3章 都へ 1
*残酷な描写あり グロ少し注意です。
人を行き遅れのババァと馬鹿にしていた男から弓矢を拝借して、ラグゼルと共に森の中へと分け入った。
陽が昇る前に、村の狩人の行動範囲外まで移動しなければならない。
魔物に喰われずに済んだというのに、その努力が水泡に帰すハメになるのだけはごめんだ。
斜面を斜めに登りながら、皮の水筒に入れた水を飲み、干し肉を毟り食う。
このど田舎辺鄙のイニケア村から、どこへ向かうかは定まっている。
二つ隣の村までは山々を越えて迂回し、直接、アヴァシュト王国の五大都市の一つ、メディナに向かう予定ではいる。
家探しをされたせいで安宿一泊分の金しか手元には残らず、隣村に留まって乏しい金をゼロにするなどという愚行を犯したくもない。
メディナには冒険者ギルドの支部があるはずなので、これからの事を考えると、冒険者登録をして旅費を稼ぐ手段を確保するのが良いだろう。
贅沢をしたいわけではなく、ただ単に人間らしい生活をしたいだけだが、村の外で人らしい生活を送るためには、ある程度の金が必要になる。
メディナであっさりとラグゼルのお眼鏡に叶う処女が見つかれば万々歳だが、そうでなければ長期戦も視野に入れなければならなくなってくる。
あとはもう、なるようにしかならないだろう。
これ以上考えようもないし、考え続けたところで無意味だ。
私は思考をやめ、あとはただただ月明かりの中でわずかに見えた獣道を進み、時に天を見上げて東の方角を確認する。
西の末端からアヴァシュト王国の王都へ向かって東へ進むだけだ。
ラグゼルは私の後方50センチの位置にぴったりと張り付いている。
人の踵でも狙っているのかと歩き出しは思ったが、異様な圧迫感を背後から放つだけで、人の歩調に完全に同調して歩いているだけだった。
どこに向かうのかとも聞かず、ただ黙って付いてくるラグゼルは、旅の供としては最高だった。
だが背後からの圧迫感に体が産毛立ち続けるので、護衛者としては最悪だった。
問題は、私が二つ隣のルヘパ村にも、メディナ都にも行ったことがなく、地図上でしか知らないことだった。
朝を迎えたあたりで、一度、休憩のために進行を止めた。
耳をそばたてて水の音を聞き分け、人の入ったことがなさそうな山の中をかき分けるように進み、踝ほどの浅く細い沢に辿り着いた。
ゴロゴロと大きな岩の転がる沢のほとりに出ると、
「休憩か?」
約九時間ぶりにラグゼルは口を開いた。
「流石にね」
そう答えつつ、岩の間を流れ落ちる小滝に、開けた水筒の口を突っ込んだ。浅いものの流れはそれなりにある沢は、あっという間に水筒の中をぱんぱんに満たしてくれた。
溢れるほど汲めた水筒を滝から抜き出し、胃まで冷え込みそうな水を軽く飲んで、水筒の口を閉じる。
「あんた、そういえば水も飲まないの?」
カラカラになった口が潤ったので、そんな事を聞いてみる。
「水は飲まんな」
ラグゼルの短い返答に、ふぅんと頷きながら辺りを見回す。
「睡眠は?」
短い質問にも、
「取る必要がない」
軽々と答えるラグゼルは本当にやりやすい。
「なら、4時間ぐらい番をお願いしても良い?」
そう言いながら、私は生あくびを噛み殺した。
さすがに24時間以上起き続け、休憩を一度も取らずに8時間も歩き続けた体は限界に近い。
この成果でイニケア村の奴らと森でばったり遭遇することはないだろう。さらに言えば、人里離れて、人の歩いた形跡の欠片もない水源で他の村民に遭遇することも無いと思いたい。
「番が必要な理由はなんだ?」
この疑問に答えるのも苦でもない。
「寝てる間に山賊やら魔物にやら襲われて、体齧られるなんてごめんだからよ。山賊なんて、穴さえあればどこにでも突っ込むような連中だしね」
私はラグゼルに答えながら、自分の身の丈の2倍の幅と高さのある苔むした岩に近づき、その岩を背もたれにして座り込む。
「ほう・・・・。そんな愚か者がいるとはな」
そう会話を続けたラグゼルの雰囲気には、僅かながらに剣呑なものが含まれていたが、睡魔が襲いくる頭では感知のしようがなかった。
「私が村に処女なんていないって言ったのはそれもあるわけよ。隣村のリセルブに、五年ぐらい前かな? 山賊の集団が襲ってきたのよ。で、老婆だろうが、子どもだろうが、穴の開いてる女は悉く、ってやつ。命取らない代わりに全てを奪うってのが山賊のやり口ってわけ」
腕を組んで、何度もあくびを噛み殺しながら答えると、
「・・・・なるほど。よかろう。番程度引き受けてやろう」
と、ラグゼルは少しの間を開けてから了承してくれた。
「4時間経ったら起きれるから。悪いけど、その間、よろしく」
その言葉を締めにして瞼を落とせば、鼓膜に届くのは沢のせせらぎばかりで、一分も経たずして、私は深い眠りの淵にことんと落ちていった。
眠りの淵から這い上がりだした意識がまず感知したのは、血生臭い異臭だった。
急速に浮上する意識と、起きなければと思える強い意志とで、ハッと目を開ければ、清らかだった沢のほとりは、ダイナマイトでも飲み込んで吹っ飛んだような肉片だらけの悍ましい光景に変わり果てていた。
大きな岩肌に張り付いた薄ピンク色の肉に、垂れ下がる赤黒い肉に、転がる肉。
飛び散ってる肉は、確実に、人のものだ。
バケツに入れた赤黒い血液をバシャッとぶちまけたような扇状の血痕がそこかしこにあり、きょどきょどとあたりを見回しながら、
「・・なっ・・・・えっ?」
からっからに乾いた喉から声が溢れた。
「起きたか」
私の声に、上の方からラグゼルの声がかかった。
ハッと顔を上に向ければ、岩石の上にローブ姿のラグゼルが座っていた。
「こ、これどういう?!」
「どう、とは? まさか殺生するなとでも?」
「いや、そんなことを無条件には言わないわよ。ただどうやったらこんな、あたり一面・・・うげッ!」
立とうと思って、片手をついたら、ぶにゅっと嫌な感触がした。
すでに冷たくなっていたソレは随分と前に解体されていたらしい。
その隣でグースカ寝れた自分の図太い神経に感服すべきなのか、悲嘆すればいいのか分からない。
慌てて手を離し、背後の岩肌に何も付着していないことを確認して、岩に手をついて、苔で手を拭いながら、岩肌に背中をずりずりと擦らせて立ち上がる。
「何がどうしてこうなったのか説明してくれると嬉しいんだけど」
足の踏み場はあるものの、あまり動き回りたくない光景を前に、私はラグゼルに問いかける。
「武装した愚か者が数人ほどやってきたのでな。山賊か?と聞いたら、その通りだと答えたので始末しただけだが」
淡々と答えるラグゼルの表情はどんなものか見てみたいものだったが、フードの中は見事な暗闇だった。
「・・・始末、ね」
ボソッと呟いた私は、肉片を触っていない右手の人差し指を鼻の穴に押し当てて、できるだけ悪臭を肺に取り込まない努力を始める。
山賊への同情心は、ほんのわずか足りとて湧いて来なかった。
もうちょっと綺麗な始末方法はなかったのだろうか。
頭部だけ綺麗に転がっているわけがなく、懸賞金をかけられていても、こんな状態では百年後もWANTEDの張り紙が剥がされることはないだろう。
誰にも死んだことを知られる事もなく、誰にも鎮魂を祈られる事もない。
その点は少々哀れだと言わざるを得ない。
この山賊を探す冒険者たちが。
「とりあえず移動しないと。この臭いにつられて魔物が来ない方がおかし・・・魔物も始末した?」
触ってしまった肉片は冷めていたのだから、それなりに時間は経っているはずだ。
一秒と長く嗅ぎつづけていたくない悪臭は、わずかなそよ風に乗っても、かなり遠くまで届くはずだ。
魔物が現れない方がおかしい。
喋りながら、その考えに辿り着いた私に、
「お前の言うところの魔物に遭遇することはなかろう。人間に遭遇することはあるだろうがな」
ラグゼルは淡々と、さも当然のことのように返してきた。
「なんでそう言い切れるのか聞きたいとこだけど、聞く前に吐きそうで・・・移動してから聞くわ」
その言葉にラグゼルは岩の上から私のすぐ傍へとすぐさま降り立ってきた。
ラグゼルに人の顔色を伺う、ということができるかどうかは定かではないが、同じ人間なら私と同じように青白い顔をして何度も頷くに違いない。
悪臭源がそこらじゅうにあり、そして太陽の位置は南中から少し西に傾いている。
陽の降り注ぐ岩の上に転がっているのだから、その熱で焼けもしている肉片の悪臭はさらに強くなるばかりだろう。
長居すればするだけ、服にも臭いがこびりついて離れなくなる。
自分の服にへばりついた悪臭のせいで吐く、などということは是非とも避けたかった。