さよなら世界
轟智人十七歳は殺し屋だ。
それも今世紀最悪の殺し屋と言っても過言ではない。
狙った獲物は絶対に殺す、それも何一つ証拠を残さずに。
聞く者がその名を聞けば全身に鳥肌が立ち、あまりの恐怖に膝が笑ってしまい立っていられなくなること請け合いである。
そんな智人の主だったターゲット言えば、世界に蔓延る悪徳政治家だ。時たま政治家でない者を殺すこともあるが、少なくともその者が悪党であることは間違いない。
正確な殺害数は覚えていないが、少なくとも両手両足の指を総動員させた数では足らないと言うことだけには確信を持てる。
基本的な殺害方法は、圧殺。
演説やら記者会見をしている悪徳政治家の頭部に真っ赤なお花を咲かせるのが通例だ。
「……ちょっと待て母さん。俺、今アフリカからこっちに帰ってきたんだぞ。そんで、次の仕事現場がエジプトってどういうこと? あり得なくね? 何でアフリカにいる時に教えてくれなかったの? ここ日本、そんでエジプトまでは9500㎞オーバー、飛行機で行ったとしてもどんだけ時間掛かると思ってるの?」
「いやねぇ、そんなの愛する息子であるのりちゃんの顔が見たくなったからに決まってるじゃない。それに今回もショッキングな仕事をこなしてきてくれたし、癒しをあげようと思ってね。うふ」
その部屋ではコンピュータの内蔵ファンが回る耳障りな音が響き、そのフル稼働のファンでも殺しきれない熱気が満ち満ちている。
そんな不快指数うなぎ登りの部屋の中で、母と子水入らずの会話が繰り広げられる。ただ、子のロールを担っている方の表情はこれでもかと引きつっているのだが。まあ親子のコミュニケーションなんて大体一方的なものである。
「ショッキングな仕事って言ったって……。今回の仕事も母さんが取って来たんだろ。いやそもそも、俺をこんな風に育てたのって母さんだろ。癒し云々の前に、出来れば普通の男の子として育てて欲しかったね。サッカーとか野球とかしたかった、いやマジで」
智人が自嘲気味にそう呟くと、智人の母でありこの不快な部屋の主でもある轟明美が、頬に右手を当てながら上品っぽく笑った。
ただ、明美の目元には決して消えることの無いであろうくまが滲んでおり、ディスプレイから発せられる青白い光と相成ってその姿は幽霊のようにも見えてしまう。白衣を着ているので尚更だ。
「ふふふ、始めから普通の子として生まれてきてくれたらそれも考えたんだけどね。私悪くないもーん」
「……それ言われたら、何も言い返せないだろ」
そう、まさしくその通り。
轟智人は悪徳政治家真っ青の殺し屋であり、そして、今世紀最強のサイコキネシストでもあった。
何十年前からかは覚えていないが、人類に劇的な変化が起きた。ともかく自分が生まれるよりは前の出来事だと言い切れる。
人類に起きたその劇的な変化とは、超能力の顕現だ。
すでに生まれていた者には一切宿らなかったが、新生児にその現象は顕著に現れた。
手を触れずに物を動かす念動力、つまり智人のようなサイコキネシスもあれば、発火能力のパイロキネシスもあった。その他にも「なんじゃそりゃ」と言いたくなるような超能力が様々。
当時相当な議論があったようだが、様子見という意見が大多数を占めていた。
もちろんながら「危険因子はすべからず排除すべきだ」という大変アサルトな意見も所々で挙がった。
だが世界中の新生児全てにこの現象が見られたので“生まれてくる新生児を片っ端から処分してもいずれ人類は滅びる”という至極当然のことに気付き、様子見なわけだ。
まあ、犯罪に悪用できる強力な超能力の出現は稀だったし、超能力者が何らかのアクションを起こしても大概が銃で鎮圧できるのだった。だから様子見が出来たとも言える。
これで超能力を宿した子供らの存在は社会的にも認められたことになる。
しかし、超能力者でない親が超能力を宿した子供を産んだとき、親はどう受け止めるか?
すごい子供が生まれた! とプラス思考で受け取るか。
……気持ち悪い、とマイナス思考で受け取るか。
世界の大半は前者の反応を示した。
が、確かに後者の反応もあったのだ。
そりゃ超能力者ではない親たちは超能力が無い環境で育ち、その環境で価値観を身につけてきたのだ。だというのにもかかわらず自分から、世の理を逸脱した子供が生まれてきたのだから恐怖もするだろう。
自分からは超能力者なんて存在は生まれないと信じて、子供を産み、そして絶望する。
もちろんの事ながら、親に気持ち悪いと思われた子供は棄てられる運命だ。
だが、智人の母である明美は違った。
明美は、生まれてきた轟智人という存在をこの上なく愛した。
その果てに誕生したのが今世紀最悪の殺し屋であり、今世紀最強のサイコキネシストであった。
「……で、もう仕方ねえよ。この業界だしな、一度引き受けた以上完遂するっきゃない。にしても激しく鬱だ。こっからエジプトまで直通で行けたっけ? まあいつも通り航空券は頼むよ母さん」
殺しは智人の仕事。
そしてそこに至るまでの情報と道筋を示すのが、智人のマネージャーを務めている母明美である。
なのでいつも通り航空券の手配を明美に頼んだのだが、ここで明美は座っていた椅子をくるくると回転させて子供のように遊び始めた。
「あー、それなんだけどねえ。お客さん、ちょうど凄い装置を発明しちゃったのよ」
「……それ、聞かないとダメか?」
智人が溜息を吐きながらそう尋ねると、明美は年頃の少女のようににっこりと笑った。
発明というのも、明美は智人のマネージャーであり、この部屋を根城とする科学者でもあった。
ただ科学者と言ってもその肩書きは自称であり、発明した品々も智人と智人の父親である轟刻人にしか提供されないが。
「もっちろん! だって世紀の発明家の世紀の発明なのよ! 聞かなきゃ損々!」
「……俺らを殺してしまうような失敗作で無い事を祈る」
こうも智人が乗り気でないのも、明美が発明する品々は冗談抜きで危険なものばかりだからだ。有用な発明品もあるにはあったのだが、たいていは理不尽な爆発が待っている。
智人は自分の持つ力に絶大なる信頼を置いている。また、そうでなければ悪党の頭に真っ赤なお花を咲かせる稼業には就けない。
そして今までに数多の仕事を達成してきたが、その内に自身の生命が危ぶまれるような事に至ったのは僅か二回。
だが、明美の発明品に殺されそうになった数は百では足らない。
故に智人や智人の父である刻人にとって、明美の「新しい発明品を作った!」という一言は恐怖以外の何ものでもないのだった。
「今回ご紹介するのは、“テレポートさせちゃうぞプロトタイプ”です! 廻ちゃん監修の元ようやく完成にこぎ着けることが出来ました!」
「親父! 母さんが俺を明確な殺意を持って殺そうとしてるんだけど! 助けてくれ!」
数多の爆発オチをその身で体験してきた智人であるが、それでも智人が明美の発明品の試運転に付き合っているのは、その爆発が意図しない失敗から来るものだと知っているからだ。
明美も明美なりに頑張り、そして自分や父の刻人をサポートしようとしてくれているのである。だから今まで智人も刻人も明美の発明品を無下には出来なかった。
が、今回は話が別だ。
“テレポートさせちゃうぞプロトタイプ”
これはいけない。
爆発オチなんて生やさしい話では無く、まず名前からして人を殺しに掛かっている。
今までの爆発オチを導く発明品が黄色信号だとしたら、今回の代物は赤信号である。渡ってはいけない、つまり使用してはいけない。
「うふふ。お父さんは今仕事でロンドンに行ってるからその叫びは届かないわね。それに、お父さんは私にラブだから何を言っても無駄無駄。お父さんなら、私が頼めば世界最強の超能力者にも銃口を向けてくれるわよ?」
「……まあ、そうだろうな」
確かに、轟の父刻人は明美にどっぷりなのだった。
こうした二人の出逢いを説明するのにはA4レポート数枚分が必要になるのだが、明美はその時の事をよく話してくるので智人にとっては困りごとである。ことあるごとに両親の馴れ初めを聞かされる身にもなって欲しいというものだ。
「ともかく、嫌々だけど話を進めるとして、その発明品って廻のテレポートを再現しようとして作ったんだろ? 名前からして」
「うんうん。嫌がる廻ちゃんを説得して何とかね」
二人の話題に出てくる廻とは本名一条廻、智人の友人である。智人と同い年でかなりの使い手であるが、智人とは正反対に国の組織に所属して日々お国のために頑張っている。
つまりお国の仕事人である廻と、悪徳とは言え政治家を殺して回る智人とはまさしく水と油の関係なのだが、意外や意外、中々の友好を築いているのだった。
「で、話を統合するに、そのなんちゃらって装置でエジプトまで送ってあげよう、って話だろ?」
「エジプト行くのめんどくさーい」と来て「テレポートさせちゃうぞプロトタイプを作りました!」と来ればその流れしかないだろう。
「うん。テレポートさせちゃうぞプロトタイプね。今智人の足下にあるのがそれ」
「俺の足下? ……ってうおっ!」
明美に言われてから改めて足下を見るが、確かに六角形状の何かが敷かれているのだった。部屋が明るければさすがに気付いただろうが、生憎とこの部屋は薄暗いので気付けなかったようである。
「危ねえっ! なんてもんの上に乗せるんだ!」
ただ気付いてからは話は別で、叫びつつも一歩退いて例の装置から距離を取る。
今までは何も無かったが、普段明美は脈絡もなく発明品を試してくるのでその前に気付けて幸いだった。これで、何も知らぬ間にスフィンクスの目の前に送り出される展開は避けられたはずである。
「えー? 私が乗れって言ったんじゃないしー。自己責任だしー」
「ぐ、この。……まあ、起動しなかっただけありがたく思っておくよ」
と言ってしまうのも、過去に拳銃型の荷電粒子砲で脈絡もなく撃たれたことがあったのだ。もちろん防いだが。
「でも、うーん。のりちゃんそんなにこの装置を試したくないの?」
智人の安堵した様子を見て、明美が答えが分かりきったことを聞いてくる。
本来なら答えるのもおっくうな質問だが、罠にはまっていたのを見逃してくれたこともあってか素直に答える気になった。
「そりゃ、そうだよ。バラバラになって戻れなくなりそうで怖い。そのわけわかんない装置使うくらいなら、今電話で廻を拝み倒した方がマシだね。廻なら確実に送ってくれるし」
「むー。科学者の息子らしからぬ発言ね。のりちゃん、携帯電話があればテレパシーを成立させるための装置は要らないと思ってるでしょ?」
「そりゃなあ。はっきり言って今の携帯の便利さは異常だろ。これ以上進化させる必要は無いと思うけど」
智人がそう言うと、明美は珍しく少し悲しそうな表情になった。
普段見られない表情だけに智人も面食らってしまう。
「そうね、普通はそう考えるのかもね。だけどテレパシーって声を出さずに、お互いの出す思念を元にしてコミュニケーションを取るでしょ?」
「そうだな。何度かテレパシーの使い手に会ったことあるよ」
仕事柄、と言うわけでもないが、智人には有能な超能力者の知り合いがたくさんいる。そしてその中にテレパシーの使い手の双子がいるのだった。
「じゃあテレパシーを誰にでも使えるよう装置化に成功したらさ。耳が不自由な人からめんどくさい手話や筆談を無くしてあげられるでしょ? 声を出すことの出来ない人でも活き活きと自分の意思をみんなに伝えることが出来るようにしてあげられるでしょ? それって、素晴らしいことだと思わない?」
「っ。……確かに、そうだよ」
言われてから、自分の思考の狭さに気付いた。
そうだ。確かにそうだ。
携帯電話は非常に便利だ。どんなに距離があろうとも一瞬で人と人の会話を繋いでくれる。
だがそう思えるのは、相手の声を聞き取り、返事をすることが出来る者にとっての話。
もちろんメールという手段もあるが、会話をするという行為に限っては障害者にとって携帯電話は無用の長物となる。
だが、その携帯電話に思考でコミュニケーションを成立させるテレパシー装置が組み込まれていたらどうなるだろうか。
そんな事を考えたら、今の今までマッドサイエンティストとしか見られなかった母が、偉大な人物のように思えてきた。
「ふふ。わかってくれた? 科学のすばらしさが。のりちゃんは自分の力で何でも出来ちゃうからね。それにのりちゃんの近くには世界でも類を見ないほど強力なテレポーターがいるからこの装置のありがたみがわからないんでしょう。廻ちゃん、のりちゃんが頼み込めば結局頼みを聞いてくれるからね」
「……わかった、わかったよ。確かにテレパシーやテレポートを装置化するってのは良いことだよ」
言われてから改めて考えてみれば、自分の力を行使しつつ知り合いの手も借りると、出来ないことを挙げる方が難しいというとんでもない立場にいることに気が付いた。
こんな立場にいたからこそ、明美がテレポート装置を作ったという事実に魅力を感じられなかったのかも知れない。
「うふふ。さすが私の息子、物わかりが良くて助かるわ。それじゃあ今回の実験にも付き合ってくれるのよね?」
明美はそう言って視線を智人からディスプレイへと向け変え、かなりの速度でキーボードを打鍵し始めた。
どうやらすでに実験を開始することを確信しているご様子だが、良い話の流れなんて無視し遠慮無く待ったを入れる。
「おいちょっと待て。何勝手に話進めてるんだよ。確かに超能力の装置化は素晴らしいって言ったけど、実験台になるとは言ってないんだけど」
「えー? ノリ悪いー。そこはノリと言う名の波に乗ってさー」
と、言いつつ明美はディスプレイから目を離そうとしない。ひたすらに打鍵を続け、おそらくだが装置を起動するための準備を整えようとしている。
ともかくも、今は装置の上に乗っているわけではないので特に慌てることもなくその様子を眺めることができる。
「二重の意味で乗るか。というか聞いてなかったんだけど、俺の前に物とか小動物で実験しただろ? どうだった?」
「んー。100㎏の鉄塊と、生きてる猿の二つをこの地点の裏側に転移させるのには成功したわよ。それも各々十回ずつ」
「……そうか。それは、好成績だな」
明美は嘘をつかない。明美は言いにくいことでも、全ての物事をはっきりと口にするタイプだ。
なのでその明美が鉄塊や猿の転移に成功したと言えば、それは確かな事実なのだろう。
「そうでしょ? それじゃあ試してくれるわよね? それに、こんな事を頼めるのはのりちゃんだけなんだから。のりちゃんには頼りになる仲間がたくさんいるし、何より、のりちゃんならバラバラになっても大丈夫でしょ?」
明美の言葉には、確かな力があった。
横にしか振ることの無いだろうと思われていた首を、ゆっくりとだが縦に振らせることの出来る力が。
「……わかった。実験、付き合ってやるよ」
こうなればなるようになれである。
量産化するかはまあ置いておくとして、結局の話生身の人間の誰かが試さなければならないのだ。
ならば、いざという時でも対応することの出来る可能性がある自分で試すべきではないだろうか? という結論に行き着いたのだった。
それに純粋に、母親の頼み事は聞いてあげたいという良くできた息子精神が働いたというのもある。
「さすが! 結局はこうして付き合ってくれると思ってたわ!」
「調子良いよなホント」
智人の了承を受けて明美はキーボードを打鍵する速度をさらに速める。そして智人も憎まれ口を叩きつつも、この上なく嬉しそうな様子の母を見て自然と顔がほころんでしまった。
「のりちゃん、貴方は本当に私の誇りなのよ。生粋の科学者である私から世界最強の超能力者が生まれたのは皮肉だけど、私とお父さんは轟智人という貴方そのものを愛してるの。その事を、絶対に忘れないで頂戴ね」
「……わかった。それと、その、なんだ。色々と、ありがとな」
んじゃあなんで殺し屋になんか育てたんだ? と口を挟もうかと思ったのだが、もしかしたら明美は殺し屋という職業に抵抗感を持っていないのかも知れないと一人で結論を出した。
というのも、智人の父である刻人も凄腕の殺し屋であるからだ。超能力世代ではないので己が力のみで仕事を遂行しており、狙撃銃による暗殺はもはや神業レベル、らしい。
そんな殺し屋の男と結婚するのだから殺し屋という職業に抵抗感を持っているわけがない。もし持っているのなら刻人と結婚などしないはずだ。
それどころか、明美もまた刻人にべったりなので、刻人の職業である殺し屋という仕事にリスペクトを抱いているかも知れない。
「いえいえ。それじゃあ最後の確認だけど、テレポートさせちゃうぞプロトタイプを試してくれるのよね?」
ここで一度、激しい打鍵の音が綺麗さっぱりと止んだ。
そして気付けば、明美の不健康な瞳が智人をしっかりと捉えているのだった。
「? まあ仕方無いからな。一般人で試すよりも俺で試した方がマシだし。きっと何とかなるさ」
智人がそう返事をすると、明美はにっこりと微笑みながら右手の人差し指をピンと立てた。
そして、相変わらずの笑みを浮かべながら、その人差し指をキーボードのエンターキーへ添える。
「それじゃあ、一名様ごあんなーい」
「は?」
智人の間抜けな呟きが部屋の中に響くのと同時に、智人の足下が激しく発光を始めた。
「え! ちょちょ!」
「ざーんねん。こっちはダミーで、今智人の足下にあるのが本物でした~」
今現在智人の足下には、激しく光を発する五角形状の何かが敷かれていた。先ほど退いた六角形状のそれとは違い、五角形状のそれには数多のケーブルが繋がれている。
冷静になって考えてみれば、ただの六角形状の敷物にテレポートをさせる機能があるわけがない。
こうしてケーブルで繋がれている方がらしいと言うものだ。
「それじゃ、頑張って生きてね! 私はここで応援してるわ!」
「いやいや! 意味わかんねえし! それにエジプト行くなら色々と準備しな!」
智人の叫びの全てが明美に届くことはなかった。
全てを叫び終える前に、智人の身体は光る粒子となって消滅してしまったから。
分割しようと思いましたが、さっさと異世界に行かなくちゃ物語が始まらないので一括で投稿しました。次話はなるべく早く投稿します。