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言伝は時計にのせて  作者: 蒸奇都市倶楽部
第一話「言伝は時計にのせて」
7/20

第七節

『ああ、ああ、本日は東和歴二四四十月十五日、素晴らしき秋晴れなり。

 ……しっかりと録音されているだろうか?

(機材をがちゃがちゃといじる音)

 録音されているようだな。ええ、では……。

 ――これより私、平岩喜重(きじゅう)が妻である君に伝言を残す。これが伝わるころには私も君も相当な高齢になっていると思われる。隣に私がいても、どうか昔のこととして温かく聞いてほしい。

 私は……、いや、俺は君を放って仕事ばかりに打ちこんでいた。そのことを非常に申し訳なく思うのだが、生来が口下手なものだから今をもってしても君に(じか)に詫びることができないでいる。だから、というのは言い訳になるが、ともかく直接ではない方法で俺の想いを託したいと考えて、この集積金剛体に記録する。こういう消極性さえもどうか許してほしい。

 なぜ俺が仕事に打ちこんでいたのか、そこから打ち明けよう。そうすることで君から見た俺の不可解さが幾らかでも薄まればと思う。妻として知っている部分もあるだろうから、本筋に関わる部分以外は略しながら話していく。でないと、君と共に聞いておるだろう俺が恥ずかしくなってしまうのだ。

(かすかな笑い声のあと、ちょっとした間が入る)


 俺が峰兀(ホウコツ)の方の出身であるのは君も知っていると思う。

 今では戦後の混乱と呼ばれている帝都での動乱がおさまるころ、俺は故郷(ふるさと)を捨てるようにして上都してきた。大戦後もなお和州最大の都市として健在だった九重(ここのえ)こと帝都は、国家としての独立をひかえて、今後もますます栄えていくと考えたのだ。

 帝都で一旗揚げることを夢見ての上都だ。俺の胸は希望に燃えていた。

 大戦後という体制の転換期には功名を求めて多くの若者が帝都に集ったが、むろん俺もその中の一人にすぎなかった。混乱の収まりつつあった帝都ではともかく人出を欲していたから、貪欲に触角を伸ばしていれば、躍進の機会をつかむのはそう難しいことではなかった。もっとも躍進の結果が表に続いているのか、裏に伸びているのかは誰にも見通せない。人出を欲しているのは表ばかりじゃない。当時の知り合いの多くは違法な世界に足を踏み入れて、ずるずると裏側に引きずりこまれていってしまったよ……。

 俺が山城先生に出会えたのはまったくの幸運だったというより他はない。その出会いはまあ……、俺が先生の財布をすろうとして、腕をひねりあげられたというものだったが。

 当時の俺は何もかもがうまくいかなくて破れかぶれになっていた。一旗揚げる夢は完全に錆びついていた。といって犯罪者が巣食う世界の門戸を叩くほどの度胸もなく、俺よりもどんくさそうな若者や老人の財布を狙う日々だ。そんなスリの目には山城先生も獲物に見えたんだ。これは世間ではあまり知られていないが、先生は体術の達人だった。何も心得のない俺が勝てるわけがない。

 俺の手を()じりあげた先生は、どういうわけか俺を助手見習いに取ってくれた。体術の、ではなく人形作りの職人と技術屋の見習いとして。当時はまだ機関調律師という言葉はなかったように記憶している。

 先生は当時から論文を発表するなどして、学会では新進の学者として注目を浴びていた。なのに、なぜよりによってちんけなスリを拾い上げたのか、拾われて数十年が経つ今でもその理由は聞いてない。先生が致仕(ちし)になったら、そのお祝いの席で聞いてみようと思っている。

 君と出会ったのは先生の助手見習いになってすぐのころだ。……と、これでは先生や君との思い出話になってしまう。昔話ばかりなんて、俺も年寄りになってきたみたいだ。

(かすかな笑い声のあと、ゴホ、ゴホとわざとらしい(せき)払い)

 先生や先輩助手の後ろ支えもあって、俺は帝大まで出させてもらった。今では帝大も『開かれた学門』を謳っているが、当時はまだまだ資金面では閉ざされていて、地方出身の貧民の出が入学するなんていうのは通常では考えられないことだった。先生の後ろ盾や助手の推薦がなければ今の俺がいなかったのは間違いない。

 大学を出るころには、先生や助手の精力的な活動によって機関調律師という職は、修理屋との混同が見られるものの、かなり認知されるようになっていた。そのころの先生はとっくに碩学位を得ており、その世界では国際的にもよく知られておられた。

 卒業後に晴れて正式な助手となった俺は、先生の切り拓いた機関調律師という仕事を世間により知ってもらうべく、孜孜(しし)として調律師としての腕を研鑚する使命に燃えた。兄貴分の助手からもっとも大事だと教わった機関調律師としての心得、つまり実地での演習と知識の獲得にも励んだ。この先輩も今では機関工学部の教授になっているな。ああ、また思い出話になってしまう。

 思い出話ついでに、君と籍を入れたのもこの時期だったな。

 ……今だから話せる余談になるけれど、入籍の際に帝都っ子の君に俺の出身――峰兀の出だということが知られたら、嫌われるのではないかという強い不安があった。帝都に出てきたてのころは出身を明かすと、本土出身の連中から西欧に白旗を上げた地域の人間と罵られ、二等国民と蔑まれ、随分と痛い目に遭わせられたから警戒もするさ。あの時の怖れはいまでも俺の中に根付いている。だけど、君はそんなことに頓着もしない人で、あっけらかんと受け入れてくれた。ほんとうに嬉しかったよ。

 家庭を持った俺は幸福の極みにあった。家に帰れば君がいるし、職場に出れば理解を示してくれる仲間がいる。だけどそれが、俺と君の行き違いの一歩目だというのだから皮肉なものだ。家のことは君に任せきりで俺はますます仕事に打ちこんでいった。

 仕事? いや、責務や義務感の履行といった方が似つかわしい。

 俺は機関調律師を世間に敷衍(ふえん)するための裏方に徹そうとした。表に出るのは山城先生や、当時すでに先生の元を巣立っていった偉大な先輩方にこそ相応しいと考えていたからだ。同時に俺は、ああ、恐ろしいことだ、物足りなさをも感じていた!

 かつて帝都で一旗揚げる夢を見て希望に燃えていた少年だった俺は、自分が裏方に徹するのにどこかで不満を覚えていたのだ。本土から見下げられる故国を捨てた後ろめたさが変遷して、こういう形で現れたのかもしれない。

 帝都に出たばかりのころに根差した怖れに呼応してか、

『かつて蔑まれたお前が世間に出るのは今しかない。そうしなければお前の過去はいつまで経っても(ぬぐ)い去られないのだぞ』

 こんな幻聴さえ聞こえるようになった。

 世間では俺を、韜晦(とうかい)癖のある寡黙な学者と評する向きもあるが、実際の俺はそんな殊勝なものじゃない。俺は自らが世間に打って出たいという栄誉にまみれた、わかりやすい欲望と、俺を拾ってくれた先生や面倒を見てくれた先輩への恩顧に報いるため、機関調律師という職業を世間に広めなければならないという使命感への希求で板挟みとなった。

 こんな状態の俺に君を顧みる余裕はなかったのだ。

 それは俺が碩学級になってからも変わらない。いや、それどころか、ああ!

 碩学級に選ばれたことによって、ますます葛藤が強く募っていくのを自覚せざるを得なくなってしまった!

 あの幻聴は止まない。

 帝都の碩学会は俺を碩学級に任命するとともに碩学伯に叙したが、所詮は碩学〝級〟としての叙任だ。……君は伯爵夫人になっても、大して喜びはしなかったね。俺が碩学級になったことが嬉しいのだと言ってくれた。この言葉にどれほど救われたか。

 だけど俺は第二の故郷である帝都に生殺しにされた気分だった。

 お前は碩学に選ばれるほどではないと突き付けられたようで、半端な栄誉は俺に徒労しかもたらさなかった。加えて兄弟子(あにでし)ともいえる助手たちを差し置いて碩学級に選ばれたという事実もまた、恩顧に報いるという使命感への背理と撞着で汚れてしまった。

 碩学である山城先生はおろか、その元にいた先輩たちや、他の分野で功績をあげている同窓にも遠く及ばないというのに……。恐怖に根差した劣等感は人知れず強まった。

 俺を高く買ってくれた庚侯爵の後ろ盾も劣等感をますます強めるだけだった。

 もちろん侯爵に感謝していないというわけではない。

 そんな心境を君が知らないらしいのは、俺にとっては救いでもあった。

 ただ、徒労しか感じ取れない憤怒を抱いていた俺は、君に面と向かって顔を合わせづらい。女中や運転手を介して君が無事に過ごしていると知れるだけで嬉しかった。

 もちろんそれが家を留守にしつづけていいという理由になりはしない……。

 けれど、どうか俺の心境を少しでも知っておいてほしかったのだ。この期に及んでと君は言うかもしれないが、この期に及ばなければ吐露できないほど私は疲れていたのだ。

 この家を建てたのも世間に平岩喜重の存在を知らしめるためではない。口下手な私が君への関心をけして失っていないことを示すための、せめてもの方法だったのだ。

 だけどそれは、口下手は口数が少ないから口下手なのではなく、気持ちの表し方を知らないから口下手なのだという事実を俺に突き付けただけだったよ。

 君に、「全ては山城先生のご鞭撻(べんたつ)や、君というかけがえのない存在のおかげだよ」と言えたらどれだけよかっただろう。講演ではもう少しマシなのに、君を前にすると最初に出会った日からこうなってしまうんだ……。

 だから、せめて講演のように君にしっかり伝えられる方法はないかと考えて、こうやって録音する方法に思い当たった。だけどこれは講演じゃない。原稿を用意して読み上げればいいってわけじゃない。率直なところを伝えようと試みて、記憶と自分の思いだけをよすがに語っているものだから、四割届けばいい方だろうとみている。だから少しでも伝えやすい方法や言葉を思いつくと、その度に私は録音をやり直して、柱時計に調律をほどこしている。意地とはときに滑稽な形をとるものだ。

 結局のところ、私は自分で凝り固めた義務感と、昔に覚えた怖さから逃げようとしてあんなに仕事に打ちこんでいたのだ。たとえそれで疲れても、仕事を止める時期さえ逸していた。走りはじめた私はいつしか止まれなくなっていたのだ。

 だから、この録音を聞いている私がいるのならば、それは何らかの形で走るのをやめ、君の方へ歩み始めた私だと思ってほしい。


(長い間が入る)


 この録音を聞いているということは、俺が君にこの声を届けてもいいと思える時期が到来したんだろう。

 あるいは君が柱時計の奥にある秘密の部屋に自ら気付いたか、俺に何かあって時計の手入れが不可能になったので調律を他の者に頼んだか、ともかく他にもいろいろな状況が考えられる。最後の例は避けたいところだが、世の中は何があるか分からない。

 俺以外が見つけた場合に備えて、地下室の文箱(ふばこ)には言伝を入れておいた。

 こんな七面倒な方法を取っているのは、俺がいまだに口下手を言い訳にしているからだ。でも、どうしても伝えたいからこそ、口下手なりの気持ちの示し方としてこういう方法を選んでもいる。俺の中に昔からある背反の性質がそうさせるのだろう。

 帝都での一旗揚げたいという渇望と、未来のない故郷を捨てたという後ろめたさ。

 犯罪者が巣食う世界に踏み入る度胸のなさと、弱者を狙うちんけなスリの図太さ。

 山城先生への同一視にも似た憧れと、けしてああはなれぬだろうという客観的な諦め。

 世間に機関調律師を知らしめたいという裏方の使命感と、俺こそが表に出るべきではないかという栄光への名誉欲。

 私を追い立てる使命感と私を追いかける名誉欲。

 そして、本当は君にこんなことを伝えるべきではないのだろうという後ろめたさと、君にだけは俺の全てを知っておいてほしいという執着にも似た愛惜。

 全ては君に明かしていない私の性質ゆえだ。だが、この録音で君は全てを知る。いや知ってほしい。その時にどうか、君の隣にいるはずの俺からも謝らせてほしい。

 だが、まずはその前に君にここで謝ろうと思う。

 君に迷惑をかけ続け、申し訳なかった。


(しばらくして録音に雑音が混じるがすぐに鮮明になる)


 このごろ俺は先生に拾われた直後の、先輩助手や先生の息子に囲まれていた日々を思い出してばかりいる。あれは俺にとってもっとも輝ける黄金の日々なのだから無理もない。

 だけど、過去ばかりを見ているわけにはいかないのはよく心得ている。科学が人の未来を創るというのならば、科学に携わる者は未来を視ていなければならないからだ。

 傍にいてくれる君のためにも、俺はこの悩みをどうにか乗り越えなければならない。

 だから、まずは君に伝えるべきことを伝え、未来に目を向ける契機にしようと思う。

 人は誰も未来は見通せないが、未来を見据えることはできる。

(少しの間が入る)

 最後に、こういうことをはっきり言うのは東和の男として実に気恥ずかしいものがあるが、西欧の研究者と交友を温めた際に、「はっきり言わないと意味がないよ」という旨の助言をいくつも受けている。なので、はっきり告げておこうと決心した。

 その言葉で俺からの伝言を締めくくるとしよう……


 ――愛しているよ』


   *   *


「私もですよ、あなた……」

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