クリス・ベノワ
『クリス・ベノワ』 一九六七~二〇〇七
四〇歳
少年時代にプロレスに憧れ、高校卒業後故郷のカナダでプロレスラーになるための研鑽を積む。一八歳でデビューした後、新日本プロレスで『ペガサス・キッド』のリングネームで活躍する。
その後アメリカを本拠地とし、中堅団体を渡り歩き、世界最大のプロレス団体WWE(当時の名称はWWF)に移籍する。
ベノワは身長一八〇センチ体重一〇〇キロとヘビー級のレスラーとしては小柄な体格ながら、優れた技術と闘志あふれるレスリングで人気レスラーとなる。
そしてついに二〇〇四年、年間最大の大会『レッスルマニア』のメインイベントの舞台で世界ヘビー級王者となる。三六歳で遅咲きの花が咲いた。長く険しい旅路の末、頂点に到達したのだった。
全世界で巡業が行われるWWEのトップレスラーは過密スケジュールである。ベノワはあちこちガタがきた身体で世界中を回って試合をした。
二〇〇七年、ベノワは出場予定だった特番を「家庭の事情」を理由に急遽欠場する。その翌日の六月二五日に自宅のトレーニングルームで首を吊った状態で発見される。同時に妻と息子の死体も発見された。
警察の調査の結果、二二日に妻を縛った上で絞殺、翌二三日に息子に薬物を投与し意識を失わせて窒息死させたあと自らの首をくくったものと判明した。
一家心中の動機としては難病を持つ息子の将来を悲観した、などという説が当初挙げられていたが、九月に医療専門家らが慢性的な外傷性脳損傷が原因という見方を示した。ベノワの脳の状態は八五歳のアルツハイマー患者の脳に酷似していた。
事態を重く見たWWEは、ベノワに関する一切の情報をHPから削除した。社長のビンス・マクマホンは「今後彼の名前が番組ないでかたられることはない」と発言した。ベノワが身を粉にして奮闘したWWEのリング、そこには彼はもともと存在しなかったレスラーだと見做された。