無職と冒険者
無職ゆえ、人の気配には敏感になる──特に家の中、家族の気配には。
ドアを一枚隔てて向こう、微かな物音が聞こえてグモンは起き上がった。
リビングに向かい、挨拶する。
「お帰りー父さん」
「おお、ただいま」
父、ヒルガリオだ。グモンによく似た顔立ちにだが年相応の皺が刻まれている。
夕暮れの頃合い、仕事を終えて帰ってきたのだ……ヒルガリオは役所の人間だ。それなりに安定した立場と収入で、一家を支える大黒柱だ。
台所では母セルビアが夕食の準備をしている。まったくもっていつもの日常だ……10年前からずっと変わらない。
さておいてグモンは外出の準備をしていた。外行きの服に少しばかりのアクセサリー。ヒルガリオがおやと声をかける。
「グモン、出掛けるのか?」
「んー、ララに呼ばれててー」
「あら、デート? 無職の癖に隅に置けないわねえ」
と、セルビアも会話に混ざってくる。あからさまにニヤついたその表情は、グモンの周りに女性の影があると決まって見せてくるものだ……母は続けた。
「何でも良いから仕事見つけて、嫁さん貰って孫の顔見せてちょうだいよ? あんたの歳だともう、中々良い職も無いだろうけど──」
「あ、いっけない遅刻しちゃうわー、行ってきまーす」
「あ、こら! もう……」
「っははは! まったく図太いねうちの子は」
耳に痛い小言の気配。それを察知してグモンは家を飛び出た。
残された母が嘆き父が笑う。今日も今日とて、三者三様の一家であった。
「ふいー……いやいや、危なー」
外に出たグモンがホッと息を吐く。一々正論ごもっともではあるのだが、さりとて聞いているだけで鬱になりそうなものに付き合っていられない。
さておきグモンは歩き始めた。目指すは町内の酒場だ……ララはそこで待っている。
たまに呼ばれるのだ、飲みに。金がないと断ろうにも奢るからと押し切られる。
正直なところ貸し借りを作りたくないきらいのあるグモンとしては困る話なのだが、タダ酒の魅力も抗いがたいものがあるのも事実だ。
出世払い、出世払い──そんなことを自分に言い訳しながらも、彼はいつもの通りにぶらぶらと歩いていった。
「グモン? どしたんだよこんな時間にこんなところをほっつき歩いて」
道中、旧知の友に声をかけられる。
グモンとは違い義務教育の後、しっかりと8年修行を積んだ友人の男だ。
立派に一人立ちした風格を漂わせる彼に、グモンはぼやーと答える。
「んー、飲みにー」
「マジかよ……金あんのか? 貸すぞ、何なら」
「奢りー、ララの」
親切にも金を貸すことも吝かではない様子の友人に向けて素直に答えれば、男は納得して頷いた。
「なるほど、ララさんかあ。相変わらずお前にベッタリみたいだな?」
「さー? もう彼女も名高い冒険者らしいし、男の三人四人もいるでしょー」
サーヤの妹にしてマニーニャの叔母であるララは冒険者という職業に就いている。それも世界的にも珍しい、S級なる立ち位置の有名人らしかった。
そんな女なら愛人くらいいくらでもいるだろう。そんなことを呆と呟くグモン。
そんな彼に旧友が呆れたように言うのだった。
「お前、本当に相変わらずなのな……ララさんも気の毒な、でもこれがグモンだしなあ」
「んへー? 何じゃらほい?」
「……いんや、何でも」
肩を竦めて男は去っていった。首をかしげながらも、グモンもまたとぼとぼと歩き始める。
直に店に着く。夜暮れの町、一番賑わいの酒場だ。
「いらっしゃーい! ってありゃ、グモンの旦那ぁ」
店に入るなりカウンターの中年バーテンダーが応対する。
言わずもがな、グモンとは顔見知りだ……昼であれ夜であれ、この町の住人ならばグモンと知り合っていない者はいない。
「ララちゃんなら向こうですぜ。今日はゆっくり楽しんでくだせぇな」
「どもどもー」
指し示された方へ向かう。見ればララは長机に椅子、一番人のいる辺りに陣取っていた。
もう飲み始めている彼女に声をかける。
「おいっすー」
「お、来たねグモン! おいでおいで、あたしの傍に!」
すぐさまグモンに気付いて招き寄せる。辺りは知り合いの冒険者であろう男女が興味深げに酒など飲んでいた。
町のものではない……よくあることだ。冒険者は依頼となれば何処でも行くし何処にでも住み着く。
「今日はよろしくねー、奢り」
「へへ、任せてよ! あたしの金、全部あんたに注ぎ込むのが生き甲斐なんだから!」
「すごいこと言うなあー」
にこやかにとてつもないことを言うララに、さしものグモンもポツリと呟く。
周りの冒険者たちも困惑したように話しかけてくる。
「おいおいララさん……ヒモ飼ってんのかよー」
「え、嘘ー? S級冒険者『鉄拳』様はまさかの尽くす女って奴ぅ?」
「ダハハハハ! んなバカな! 冗談に決まってんだろ、なあララ!」
バカ笑いする男性冒険者──ララなりのジョークと解釈したらしい。
それを受けて他の冒険者たちも笑う。グモンも何とはなしにへらりと笑い手近な酒など飲むのだが、ララだけは真顔で事も無げに言ってのけた。
「冗談なわけあるかよ。混じりっ気無しにあたしはグモンを養いたいんだよ」
「──」
「な、ええ……?」
「ぷはー、うま。おほ、肉肉」
にわかに、ララの周囲だけが鎮まる。
彼女の本気度合いを悟り、冒険者たちは絶句したのだ。
そのうちの一人が恐る恐る尋ねる。
「あ、あのう……そこの人、ララの何?」
「あ? お隣さんの幼なじみ。小さい頃からさ、あたしが面倒見てやらないとてんでダメなんだよなあ、へへ!」
「あ、店員さんステーキとエールよろしくー」
照れ照れと笑うララの横、遠慮の欠片も無しに飲み食いを始めるグモン。
唖然として二人を見比べる、周囲。やがてひそひそと、小声でやり取りを始めた。
「あの、これって」
「ヒモと飼い主……どころじゃないよね。クズ男とダメ女だよね」
「マジかよ……ララがそんな、ダメ男メーカーだとか興奮するわ」
「えぇ……?」
「ララ、そこのムニエル取ってー」
話しながら、甲斐甲斐しくグモンの世話を焼くララを見る冒険者一同。
世界中を見ても100人いるかいないかとされるS級冒険者。業界最高峰のプロフェッショナルの一人が、まさかクズに骨抜きのダメ女だとは!
「うめーうめー、まじうめー」
「へへ、たくさん食えよ、グモン。いつも頑張ってるんだからさ」
「無職を頑張ってたら世話無いんだけどねーうめー」
思うがままに飯を食い、酒を飲む。そんなグモンの隣で心から幸せそうに笑う、ララ。
えも言われぬ不気味な光景だ……何とはなしに彼らの周囲は、そんな二人から目を逸らして食事を楽しむことにした。
それから一時間としないうちに食事は終わり、一同解散となる。
皆そこそこに酒も入りいい気分で、グモンもふらふらと千鳥足なのだが……そんな彼をララが抱き止めた。
「おい、大丈夫か?」
「んへー、呑んだー」
「ったく……えへ、仕方ないなあ、へへへ」
酔ったグモンを介抱しながら、ララはにやける。
彼女もそこそこに飲んでおり、気分も常より明らかに高揚していた。姉や姪にも劣らぬ豊かで母性的な肉体美が熱気で汗ばみ、妖艶なエロスを醸し出しているのだ。
ニコニコと笑いながら彼女は、仲間の冒険者に告げた。
「いやー悪いな! グモンがこうだからさ、二次会は行かずにあたし帰るわ!」
「あ、うん」
「お、お疲れ」
「おおー? グモン、大丈夫かぁ? ちょっと飲みすぎたか、軽く休憩でも入れるかあ」
わざとらしくララはグモンを抱き寄せ、半ば引き摺るように夜の町へと向かう──住宅密集地とは、真逆だ!
「え……あっ」
「……まあ、うん。良いんじゃないかな、幸せなら」
「そう、だな」
何かを察して仲間たちは、遠い目をした。
こうしてグモンはララと、明け方まで楽しく過ごしたのであった。
唐突ですがおしまい!