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イリエーサーが誘拐される約一週間前の月曜日、兎々津は飛鳥宅を訪問していた。平日の昼間なのにそうすることが出来るのは、午後の授業に履修科目がないためである。帰りが早くなる日は週に二日あって、月曜日と木曜日は午前中で終わる。それでも、ここ最近は授業に就活、レポート課題、研究などの予定が詰まっており、創作活動に力を注ぐ暇さえなかったので、相方と会うのは久しぶりだ。動画の進捗状況だけは何をしていても気掛かりだったので、日程の縛りから解放されたら、すぐにでも相方を訪ねようと思っていた。
つい先日、職を失ったばかりの飛鳥は、平日でも家にいる。バイト先で長々と理屈をこねて経営者の逆鱗に触れ、解雇されているのだ。彼が一悶着起こしてアルバイトをクビになったのはこれで三回目で、学習しない馬鹿な相方には呆れてしまう。
「やあ、暑くなってきたねえ。授業はないの?」
インターホンを鳴らすのと、ほぼ同時にドアが開いた。戸口に立つ彼はチューブ型のアイスを咥えている。
「もう終わったよ。前にも言ったじゃん」
「そう、なら入って、入って」
飛鳥はわざと不快な音を立ててアイスを吸い、自分の部屋に親指を向ける。
「アイスが欲しかったら、冷蔵庫から一本取っていいよ」
「ありがとう、後でもらうよ」
兎々津はソファに腰かけ、持ってきたノートパソコンに電源を入れて、コンセントを繋ぐ。
「しかし、懲りないんだね、あんたは……。またクビになるなんて」
「あんな職場、こっちから願い下げだよ。大体、悪いのは俺じゃない。あの頑固おやじだ」
飛鳥はいつものように椅子の背を前にして座っている。
「悪い人の大概は、自分は悪くないと主張して、誰かのせいにして逃げるものだよ。今のあんたみたいにね? 下手な弁解と責任転嫁は己の品位を下げてるだけ」
「それは酷い。悪人にだけはなりたくないものだ」
「あんたのことを言ってるんだけどな」
「はーい、すいませんでした」
「……それで、今回はどんな醜い言い訳を聞かせてくれるの? 怒鳴られたとか?」
「怒鳴るなんて可愛らしいものじゃない。あれは発狂だ、危うく殴り殺されるところだったよ。怖かったなー」
「でもどうせ、あんたのことだから、その頑固おやじさんの発狂を見て、楽しんでいたのでしょう?」
「凄い、どうして分かったの? エスパーでも習得した? それとも魔術?」
「経験則とこれまでの統計だよ。あんたといれば、それくらい嫌でも分かって来る」
「参ったなー」
飛鳥はアイスを喉に流し込み、空になった容器を足元のゴミ箱に投げ入れる。容器はプラスチック製だが、ゴミ箱からは紙類が大量にはみ出している。ろくに分別もしてないようだ。
「そういえば、弟子はどうなったの?」
イリエーサーとも「しばらく様子を見てみよう」と言って別れたきり、会ってはいない。
「ああ、そういえばそうだったねえ。どうなったのかな」
自由奔放な振る舞いをする飛鳥は、把握するどころか忘れていたかのような態度を取る。面白さを見いだせなくなると決まってこうだ。気になって気になって仕方がなかったことが翌日には、どうでも良くなっている。
「やれやれ」
兎々津は嫌味を込めてため息を漏らした。この男の傍若無人さには呆れる価値もないのかも知れない。そんな風に考えているとインターホンが鳴った。
「おお、噂をすれば何とやらかな?」
先ほどまで興味を示していなかったくせに、インターホンの音を聞いた途端、嬉々とした表情に変わる。今はテスト期間中なので、中高生の帰りも早い。午前中で学校が終わることもあるので、この時間帯にイリエーサーが尋ねて来ても別段おかしくはなかった。
「どうなったんだろうねえ。お迎え、お迎え」
飛鳥はテンションを上げ、ぴょんぴょん飛び跳ねて玄関口へと向かう。彼は極端に交友関係が狭いので、来客がイリエーサー以外の誰かだったらどうするのか、など考えもしない。兎々津も気にはなっていたので、後ろから玄関の方を伺うことにした。
訪ねてきたのはイリエーサーで間違いなかったが、いつもと様子が違う。見慣れない二人の高校生が両脇に立っているのである。見た感じ、ゲームセンターで集りをしていた男子高校生とは無関係そうだ。
「これは、これは、イリエーサーのお友達かな?」
少年たちは、奇異な眼差しで飛鳥を見つめている。みすぼらしいTシャツに、美少女キャラクターのブランケットを羽織った人間に会うのは初めてのことで、まだ免疫がついていないのだろう。ドン引きとまではいかなくとも若干、引いているようだ。高校生らはそれぞれ、金井満、柚木アキラと名乗った。金井満は痩身で眼鏡をかけ、いかにも優等生という顔立ちをしている。一方で柚木アキラは小柄で中学生と間違えてしまいそうな外見である。
「どうも、弟子が世話になっているみたいだね。俺は師匠の飛鳥。んで、あっちが相方のトトッちゃん」
「どうもです」
高校生たちは遠慮がちに会釈する。
「お二人のことはイリエーサーから聞いています。いきなり来て、厚かましいとは思いますが、もし差支えなければご相談に乗っていただけませんか?」
「良いよ、大歓迎だ。まあ、立ち話もなんだし、散らかっている部屋で良ければ入って、入って」
飛鳥はドアを大きく開き、三人を言葉通り滅茶苦茶に散らかったアパートへ招き入れる。彼にとって自室に四人も人を入れること自体、生まれて初めてだったらしく、全員が座る場所を確保するまでソファを片づけたり、座布団を敷いたりと少しの時間を要した。高校生たちは二次元キャラクターのフィギュアやポスター、ぬいぐるみで埋め尽くされた部屋に連れて来られ、困惑している。
「それで、何かな? アニメ鑑賞がしたかったら、いくらでも要望にお応えするよ?」
彼らがやって来る理由に大よそ見当はついているのに、わざと知らないふりをしている。初対面から意地の悪い男だ。
「たまには真面目にしなよ、飛鳥。相談があるって、さっき言ってたでしょ?」
「ああ、そうだったね。相談だ、相談。二人は何を相談したいの?」
アキラに肘でつつかれ、慌てて満が口を開く。
「あの、あなたたちですよね? イリエーサーと同級生の間で、金銭トラブルがあるって学校に連絡してくれたの」
「そうだよ、俺が掛けたんだ。お陰様で仲直り出来たって、本人も喜んでた」
「そんな……仲直りなんて表向きですよ。最近になってまた、金を取られ始めています……」
アキラには海外暮らしの経験があり、学校では満とイリエーサーの通訳になっているという。
「おや、それは本当なのかい?」
飛鳥が眉を潜めると、イリエーサーは少し迷い、申し訳なさそうに頷いた。どうやら、学校では懸念していた通りのまずいシチュエーションが進行しているようだ。少年たちは何とかしてそれを食い止めようとしてきたが、最終的には手に負えなくなり、助言を求めてやってきたのである。満もアキラも集りを行う三人組とは敵対関係にあり、彼らを「三バカ」と称して毛嫌いしている。
「僕らも注意してみたんですが、やめる気配は全くないですね、あいつら。イリエーサーが自分から望んで払っているのであって、払わせてはいない、と逆ギレまでしてますよ」
「自分から望んで? どういうことなのさ」
「友達はボクにセンタクシを求メマス」
「選択肢? それで君は『払う』をチョイスしていると? だったら自業自得じゃないか」
「最初は俺もそう思いました。でも、詳しく聞いてみると、あいつらがわざと断りにくい環境を作って、払わざるを得ない状況に追い込んでいるみたいなんですよ」
「まあ、あからさまな脅しを止めただけで、やっていることは前と変わりませんね」
「三バカに言い拵えられて、泥沼に嵌っているのか。バカと言っている割には相当、頭のキレる坊やたちのようだ」
「確かに、リーダーの大森って奴は頭が良いです。前のテストでは学年でも上位だったし」
「ほう、賢いのに三バカのリーダーをやってるんだ。面白い」
兎々津はどうすれば良いのか解決の糸口が見えなくなっているが、この男には何か秘策でもあるのだろうか。アニメの感想を、述べるような感覚で会話を楽しんでいる。
「イリエーサー君、もう分かったでしょ? 君が信用している友達は君のことを友達だなんてこれっぽっちも思っていなかったの。君はね、都合の良い財布かATMくらいにしか見られていなかったんだよ。おけい? 日本の民度に期待しすぎて簡単に人を信じちゃ駄目。演技で土下座なんて、よくあることだからさ。人を信じるのは確かに素晴らしい。俺も信頼は大事だと思っている。だけど、信頼や優しさだけでは自分を守ることなんて出来ない。悲しいけど、これが現実だ。そういえば昔、俺の知り合いにもいたな。他人に優しくすることで自分の苦痛を塗り潰そうとしているような愚か者が……。どうせ、ろくなことにならなかったが」
人間心理を当てこする飛鳥の論調は、どこか哀愁を帯びていた。何もかもを神様目線で見下し揶揄しながらも、高みの見物だけでは終わらせない。そういう意志がこの男の中には存在しているようだ。
「ハンセイしています、シショウ」
「分かれば良いよ、分かれば」
イリエーサーは辛そうに唇を噛み、指をもじもじと動かしている。
「さて……と。坊やたちから聞いた話が間違いないとすると、いよいよその三バカを懲らしめる必要性が出てきたわけだが」
「さっきからやけに得意げだけど、何か考えでもあるの?」
「当たり前じゃん」
「本当ですか?」
「うん。ただ、凄く難しいよ。本人にその意思がないのなら、実行は不可能。むしろ、止めておいた方が無難だ。俺は巻き添えになんてなりたくないし、トトッちゃんも坊やたちもそうでしょ? 結局、ここから先の運命はイリエーサー自身に委ねるしかないんだよ。
さあ、どうかな? イリエーサー。失敗したら学校を辞めるくらいの覚悟でやってみる? もちろん、俺もそうならないように努力はする。運頼みの部分もあるから、保障までは出来ないけどね。そこら辺を理解したうえで協力を依頼するのであれば大歓迎、半端な覚悟しかないのなら今日はもう帰ることをお勧めする。他人に頼らず自己完結を試みても良いし、三バカの財布であり続けても良い。どれでも良いよ、君が自由に選んでくれ。我々も君次第でどう動くか変わって来るから」
三バカとの違いを意識して、回答を誘導しないようにしているのだろうか。具体的な案を提示するわけでもなく、リスクだけが強調されている。度胸試しでもしてみたいのか、飛鳥からの推奨ない。
「お願いシマス、たすけて下サイ」
「おっ、一か八かやってみる? 失敗したら学校を止めることになるかも知れないけれど、それでも良いんだね? 覚悟はあるんだね?」
「ハイ。おカネ……払うのヤメタイです。自分で断りたくテモ、いつも払わされてイマス。みなサンのキョウリョク、必要デス」
大層な脅し文句だったが、イリエーサーは動じない。断るのではないかと考えていたので、兎々津は少し安心する。一緒にいる高校生たちも同じで、安堵のため息を漏らしている。
「なら、決まりだ。坊やの覚悟が聞けて良かったよ」
裏を返せば最悪、退学しても良いと思うほど、イリエーサーは追い詰められているのである。
「それで、あんたは何を始めるつもり? ここまで言わしておいて、実はイリエーサーを試してみただけでした、とか言うんじゃないでしょうね?」
「まさか……とびっきり面白いアイデアがあるよ。準備とある程度の練習は必要になるが」
「準備……ですか?」
「そう、君たちも協力してくれる?」
「もちろんです」
「じゃあ、今ここにいる人の中で銃を持っている人とかいない?」
「は?」
「銃だよ、銃。ピストルとか自動小銃とかそういうの。誰か持ってないの?」
飛鳥は指で拳銃の形を作り、こめかみに当てる。彼の異常行動に慣れつつある兎々津も、これには困惑する。重苦しい空気を和らげようとしているのか、ただの悪ふざけなのか発言の真意は不明である。
「実物でなくても構わないよ。エアガンとか、ガス銃とか、モデルガンとか。持っていたりしないかな、と思ってね。こう見えても俺、夜店のくじ引きで当てたおもちゃのピストルしか持っていないんだ。火薬を詰めて音を出すタイプの奴でそれなりに高性能なんだけど、さすがにこれ一つじゃ、心細い」
「馬鹿かあんた」
「まあ、そう言わないでトトッちゃん。これもイリエーサー救出の任務を遂行するために、必要なことなんだ。決して面白がって言っているわけじゃない。満君、持ってる?」
「持ってないです。僕は」
「あら残念。英語ペラペラの君は?」
「うちに帰れば二つくらい、心当たりがありますよ……」
アキラは表情を歪めて言う。BB弾を装填するタイプのものを持っているようだ。
「そっかそっか、良かった。誰も持っていなかったらどうやって調達するのか、迷ってたところだけど、二つもあれば完璧だ。よーしっ」
飛鳥は決意したように立ち上がると、いきなり部屋の隅にあるクローゼットを開いた。クローゼットにはリクルートスーツや冬物のコート、ジャケットなどが収納されている。クリーニング屋から持ち帰ってすぐ保管したようで、ビニール袋はまだ被さったままである。普段は貧乏そうな出で立ちをしているが、スーツは上下合わせて三着も持っているようだ。彼は無言でそれらを剥がし、着衣を物色し始めた。その奇行には誰も口を挟むことが出来ない。兎々津を含め、全員が茫然と見守っている。
「トトッちゃんには確か男装願望があったよね? 一度で良いから、男装をしてみたいって言ってたもんね?」
「それがどうかしたの? 何でそれを今、この場で訊いてくるの?」
余計なことを暴露され、恥ずかしさで顔に熱気が籠る。高校生二人から注がれる目も冷ややかだ。「男装」という言葉の意味を理解していないイリエーサーだけが、ぽかんとしている。
「スーツで良ければ、君の切実な願いを叶えてあげる。これなら、サイズ的に着れなくはないでしょ」
「切実な、とか言うな。恥ずかしい」
「おや? 他のみんな、どうしたの? そんないかにも不愉快そうな顔をして? もしかしてもう帰りたくなってる? 今から弟子が取られたお金を取り戻すための、とっておきの方法について話そうとしているのに、もったいないなー。最後まで聞いて損はないと思うんだけどなぁ?」
「なら、意味不明な行動ばかり取ってないで、さっさと言え。そのとっておきの方法とやらを」
「せっかちだな、トトッちゃんは……。あれだよ、あれ。みんなでコスプレして、キャラを演じるんだ。面白そうでしょ?」
「はあ?」
「目には目を、演技には演技を、だよ。まあ、コスプレって言ってもありあわせの装備で何とかするさ。衣装を買ったり作ったりしていたら、イリエーサーが帰国しちゃうもんね。具体的にどういうことかというと……」
飛鳥はハンムラビ法典の条文を自己流にアレンジし、無謀とも取れる計画の全貌を語り始めた。そのアニメの世界でしか実現できそうにない、いかにも子供が思いつきそうなシナリオに兎々津は唖然として、言葉が出なかった。




