第十一節
「どうして故障したのかを説明するのは難しくありません。ですが、なぜそうしたのかという事情は、解ってもらえないと思いますし、解ってほしいとも思っていません。なにぶんわたしの身の上話に絡みますので、そこまで打ち明けたくもありませんから」
福寿さんははっきりと線引きを示す。他人に入ってきてほしくない領域は誰にでもあるものだ。ましてやこれは事件ではないのだから、彼女に全てを明かす必要はなく、こちらにも全貌を解明する権利がない。これからなされる告白は、これまでした彼女との会話の延長線上にあるものにすぎないのだ。
私は理解を示すべく何度か首を縦に振ってうなずいた。
文机に背をあずけて座る彼女は、いつも私の前でしている正座や女座りではなく、腿と膝を曲げた三角座りであった。着物の裾から紅絹の襦袢と白い踵がはみ出ている。
「鋼索通信がそのまま使い物にならなくなればいい、そう思っているからですよ」
「好ましく思っていないんですね。強制的に相手が限定されるからですか?」
福寿さんが鋼索通信を歓迎していないのは、以前の会話からもうかがえていた。
「それほど現実的な理由ではありません」
「現実的ではない理由ですか。想像がつきません」
「嫌いなんです。この鋼索通信という機械が」
福寿さんは壁のくぼみを見て、そこから搬器の動きをたどるように屋根、通りに面した窓へと視線をめぐらせた。
「わたしが嫌っているのは、この機械が同じところを往ったり来たりするからです。軛でも嵌められたかのように、決まった道を疑いもせずに、人に動かされるまま……、それが嫌なんですよ。いいえ、憎いと言ってもいいでしょう」
「お心は察しきれませんが、その行ったり来たりが鋼索通信という機械の在り方です」
「でしょうね。結局は鉢の花と同じ」
窓に向けていた福寿さんの視線は行き場を失ってさ迷う。彼女は力なくうなだれた。そうして声音もぐっと沈んだ調子になって、
「花は自分で咲く場所を選べないし、どこにも行けやしないさ、況やもとの場所から移し替えられてきた花においてをや……」
妓楼という囲いの中で生きる境遇に、彼女は嫌気がさしているのだろう。そこいらの理由が、打ち明けたくないという身の上に絡む部分なのかもしれない。福寿さんは己の境遇を受け入れられていないのだ。ただ彼女自身が私に解ってもらう気がないという通り、彼女が漏らすのは断片的な情報でしかない。蓮っ葉な口調は独り言と同じだ。
そこから福寿さんの内面を読み取るのは不可能だし、そもそも読み取ろうというのが身の程知らずであろう。また仮に読み取ったところで私になにができよう。なにかをしようというのもやはり身の程知らずな行いである。
咲く場所を選べない花ならば、そこで咲き誇るしかないのではないか。咲けない花だって世の中にはあるのだ。咲けるだけ花としては恵まれているのでは。そんな考えが浮かんだものの、喉にさえ出させなかった。
人は機械と違う。第三者が点検や修理などに関わるべきではない。それができるのは自分自身か、さもなくば信頼を寄せて心を預けられる相手だ。少なくとも私ではない。
好奇心から半端に追及してしまった私は、己の態度にただただ恥じ入るばかりであった。
どれだけ二人して沈黙していたか。
ずいぶんと長い時間が経った気がする中、福寿さんが口を開いた。
「理由は解っていただけだと思います。しかしそうなった事情をあなたに向かって嘆いてみせても仕方がありません。変な話で暗くさせてしまいましたね、すいません。先ほど申しました通り、説明はできても解ってもらう気もありませんので」
ぱっと顔を上げた福寿さんの表情は、特に普段と変わりなかった。沈みこんでいた面影も声音も消えている。気分をさっぱり切り替えたのだろう。私だけがまだ引きずられたままで、「はあ」と呆けたようにうなずくばかりであった。
そのとき背後の扉が勢いよく開いた。振り向くと吉永さんが立っている。
「こちらにいらっしゃいましたか」
福寿さんと私が正対して座っていたのを不思議そうに見ながら言う。
「先ほど戻ったのですが、食堂や裏庭にお見えにならなかったものですから。修理はもう少し時間がかかりそうですか?」
「それならいま済んだところだよ」
「まだ動作確認をしていませんが、おそらく直ったかと思います」
福寿さんと私はほぼ同時に答えていた。
「では竃に火を入れさせて、その間に例の件について話しましょう。話している間に動作を確認できる頃合いになるでしょう」
私は無言でうなずきながら、ちらりと福寿さんを見る。
「そうしてください。わたしが引き止めていても悪いですし」
「二人でなにか話しこんでいたみたいですね」
「客やあんたに聞かせられないことをちょっとね」
「お邪魔をしたかもしれません」
「わたしから解放されるのですから、かえってほっとしているんじゃないですか」
そう言って福寿さんは私を送り出す。こうしてあいさつもなく彼女とは別れた。
別れ際の彼女の表情からは何もうかがえなかった。そのために私は、福寿さんの話をどう扱えばいいか考えあぐねる。全てをうやむやにしていいのだろうか。
吉永さんは私の雇主だ。福寿さんが鋼索通信にちょっかいをかけて〝故障〟させていたのが原因だとすれば、それに関しては報告をあげた方がよいだろう。詳細は杳として不明であるものの、彼女はなにかのっぴきならない事情を秘めているようだ。
彼女が壊していた、とだけ伝えてしまっては一方的な悪者になってしまうし、番頭である吉永さんの心象も悪化するのが目に見えている。そうなれば担当教授に嫌われるようなもので、結果として店での福寿さんの居心地や立場をも悪くさせてしまいかねない。そうなっては私も目覚めが悪い。彼女がどうなるかは私の話し方にかかっている気がしたのだ。
報告しない手もあるにはある。真砂先輩はこの手を用いていたことになる。おそらくあの人は、妓楼の女である福寿さんの心理を推し量り、あえて追求しないで何も知らないような態度を取っていたのだろう。
ただし私にその手は使えない。数度は意図的な〝故障〟を導き、かつ鋼索通信が憎いとまで言った彼女の言葉を聞いてしまったからだ。聞き知って黙っているのは、雇い主に対する道義上の問題がある。雇われの身が仕事上で得た情報を雇い主に故意に伝えない。そんな道理がどこにあるだろう。
目覚めの良さか道理か。それは感情か理性かと問われているようでもある。
当事者ではないのだから、知った事実を全て話してしまえばいい。理性だけで判ずるならばそうかもしれない。しかし鋼索通信が憎いという福寿さんの声を思い出すと、一概に理性だけで押し切るのも憚られる。
うまく考えがまとまらないまま、吉永さんに伴われて炊事場まで降りてきた。部下に竃の火を入れるよう指示を出した吉永さんは、そのまま私を裏庭へと連れ出した。
福寿さんが抱えていた空っぽの鉢が、縁台の上にぽつんと置かれていた。
裏庭へ入るのは今日だけでもう三度目だ。
「店ん中は誰が聞き耳を立てているかわかりゃしません」
吉永さんは私を連れ出した理由を口にした。裏庭を見回す私がなぜここに連れて来たか疑問に思っているように見えたのだろう。吉永さんは空の鉢をひょいと脇によけて座り、こちらにも座るよう促す。私も向かい合う縁台に腰を落とした。
「福寿が恨み言を吐いてたみたいですね。あれも困った女でしてね、昔に囚われすぎているのですよ。自分を鉢の花と言ったり籠の鳥と言ったりして、失意の淵で漂う不幸ごっこをしている。地面に咲こうが鉢に咲こうが、花は花でしょうに」
私はぎょっとした。そしてすぐに、彼が言う聞き耳の意味を理解する。確かに店の中では話を聞かれてしまうのだと。それは吉永さんが、福寿さんがわざと〝故障〟に導いた事実をもすでに知り得ている可能性を示していた。彼女がそれを私に明かしたということも。その上で彼女が、どういう方法でやったかという言明を避けたのは、人に聞かれている可能性を考慮したからかもしれない。いずれにせよ吉永さんがどこまで知っているは不明だ。私と福寿さんのさっきのやり取りを廊下で聞いていたのか、それよりも前から福寿さんの事情を知っていたのか。
「本題の前に故障について話したいことがありまして……」
「どうぞ話してください」
「まず今回の故障についてなんですが、機械に原因があったというよりも、どうもたまたま落ちた簪が機械に巻き込まれていたみたいなんです」
故意ではなく過失。考えがまとまりきらないまま喋りながら、自分はどうやらそういう方向性に持っていきたいらしいぞ、と気付く。福寿さんは鋼索通信が壊れてしまえばいいと感じているのは確からしい。けれど打ち壊しのように積極な行動に打って出たとまでは見做せない。機械をよく知らないから、どれが故障に結びつくかも予見できなかった、と。
また別の観点からすれば、私が逃げを打ったとも言える。自分の任務はあくまで修理で、その原因について探りはするけれど、それより先の福寿さんの事情は修理とは関係がないので、私は見解を述べられない。あとは店の内々の問題だ。深くかかわる気はない。そんなふうに。
正解がない中、機関調律師としての立場を考えれば、妥当な線ではないかと思う。福寿さん自身も私に期待などしているふうではなかった。働きかけは僭越もいいところである。といって店に何も言わないのも、雇い主に対して不誠実である。
釈然としない点があるとするならば、私が決然と選べなかったことだ。結局これはどっちつかずの傍観である。決めあぐねながら話しているうちに、なんとはなしにその方に落ち着いてしまった。
「前回に関しては蓋の閉め忘れという、私からすれば故障とは言いきれない原因でした」
「このままでいくと、鋼索通信は今後も故障――あなたがそれを故障と言いきれるかは別ですが、我々からすれば故障と呼ぶに値する事態が発生すると思いますか?」
またしても私はぎょっとした。吉永さんの質問は福寿さん込みで聞いているように取れたからだ。とっくに彼女の言動は織り込み済みで、私の回答次第でその扱いを決しようというのかもしれない。彼女を別の部屋に移す処遇でもって応じるとか、鋼索通信への損失を理由に年季を延長するとか。私が今後も故障する見込みがあると答えた上でならば、処遇の変更は店の独断ではなくて、専門家の助言に基づいたものとの理屈も立つ。
私はしばらく迷っていたが、
「十二分に起こり得ると思います」
正直に話すとだけは決めていたので、所見を偽りなく披露する。はっきり聞かれたことに対して嘘はつけない。
「真砂先輩のころからちょくちょく故障していたそうですから、修理者が僕に代わってぴたりと止まる道理はないと思われます」
「仰言る通りです。で、あるならば、このままでいくしかなさそうですね。そこをよく了した上でお伺いします。引き続き、仕事を請けてくれますか?」
「それはいったいどういう……」
吉永さんの真意をつかみかねた。
「なにも変わりなく今まで通りで、ということです。仮に修理中にあの子がなにか言っても、適当に聞き流してやってくれればそれで構いません。どうせただの恨み言なのですから。ただ修理だけに務めて、暇があれば話でも聞いてくださればそれでいいのです」
ぴんと来た。吉永さんは福寿さんによる〝故障〟を織り込んだ上で私に頼んでいるのだ。
当初予定していた保守云々どころではなくなった。もはや機関調律というよりかは、福寿さんの話し相手だ。あんまりに侮られている気がした。こんなことのために仕事を請けたのではない。
吉永さんをじっと見つめる。彼は私の視線を正面から受け止めて、いたずらな弁明も責任逃れの釈明も用いなかった。ただ私を見つめ返す。
実をいうと私自身の視線には、大した力など込められていない。
侮られているとは感じたものの、それを怒りで返せばいいのか、嘲りで返せばいいのか、ともかく取りうる方法を見いだせなかったからだ。相手もそれを見抜いていたから、弁明で怒りを注ぎもしなかったし、釈明で嘲りを受けようともしなかった。彼のほうが年上だし、ましてや妓楼の番頭をやっているぐらいなのだから、こうした盤面における機微の駆け引きは私よりはるかに長けている。
「部屋を取り替えるなど、そうした措置を講じる気はおありですか?」
先ほどの、福寿さんへの処遇の変化を憂える私の心持ちとはあべこべな質問であるが、向こうにそんな気がないと予測しえたからこそ、聞けたことでもある。
「他に空きが出るか、福寿の売り上げが下がればそうなる可能性もあります。が、いまのところはまったく。それにあの子もときどき故障する鋼索通信を見て溜飲を下げているようですから。部屋を変えるとかえって何をしでかすかわかりません」
番頭の方針は決まっていた。現状維持。雇い主がそうであるのならば、交渉など無意味だ。請ける身としては受諾か拒否かの二択しかない。
「次は必ず請けるものとして、そこから先は次までに考えさせてもらう、というのは可能ですか」
「構いませんよ」
どれを採れば自分が納得できるのか、じっくりと考える時間がほしかった。果たして次も福寿さんに合わせる顔を作れるのか、という不安もあった。
「番頭ぅ、十分に火が焚けました」と炊事場から従業員が顔を出す。
吉永さんが、「わかった。福寿に伝えておいてくれ」と答えて立ち上がりながら、
「もう動くと思いますか?」
「おそらくは」
「なら安心です。お話も済んだようですので、表までお送りします」
通りへ出ると、吉永さんがふと上空を示す。
見上げれば搬器が静かに滑空していた。その影が私の顔をさっと横切り、箱ごと向かいの店へ没した。




