13
道の両脇に高くそびえる人工林は一本一本が生暖かい夜風にそよぎ、踊るように体を揺らしている。時折、舞い落ちる枯れ葉には種子が混じっているものがあり、地面を叩いて小さく跳ねる。大森の警戒心は、一歩また一歩と進みながら強くなる。そのうち得体のしれない何かが、種子に紛れて落下してきそうだ。
アキラの案内で道に沿って歩いていくと、奇妙な空き地に突き当たった。正面にある小さな宿舎は、とっくの昔に閉鎖されているらしく、看板は外されている。近年、整備されたのか駐車場だけが妙に新しい。所々、アスファルトが剥がれていたりもするが、地面にはしっかりと白線が残っている。
駐車場では一台の黒いワゴン車が停まり、サングラスを掛けた三人の男とイリエーサーが待機していた。人質となったイリエーサーは両手を後ろで縛られ、猿轡を嵌められている。その隣にはリーダーと思しき男がつき、がっちり腕を掴んでいる。大森は男の異質なカリスマ性から、彼がゴウダだとすぐに分かった。二人の両脇には顎ひげを蓄えた男と、マスクを装着した男が陣取っている。誘拐犯たちの服装に統一感はない。髭の男はスーツをだらしなく着用し、マスクの男はウインドブレーカーの内側に派手なシャツを着こんでいる。抵抗しようともがくイリエーサーだが、両手がきつく縛られていて抜け出せないようだ。
原因となった車は大森がイメージしていたウォルクスワーゲンやベンツのような外車とは違い、国内産のワゴン車のようだ。通学途中で見かけることも多く、決して珍しい車種ではない。身元がばれないようにするため、ナンバープレートは黒いテープで覆われている。周囲はしんと静まり返り、人気は全くない。ここから大声出して助けを求めたところで、通りすがりの誰かが気付いてくれることは、なさそうである。
「待ってたよ、俺がゴウダだ」
男は咥えている煙草を地面に落とし、革靴ですりつぶした。大柄ではないが胸板が厚く、他の二人と比べてもやはり貫禄が違う。
「おっと、大声は出すなよ? 出すとどうなるかくらいは分かっているだろ」
ゴウダは顎で合図を送る。髭の男が懐からピストルを取り出し、銃口をイリエーサーのこめかみに当てた。本物の恐怖を目の当たりにし、大森の膝はガクガク震えだす。
「こっち来てみろ」
イリエーサーをマスクの男に預け、ゴウダが手招きする。誰も行こうとしなかったので、大森が両手を上げて進み出た。銃を所持する男に近づくのは自殺行為にも等しいが、拒否すると撃たれかねない状態だったので従うしかない。
「見てくれよ、これ。お前の友達がやったんだ。酷いと思わないか? これはね、うちの組長が先代組長から譲り受けたもので、凄く大事にしていた車なんだ。傷が付くと困るんだよ」
ゴウダはボディのくぼんだ箇所を指さしながら言う。傷といっても、塗装が少しはがれた程度の僅かなものである。どのような経緯があって、ついたくぼみなのかは判然としないが、走行していれば自然と出来そうな傷で、特に目立っているわけではない。「剣龍連合」の組長はそれすらも、許せないというのだろうか。
「あの方は神経質なんだから、俺らに貸したせいで傷がついて戻ってきたなんて、事態に陥ったら、処罰は免れないんだよ。指の一つや二つ失うのは別に構わないが、ひょっとすると、それだけじゃ済まされないかも知れない。あー、嫌だ、嫌だ」
男はボディを覗き込む大森の額を指で弾いてきた。とても生きた心地がしない。
「だけどさ、もう起こってしまったことだから、嘆いていても仕方がないんだよね。どうしたら処罰されないで済むのか、考える方に労力を費やさないと。そこで、場所を移してみんなで話し合ってみた訳だが、大きな傷でないのが、不幸中の幸いといったところかな。このくらいの傷ならプロに修理してもらえれば、何とか誤魔化しも利きそうだ。でも、修理するとなると、必要なものが出て来る。それが何なのか、分かるかな?」
この流れで男が要求しようとしているものとして想定できるのは、一つしかない。
「修理代、ですか?」
銃弾を恐れて声が出せない大森の代わりに、アキラが返答する。四人の中で最も冷静さを保っているのは意外にも彼だ。
「正解。で、元を辿れば、責任はこいつにあるんだよね? だって、俺ら二時間前まで管理を徹底していたわけだもの。一切傷付けないように、小石を一つも弾かないように、細心の注意を払ってね。それが、このガキのせいで台無しになった。理不尽だと思わないか? 俺らは何も悪くないのに、何で金まで出さないといけない? 修理代を負担するなんて冗談じゃないよ。本来、払うべきはこいつだぜ?」
「……はい、おっしゃる通りです」
「それで財布を覗いてみたわけだが、何というか……落胆したよ。所持金は千円札二枚と小銭が少々……。さすがにこれじゃ、全然駄目。修理代の足しにもならない。だから、君たちにも出してもらう。文句ないよな? 三人もいて人様に迷惑をかけるような外国人を放っておくのが悪いんだしな。分かるか? こうなってしまったのはこのガキとその友達の責任なんだよ」
「おっしゃる通りで」
「うん、さっきから返事をしてくれるのは決まって彼なんだが、そっちの奴らは分かってねえの? 俺はお前らが巻き込んだこいつじゃなくて、お前ら三人に対して言っているんだぞ? てめえらが呑気にゲームして遊んでいたせいでこうなったんだろうがってな! どうなんだよ? 返事くらいしろ。他人任せにしてんじゃねえぞ」
「は、はい……。わ、わ、わかっています」
ゴウダは大森の頭を鷲掴みにして、激高する。委縮して、まともな言葉が出てこない。
「なら、今すぐ財布を寄越せ。高校生であると考慮しても、そうだな……最低でもあと十五万は欲しい。業者の最安値でもそれくらいだからな。もちろん、ちゃんと払ってくれたらこいつを自由にしてやるよ」
「分かりました、ただ、俺の財布にはそんな大金入ってないですよ」
アキラが躊躇いもせず財布を差し出す。ゴウダがひったくり、中身を見て舌打ちした。
「最近のガキは貧乏になったもんだな。バブルの時代が恋しいぜ。あの頃はガキでもじゃんじゃん金使ってたってのに」
ゴウダは文句を言いながら紙幣だけを抜き取り、カードと小銭、レシートの残った長財布を投げ返した。銀行のキャッシュカードがチラッと見えたが、興味はないようだ。相手の機嫌を損なわせてはならないので、大森たちも財布を渡す。現在の持ち金は五万円弱。鈴村、成田はこれより更に少ない。高校生にしては多く持っているつもりでいるが、合計額は相手の要求する十五万円を満たしていない。
「合計して九万八千円に小銭が少々……か、ゲームセンターで遊ぶような高校生でも貧乏なんだな。はあ、仕方がない。悪いが、皆殺しだ。どこから吹き飛ばして欲しいか、希望くらいは聞いてやるよ」
髭を携えた男が重心を落とし、こちらに向かって拳銃を構える。
「お……お願いします。い、い……いのちだけは……命だけは助けてください。お金は払いますから」
大森はコンクリートに両手をつき、頭を擦り付けながら懇願する。土下座が通用する相手でないのは百も承知だが、金もない非力な高校生には許しを請うことしか出来ない。
「命乞いか。謝られても金が払えないならどうしようもないんだが。どうする、お前ら? これで勘弁してやるか? まあ、無理だよな。てことで、まずはお前から死ね。希望がないなら、手っ取り早く頭撃ちぬいて終わらせてやるよ」
ゴウダも拳銃を出し、引き金を絞る。照準は至近距離から、大森の額に定められている。
「待ってくれ、ゴウダさん。まだ、撃たない方が良い」
「あ?」
発砲する直前になって、マスクの男が口を挟む。彼はゴウダに銃を下ろさせてから、マスク越しに何かを耳打ちした。
「なるほど、おい」
ゴウダが頷き、もう一人の男を手招きする。三人は拘束した状態のイリエーサーを地面に横たえ、小声でやり取りを始めた。
「お前ら、ちょっと待っていろ。いいな、大人しく待っているんだぞ。逃亡を企てたら殺すからな」
男たちはそう言い残し、揃って車の裏に移動していく。人質はボンネット前で放置されたままで、奥にいる誘拐犯らは銃を仕舞い、こちらに背を向けて囁き合っている。この隙に何とかイリエーサーの縄を解くことが出来ないだろうか。最悪、見つかっても、四人で担いで走れば希望はある。遅かれ早かれ、どうせ殺される運命なのだ。諦めるよりは可能性に掛けてみたい。
「なあ……」
「駄目だ、余計なことはしない方が良い。我慢して待つんだ」
まだ何も話していないのに、考えを見透かしたかのようにアキラが首を振る。
「何をしている。じっとしてろ、と言っただろ」
約十分後、「剣龍連合」が意見をまとめて戻ってきた。マスクの男がイリエーサーを乱暴に起こし、猿轡を外す。
「逃がしてやる」
「え?」
皆殺しから一転、願ってもないことを言われて、思考が追い付かない。
「本当……ですか?」
「ああ、お前らがこれから言う条件を呑むというのなら、財布の金だけで勘弁してやる。よくよく考えれば我々にとっても、ここでお前らを殺して騒ぎを大きくするのは、都合が悪いんだ。警察に嗅ぎ付けられたら、捕まるより前に組長に消されかねないからな」
「条件というのは何……ですか?」
「今日のことは他言無用。誰にも言わないこと。簡単だろ? 大目に見てやるんだから、これくらいは守れ」
「……はい」
「分かったら全員分の学生証を貸してもらう」
ゴウダはポケットからメモ用紙を取り出し、四人から受け取った学生証の情報を記入する。
「もし誰かにばらしたら、地の果てまで追い掛けて殺しに行くからな。その時は、お前らの家族や友達も道連れだ。異論はないよな? 我々の情報網を侮るんじゃないぞ」
「絶対に言いません、言いませんから」
大森は再び、地面にひれ伏して誓う。
「よし、決まりだ。人質を自由にしてやれ」
男たちは慣れた手つきでイリエーサーの縄をほどいていく。もう拳銃は向けられていない。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
鈴村、成田が泣きながら、何度も頭を下げる。マスクの男が「黙れ」と叫び、イリエーサーをこちらに突き飛ばしてきた。大森はそれを受け止め損ね、情けなく転ぶ。
「お前ら顔を上げろ。口封じのためだ」
ゴウダがデジタルカメラを持って、一人ずつ顔写真を撮影する。
「写真の他に、お前ら全員の名前と出身校を控えさせてもらった。まったく便利な世の中になったものだよな。顔と名前と学校と携帯番号が分かれば、住所まで特定できてしまう。これでお前らも警察に通報することが出来なくなってしまったが、まあ、悪く思うな。命があるだけ感謝しろ」
このゴウダという男は相手の精神を乱し、支配下に置くことに長けている。幾度となく、他人を脅して従わせてきたのだろう。考えると体が震えて来る。
「命拾いしたな、小僧ども。話は終わったし、さっさと帰れ。良いな、一直線にここを出るんだ。絶対に途中で振り返るな」
「ありがとうございます。では、失礼します」
立ち上がり、礼を言うアキラに動揺は見られない。まだ、本当に帰す気があるのか確信が持てない段階であるにも関わらず、イリエーサーが解放されて安堵しているようだ。とても、普通の神経ではない。大森に言わせると、「振り返るな」と言われている時点で疑うべきなのである。さっきまでまとめて射殺しようとしていた男たちが、あっさり意見を覆して逃がしてくれるなんて、そんな都合の良い話があるのだろうか? 大森たちの出した数万円の金は、男が要求してきた額の最低ラインにも及んでいないのに。油断させるために「帰れ」と言っておいて、背後から狙撃してくる、なんてことはないのだろうか?
「行くぞ」
アキラがシャツの裾を引っ張り、ついて来るように促す。気に入らない奴だが、抵抗する意欲はない。男たちの機嫌を損ねてしまいそうで、懸念を口にすることも出来ない。
「何をモタモタしているんだ? 帰りたくないのか? 行くなら走って行け」
ゴウダが喚き立て、一緒にいた鈴村、成田は火がついたように走り出す。少し遅れて大森も二人を追いかける。
「逃げられるものなら逃げ切ってみろ」
全速力で駐車場を抜け、林に差し掛かったところで、「パンパン」と銃声が鳴った。前を走る鈴村、成田が悲鳴を上げ、順番に倒れていく。
「おい、お前らしっかりしろ。待てよ、大森」
二人の元へ駆け寄るアキラとイリエーサーを尻目に、大森は一目散に走り抜ける。鈴村、成田には悪いが、見捨てていくしかない。逃げなければ自分が殺されるのだ。
「てめえだよ、大森。俺が一番ぶっ殺したいのは!」
発砲音が雨のように降り注ぎ、気が付くと大森はうつ伏せになって倒れていた。撃たれているのに、不思議と痛みは感じない。
「助かった……のか」
コンクリートに頬を付け、朦朧としながら視線を彷徨わせる。立ち上がろうと両手をついたが、体が地面に吸い寄せられているかのように重い。腕力だけでは全体重を支えきれず、情けなく顔面をぶつける。一旦崩れ落ちると、もう動くことは出来ない。心臓の鼓動だけが血管を揺らし、肌の隅々にまで広がっていく。
ドクン……ドクン……ドクン…………。
心拍数が減っていくにつれ、徐々に意識が遠くなる。そして、眠るように瞼を閉じた。




