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見返りもないのに誰かに金を貢ぐという行為は、金をドブに捨てるのと何ら変わらない。汚れて臭くなるか、ならないか程度の違いだけで、損失した額に影響はないのでどうでもいい話である。手放した後の金がどうなろうと自分には全く関係ないし、興味も湧かない。
金をドブに捨てる。大森はこの愚かとしか形容しようのない行為を留学生のために率先して行っている。後々、考えてこれも必要な支出なのだと割り切り何とか耐えているが、他人に小遣いが吸収されていくのを見るたび、うんざりせずにはいられない。千円札を百円玉に両替し、ずっしり重たかった財布も店を出る頃には、軽くなっている。
「あー、財布から金がなくなる、なくなる。あの野郎、人様の小遣いで楽しそうに遊んでくれやがって。ご厚意に甘えてばっかりで少しくらい遠慮して欲しいもんだ」
「悪い、ちょっと見せてくれ」
鈴村が財布の残額を数えながらぼやいていたので、財布を借り中身を見て、自分のものとどちらが多いのか比較する。やかましく愚痴を言っている割に残額は若干、彼の方が多い。無性に腹が立ってきたので、二人の目を盗んで百円玉を二枚ほど抜き取り、自分のポケットに入れる。腰巾着のこいつらと均等に出し合い、外人に恵んでやるなんて真っ平御免だ。この馬鹿二人が多めに負担すればいい。
「僕のも大分減ってる。でも、手ごたえはあるよね? あいつも僕たちを信用してくれているし」
成田も自分の財布を検分している。大森に追従するしか能がないこいつらには、自我というものが欠落しているらしい。ジッパーを締め、財布を鈴村に返しながら、イリエーサーもこの二人も鈍感で扱いやすい生き物だと思った。中身がわずかに減っているのに、確認さえしない。
「毎日、律儀にありがとうとか言ってくるから笑えるよね」
「まあ、こっちはあいつを楽しませるために貴重な小遣いを費やしてやっているんだ。恩義くらい感じるのは人として当然のことさ」
大森は悪びれもせず、頬を歪めて笑う。納得したように成田が手拍子を打った。
「確かに、ごもっともだ。むしろ、それがなければ人間性を疑うよ」
経済面で恵まれていない中高生にとって、アミューズメント施設に通い詰めることは難しい。ゲームセンターやカラオケ、ボーリングなどで遊ぶにはどうしても金銭が必要となり、ある程度の我慢はやむを得ない。中学の頃から同級生を引き連れ、頻繁にアミューズメント施設を利用していた大森だが、限られた小遣いの範囲内でしか遊べず、時には節約も迫られた。
楽しみを制限されると当然、鬱憤が溜まっていく。そうして我慢を続けていくうちに大森は現実にはあり得ない、都合の良い妄想に取り憑かれるようになった。金は払わず、好きなだけゲームやカラオケ、ボーリングが出来ればどれだけ幸せか。高価なものを買う場合にのみ、小遣いを費やせられたらどれだけ助かるか。彼の中で様々な願望が浮かんでは消えていった。
高校に入っても物欲が増えるだけで、特に変化があるわけではなかった。親から貰える小遣いも月二万円と少額で、金銭を失わず好き放題遊ぶ方法を模索しながらも、結局は中学時代の延長線みたいな生活しか送れていなかった。
そんな中、耳にしたのがクラスに留学生がやって来るという情報である。日本語と日本文化を学ぶため、太平洋の島国から遠路はるばるやって来て、十一月までクラスに居座るそうだ。当初は大森も「誰が好き好んで、外人の面倒なんて見てやらないといけないのだ」と煩わしく思ったが、留学生初登校の日が近づくにつれ、何とかしてそいつを有効活用出来ないものか考えるようになった。留学生に近づき、自分の代わりに娯楽費を払ってくれる便利な存在へと仕立て上げて行きたかったのである。上手く行けば小遣いの削減ができ、高額な服や家電製品が買えるし、プレステのハードだって新品で購入できるだろう。欲しいものを我慢する必要はなくなり、ゲームだって今まで以上に楽しめる。留学生が滞在している期間だけでも支出が減ってくれれば大助かりなのだ。
この妙案には鈴村、成田もすぐに賛同し、三人は時間があるときに集まって、留学生をカモにする方法を事細かく企てていった。自然に金を払わせていくための前段階として、まずは留学生との間で信頼関係を築いていかなければならない。面倒ではあるが、クラスに来た留学生と親しくならないと意味がないのである。大森たちは「日本の文化を教えてあげる」との建前でイリエーサーに接近し、フレンドリーに話すことで好印象を与えていった。日本語の通じない外国人が相手とあって、困難になることは想定していたが、言葉が通じない分、誤魔化しが効いてむしろ扱いやすかった。手始めに安価なコストで済むゲームセンターを案内し、カラオケやボーリング場へと領域を広げていく。もちろん、いきなり払わせたりはしない。最初はイリエーサーの分を含めて自分たちが全額払い、少しずつ彼に出させていく。適度に出してやりながら、徐々にイリエーサーの支払う額を増やしていき、最終的に便利なATMになってもらうのだ。
「なあ、大森。もうそろそろ全額払わせても良いんじゃないか? 俺の懐具合も、ヤバいし」
計画は今のところ、順調に進んでいる。鈴村の言う通りにして問題なさそうだ。
「そうだな、明日から出させようか。あいつも嫌とは言わないだろう」
相手が自己主張を頑として曲げないタイプの外国人だったら、もう一手間掛かっていただろうが、イリエーサーは騙し易くて苦労しない。ただ、念のため、拒否された場合の打ち合わせもしている。「日本では、他人の金で遊ばせてもらった人がその相手に還元しない行為は犯罪に当たる」とでも言って、脅しを掛けてやるのである。
「でも……本当にやるの? あいつの国じゃ、千円札は結構な痛手だって聞いているけど?」
不安そうに尋ねる成田に、大森は眉を潜める。この期に及んで何、馬鹿なことを言っているのか。
「お前、ここまで来てあいつを心配してんのかよ。俺らはそのために近寄ったんだろ? 大体、イリエーサーは裕福な家庭で育ってきているんだ。飛行機乗り継いで日本に来るだけでも他の人間より上流階級なのは間違いないんだよ。本人も楽しんでいるし、少しくらい金出させても騙されているなんて思わねーよ」
「だな。所詮は他人事、あいつの痛手がどうだとか、俺らには関係ない」
「たまーに休んだり、俺らが払ってやったりすると、疑っても来ないだろ」
「上手くいくのかな……」
「大丈夫だって、イリエーサーは所詮、未開人なんだ。日本の文化だ、法だ、常識だ、とでっちあげれば効果覿面さ」
「でも、あいつ、僕らもよく分からないマニアックな日本文化を知ってたよ? 初音ミクとかアニメとか。結構、日本の文化に詳しいのかも」
「うるさいなあ、だからなんだ。どうせ、そんなオタク系の知識は柚木や金井みたいな精神異常者に吹き込まれただけだよ。なあ大森?」
「その通り、あんまり深く考えるな。お前もタダでゲームが出来るなら、それに越したことはないだろ?」
「確かにそうだけど」
「貢ぐだけ貢いだんだ。返してもらわないと困る。ちゃんと、利子もつけてな。まずは一週間、イリエーサーに負担してもらう。明日から楽しみだな」