中編
そんな日々が少し落ち着き、王宮での教育がひと段落ついたとき…学園では少し変化がおこっていた。
一人の男爵令嬢が王太子殿下とその周囲を取り巻きとして、侍らせているというのだ。
「王太子殿下が?まさか…」
いつも優しく私の名前を呼んでくれる殿下がそのようなことをと、信じることはできなかった。
誰かが言う殿下の話ではなく、自分で確かめなければ…。
そう思い、急ぎ殿下の教室に数名のご令嬢と向かっていると目的の人物と出会うことになった。
その集団は、食堂に向かっているところだった。
「取り巻きを引き連れて、ご苦労なことですなカメリア嬢。その人力を持って学園内に王国でも作るおつもりですか?」
声をかけてきたのは、宰相子息のシャードン様だった。
…たぶん、シャードン様は私の事が嫌いなんだろう。
蔑む視線が、私を貫く。
一瞬体がすくんだが、何か言い返さねばと力を入れたその時。
「…急ぐのですまない」
手早くそう言い、私の隣をすり抜けて行ったのは優しく愛おしい目で見てくださっていたあのユードラン殿下だった。
こちらを一瞥し、足早に進んでいく。
男爵令嬢のシティス様と一緒に…。
「…どけ、邪魔だ」
ユードラン殿下に遅れまいと、付き従うアリストロッシュ様が言う。
驚きを隠せず眺める私に、弟のヴァレリアンが声をかける。
「貴女の可愛げのない態度に、嫌気がさしたのかもね」
鼻先で笑いながら声をかける様子に、一緒にいたご令嬢で彼の婚約者が彼を諫める。
彼女もまた、彼らの変化にとまどう一人であった。
「ヴァル様‼」
肩をすくめながら、王太子殿下の後を追う弟。
かの弟は、いつから私を「貴女」と呼ぶようになったのだろう。
「そばにいてほしい」その言葉をもらってから、そうあるために頑張ってきた。
何もかもが、私から遠ざかって行く…そんな感覚が襲う中、私はただこちらを見ない、ユードラン殿下の後姿を目で追う事しかできなかった。
◇◆◇
私が思う以上に何か、ユードラン殿下にしてしまったのだろうか。
恋い慕うユードラン殿下の変化に、一人悩んでいても日々は過ぎていく。
今日は王宮で催す夜会がある。
本来ならば、婚約者の家にはドレスが届きエスコートをする旨の手紙が届くはずである。
ユードラン殿下からはどちらもない。
溜息がこぼれる。
どんな理由があろうとも、王太子殿下の婚約者として王宮が催す夜会を欠席するわけにはいかない。
悩みすぎて重い頭を押さえながら、夜会への準備をはじめてゆく。
それでも恋焦がれるユードラン様の為、綺麗に装わなければ。
体を磨き、化粧をし、ドレスを纏う。
そこには「柔らかく微笑む赤い花姫」の仮面を付けた自分がいた。
鏡に映る自分を見て、涙が出そうになった。
「…ばか…みたいっ…」
気乗りのしない支度は、思った以上に時間がかかったた。
急いで出かけるよう、玄関へ進む…エントランス何故かが騒がしい。
なにか起きたのかと、顔をのぞかせるとそこにはユードラン殿下がいた。
「殿下っ」
思わず足が、体が駆け出した。
「エスコートは必要ないかと思ったが…」
必要ないわけがない、婚約者という立場だ。
何故ユードラン殿下がそのように思うのかわからないが、差し出された手に手を重ね、失礼のないように微笑む。
「ありがとうございます、殿下」
精一杯微笑んだつもりだったが、一瞬ユードラン殿下の顔がゆがんだ。
「くっ。…礼にはおよばない…行くぞっ」
殿下のエスコートで、夜会に向かう馬車に乗り込む。
対面に座ったユードラン殿下を、そっと覗き見る。
窓の外を見るユードラン殿下は、月明かりに照らされ少し寂しそうにも見える。
綺麗な面差し、少し長めな髪の毛はその輪郭を光りながらふちどる。
言葉を交わすことなく、王宮へ着くと会場へ向かう。
ふと、ユードラン殿下の速度が弱まり後ろから両肩をつかまれる。
「えっ、殿下…」
視線を感じる、首筋がうっすらと赤く染まっていくのがわかる。
少しそうして、背後で動く気配がしたが。
「なんでもない…」
ユードラン殿下はそう言うと、そのまま夜会へ向かうように促された。
会場につき、順番を待ち入場する。
王族と一緒に入るので、順番は最後に近い位置になる。
その後陛下と王妃殿下が辞退されたため、私たちがファーストダンスを踊ることになった。
久しぶりの触れ合いに、緊張が高まる。
距離の近さに顔が赤くなっていくのがわかる。
思わず下を向くが、音楽が始まるとそんな思いが吹き飛ぶほど楽しくてたまらなかった。
ユードラン殿下も同じ思いだったのか、一瞬目が合い微笑んでくれた。
そして腰に回した、手に力が入るのが分かった。
「(私のリア)」
そう呼ばれたように錯覚してしまうほど、夢見心地だった。
ダンスを終えて息を整え、早々にユードラン殿下は私の元を離れて行った。
少し溜息をつきつつ、友人の令嬢を探し合流する。
「とても素敵なダンスでしたわ、カメリア様」
「思わず目を奪われるお二人でした」
そんな世辞にお礼を言いつつ、私の元を去るユードラン殿下を思う。
あの錯覚は私だけだったのかしら…。
一瞬だけ感じた、あの恋焦がれたユードラン殿下。
殿下は何を思っているのだろう。
「そういえば、今日の髪飾りは特に素敵ですのね」
「カメリア様の華やかさに、ピッタリですわ」
…何を言っているのだろう。
今日の装いは、殿下からのドレスもなければエスコートさえもないと思っていたから質素なものだった。
あまり装飾が強くないドレスに、髪は緩く半分を結い上げ小さめのリボンでまとめたはずだ。
部屋を出る前に、自分の惨めな姿を確認したので間違いはない。
そっと自分の後ろ頭に手を伸ばすと、カサッと何かに触れる。
驚いてテラス側の窓に移動し、自分の姿を確認する。
控えめな装いがまるでそのためだったような、少し大きめなカメリアの花の髪飾りが頭にあった。
「…んっ、く…」
混乱した気持ちに、思わず涙がこぼれてしまう。
入場前に私を立ち止まらせたのは、これをつける為?
私の為に用意してくれたと思っていいの?
私の様子に気が付いたのか、友人の令嬢達が気を使って控えの部屋へ誘導してくれる。
私は体調不良を理由に、夜会を早めに切り上げて帰途に就いた。