後編
どんな気持ちで過ごせばいいのだろう。
このところ色々悩んでは答えのでない迷路に迷い込んでいるようだった。
家同士の婚約に、感情を持ち込んではいけない。
そんなことはわかっているはずだった。
特に王家に嫁ぐ身であるならば、国の為にあらゆる感情を制御しなくてはならない。
…たとえ、恋焦がれる相手が自分を見てくれなくとも。
今日は雨だ。
学園のテラスで思考に捕らわれていたカメリアは、雨空をのぞきながら一人つぶやいた。
「この雨のように、私の感情もどこかへ流れていけばいいのに」
すぐそばの通路の先が、少し騒がしいようだった。
パタパタと足音がし、遠くに「お待ちくださいませ」と声が聞こえる。
だんだんと近づいてくるにつれ、その人物がだれかはっきりわかった。
シティス様…可愛らしく、愛されるお姿をした男爵令嬢。
そして、最近いつもユードラン殿下のそばにいる唯一の女性。
男性の庇護欲を掻き立てるような細い肩、潤んだ瞳、はかなげな佇まい。
プラチナブロンドの髪の毛はゆるくウェーブがかかっており、ピンクブラウンの瞳は人々を魅了する。
私の隣を通り過ぎようとする時、こちらに気が付き足を止める。
「…カメリア様…」
冷たい声で私の名前を呼ぶ彼女は、一瞬私を睨んだかと思うと持っていた本を手放した。
「あっ…(落ちる)」
落ちそうになった本に手を伸ばし、食い止めようとした瞬間だった。
「…あっ、キャーッ…」
シティス様は床に倒れこんでいた。
何が起きたかわからないまま、助けようと手を伸ばしたその時。
「シティスに触れるな‼」
シャードン様が走り駆けつけてきた。
何故かその顔は私に対しての怒りに満ちていた。
状況を説明しようと口を開きかけたが、シャードン様はそれを遮るように告げた。
「私たちはこの通りの向こうから見ていた。カメリア嬢、貴女がシティスを突き飛ばすのを‼」
振り返るとそこにはユードラン殿下とアリストロッシュ様、ヴァレリアンが一緒に立っていた。
ユードラン殿下には表情はなく、アリストロッシュ様は今にも剣を抜きそうな形相だ。
ヴァレリアンにいたっては「いつかやるんじゃないかと思ってた」などと言い放った。
「…ちがうのっ、私は落とした本を拾おうと…」
動揺で、前後の説明をする事ができない。
「あーあ、言い訳なんかしちゃってるよ」
近づいてきて、本を拾い上げながらヴァレリアンが私を軽蔑するような目で威嚇する。
「わ…私が悪いんです。カメリア様の気分を害する何かをしたのでしょう…」
床に髪の毛を波のように広げ、目には涙を浮かべ懸命にこらえる様子でシティス様が言う。
「大丈夫だから…」とよろけながらなんとか立ち上がったシティス様は、周囲を説得しつつ移動していく。
結局、私の言い分は聞いてもらえなかった。
私は公爵令嬢にしては、威厳や貴族らしさが足りないのかもしれない。
どうすれば良かったのか…答えはでない。
ユードラン殿下はこんな私をどう思ったのだろうか。
移動していた集団から、ユードラン殿下がゆっくりと振り返り声をかけてきた。
「カメリア嬢、貴女は疲れているのだ。一度ゆっくり休むといい」
どう受け取ればいい?
私は、ゆっくり微笑みながら殿下へ返事をする。
「もったいないお言葉ありがとうございます、殿下」
他の誰に言われてもこんな風には思うことはないはずだが、私にはこう聞こえてならない。
・
・
・
「もう貴女は必要ない。王妃教育などやめてしまえ」と。
◇◆◇
振り返れば、いつ破棄されるかと怯えて過ごす毎日だった。
卒業パーティーとはいえ、解放されるんだ。
閉じた目をもう一度、ユードラン殿下へ向け覚悟を決める。
この焦がれた想いに、やっと終止符を打つことができる。
王妃になれないよりも、婚約を破棄されるよりも、そのことが一番重要なように思えた。
こんな苦しい思いをするならば、いっそ貴方の手でケリをつけて欲しい。
私なんかいらない、そばにいなくても構わない、そう言葉で示してほしい。
いつの間にか、広間に王妃様まで来て成り行きを見守っているようだった。
やはり、断罪なのだ。
私がいたらない、その結果がこれだと言うのか。
「…誰と、誰の婚約破棄だ?」
そんな、的を得ない言葉が聞こえてくる。
全員がその声の主に注目する。
ユードラン殿下に表情はない、ふざけているわけでもないらしい。
「殿下‼…殿下とこのカメリア嬢の婚約破棄に決まっているではないですかっ」
シャードン様が「何故わからないのか」と言わんばかりに、ユードラン殿下へ詰め寄っている。
私もユードラン殿下が同意するものだと思っていたので、どういうことかと見つめ続ける。
「私たちのシティスに対する仕打ち、殿下も見ていたでしょう?」
「この女、カメリア嬢がシティスを疎ましく思ってしでかしたに決まっている」
アリストロッシュ様も珍しく、声を荒げて抗議している。
私…疎ましく思って、何かしたことなんて一度もないのだけれど。
「だから…このシティス嬢が何かされたかもしれないということが、私とカメリアとの婚約に何の影響がある?」
その場の全員が、ユードラン殿下を見て息をのむ。
まともなことを言ってはいるが、この場にはそぐわない。
「殿下っ、私今迄たくさん我慢してきたんですっ」
「そうですよ殿下、シティスが学園で令嬢たちに冷遇されてきたのはすべて、あの女の仕業に違いないんだ」
たまらないと涙ぐむシティス嬢と、怒りに満ちたヴァレリアンが殿下に訴える。
「そういうのはシティス嬢とその身内、婚約者がやるべき問題だ」
「そもそもシティス嬢は誰の婚約者なんだ?誰かの婚約者として、この集団にいるのではないのか?」
ユードラン殿下は興味がないという仕草で、顔をそむける。
そして、何故か私の方をチラリと見る。
「今の発言によるとシティス嬢に起こったことの原因が、カメリアの仕業だと言っているようだが…確信はあるんだろうな?」
「仮にも陛下がお決めになった、王太子の婚約者だ。証拠もなく糾弾しているのであれば、それ相応のことと、覚悟をしてもらうが」
冷たく周囲にいる自分の側近たちに問いかける。
「っ、殿下は…殿下は私のことを愛しく想ってくれているのではないのですか?だからこそ、私をカメリア様よりそばに置いてくれているのではないのですか?」
シティス嬢の目がすがるように、ユードラン殿下へ問いかける。
溜息をつきながら、ユードラン殿下は答える。
「私の想う人は、後にも先にもカメリアだけだ」
憂鬱そうだがはっきりと、言い切ったユードラン殿下へ私は目を見開いた。
「先程も言ったと思うが、私は貴女がこの側近中の…誰かの婚約者だと思っていた。だから、同じ場所にいることに異議を申しつけることもなかったが…」
カメリア以外に興味がないユードラン殿下は、誰が誰と婚約しているかを把握していなかった。
「では、ではなぜっ…カメリア様と距離をとられているのですか‼」
そう、そこなのだ。
周囲の子息も令嬢も、そこがわからなかったためユードラン殿下もシティス嬢へ想いを寄せていると思っていたのだ。
「他人に説明することでもないが、私は以前に王妃教育に行き詰っているカメリアに対し、もっと私と過ごしてほしいと頼んだことがある」
「その時、王妃教育の中心を担っていた母上に『お前は一時の感情で永遠にカメリア嬢を失うのか』と叱責されたのだ」
「カメリアを失うなんて、ありえない」
「カメリアの気持ちを推し量ることと、大きな視野で見れなかった自分を振り返り、せめて学園卒業まではカメリアの重荷にならぬよう最低限の接触と見守ることを決めたのだ」
そう話すと、カメリアのそばまで来て頭を寄せて語り掛ける。
「私のリア、今日で学園も最後だ。もう我慢しなくてもいいだろうか?私のそばでともに過ごしてくれるだろうか?」
「殿下は…私でもよいのでしょうか?私は、不出来で…」
「私の可愛いリア、そんなことはない。私こそ未熟で貴女を悲しませた」
「言葉にすると、貴女への想いで気が狂いそうになる…」
「そこまでです‼この件は、私が預かりましょう」
それまで傍観していた王妃が、場をまとめ声を上げる。
自分たちの事でいっぱいだったシャードン様、アリストロッシュ様、ヴァレリアン、シティス様が改めて王妃様がいることに気が付く。
しでかしたことの重大さに気がついたのだろう、顔色が悪い。
それもそのはずだ、陛下の取り決めた国の婚約に異議を唱え、破棄を促した罪は重い。
そして、次期王妃となるカメリアに対しての糾弾。
その中にはカメリアに罪をかぶせようとした、疑惑もある。
4人は騎士たちに連れられ、広間をあとにした。
「私のリア、どうか私の事をドランと呼んで…そしてどうか私と、ダンスを踊っていただけませんか?」
「はい…はい、ドラン様っ」
「(本当にこれは現実なの?)」
幸せな気持ちが溢れる中、あの恋焦がれたドラン様とのダンスがはじまる。
手を引かれ、大きくドレスの裾をまわし、向かい合いお辞儀をする。
それだけで目に涙が浮かび、笑みがこぼれる。
お互いの両手を取り、顔を寄せる。
私はこれで、歩いて行ける。ドラン様のそばで、ともに。永遠に…。