無職と騎士団長
無職と言えど外には出る。いやむしろ、無職だからこそ外に出るのだ──家は居づらい。
母君からのプレッシャー、時には手も出る口も出る……それがどうにも容赦なく、グモンは基本的には日中、外をぶらついている。
「行ってきまーす」
「今日こそは職探してきなさいよー……はあ、言っても無駄か」
「すみません……」
申し訳なさそうに家を出る。
本当に申し訳ないとはおもっているのだ……ただそれはそれとして働きたくないだけである。
さておいてグモンは歩き始めた。住宅密集地を抜けて町の中をぶらぶらとうろつく。
特に意味もない探索だ。こんなことを毎日10年続けて、今ではすっかり町の端から端まで網羅してしまった。彼にはもう、町の地理について分からないことなど無い。
「あー、空から職とか降ってこないかな。日勤で週休二日で、できれば単純作業の座り仕事。三食昼寝付きで休憩時間も自由とかだと最高」
ふざけたことを言っている自覚は、彼にはない。極々心から望んでいるのだ、そのような仕事を。
「んー? お、グモンじゃねえか。どーした、自分探しか?」
「約10年探してるけど中々見つかんなくてねー」
「ほーん。お、野菜どうだよ、買うか?」
「お金無いから良いー」
さておきぶらついているとやはり彼は声をかけられる。
今のように商店街を歩けば商店の者や、川辺を歩けばその辺で歩いている子供たちだ。
「あっ、無職だー!」
「はいはい無職だよー。君ら学校は?」
「サボり!」
「ダメだよー俺みたいになっちゃうぞー」
「説得力すげー!」
彼が通れば誰もが目をやり、誰かしらが親しげに声をかける。
グモンはそういう、変な空気を纏っていた。どこか清々しい、けれど澱んでもいる不可思議な雰囲気。
さておき彼は更に歩いた。
今日は天気も良く、彼にしては珍しく歩行距離が伸びていく。
川越え野を越え、丘をも越えて……ぼーっとしたまま、ついには一つ町の隣、聖国が首都にある騎士団領本部前にまでぶらり足を向けていた、そんな時だ。
「グモンくん……!?」
「ほへー? お、サーヤさんおはーっす」
たまたまその近くを通っていた騎士の面々の中、見知った顔が一人驚いて近づいてきた。
グモンの実家の隣に住む、美人未亡人のサーヤだ。
「逢いに……来てくれたの?」
「いえ、偶然です」
白銀の鎧に身を包んだサーヤが心底から嬉しそうに顔を綻ばせるのを、しかしグモンは淡白に返した。
事実なのだから仕方がない……現実逃避に無心に歩くだけの行為だ、目的地などあるはずもない。
すげない返事にもサーヤはめげない。
それどころかますます女心がときめいた……偶然ならば無意識ならば、身体が勝手にやって来たのだ、町さえ越えて。
何故? ──きっと、サーヤを目当てに。
「──ぁは」
「だ、団長?」
上気した顔を蕩かせた、ひどくエロティックな表情を浮かべる騎士団長サーヤ。
そんな彼女に周りにいた騎士が狼狽えた。見たこともない『女』の相貌だったのだ、無理もない。
周囲の騎士たちは揃って若い男ばかりだ。グモンより年下もちらほらいるように思える。
何これ若いツバメたち集めて選定でも? ──下衆の勘繰りを妄想するグモンの呆けた顔を見て、男たちの中から疑問の声があがった。
「団長……お知り合いですか? 何やらだらしのない風体ですが」
「ええ。家の隣のね、グモンくんって言うのよ……家族揃ってとってもお世話になってるわぁ」
「無職のグモンです。人の世話する甲斐性は無いので悪しからず」
熱い吐息と共にグモンを紹介するサーヤ。
グモンもまた小粋なジョークなど一つ噛まして名乗るのだが、返ってきたのは嘲笑だった。
「ぷふっ……む、無職だってよ、おい」
「いるんだな、そんなの本当に……よく生きてられるよな」
「成人するまで何もしてこなかったのかなあ?」
「俺だったら情けなくて引きこもるわ………くくっ」
騎士の男たちの、ひどく優越に満ちた侮蔑。
然もありなん──グモンは特に悔しさも情けなさも覚えることなくそれを迎え入れた。
『無職』。
それはすなわち、底辺のレッテルだ。
この国では12歳で義務教育を終えてから20歳になるまでの8年間、何かしら進路を決めて修行や経験を積む。
しかし稀にだが、そう言った経験を一切積まずに成人までを過ごす者もいて……すると当然、職に就くことは叶わない。
そのための便宜上の身分として『無職』という分類があるのであった。
目の前の騎士たちが笑うのも当然なのだ。
彼らは騎士を目指して弛まぬ努力を積み重ねてきた、エリート中のエリートだ。グモンなど虫けら未満でしかないのだ。
「団長……近所付き合いは考えた方が良いですよ?」
「そーですよ、無職と関わり合いになると、栄光ある騎士団が汚れますよ!」
「ましてやサーヤ団長は歴代でも最高の騎士団長との呼び声も高いんです! そんな虫けらに構っちゃダメですよ、ほらしっしっ!!」
騎士たちがまるで害虫でもあしらうようにグモンをサーヤから引き剥がす。
事実、害虫なのだろう……憧れの騎士団長に纏わりつくゴミ虫、そんなところだろう。
「──黙りなさい」
そんな中、絶対零度の殺気と声音が響いた。
サーヤだ……常の陽気な微笑みと雰囲気はなく、酷く冷たい憎悪の殺意を振り撒いている。
「だ、団長……?」
「彼は、私の、大切な人です。彼に対する暴言は、面と向かい私を罵倒するよりも赦しがたいことだと知りなさい……貴様らグモンくんから離れろっ!」
「は、はいっ!?」
激怒し苛烈に叫ぶサーヤに、男たちはグモンから離れて整列した……そして嫌でも悟る。
この、日中から働きもせずぶらついているだけの愚かな『無職』に……美しく妖艶なる騎士団長が夢中となっている。
部下となったばかりの新米にさえ、躊躇なく殺意を叩きつける程に。
「あのー、サーヤさん? 無職なのは事実なんで変な庇い立て止めてもらいます? 何も返せないので困ります」
「あ、ごめんなさいね? うふふ……次はありませんよ?」
「は、はい……っ!」
目の前の修羅場を前にしてなお呆けたような気の無い様子のグモンは、サーヤを制止した。
実際、騎士たちの物言いも分かるのだ……そもそも無職である方が悪い。
加えて言えばグモンはグモンなりに人を見抜く。男たちが殊更に自分に辺りが厳しかったのは、無職だからではなく嫉妬があるからなのだろうというのも見抜いていた。
だから、止める……そもそもどうでも良いのだし、そろそろ帰ろうかとも思っていたので引き留められるのも面倒なのだ。
そんなグモンの心中を察し、サーヤはニコリと笑った……最後に一つ、男たちに釘を刺して。
次いでグモンの腕を取ると、こんなことを言うのであった。
「私ももう上がりだから、帰りは馬車を出すわよ、グモンくん。ね、お姉さんと一緒に帰りましょう……?」
「んー? タダなら喜んで。持ち合わせないんですよねー」
「ぁは……もちろん、タダよ」
そこから先は早かった。サーヤが騎士たちに命じるとあっという間に馬車が手配され、彼女はグモンを車内に押し込めた。
自らも車内に入り込む──最後に残される騎士たちに一つ笑いかけて、彼女は言った。
「それではお疲れ様。あ、それとグモンくん関係なく言っておくわね? 騎士たる者、国と民を愛し守れ──騎士としての心構えのなってない者を、私は絶対に認めません。その旨、よく考え直すように」
「ぅ……っ」
「以上。さ、出てちょうだい? あ、それとグモンくん。お金は良いからお礼が欲しいわ、私……今すぐに、ね?」
「え」
ばたり、とドアが閉められ。
どこか車内から浮わついた空気を纏わせて馬車は走っていった。
「騎士団長……何で、無職なんかに」
「くっ……くそっ!!」
残された騎士たちが悔しげに、あるいは呆然と見送るのも構わずに、車内ではサーヤとグモンが楽しい一時を過ごすのであった。