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  安城兎々津(あんじょうととつ)はソファに腰かけ、指に挟んだペンタブレットを無意識に回転させる。汚い楕円をくるくるくるくる、と空気に刻むだけの娯楽性の欠片もない動きだ。向かい合うノートパソコンでは、魔道士風の二次元キャラクターが杖を突きだし、呪文を唱えている。順調に進めば、この絵も今日一日で完成するだろう。我ながら中二病の歌にはふさわしい、ファンタジックなイラストである。彼女は相方、|休場飛鳥≪やすみばあすか≫とユニットを結成し、昨年の夏から「劇団鳥兎(げきだんとりうさぎ)」という名前で、動画を投稿している。担当は作詞・作曲が飛鳥、イラストが兎々津で、動画の制作には二人で手分けして携わる。今描いているイラストも完成したら、動画となってネットに上がる予定だ。素人なので投稿する動画のクオリティは高くないが、さほど問題にはしていない。誰かに有償で仕事を依頼され、収入を得たりしているわけではなく、あくまで趣味の範囲内で活動しているので、気楽なものだ。

本職はそれぞれ、大学生とフリーターなので、今のところ、時間の縛りに悩まされてはいない。ただ、最終学年の兎々津は就活や論文でこの先、忙しくなりそうである。




 彼女はノートパソコンとペンタブレットを用いて、アニメ絵を描く。マウスで作業していた時期もあったが、使い勝手の良さではペンタブの方がはるかに上である。普通の紙に描くのと遜色なく、ペイント機能に特化したツールとも相性が良いので、作業の捗り具合が違う。休日や学校帰りに時間があれば、こうして飛鳥のアパートを訪れる。美少女フィギュアやアニメポスター、クッションやぬいぐるみなどのグッズで埋め尽くされた痛い部屋だが、ペンの動きに支障をきたすことはない。

「で? あんたの弟子になった坊やは一体、いつになったら来るわけ?」

線画に修正を加えながら、飛鳥に尋ねる。彼はドアの反対方向、兎々津が座るソファの左側の机に、壁と向かい合う形で座っている。二つのパソコン画面を交互に睨む飛鳥の手元にはMIDIキーボードが繋がれている。鍵盤型をしたMIDIキーボードは、音を確認するためのものだ。曲作りも兎々津と同様、基本的にパソコンで行われる。コンピューターでの曲の制作は、一般的にDTM(デスクトップミュージック)と言われ、楽器を奏でる必要がない。専用の譜面に音符や休符を打ち込んでいくだけで演奏が可能なのである。飛鳥がMIDIキーボードの鍵盤を叩くのも、作業効率を上げるためであり、彼自身はピアノが弾けない。このDTMで完成した曲にイラストを加え、動画の形へと持って行く。




「あー、もう四時か。そろそろ、来てもいい頃なのにおかしいねえ」

飛鳥は持っていたヘッドホンを机に置き、時計を見た。独り言のような言い方になったが、ちゃんと聞こえてはいたようだ。

「どうする? 電話、掛けてみる? もしかしたら迷子になっているのかも」

椅子を反転させ、振り返る。この男には背もたれを前にして座る妙な習性がある。そんな座り方で作業がしにくくならないのか、と指摘してみたが、椅子の背に顎を乗せているのが好きだという。

「あと三十分くらい待ってそれで来なかったら」

「了解、三十分ね」

「弟子が出来たから紹介したい」との趣旨で、電話が掛かって来たのは昨夜のことだ。創作関連の話だろうと思い、呼び出しに応じたので、要件を聞いたときは拍子抜けした。どうでも良いことで掛けてくるな、と文句を言ってやったが結局、翌日には飛鳥宅にいる。ちなみに、何の師弟関係を結んだのかは不明である。会ってからのお楽しみだと言って教えてもくれない。どうせ、面白半分でそう呼んでいるとかなのだろう。




「しかし、あんたが電話番号を交換していたとは驚きだね」

「電話帳もバイト先の人を差し引いて、ようやく十人に達したよ」

「へえ、これであんたもリア充って名乗れるじゃん」

「そうだね。やったー、俺はリア充だ」

 大げさに両手を上げる相方に軽蔑の眼差しを添え、小さく拍手を送ってやる。彼のプライベートな人付き合いまでは把握していないが、極端に友達が少ないのは間違いない。実際、去年まで兎々津と同じ大学に通っていたが、この男が友達といるところは見たことがなかった。休場飛鳥とは、それだけ近づきがたい人種なのである。学内では、常に美少女キャラクターがプリントされたタオルを肩に掛け、何年同じものを着てきたのか分からないくらいよれて、袖口のほつれた服ばかり着用していた。みすぼらしい格好をして、首から鍵とアニメのキーホルダーをぶら下げ、鼻歌を歌いながら歩く男は到底、まともな人間には見えないし、事実まともではない。周囲の学生はもちろん、大学教授まで引いていた。




弟子入りしたのはアニメやボカロに興味を示している、外国人留学生とのことだ。日本に入国したばかりで日本語もおぼつかない少年と聞いているので、当事者が弟子になったと認識しているのかどうかは怪しい。飛鳥は外国人に日本のオタク文化を叩き込み、そこからグローバル化を図っていくという意味不明な野望を抱いている。彼にとって弟子入りした留学生は貴重な存在らしく、既にいくつか漫画やアニメソングのCDを貸しているという。押し付けられた本人にはいい迷惑だろうと皮肉ってやったが、生意気にも迷惑どころか尊敬の眼差しすら向けて来ているのだと反論してきた。

「おやおや、来たみたいだねえ。異国の坊やが」

三十分待つと宣言してから五分後に、インターホンが鳴った。飛鳥は手元に置いてあるフィギュアをひと撫でして、出迎えにいく。この男には例え、人前であっても堂々とフィギュアを撫でたり、キスしたり出来る図太さが備わっている。さっき撫でたのは彼が溺愛する美少女アニメキャラクターだ。

「カモン、カモン」

飛鳥に導かれ、小柄で坊主頭、茶褐色の肌をした少年がやって来た。外国人と聞き、長身でブロンドの白人をイメージしていた兎々津だが、対面してみると見事に一つも当てはまっていない。どちらかと言えば南方系の風貌をしている。

「ハジメマシテ。ビチレブ出身、イリエーサー、デス」

 少年はぺこりとお辞儀した。事前に勉強して来ているのか、片言でも聴き取りやすい日本語の挨拶だ。地理的な知識に疎いのでビチレブは初耳だが、南太平洋にある島の名称だという。




「こちらこそ初めまして、飛鳥の相方で安城兎々津です。よろしく」

「と、と……」

「あー、駄目だよ、トトッちゃん。いきなりフルネームで自己紹介しちゃ。日本人の名前って外人さんには難しいんだから」

「そうなんだ、ごめん」

「この人は俺の相方。職業は魔法使いだよ」

「魔法使い?」

 イリエーサーは飛鳥の紹介を真に受けて、首を傾げる。

「待って、待って。どうして私が魔法使いになるの?」

「魔法少女の絵を描いているし、魔法が使えそうな服装もしているから。例えばほら、その模様」

 兎々津の着用している薄手の白いワンピースは、袖口が広く裾のあたりにペルシャ絨毯を連想させる派手な刺繍が施されている。言われてみると確かに、魔法使いのコスチュームに見えなくもない。ただ、相方にからかわれるのは腑に落ちない。

「あんたにだけは服装をネタにされたくないね、アニメタオル取ったら一昔前の悪がきにしか見えないよ」

「そりゃあ、悪かった。ふへへ、怒られちゃったよ」

 困っているイリエーサーをよそに飛鳥がおどける。こんな頭のおかしな男の弟子にされて、少年も入国早々、気の毒なものだ。

「まあね、この人は兎々津と呼んであげて。ト・ト・ツ。オッケイ?」

「オーケー、トトツさん」

「よろしく。日本語上手なんだね」

これはお世辞ではなく、率直な感想だ。握手しながらイリエーサーの語学力に脱帽していた。

「当たり前でしょ。向こうでは学校で習うだけでなく、日常的に日本のアニメを見ていたんだもん。そりゃ日本語力も鍛えられるよ、ねえ?」

「アニメ、見テマシタ」

 異国の少年は嬉しそうにしている。初対面の兎々津といても、緊張した様子は全く見られない。

「ほらね」

「それは分かったけど、別にあんたが威張ることではないでしょうが」

「弟子の功績は俺の功績。俺の功績も俺の功績」

「はいはい、面白い面白い」

 有名なガキ大将の屁理屈を真似ているのだろうが、センスは感じられない。

「それじゃあ、イリエーサー。存分にアニメを見ていくと良い。コツコツお金貯めてやっとアニメ産業の本場、ジャパンに来たんだ。ほら、好きなの選んで。向こうの棚にも色々あるよ」

飛鳥は机の上、兎々津のノートパソコン周辺に積んであった数枚のDVDを広げて見せる。イリエーサーは机と棚にあるアニメDVDを興味深そうに吟味した後、一つを手に取った。

「それにする? お目が高い。俺も大好きな作品だ。よし、それじゃあ待ってて。今用意してあげる。喉が乾いたら冷蔵庫にコーラ置いてあるから、勝手に飲んで良いよ」

飛鳥は座布団とイヤホンを渡し、DVDをセットする。

「音声は日本語、字幕は英語で構わないよね? 何かあったら俺かトトッちゃんに言って来て」






イリエーサーがDVDを視聴している間、一枚のイラストが仕上がった。魔導服を来たミステリアスな少女は我ながら力作である。ラフ画を描いて全体の骨組みを作り、線画で輪郭を整える。最後に自分の好みで彩色。ここまでの流れに二、三時間も集中すると、かなりのものが出来上がる。完成した作品は次のPVに使う素材となる。興味深そうにイリエーサーが覗いてきたので、印刷してプレゼントする。いつになっても、自分の描いた作品で喜んでもらうのは、嬉しいものだ。彼は親指を立てて大喜びしてくれた。

兎々津が本格的にイラストを描き始めたのは小学二年生か三年生、明確に思い出せないが多分それくらいの時期である。遡れば、幼稚園の頃から落書きが好きだった。その影響もあってか、工作こそ得意ではなかったものの図工や美術の成績には秀でていた。幼少期からアニメを見て育った彼女は、デッサンや写実画よりも現実離れした絵を好む傾向にあり、アニメ絵を得意としていた。手書きからパソコンを使ったデジ絵に移行したのは、中学に入り、自分専用のパソコンを購入してからである。質の高いイラストを描きたかったので、ペイントツールは評判が良い「PSY(サイ)」を選んだ。「PSY(サイ)」は一ヶ月の無料試用期間が切れると、有料でライセンスキーを購入しなければならない、いわゆるダウンロード販売だが、その使いやすさに小遣いを惜しむことはなかった。購入後はパソコン上でイラストを描くのが生活の一部となり、好きなアニメを視聴しては、作画を参考に新たなイラストを創出してきた。当時から趣味で描く絵といえばアニメ絵が中心で、好きなアニメキャラは男女問わず一度は描いてみたし、オリジナルのキャラクターも多数描いている。それらの作品は度々、友人に見せて感想を貰っていた。




飛鳥とユニットを組むきっかけになったのは、兎々津の作品が偶然、曲作りをしていた彼の目に留まったからである。アニメ絵が描ける人を探していたらしく、会話の成り行きで一緒に動画を作ってみることになった。動画の制作では飛鳥の作った曲を聴き、歌詞とコンセプトを確認してから、イラストの原案を出す。第一段階で飛鳥の要望に応じて絵を描く場合もあるし、自分でイメージを膨らませてから作る場合もある。ただ、基本的には後者なので縛りもなく、自由に好きな絵が描けている。

「今日はご苦労様。面白かった?」

 誹謗中傷や荒んだ書き込みの多い掲示板サイトを巡りながら、飛鳥が尋ねる。アニメを見終えたイリエーサーは彼に勧められて、ソファに腰を下ろした。兎々津の隣でとても満足げな表情をしている。

「面白カッタデス。スゴク」

イリエーサーはテーブルに用意されたポテトチップスを一口摘まむ。勉強熱心な少年で、アニメを観ている途中でも、英語の字幕を日本語に変えてみるなど言語学習に余念がない。日本語を全て理解するまでには至っていないが、映像、キャラクターの語調からストーリー内容を、把握しているようである。当てにはしてなかったが、飛鳥の言っていた通り、アニメ好きな少年で間違いなさそうだ。地元のビチレブ島では、日本のアニメが英語の吹き替え版で放送されており、ドラゴンボールやワンピースのような有名どころは大体、抑えているという。




「皆サンは、ミクのムービー作ッテマス?」

「作ってるよ、プロモーションビデオって奴をね」

「彼、ボカロとかも知ってるの?」

「らしいよ、発展途上国から来ているくせに、そこまで知っていて俺もびっくりだよ」

 発展途上国を見下したような物言いになっているが、本人に自覚はないようだ。突っ込もうか迷ったが、面倒なので止めておいた。

「は、てん?」

「ああ、ディヴェロッピングカントリーね。君がボーカロイドを知っているのは凄いなって話しているの」

「ナルホド」

「前にイリエーサーの地元に日本人が来たことがあってね、その人から教えてもらったみたい。世界には変わった奴がいるものだよねえ。普通ならボカロよりアニソンを紹介してあげるものなのに、それをしないなんてどうかしてる」

「いや、普通ならアニソンを紹介するべきだって、あんたの感性もどうかしているよ」

「失敬。じゃあ、俺を基準にした普通なら」

「じゃあ、って……。あんたを基準にした普通は普通じゃない」

「でもさあ、果たしてアニソンはそこまで異端分子なのかい? だって、JPOPで有名なアーティストとかも大抵は、アニソンを歌っている訳じゃない?」

「うーん、そこは否定しないでおいてあげる」

 イリエーサーは兎々津と飛鳥を交互に見て、ポテトチップスを食べるのに没頭し始めた。途中まで何とか聴き取ろうと頑張っていたが、さすがに難しかったらしい。

「アニソンをJPOPと偽って、外人さんに宣伝しても通用する筈だよ。アニソンばかり紹介して、アニメソングをJPOPという概念に置き換えてやるんだ。すると、どうなる? 誰かに指摘でもされない限り、そいつが耳にしているのはJPOP。そいつの中で、アニソンとの認識は一ミリたりともない。この要領で次々と相手を騙し、当事者が知らないうちにアニメ文化に触れさせる。ああ、見事な作戦だ」

「馬鹿馬鹿しい作戦だね、あんたならやりかねないような。むしろ、外国人なら初めからアニソンと言っておいた方がウケはいいかもよ、日本のアニメは有名なんだし」

 飛鳥は棚に飾ってある一体のフィギュアを取り、頭を撫でる。兎々津も好きな深夜アニメのロリキャラクターだ。

「要は堂々としていれば問題ないってこと? それもそうだね。あーあ、調子に乗って騙すなんて言っちゃった」

「騙す必要性、皆無だからね。詐欺まがいの方法で、日本のオタク文化云々を広めようって腹黒さ、どうにかならないの?」

「ならない」

「でしょうね……なるわけない」

「それじゃあ、まずはイリエーサーに俺らの作った動画を見て貰おう」

 兎々津は思わず、ため息を漏らす。鋭い切り込みに返答できなくなった飛鳥は、あからさまに無視をした。

「ね? イリエーサーも見たいでしょ?」

いきなりの問い掛けにも、彼は笑顔で頷く。さっきから無作法な言い方を続けているが、気分を害した様子はない。

「彼、『劇団鳥兎』を知っているの?」

「ううん、初めて。だから、どんな評価を下してくれるのか興味深いんだ」

飛鳥は椅子のキャスターを滑らせて、イリエーサーに近寄る。

「座って、座って」

立ち上がり、自らの椅子を勧めた。イリエーサーが腰を下ろすと、椅子の背を持ち反転させて、パソコンと向かい合わせる。

「では、再生」

マウスを操作して、投稿済みの人気動画やこれから投稿予定の曲を順番に流していく。イリエーサーは一曲聴くたびに親指を立てて喜んでくれた。サムズアップは多少、オーバーな反応なのかも知れないが、自分たちの創作物を評価してくれるのはやはり、嬉しいものである。





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