プロローグ
「自分が何者かという定義は、さしてあまり意味を持たないのかもしれない」
瀕死の少年の前で男は語る。
「それを決めるのはどうしたって他人であるわけだし、そうはいっても俺はあまり他人の評価や定義に興味はない」
先程の地震で倒壊した建物の中で、無数の被害者が横たわる中で、左眼に鉄筋が突き刺さって動けない少年の前で男の声が嬉々として響いている。
「人は俺のことを悪魔と呼ぶし、天使とも呼ぶ。ましてや神や仏、妖怪なんて呼ばれたこともあったかな」
男はうっすらと笑いながら自分の眼球に指を入れる。
その光景はあまりにグロテスクで、少年は声も出ずただただ息をのんだ。
「でもそれはあくまで一人一人の観点に過ぎない。お前だって、これから先は誰かにとってのいい人で、誰かにとってのやな奴だったりするわけだ」
男は少年に近づくと、少年の左目に突き刺さっている鉄筋を握りしめた。
「俺の言っている意味が解るか?要するにお前は今、死にかけているが死なないってことだ」
そう言うと男は、勢いよくその鉄筋を引き抜いた。
「あが……ッ!!」
少年は痛みで悶絶する。そんなことなど構わないように、男は少年の頭を優しく持ち上げた。
「何故ならば、今俺が助けるからだ。俺は悪魔であり天使であり、神や仏であり妖怪であるが……お前にとってはただの命の恩人ってことになるわけだ」
男は、少年の潰れた眼球を無理やり取り出した。
「感謝するか憎むかは、まぁお前が選ぶといい」
劇的なその日は、まるで誂えたかのように雨が降っていた。