岡田有希子
誰かの『死』は残された者達の心に大なり小なり波紋を投げかける。しかしながら、必ず時間とともに波は静まり忘却される。
山田風太郎氏の著作『人間臨終図鑑』に敬意を表し、ここに私の人間臨終図鑑を残すことを決意する。淡泊に記録された人間の死に様が、あなたの心に波風を立てればさいわい。
『岡田有希子』一九六七~一九八六 一八歳
小学生の頃から芸能タレントに憧れ、中学三年生の時にオーディション番組を通じてデビューを目指すも、両親から激しく反対される。母親から、オーディションを受ける条件として『学内テストで一位になること』『模試で学内五位以内に入ること』などの不可能と思える難題を課されるが、猛勉強の末にすべてをクリアする。
そして一七歳でデビューしたアイドルは、ポスト松田聖子と呼ばれ人気を博することになる。
一九八六年四月八日午前十時ごろ、南青山の自宅マンションでリストカットを行いガス自殺を図る。異臭に気がついた住民の一一〇通報により未遂に終わる。レスキューが駆けつけた際には押し入れの下段にうずくまり泣いていたという。
すぐに北青山病院に搬送され治療した後、精神状態は安定していると判断され、芸能事務所専務の迎えの車で事務所へ戻る。
専務とマネージャーの目を盗んだ彼女は部屋から姿を消し、事務所屋上七階から身を投げた。現場は人通りの多い四谷の路上だった。当初は、真昼の路上に横たわる遺体は岡田有希子のマネージャーではないかと報道されたが、のちに岡田有希子本人であることが確認された。
岡田有希子の死後、少年少女の後追い自殺が社会問題となった。人気絶頂の若いアイドルの死は、芸能人も悩みを抱える一人の人間なのだと世間に印象づけた。