてるとかありませんよね?」
「魔王様が召喚されたところは、皆が目の前で見ておりますので、安心してください。こちらこそ、魔王様を責めるようなことを言って申し訳ございません。大丈夫です、きっとなんとかなります。」
ヴォルドさんはそう言って、俺の肩をやさしく掴んでくれた。心細さを感じていた俺に、その手はとても暖かく感じられた。
異世界召喚されて、現実逃避できたにも関わず、こっちの世界でも嫌な気持ちになるなんて、とため息が思わず出る。すると、ベンデルさんとレグレスさんの話がちょうど終わったようだ。レグレスさんがまた一歩前に出て口を開いた。
「陛下、取り乱してしまい申し訳ございませんでした。只今セレス達が『権能』について調べております。陛下にはなんとしてでも、ご自身の『権能』を使っていただけるようになってもらわねばなりません。我等もなんとか術がないか探します故、何卒ご尽力いただけますよう。」
「こちらこそガッカリさせてしまい申し訳ないです。できるだけ頑張ります。」
「では、『権能』の件はいったん保留として。先ほどの話に戻りますが、人類の殲滅に対してのお考えをお聞かせください。」
これ以上失望させるわけにはいかないだろう。求められた力も見せられないのに、やりたくないなんて言えない。
「俺は必要とされて召喚された身です。皆さんが必要とするなら、できるだけそれに応えたいです。」
「そう言っていたただけて、ひとまずは安心致しました。『権能』については、わかり次第ご報告をお願いいたします。それまで、このことはここだけの秘密とさせて頂きます。幸い、人類に勇者が召喚されたという情報は入っておりません。人類側には魔王様が既に召喚されたという情報は既に届いていると思われますので、『権能』の件を伏せておけば牽制にはなりましょう。」
「俺と同時に勇者も召喚されたわけではないんですね。」
「えぇ。過去にも、魔王と勇者が同じ日に召喚されたという例はそれほど多くはございません。その為、本来であれば先に召喚された側が有利に立てるのです。それだけで相手を精神的に追い詰めることもできますからね。この利を逃すわけにはいかんのです。」
「魔王様、続きはセレス達が戻り次第とさせて頂きたく存じます。」
ベンデルさんはそう言うと、レグレスさんと共に部屋を出ていった。
俺は自分の不甲斐なさに項垂れながら、ヴォルドさんと自室へ戻ることにした。
読みずらいので、マハト→権能にしました。