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闘う僕らのEveryday  作者: 凛紫水
本編
2/45

第2話 まゆまゆと紅鷺

 千早はふきんを持ったままのっそり立ち上がり、親しげに笑いかけた。


「いらっしゃい、光海」


 背は高いが細身でひょろっとした身体は、お世辞にも体格がいいとは言えない。筋肉があればいいというものではないし、バトラーの強さはそんな単純なものでは測れないと分かってはいたけれど、この草食系男子の見本みたいな青年が最強とはとても思えなかった。


 彼の特徴はそれだけではない。まずはその出で立ち。上下とも、白の二本線が入ったあずき色のジャージだった。


 バトラーはいつどこで戦闘モードに入ってネット中継されてもいいように、常に自分のキャラクターに合った格好をしている。

 光海は、黒を基調にしたいわゆるゴスロリ風のミニドレスに、今は脱いでいるが黒のロングブーツ。春輝は、ユニオンジャックのシャツに黒の革パンツ。これでも、バトラーの中では地味な方だった。

 アニメやゲームのキャラを模した派手なコスチュームを身にまとうことで、バトラーたちは個性を強調し、自己顕示欲を満足させるのだ。


 なのに、ジャージ。よく見ると、所属企業である『ARIエンタテインメント』の小さなロゴが、胸のところに付いている。ということは、一応これが彼の正式な戦闘服(コスチューム)なのだろう。


 そしてもうひとつの特徴は、眼鏡。それも、眼鏡男子だなんだともてはやされるような類いの眼鏡ではない。いわゆるビン底眼鏡。レンズが厚すぎて、奥にあるはずの目が見えない。絵に描けば間違いなく、渦巻きで表現されるだろう。


 千早は、『神速』が聞いて呆れるようなのんびりした口調で光海に訊ねる。


「その彼が、この前話してた後輩だね?」

「ああ。先月養成所を出て、私たちと同じARIエンタに入ったんだ。千早に会いたいって言うから連れてきた」


 光海に促され、呆然としていた春輝はようやく我に返った。慌てて頭を下げて自己紹介する。


「春輝ですっ。光海先輩には養成所でお世話になりました。えっと、その、千早さんにお会いできて嬉しいです。よろしくお願いします!」

「こ、こちらこそよろしくお願いします」


 春輝以上に深々と頭を下げて挨拶を返す千早。光海は苦笑しつつ、「二人とも八の字みたいになってるぞ」とからかう。


「おにーちゃん、はるきっていうの?」


 ツインテールの少女が、八の字に割り込んできた。春輝は笑顔を返し、


「うん、そうだよ」

「そっか。じゃあ……はるちゃん! わたしはね、まゆまゆ」

「まゆまゆかあ。可愛い名前だね」

「ありがとっ。はるちゃんは、みっちゃんのおともだちなの?」


 友だち以上恋人未満、と言いたいところだが、実情は違う。


「友だちというより、大事な先輩なんだ」


 一応大事なを強調してみたのだが、当然ながら光海からの反応はない。まゆまゆは分かっているのかいないのか、「ふうん」と大人びた相づちを返す。そしてくるっと身体を反転させ、


「ちーちゃん、おそうじはもうおわり。ごはんのしたくしよっ」

「うん、そうだね」


 仲良く手を繋いで台所へ向かう千早とまゆまゆを見送りつつ、春輝は光海に疑問をぶつけた。


「あの、まゆまゆって千早さんの何ですか? 妹? まさか子供、とか」

「さあ、知らん。家族としか聞いてない」

「ここで、一緒に暮らしてるんですよね?」

「そうだ。そもそも私が千早と知り合ったのは、迷子になったまゆまゆを助けたのがきっかけだった」

「へえ、そうなんですか」


 そんな会話をしているうちに、二人は戻ってきた。まゆまゆはガスコンロを、千早は大きな土鍋を運んでくる。土鍋の中ではすでに、野菜や豆腐、肉団子などがぐつぐつ煮えていた。


「あっ、すいません。俺も手伝います」


 春輝の申し出に、千早は「いーよいーよ」と言って鍋をセッティング。湯気で曇った眼鏡をジャージの袖でごしごし拭くと、座布団を置いて「適当に座ってくれる?」と微笑う。


 ──何だか調子が狂うなあ。


 生き伝説となっている最強のバトラーに会えると緊張して来たのに、いつの間にか春輝の心は和み、旧友の家に遊びに来たような温かい気持ちになっていた。


 ほんとに不思議な人だなと思いつつ、座布団の上に腰を下ろす。その時、和やかな空間に明らかな異物が、尖った闘気が突き刺さった。


「誰だ」


 光海の問いに答えたのは、庭に現れた人影だった。


「あんたたちに用はないの。あたしが捜してたのはそこにいる最強のバトラーさん。やっと見つけたわ。あたしのこと、忘れたとは言わせないわよ」


 膝上丈の黒い着物に紅い帯を締めた女性は仁王立ちして、人差し指を真っ直ぐ千早に突きつけた。が、


「……どちら様でしたっけ?」

「だーーッ、もう! バトラーNo.86、紅鷺(べにさぎ)! おととい遭ったばっかでしょっ」

「おととい?」

「そうよっ。あんたをようやく捜し当ててバトルを仕掛けたのに、寒いから早く家に帰りたいとか言って逃げやがって。信じらんない! あんたバカ?!」


 突然現れたバトラー、紅鷺の言葉に一番大きな反応を見せたのは、まゆまゆだった。


「ちーちゃん、またにげたのっ? いっぱいバトルっていっぱいお金かせいでっていっつもゆってるのに!」

「ご、ごめ~ん」

「ごめんじゃありません! ちゃんと、あのヘンなきもののおねえちゃんとバトルするの!」

「変な着物って言うなっ、このガキ!」


 紅鷺はヒステリックに叫ぶと、一段低い声で宣戦の(ことば)を告げた。


「バトラーNo.86、紅鷺。戦闘の義と規約に基づき、此の地にて汝に挑まん」


 すると千早は手にしていたおたまを置いてのっそりと立ち上がり、縁側から庭に出た。そして紅鷺に相対すると、一拍おいて口を開き、戦闘承諾の詞を返した。


「バトラーNo.108、千早。異存なし」


 この瞬間、中継システムが作動して配信が開始されると同時に、バトルモードが発動する。脳が一種の覚醒状態となり、感覚器官が集めた膨大な情報を瞬時に分析し身体に指令を下すことで、常態の数倍から数十倍の高速運動が可能になるのだ。


 光海たちは濡れ縁に並んで座り、バトルの経過を見守ることにした。


「最強の男相手に出し惜しみしてもしょうがないから、いきなりいくわよ。蛇布の舞!」


 紅鷺が両手を大きく振り上げると、着物の袂が勢いよく伸び、名の通り蛇のようにうねりながら千早に向かっていった。


「黒い比礼(ひれ)が天性武器の女バトラー、聞いたことがあるな。確か、黒焔の紅鷺……」


 天性武器とは、闘いを面白くするためバトラーがひとつだけ所有を許されている武器のことだ。それは攻撃のツールであると同時に、各バトラーのキャラ立ちに欠かせないアイテムでもあった。


 その多くは、今から三十年前に某大手企業が製造に成功した変容性金属(トランスメタル)が使用されている。変容性金属(トランスメタル)はその名の通り変幻自在の金属で、予めプログラミングされた形状への瞬間的な変化が可能だった。剣や槍はもちろん、布のように扱うこともできる。そう、紅鷺の天性武器がまさにそれだった。


 紅鷺の通り名が示すように、しなやかに舞い上がる黒い比礼は、焔にも見える。紅鷺はそれを巧みに操りながら、千早に攻撃を繰り出す。そのスピードにあおられ、庭の木々が音をたててしなった。


「うわっ」


 春輝も思わず声を上げて身をかばいつつ、自分だったらどうやって闘うだろうとシミュレーションした。まずは、あの厄介な比礼を奪い取ってから肉弾戦に持ち込むか……。


「あ、まゆまゆ〜、その黒いひらひらに触っちゃだめだよ。毒だからね」


 千早ののんびりした声に、春輝ははたと顔を上げた。全ての攻撃を難なくかわしたのか、千早は傷どころか息ひとつ切らしてない。おまけに、比礼の正体を見破ってしまったようだ。


 まゆまゆは「は~い」と手を挙げて返事すると、足をぱたぱたさせて「ちーちゃんがんばれー」と何とも呑気な声援を送った。


「毒? ってことはつまり……」

「ああ。どうやら比礼を毒でコーティングしてあるようだ。触れれば皮膚から浸透し、神経系を侵して身体の自由を奪う。あの武器を見れば誰だって、まずは邪魔な比礼を剥ぎ取ろうとするだろう。その心理を逆手に取ったというわけだ」

「な、なるほど……」


 光海の解説に、自分の未熟さを思い知らされた春輝はうなだれるばかりだった。


「毒に気づいたからって、避けられなかったら意味ないのよ!」


 紅鷺は悔しさを隠さず叫び、両手を高く上げた。すると比礼が幾筋にも裂けて舞い上がり、大きな渦を巻く。まるで黒い竜巻のようなそれは、一時的な気圧の変化を生んだのか、春輝は耳がキィンと鳴るのを感じた。


「比礼の力は毒だけじゃない。食らえ、黒龍の舞!」


 竜巻と化した比礼が、千早を呑み込もうと襲いかかる。


 その瞬間、千早が消えた。


「えっ?!」


 春輝が声を上げた時にはすでに、紅鷺の身体は後方に吹っ飛んでいた。それから一瞬遅れて、中庭の空気がごおっと鳴る。それは、風も音も置き去りにするほどのスピードで何かが起きたことを物語っていたが、春輝の目は何も捉えることができなかった。


 紅鷺本人も何が起きたか分からないのか、目を見開いて虚空を凝視したままわなわなと唇を震わせる。


「……光海先輩、今の見えました?」

「見えるはずないだろ。見えたら私が最強になってる」

「た、確かに」

「今のは、音速を超えるスピードから発生する『神風(かみかぜ)』だ」

「千早さんの必殺技、というわけではないですよね」

「ああ。千早は名前の付いた『技』を持っていないからな」


 千早の攻撃スタイルは、いたってシンプルだった。拳や蹴りによる打撃の連打。天性武器も使わない。使う必要がないとも言えるが、どのタイミングで武器召喚を行うかがバトルの醍醐味でもあるわけで、闘いを面白く派手にするため、たとえ必要がなくても使うのがバトルの定石だった。


 しかし千早は一度も天性武器を召喚したことがないため、武器の正体はオーナー企業の社長や技術者など一部の人間しか知らない。それが、最強伝説に神秘の彩りを添えているのは間違いなかった。


 攻撃における千早の強みは、通り名が示すようにその(はや)さだった。さらに先読みの能力も優れているため、対戦相手の攻撃を受けずに電光石火の攻撃で決着をつける。どんなに凄まじい破壊力を持つ技や武器でも、所詮当たらなければ無意味というわけだ。


 千早は攻撃の直後とは思えないほど静かに穏やかに、倒れた紅鷺を見下ろしていた。勝利の喜びも高揚もない。


 対して紅鷺は、地面に肘をついて何とか上体を起こし、千早を睨んだ。


「な……によ、勝手にバトルモード解くんじゃないわよっ……。たかだか二、三発食らったぐらいで負けるワケないで──」

「二、三発じゃない。その数十倍は打ち込んでる」


 恐るべき事実を、千早はさらりと口にする。すると紅鷺は驚く間もなくごぼっと大量に吐血した。そして再び倒れる。


「がはっ……あ、ああ……」

「すぐに救護班が来るから、そのまま動かないで待っていた方がいい」


 紅鷺はひとしきり吐血すると、はあっと大きく息をつき、


「負け……ちゃった。あたしはこれで終わり。社長から……次はないって……」


 所属企業から引退を通告されたバトラーは、ナンバーを剥奪され一般人に戻る。引退のタイミングは企業によってまちまちだった。一度敗北しただけで引退勧告する企業もあれば、何度も負けて身体がぼろぼろになっても戦闘を続けさせる企業もある。果たして、どちらが『厳しい』と言えるだろうか。


「だから……最後にお願いを聞いて。千早、あんたの……顔が見たい」

「かお?」


 千早は首をひねりつつも、「どうぞ」と言ってにゅっと顔を突き出した。紅鷺はこめかみに血管を浮き上がらせ苛立ちを隠さず、


「そうじゃなくてッ……」


 すると二人のやり取りを眺めていた光海は、何を思ったのかいきなり庭に下りて近づき、千早の眼鏡をさっと外した。


「み、光海?」


 眼鏡を奪われた千早はおろおろと辺りを見回す。対して光海は平然と眼鏡を弄び、まゆまゆは千早の慌てぶりが可笑しいのか、手を叩いて笑っていた。しかし、


「ああ……サイコー。やっぱ噂は本当だったのね……」


 紅鷺の言う噂がどんなものなのか、あらためて訊ねるまでもなかった。春輝はぽかんと口を開け、眼鏡を取った千早の顔に、その美しさに見入った。


 美しいといっても、決して女っぽいわけではない。男性的な凛々しさと女性的な優美さの融合が、独特の魅力を醸しているとでも言おうか。

 切れ長の瞳は、髪と同じ深みのある琥珀色。優雅なカーブを描く長いまつげに縁取られ、きらきらと輝いていた。目だけではない、鼻も唇も輪郭も全てが絶妙の造形で互いに調和していたが、あのビン底眼鏡がその調和を見事にぶち壊していたのだ。


 春輝にそっちの気は皆無なのだが、見ているだけで心拍数が勝手に上昇する。たぶん、性別なんて関係なく、本当にきれいなものを見た時人はドキドキするものなのだろう。


 そうしている間に、救護班がどこからともなくやって来て紅鷺を運び去った。再び静寂を取り戻した庭に、まゆまゆの声が響く。


「ねえねえ、ごはんたべよ! おなかすいた」

「うん、そうだね」


 千早がふわりと笑って頷く。その時、光海の頬がかすかに赤らんだような気がしたが、春輝は見なかったことにした。

 千早は覚束ない足取りで進むと、困惑げに眉をたわめて手を差し出し、


「あの、光海。そろそろ眼鏡返してくれないかな」


 そんな千早に、光海と春輝は同時に突っ込んだ。


「いや、それは柿の木だから……」

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