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素人があえて伝えるすっごくユルい小説の書き方  作者: 千場 葉
§4.しょうせつをかこう
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2.にんしょうをえらぼう

 今回は『人称』のお話ですが、少々と入門者、初心者向けとは言い難い内容です。

 様々な注意点を書き記していますが、一度に全てを覚えようとはなさらないでください。また、全てを覚える意味もあまりありません。

 自分にとってどこか数カ所、胸に刺さった部分だけを意識するようにしましょう。


 小説では多くの場合、“「」”でくくる、人と人の会話(会話文)と、その間に挟まれる文章とが交互に繰り返されて物語を作っていきます。

 会話文の間に挟まれる文章を『地の文』と言い、これを並べていくことが小説に人の造形を作り、風景を彩っていきます。


 地の文と会話文が交互に現われながら続く手法は、特別小説に限ったものではありません。

 実用書、参考書の類いにも見られますし、かつて小説を書いたことのない方でも、“作文”としてその手法に触れていることだと思います。


 ですが物語を(つづ)るための地の文となると、それはやはり独特のものとなります。

 ここではその独特の部分であり、作品の完成度を左右する大事な選択の一つ、『人称』についてお話ししましょう。

 



 (1)してんをきめよう


 小説には『視点』があります。

 地の文の書き方は、一般的に物語の視点を一人称形式とするか三人称形式とするかで変わります。



 一人称形式―― 特定の人物の視点から、物語が進んでいく。


 三人称形式―― 誰でも無い視点から、物語が進められていく。



 ※「一人称」「三人称」と、聞かされるとなんだか国語の授業的というか、専門用語くさくて嫌になりますね。覚えにくいという人は「一」、「三」というところだけに注目しましょう。「三人称」を「第三者の視点」(映画のような視点)と“三”に絡めて覚えれば迷いません。ゲームに親しみがある人なら、主人公が画面に出ている時が“第三者視点=三人称”、主人公の目線になっている時が“主観視点=一人称”と覚えるのもいいと思います。


 

 書き方としては、ざっくりとした分け方をすれば、一人称形式は“ひとりごと”のような地の文で、三人称形式は“ナレーション”のような地の文と言ったところでしょうか。

 ですので一人称形式で書かれる場合、地の文は自然と会話文に近い文章となり、三人称形式の場合はやや堅い、教科書や論説的な書き方となります。


 それぞれの特徴としては次のようになります。



 一人称形式―― 登場人物の視点からの形式であるため、読者の共感や感情移入を得やすい。


 三人称形式―― 場面に関係無く、どのようなことでも書くことができる。



 気をつけていただきたいのは、一人称形式を選ばれた場合、“特定の人物の視点から”以外は書けないということです。

 その人物の目に触れない部分は見えませんし、他の人物が頭の中だけで考えていることはわかりません。また、“誰も登場していないシーン”を描写することが出来ません。


 三人称形式を選んだ場合は、人物の感情から、誰にも見えていないものまで何でも書くことができます。

 ただし、文章自体は“第三者的”に書く必要がありますので、読者側も人物よりは語られるシナリオに目線が動き、感情移入を誘うことが難しくなります。また、“何でも”書けてしまうだけに、何を書くかを決めにくいという不自由もあります。


 どちらが易しく、どちらが優れているということもありません。どのような物語であれ、どちらを使ってでも描くことが出来ます。一作に両方を選ぶという選択も可能です。


 好きや得意で選んでも構いませんが、最も良いのは“書こうとしている作品に合わせる”ということでしょう。

 人物の視点からの方が良いのか、俗に言う“神の視点”からの方が良いのか、作品にとって最も適した形式を吟味(ぎんみ)しましょう。

 「登場人物も少ないし、感情移入して欲しいから」、「複雑なシナリオで、色々なシーンを見せなければいけないから」など、選ぶに相応(ふさわ)しい理由を探してみてください。



 ※あまり良い例とはいえませんが、筆者の作品では『バタフライエフェクト・ヒーロー』などが一人称形式、『玄人仕事』が三人称形式となっております。今一つ理解出来ないという方は、冒頭から数行、地の文に着目して感覚を掴んでみてください。“人物の視点である”、“第三者の視点である”という部分が掴めれば人称形式の理解は充分だと思われます。




 (2)いちにんしょうけいしきのじのぶん


 一人称形式は「なろう」では流行のためか、現在とても多い形式です。

 「おれは、●●だと思った」、「私は●●なのかしら?」など、会話文に近い形で地の文が書けることから、初心者で選ばれる方も多い形式でもあります。


 ですが、その易しそうな見た目に反し、実際の執筆にはかなりの注意力と“計算された見せ方”が求められます。考えなしに安易に書き進めてしまうと、読み手をどんどんと置いてきぼりにしてしまう結果に繋がりかねません。



 一人称形式を選ばれた方は、常に“読者の理解”を意識するようにしましょう。



 例えば、誰か初めて会う人が目の前に現われるシーンがあるとします。

 現実であれば、「●●そうな人だ」と、そう意識するだけで、とくにそれを“文章として”頭に思い描くようなことはしません。

 視認から情報の精査まで、脳は千分の一秒単位でそれを実現しますので、それをわざわざと“文章”にする必要がないのです。誰かを見た瞬間に、その情報は“雰囲気”として伝わっているのです。


 しかし小説においては、それを全て“文章”にして書かなければ読み手には伝わりません。出会ったその人物の表情や仕草、髪型や服装など、それを示す文章がない限りは何も伝わらないのです。


 人物だけではなく、風景なども同じです。主観の(ぬし)(地の文の語り手)には見えていても、描かれないものは存在出来ません。一人称形式において“読者の理解”を意識することを忘れてしまえば、読み手にとっては“なんだかよくわからないもやもやしたシーン”が量産されていくだけになってしまいます。

 読み手を“耳だけは聞こえるけど、目は見えない”状況にしてしまわないように気をつけましょう。


 そしてまた、一人称の主観の主、それは“あなたではない”ことに気をつける必要もあります。

 一般に人は「その人になったつもりで」と言われると、「その人の立ち場に立って、“自分なら”こう思う」で物事を考える傾向を持ちます。(この傾向は日常の相談事や(いさか)いにおいて、それが解決されない原因でもあります)


 これは三人称形式を書く場合でも同様に気をつけておきたいところですが、一人称形式であれば尚更です。「地の文」によって()()()()をダイレクトに記すことになる一人称形式の書き手が、この思考の罠に落ちる人間であってはなりません。


 「この人の立ち場に立って、“この人なら”こう思う」。その人物の性格や境遇にシンクロし、なりきりましょう。

 それが出来るようになれば、「この作者は自分を主人公にして書いてる」なんて揶揄(やゆ)を受けることもなくなりますし、色々な人物を個性的に、活き活きと描くことが出来るようになります。



 一人称形式の場合、時に強過ぎるくらいに感情的な語り口になっても許されます。

 最初は恥ずかしいかもしれませんが、全力で感情を描ききれば、主人公や読者のみなさんと同調してしまえるような、そんな不思議な感覚を得られるのが一人称形式の楽しさでもあります。

 喜びや涙を誘うにはもってこいの形式ですので、感情が震えるような、そういった物語が好きな方は是非全力で描ききってみてください。


 ……こうして改めて考えてみると、良い一人称形式を書ける人とは、人の気持ちのわかる人、ということになりますね。




 (3)さんにんしょうけいしきのじのぶん


 比較的「推理小説」や、「時代小説」に多く見られる形式です。

 三人称形式の地の文は、基本的には「ナレーション」です。その独特の語り口は、小説の執筆以外にはまず覚える手段がありません。実際に“書ける”と思えるようになるまでは、日々の執筆による積み重ねと、飽くなき試行錯誤が必要とされます。


 こちらを選ばれた方は、最初から上手く書こうとは考えず、“上手く書けるようになっていく自分”を楽しむようにしましょう。小説は数日、数週間でも書き続け、過去に書いた場所を振り返れば、必ず自分の変化のあとが見られるものです。それは形式に関わらないことではありますが、特にこの三人称形式においては顕著(けんちょ)に表れます。

 小説以外の分野にも通用する文章能力と、物事を別の角度―― 客観的な角度から見る“作家の目”を鍛えるには、ぴったりの形式であるともいえるでしょう。



 三人称形式では、“今、何を書くか”に注意を払ってください。



 すでに何度か書いてきた通り、三人称形式最大の特徴は、第三者の視点―― “神の視点”であることです。

 よくあるプロローグの入り方として、「かつて●●では、●●という●●があった。それは――」というような、世界観の説明から入るタイプのものがありますが、これが可能とされるのも第三者、誰でもない“語り手”がそこにおかれているからです。


 演劇の世界において、『第四の壁』という言葉があります。これはフィクションの世界とそれを見る観客、その間にある絶対的な境界―― 見えない幕のことを指しますが、三人称形式における“語り手”は、限りなくこの壁に近い位置にいる人物です。

 この人物が語る内容は、どんな場面でも、誰の心境でも、まったく作品に関係の無いことでも、その作品の中に記してしまえます。

 それだけに、“今、何を書くか”、何を語ることが今のシーンにとって適切なのかを意識することが重要です。


 また、私は語り手を『人物』と表現しましたが、なぜそう表現したのかも頭に置いておいてください。

 一般的な書き方としては、この人物はナレーションに徹し、決して個人的な感情を見せることはありません。しかし文字を使い、人間の言葉で語らせている以上は、読み手はそこに“人格”を見ます。

 『●●するべきであった』、『●●だといえるだろう』、『●●なのだ』などの言葉遣いや、何かを例える時の表現一つ。それは間違い無く特定の“人格”を持っており、読み手はその語り手が作品に相応しい人物かどうか、愉快か不愉快かの判断を下します。

 例え作品には登場しない『黒子』ではあっても、まず一番台詞の多い黒子です。作品に見合った口調を持たせるように注意しましょう。



 順調に筆を進めていくには中々に難しい形式ですが、とにかく“見せやすい”形式です。

 大人数の人物達をバラバラに行動させたり、誰一人と気づくことのない空の模様を描写したりと、わくわくするようなシナリオを様々な形で描写できます。実写映画やアニメーションなどの、カメラワークも参考に出来るでしょう。

 是非一度、三人称形式が光る、ダイナミックなシナリオに挑戦してみてください。





 順序通りにここまで来られた方は、プロットを作り始めた時点で、すでにある程度は人称形式も頭にあったと思います。

 ですがもう一度、作品にとってその形式が本当に相応しいかを考え直してみましょう。実際に小説を書き始めると大規模修正は大変ですので、おそらくとこの辺りが人称形式を選び直す最後の機会だと思われます。


 ここで色々書いた通り、人称形式は小難しく、まるで制約のようでわずらわしくも感じられるものです。注意することに関しても、ここでは最低限の注意点のみを記したつもりですが、もっと厳密に、細かく規制を述べられる方も多くいらっしゃいます。

 しかし、あくまで選択は自由です。それが作品にとって良い効果を出すのであれば、どのような形式も、どのような描き方も問題ではありません。

 一本の作品の中で、「三人称」→「一人称」→「違う人物の一人称」→「三人称」→…… など、場面ごとに変えている作品も、“良くない”と気取り屋さん達には言われながら、実際には名作が多々あります。


 『形式』とはいえ、人称形式も演出方法の一つ。

 あまり格式ばらないで、柔軟に取り組める作者になってください。

 

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