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車にもたれ掛かった飛鳥は、ペットボトルのファンタオレンジを一気に飲み干した。
「あーあ、疲れた。久々に渋い声出したせいで、喉が痛い。煙草なんて火を点けて咥えるだけでもしんどいね」
厚着していたので、全身は水でも被ったかのように汗だくだ。純白のタオルに顔を埋めて、汗をぬぐう。今日は珍しくアニメ柄のタオルを持ってきていない。
「正直、ここまで上手くいくとは思わなかったよ。用意周到だったからかな。トトッちゃんちの車といい、衣装といい、日程といい、天候といい……。何もかもが俺の味方をしてくれた」
「確かにあんたの運の良さは本物だ。もっとも、こんな無茶苦茶なやり方で、騙される方も騙される方だけど」
飛鳥が身を預けている黒いワゴン車は、この日のために兎々津が親から拝借したものである。仕事の忙しい平日だと貸してもらうことも困難だが、休日であれば基本的に自宅に停まっている。父親に「友達とショッピングに行きたいから、少しだけ車を貸してほしい」と申し出たら、すぐに許可が下りた。高級そうな外見をしているが、中古車である。
「オタクが、裏社会の人間を演じてみるのも、悪くないね。スリル満点で爽快、爽快」
彼の足下には冬物のチョッキが、脱ぎ捨てられている。ガタイを良く見せるため、シャツの内側に着込んでいたものだ。これだけでも十分暑いのに、チョッキが透けて見えないようにと工夫して、上には厚手の生地を使用した冬物のワイシャツを着ていた。真夏の気候に入り、日が暮れても蒸し暑い中、よくそれで我慢できたな、と感心せずにはいられない。
「私はいつばれるか、終始冷や冷やさせられっぱなしだったよ」
「でも、トトッちゃんも男装出来て満足でしょう?」
「付け髭を覗けばね。こいつのお陰様であの子たちがいる間中、かゆくてならなかった」
兎々津は忌々しそうに、付け髭の入ったビニール袋を揺さぶる。生まれて初めて着用したメンズスーツの着心地は、お世辞にも良いとは言えなかった。女性の華奢な体に合わせて作られていなかったので当然ではあるが、彼女は身長一六〇を超えている。決して小柄でない体格だが、それでも男物を着るとなると肩幅やウエストはぶかぶかだった。自分の体型に合ってないのは鏡で見ても丸わかりだが、幸いにも、高校生たちが兎々津の服装に違和感を持ってくることはなかった。サイズがおかしい服装の他にも、高級車には見えない車やぎこちない動き方など、怪しいところはいくらでも目に付きそうだが、心理的に追い詰められていた少年たちには、それらを指摘する余裕すらなかったのだろう。
「お疲れ様でした」
着替えを終えた満が、車を出て肩に掛けたタオルで汗を拭っている。夏なのにウインドブレーカーを羽織っていた彼も、相当暑かったに違いない。
「名演技、お疲れさん。はい、これは俺からのおごり。間抜けな三バカは今頃、一生懸命神様にお祈りしているところだよ」
飛鳥が労いの言葉を掛け、ウーロン茶を渡す。予め買っておいたもので、生ぬるくなっていたが、満は美味しそうに喉を潤した。
「お二人も迫真の演技でしたよ。ただ、最後のは少しやり過ぎなんじゃ……」
「荒治療にはあれくらいがちょうどいいのさ。ああいう坊やたちには、トラウマでも植え付けてやらないと、また同じことをやりかねない。ゲームセンターで遊ぶ気力を削ぐくらいが一番なんだ。それにしても、最高傑作だったね、特にリーダーの大森君。撃たれたと信じ込んで、ばったり倒れてやんの。バーンって音だけで。見てるこっちは笑い堪えるのに、必死だったよ」
飛鳥はまだ、火薬の臭いが残ったおもちゃのピストルを正面に構え、おどけている。
「相変わらずの悪趣味だな、あんたは……」
「見事な写真も取れたし、大満足だよ。後でイリエーサーにプレゼントしてあげよう」
人は見かけによらないものだとつくづく思う。馬鹿な言動で他人を困らせてばかりいる飛鳥が、ここまで狡猾で手の込んだことをやってのけるのだ。
「そろそろ、向こうも片付いた頃だろうし、行こうか」
「だね」
兎々津は丁寧に布で包んだエアガンをトランクに入れ、運転席に座る。さすがにここでは着替えられないので、メンズスーツはまだ着用したままだ。満が後部座席、飛鳥が助手席にそれぞれ、乗り込む。運転は飛鳥に頼みたいところだが、残念ながら彼は自動車免許を取得していない。再三、教習所に通うように言っているが、未だに入校の手続きも済ませてないらしい。
車のエンジンを掛け、屍のような宿舎の駐車場を抜ける。林道を走っていると、青白い目玉を輝かせながら汚らしい野良猫が、前方を横切っていった。切羽詰っていたとはいえ、高校生たちはよくこの道を歩いて来たものだ。有名なホラーゲームの舞台に選ばれたとしても、おかしくない不気味さがある。木の葉や種子がパラパラと崩れ落ち、ボンネットで跳ね返る。
「掛かってきましたよ、アキラからです」
神社を抜け、片側二車線の一般道に差し掛かった辺りで、満が携帯を取り出した。どうやら、あちらでも一通りの仕事は終わったようだ。彼はそのまま二言三言、話して飛鳥に代わる。
「やあ、アキラ君。ご苦労様。監視に誘導と大変な役回りだったのに、よく引き受けてくれたね」
『ああ、いえ』
「それにしても、君は演技が上手い。素質があるよ、俺なんかよりもずっと。何度か練習してきた?」
『ぶっつけっすよ。記憶を消して、何も知らない高校生に徹していただけです』
「謙遜、謙遜。憎いね」
『本当ですって』
「はいはい、そういうことにしておくよ。取り敢えず、今からエアガンとお駄賃持って迎えにいくから、もうしばらくイリエーサーと二人で待っていてくれる? 面倒だから補導だけはされないようにね。あと、そっちで協力してくれたお姉さん、もう帰っちゃった?」
『帰りましたよ、大分前に。他にやることがあるみたいで』
「そっか、なら代わりにお礼言っといて? どうもありがとう、って」
『了解です』
この件に関わっている人物は全部で六人。当初の予定では「劇団鳥兎」に麻雀部の高校生、イリエーサーの五人だったが急遽、「吉川」と名乗る女性が協力してくれることになった。彼女はゲームセンターの店員に扮し、店内から三バカを監視してくれていた。「吉川さん」について兎々津が知っている情報は、イリエーサーのクラスメイトの姉であり、コスプレを趣味にしているということだけである。飛鳥とも電話で話しただけで、直接会ってはいない。そんな謎の多い「吉川さん」だが、アキラと同じく重役を演じてくれた。
向かいのレンタルショップから三バカを監視することがアキラの役目だったが、距離が離れている分、リスクは大きい。大森たちがゲームセンター内に逃げ込んでしまった場合、彼一人では対処出来ないからだ。店内スタッフを通じて警察に通報されでもしたら、いよいよ笑い事では済まなくなる。アキラが追い掛けても、間に合う可能性は極めて低い。そこで念には念を押す意味合いも含め、ゲームセンター側にもう一人張り込み要員を配置することにした。その役回りは、兎々津でも飛鳥でも良かったのだが、高校生二人の推薦によって、飛び入り参加の「吉川さん」に決定した。
「これで外国人は克服できたし、三バカとも少しは親交が深まったんじゃないの?」
『深まりません。冗談は止めてくださいよ』
「分かった、分かった。そんな怒らないでよ」
飛鳥がそこまで細かく考えていたかどうかは不明だが、敵対する者同士であっても、窮地に追い込まれると助け合う。いわゆる呉越同舟を見越して、アキラをレンタルショップに割り当てたのだとすれば、見事としか言いようがない。もっとも、デジタルカメラに収めた写真を見て腹黒く微笑む相方を見ていると、高校生を怖がらせる行為を純粋に楽しんでいただけとしか思えないが……。
いずれにしても、優等生扱いされるのを嫌がる男なので、「アキラと三バカを仲直りさせたかった」などとは口にしないだろうし、兎々津にとっても大して重要なことではない。彼の思惑はどうであれ、イリエーサーが理不尽に奪われていた金を奪い返した事実は変わらないからだ。
「計算通りに行けば、当分、三バカはイリエーサーにちょっかいを出さなくなる」
通話を終えた飛鳥は鼻歌を歌いながら、少年たちから奪った紙幣を数え始めた。アキラから預かった金銭は全額本人に返し、残りは全てイリエーサーに配当することになっている。
「思った以上の収穫だな。この額だと十分元は取れているだろうし、君たちもいくらか欲しくない? こんな冒険をした後だもん、給料が発生しても良いよね」
「ううん、私はいらない」
「僕も結構です」
「あらあら、二人とも遠慮なんてせず、もっと強欲になって良いんだよ。一歩間違えれば大ごとになっていたんだしさ」
「お気持ちはありがたいんですけど、僕たちの目的はイリエーサーが払わされた金を取り返すことだったので、給料は全部イリエーサーに……」
「あくまでも慈善活動としてやったことだからね。欲を出してしまったらおしまいだよ」
「そっかそっか。なら、仕方がない。君たちが断るんなら俺もやめとこう」
「ところで、飛鳥さん。今更なんですが、一つ質問してもよろしいですか?」
「よろしいよ、何?」
「どうして、イリエーサーの金を取り返すために、ここまで大掛かりなことをやろうと思ったんですか? やっぱり、それくらい弟子が大事だから?」
「うーん、それもなくはないけれど、一番の動機は面白そうだったから、かな」
「え?」
満がぽかんと口を開けている。
「要するにこいつは面白半分で首を突っ込んでいただけ。私たちは命がけでそれに付き合わされたの」
「そんな……嘘でしょ?」
「嘘なものか、真実だ。だから、俺は初めから人に感謝されるようなことなんてしていないんだ」
飛鳥の原動力は何においても面白いかどうかであり、その見込みが高いものを優先する。そして、相方の兎々津が止めなければどこまでも破天荒で、過激な行為を取り続ける。飛鳥とは、主人がいなければ暴れて人を襲う獣みたいな男なのである。
「世の中には、目的のためには手段を選ばないという外道がいる。でもその一方で、手段さえ楽しければ目的なんてどうだっていい、というイカレ狂った人間もいるものなんだよ。俺みたいにね」
あまりにも異常な飛鳥の哲学に、少年は言葉を失っていた。兎々津にはフォローのしようがないので、敢えて聞こえていないフリをしてハンドルを切る。車はゲームセンターの敷地に入り、アキラとイリエーサーの待つところへ向かう。
「変わった人なんですね、飛鳥さんって」
停車する間際になって、満が一言、助手席にいる「異常者」への感想を呟いた。
この話はここで終わりです。次話以降も投稿する予定ですが、書き直ししないといけなくなったので、お時間いただくと思います




