2章 村へ 2
村は、とんでもない僻地なのに、その町並みは観光客を呼べるかもしれない程度に整っている。
白石を積み上げて作った二階建ての建物が、村の中心線をぽっかりと開けて、横六列で隣同士十分な距離を取りながら等間隔で綺麗に建っている。
上空から見たら見事なシンメトリーと言わせるような具合に、一列につき六軒建っている徹底ぶりだった。
山と山の間の窪地にある村に、よくもこれだけの白石を運び込んだものだと思う。
どの建物も築百年を下らないものの、気候が安定しているために、西日の当たる壁面が日焼けしているぐらいで、あと百年は大丈夫な気がする。
ただ空き家になっている建物は保って二年というところだろうが。
村の中央には、鈴なりの稲穂を両手に抱えて微笑む大地母神の石像があるだけで、酒場もなければ宿屋もない。
こんなところにわざわざ来た冒険者は、長老の家に泊まるか、冒険者ギルドに依頼を出した村人の家に泊まるか、の二択しかない。
そんな村に入ると、いよいよヤギ肉と馬肉の焼けた芳しい匂いが、朝から何も食べていない私の空腹を刺激してきた。
腹の虫を鳴かせながら、南から村に入り、北に向けて、村の中央に向かって突き進む。
ラグゼルの言う事に信用がおけないのではなく、私の家が北東の端だからで、そして何よりも、どこの家の家畜が焼かれているのか、確認せずにはいられなかったからだ。
匂いがより芳しく、強く、少し焦げ臭くなればなるほどに私の歩調は速く、やがて小走りに、次第に駆け足になって、中央へとたどり着いた。
穏やかな聖母の石像を前に捧げられた馬の頭と、ヤギの頭。
その両脇には、木を山のように組んだ大火柱が立っている。
湿気を含んだ枝葉やら松の枝なんかも構わず放り込んだのか、バチバチと音が立ち、火の粉が舞い、薄っぺらい灰が空気に乗って宙を漂う。
顔の正面が熱くなるのを感じながら、私は馬とヤギから視線を外せなかった。
見間違える事など出来るわけがない。
祖父母は私が子供の頃に亡くなり、妹は冒険者と駆け落ちして行方知れず、両親は二年前の流行病で亡くなった。
私に残っていたのは、家と、畑と、ヤギ一頭に、馬一頭、鶏が三羽。
立ち止まって動かなくなった私を前にして、ラグゼルは不思議そうに私の隣へ周りこんだ。
ついで、
「感涙か? 生きている実感でも沸いたか」
と、検討はずれな事を言ってきた。
左手の親指と人差し指で両目を抑えて、小さく首を横に振る。
言葉を吐こうとも、今は無様な嗚咽にしかならない。
どうしようもなく溢れ出る涙は抑えきれなかった。
私が生贄になって、まだ一日と経っていない。
なのに、こいつらは、私の馬とヤギを、殺すべき時期でもないのに殺し、その肉を食らい、酒を浴びるように飲んで宴会を開いたわけだ。
杯を持ったまま、そこら中で寝こけているやつらへの腹立たしさに、ギチッと音が立つほどに奥歯を噛みしめる。
こんなやつらのために、私は化け物に食い殺されなければならなかったというのか。
こんなやつらに、飼っていた大切な家族を食われなきゃならなかったのか。
冗談じゃない。
湧き上がる憎悪に身を震わせて、ゆっくりと左手を下ろす。
ただでさえ黒々としすぎて気持ち悪いと言われる瞳に、人に対する嫌悪が混じり込む。
山の上から吹き込んできた強風が、まるで私の激情を表すように背中の半ばまである黒髪を大きく凪いだ。
深淵の感情を汲み取ったラグゼルは、
「始末して行くか」
そう、淡々と言ってきた。虫を追い払う程度の鬱陶しさすらも、その声音には乗っていなかった。
私は瞼を落として、ゆっくりと一度ばかり深呼吸をすると、緩やかに瞼を持ち上げる。
「そんな面倒をしている時間が勿体ないわ。―だから、朝まで寝かせて。冥界神の采配に任せる」
見張りの寝こけた村なんて、山賊に襲ってくれと言ってるようなもんだ。山賊がこなくても、魔物がヤギと馬の焼ける匂いに山から下りてくるかもしれない。人の肉を好んで食らう大型の魔物も山には居る。
「よかろう」
ラグゼルはそう言うが早いか、右腕を持ち上げてローブの下から無骨な手を覗かせると、親指に中指を擦ってパチンと一度だけ指を鳴らした。
さっと周囲を見渡しても、その音に反応して起き上がる村人はおらず、それどころか大いびきを立て始める村民も出だす始末だった。
魔法を使う魔物に遭遇したことはないので、もしかしたら、魔物にとっての魔法はこういう詠唱方法なのかもしれない。
そう自分を納得させた私は、
「ありがとう」
と、礼を述べつつ、歩き出す。
「・・・なにがだ?」
ラグゼルは礼を言われる節が思い当たらないようで聞き返してきたが、その辺りについて答える気にはならなかった。
戻ってきた我が家を前にして、私は壮大に溜息を吐き出す。
開けっ放しの玄関戸。
月光が入り込む窓ガラス越しと、その玄関から見える家の中は、家具という家具が引き倒され、棚の中身は悉く床の上にぶちまけられ、荒らしに荒らされた惨状そのものだった。
「これは酷い」
ラグゼルがそんな感想を呟く程なのだから、相当のものと思って良いに違いない。
「馬とヤギを食うだけじゃ満足できなかったってわけね・・・」
両手を腰に当てて、ボソッと呟いた私は、それでも、この家の中に入らなければならない。
溜息と共に決心して腰から手を離すと、玄関口から一歩、我が家へと踏み込んだ。
バキッと最速何かを踏み壊したが、玄関を入ってすぐのリビングには元々用はない。
必要なのは、剣と弓と、非常食の干し肉と水と、それらを入れるショルダーバックだ。
ラグゼルは流石にこの中に入ることには躊躇したらしく、玄関口を前に足を止めている。
灯油ランプも蝋燭も無い薄暗がりはすべての物に対して諦めるに限る。
リビングを抜ける間にベキッだのパキッだのという音を味わい、そして廊下に出ると、すぐそこにある階段を登る。
換金すればそれなりの値段になる絵画を飾った階段の壁は、まっさらな坊主どころか、勢い余って壁紙まで破っている。
村の人間に、ここまで憎まれるようなことをした覚えはないのに。
嘆きたい気分にはなるが、嘆いてる時間の方が惜しい。
三十年間、何度も上り下りした階段を踏み外すわけもなく、さっさかと二階に着く。
左右に伸びた廊下を見渡せば、左手奥の私の部屋の戸も、中央の両親の寝室も、失踪した妹の部屋の戸も、大掃除でもしているのかというぐらい開け放たれている。
自分の部屋へ向かう途中で、両親の寝室を横切りついでに軽く目線を向ければ、ベッドのシーツは乱雑に剥がされ、マットレスは刃物で乱雑に切り裂かれ、クローゼットの中身が床にブチまけられている。
おそらくは、金目の物を探し回って、見当たらないものだから、マットレスまで切り裂いたのだろう。
月明かりの下で見ると、猟奇殺人の現場のようだ。
もう、ため息すらも出てこない。
ここまで徹底的だと、村人がこれからどう不幸になろうとも、良心の呵責にかられることは無いだろう。
自分の部屋に入ると、例外なく同じような惨状だった。
むしろ私の部屋の方が、より一層酷いと言っていいかもしれない。
一人用のベッドのそばに置いた背の低いチェストの中身も例外なく全部ぶちまけられている。
残念ながら、そのチェストに入っていたのは蝋燭と羽根ペン、黒インク、マッチ、粗悪な紙ぐらいなもので、金目のものなど無い。
それがわかった村人は羽根ペンと蝋燭を踏み割ってくれていた。
両親が一五の時に買ってくれたペンだったのに。
ため息まじりに引き裂かれたマットレスを両手で掴んで、ふんっと向こう側へ放り投げた。
マットレスを引き裂きはしても、それをめくる、ということまでは行かなかったらしい。
有事の際用の長剣と短剣が、マットレスの下、ベッドの上に乗っていた。
これさえあればあとはどうとでもなる。
弓と矢は悉くへし折れていたので、寝こけている奴の物でも拝借することにしよう。
そう思いつつ、クローゼットからブチまけられた物の中から腰ベルトを引きずり出し、左に長剣を、右に短剣をぶら下げる。
服の山を漁って縦長の水牛革のショルダーバッグを見つけ出す。
外ポケットが一つついただけのショルダーバッグに穴が開けられていないことを手早く確認して、後は、と周りを見渡しながら、肌寒さに身震いした。
服装は寝起きだったこともあって、動きやすい綿製のチノパンを履いて、上も長袖のTシャツしか着ていない。
上着を一枚羽織っていくのが良いだろう。
そう思って服の山を漁っていると、
「女の寝間までよくも漁れるものよ。お前は何ぞ恨みを買っていたのか?」
と、部屋の入り口からラグゼルの声が聞こえてきた。
足音一つ何もなかったので、びくりと心臓が飛び跳ねて、部屋の入り口へ反射的に顔が向いた。
そこにぬぅっと立っている黒いローブ姿の者は、知らなければ悲鳴でもあげたくなるようなホラーさだった。
「なんだ?」
「音もなく近づかれるのは心臓に悪いわ」
「ふむ。その要求は少々面倒だ。断る」
初めて断られた。しかも面倒という理由で。
浅くため息を吐いて、私は服の山から、よさそうな上着を探す。
「恨みは買ってなかったと思うけどね。まぁ、行かず後家の家だからね。金がたんまりあるとでも思ったんでしょうよ。大して無いけどね」
そう答えながら、服の山の中から一つの袖を掴んで、引き抜いた。
まぁ、妹のような大山になるほど服は持っていないし、どれも似たり寄ったりなので、月明かりの中でも間違えにくかったとも言える。
撥水性が高く、膝頭の上あたりまである黒のトレンチコートは、これさえあれば雨の日でも少しばかり体温低下を防げる。
手早くトレンチコートを着てから、ショルダーバックの肩紐を頭からくぐって、右肩にかける。
「あとは・・・・干し肉・・・」
だが、この惨状を見るに、台所も同じような状態だろう。
とても探し出せるとも思えず、さて、どうしたものか、と考え込むよりも先に、
「ねぇ、あんた、鼻、いいわよね?」
「おそらく人よりは良かろう」
と、ラグゼルは頼もしい返答をしてくれた。
「二、三日分の食料が必要なのよ。自分でウサギか蛇でも狩れればいいけど、そう都合よくいるとは限らないから。それで台所に干し肉が一週間分ぐらい作っておいてあるんだけど・・・」
「なるほど。暗い上にこの状態では見つけられぬな。まぁ良かろう」
「助かるわ。—ところで、あんたは食事ってどうするの? 人と同じ?」
自分の食は確保できそうな安心感から、やっと他人の食事について目を向けられた。
「ああ、そのことだが。お前の髪で良いわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
まるで妥協するような声音で言われたが、言葉の意味を理解するのに、ものすごく時間がかかったところで、背筋にゾワッとしたものが駆け抜ける。
悪寒というべきか、気色の悪い者を見てしまった衝撃に、というべきか。
私の変質者を目撃したような声音に、
「我が人と同じ物を喰らう訳がなかろう。我は清らかな乙女しか食わぬ。だが、お前なんぞ喰いたくも無い。が、一週間以内に我の望む乙女がいるとは限らぬ。よって、その間は、お前の髪を我慢して喰ろうてやろうというのだ」
我としても甚だ遺憾である、と語尾に付け加えたラグゼル。
「ちょっと、必要性がまったくわからないんだけど・・・」
「ではこう言い換えればわかるか? 一週間以内に乙女を喰わねば、我はお前を踏み潰すであろう。乙女を見つけられずとも、お前を踏み潰さずにいるには、最低でも三日に一度、お前の髪を喰らうしかない。喰べるものは他の部位でもよいが・・・お前の血なぞ飲みたくも無いし、お前の肉なぞ取り込みたくもないわ。骨など喰ろうたら我はお前を殺さずにはいられぬだろう」
大真面目に言ってるのはわかるが、こいつはどうして私を貶さずにはいられないのか。
腹立たしいことこの上無いが、今は口喧嘩をしている暇が惜しかった。
もしかしたら、口喧嘩をしている暇が無いことがわかっているから、言いたい放題言っている可能性もなくは無い。
私は深く深く息を吐き出して、両腕を胸の前で組んで、渾身の力でラグゼルを睨み据える。
「・・・・一度に喰べる髪の量は?」
「梳いて抜けた分で良い」
意外にも、燃費はとても良いらしい。
ごっそりハゲるほどの量でないのなら良いが、何も言い返さないでいるのは、やはり腹立たしい。
「やっっぱり、ど変態の魔物野郎ね。—まぁ良いわ。なら、ついでに部屋のどこかにある櫛も見つけて」
「・・・・・・・・・よかろう」
その声は、実に苦虫を噛み潰したような渋い声だった。