第13話 まゆまゆの運動会
「光海、本当に大丈夫なのか?」
「ああ。バトルはまだ無理だが、もうほとんど健康体だ」
運動会当日。夏を先取りしたような青天は爽やかで、絶好の運動会日和だった。光海はまだ治療中だったが、有栖川の特別な計らいにより外出許可が出たのだ。
本当は一刻も早くバトルに復帰して黒薙を捜したいだろうに、光海はまゆまゆとの約束を守るため大人しく病院で治療に専念していたのだ。
「光海、ありがとう」
「別に……千早に礼を言われる筋合いはない」
光海はふいと顔をそむけ、ぼそっと答える。千早はその横顔に温かな眼差しを送った。
「あ、あれがまゆまゆの通ってる幼稚園だよ」
広い園庭には万国旗が飾られ、風にはためいていた。門には、ピンクの花で縁取られた『うんどうかい』の看板が。中に足を踏み入れると、開会はこれからなのに熱気が伝わってくる。
「うわ、すごい人だな」
ロープで囲われた観覧席は、すでにカメラを手にした親たちで埋め尽くされていた。どうやら、みな早くから場所取りをしていたようだ。お弁当作りに全神経を傾けていた千早は、そこまで気が回らなかった。
「ど、どうしよう、困ったな……」
大きな重箱を抱えておろおろする千早を置き去りにし、光海は人の間を縫って最前列に進んだ。そして若い父親の傍らにそっとひざまずき、普段より若干高めのトーンで、
「ごめんなさい、私ったらうっかりしてて場所を確保するの忘れてしまって。ちょっとお隣よろしいかしら?」
「は、はいっ! どうぞどうぞ」
若い父親はでろんと顔を緩め、いそいそと詰めて場所を空けてくれた。光海はくるっと振り向き、
「おーい、千早。ここ空いたぞ」
「光海……君って人は……」
呆れとも感心ともつかぬ呟きが口から出たが、ともかくお邪魔させてもらうことにした。周囲にぺこぺこ頭を下げつつ、光海の隣へ。それと同時に、開会式が始まった。入場門から、園児たちが行進して入ってくる。
「まゆまゆ、ちょっと緊張してるみたいだな」
「うん。人の多さに驚いてるんだろうね」
ほんのり頬を赤らめ、唇をきゅっと結んで行進するまゆまゆを、千早と光海は目を細めて見守った。
開会式の後、プログラムは滞りなく進行した。まゆまゆは大活躍で、騎馬戦では馬役の男の子にきびきび指示を出し、敵方の帽子を四つも奪っていた。
そして、午前の部最後の競技、父兄によるパン食い競争のアナウンスがかかった。
「あ、僕の出番だ」
千早はすっくと立ち上がり、深呼吸する。
「まゆまゆに恥かかせないよう頑張るんだぞ」
「うっ、光海。プレッシャーかけないでくれ」
千早は力なく返して、入場門へ急ぐ。そこには天王寺もいたが、彼も少なからず緊張しているようで、千早はちょっと安心した。
「や、どうも。千早さん、ご無沙汰してます」
「こちらこそ。いよいよですね」
「ええ、負けませんよ」
因縁が深いのか、千早と天王寺は同じ組に入れられた。「よーい、ドン」の掛け声とともに、ひもにぶら下がったパン目がけて走り出す。
「よしっ」
一番早くパンに辿り着いた千早だったが、うまくパンをくわえることができない。右へ左へぶらぶら揺れる動きに翻弄され、やっとかぶりつけた時には、競争相手ははるか前だった。
「んむむむっ……」
千早は慌てて走り出し、パンをくわえたまま次の障害、平均台へ。しかし焦りが災いしてよろけてしまい、うまく走れない。
「……神速はどうしちゃったんですかねえ」
「あれはバトルモード限定なんだろ、きっと」
観覧席の後方から、龍臣と春輝がレースを眺めていた。二人はまゆまゆに呼ばれていなかったが、何となく気になってこっそり見にきていたのだ。その時、
「ちーちゃん! 負けたらまゆまゆ口きいてあげないからねっ」
どこからか聞こえてきたまゆまゆのキツーイ言葉に奮起した千早は、スピードを増した。あっという間に競争相手を追い抜いてゆく。そして現在一位の天王寺に迫ったが、追い抜く直前、天王寺がなぜかいきなり足を止めた。
「うわあっ」
千早は止まることもよけることもできず、天王寺の背中に激突。二人はそのままコース上で転倒し、その横を他の参加者たちが走り抜けていった。
「あいたたた……」
腰をさすりつつ起き上がった千早の視界には、驚きで強張った天王寺の顔があった。大きく見開かれた目は、じっと正面を見つめている。
何かを見て驚いたせいでいきなり立ち止まってしまったのだろうが、目線の先にあるのはさっきまで千早がいた観覧席だ。
「天王寺さん?」
「なぜ、彼女が……」
天王寺はしばらく、その場から動こうとしなかった。
結局、千早と天王寺は二人仲良くビリとなった。当然ながらまゆまゆはおかんむりだったが、千早特製の三段重箱弁当で何とか機嫌を直してもらえた。
千早がビニールシートの上に重箱を広げていると、天王寺に声を掛けられた。
「千早さん、さっきは申し訳ありませんでした。私のせいで……」
しきりに詫びる天王寺の傍らで、菜槻は頬を膨らませそっぽを向いている。おそらく天王寺も、娘に相当絞られただろう。
「いえいえ、こちらこそ失礼しました。あ、そうだ、天王寺さん、お昼一緒にいかがですか? たくさん作ってきたので」
「ありがとうございます。でも私も用意してきましたので。ところで千早さん、あちらの女性はどなたですか?」
紙コップやお皿を並べている光海を視線で指し示し、天王寺が訊ねる。
「ああ、彼女は僕の友人です。保護者が僕一人では淋しいと言って、まゆまゆが誘ったんですよ」
「ご友人、ですか……」
天王寺は心ここにあらずといった表情で呟くと、軽く一礼して去っていった。
「あっ、はるちゃんとたっちゃんだ!」
まゆまゆの朗らかな声に振り向くと、春輝と龍臣が頭を掻きつつ現れた。光海は冷ややかに目を細め、
「貴様ら、どうせ千早の弁当が目当てだろう」
「そ、そんな、違いますよ! まゆまゆを応援したくて……」
「そうそう。お嬢ちゃんの勇姿を見に来たんだよなっ?」
「まあまあ、いいじゃないか。みんなで食べた方が楽しいよ」
千早の取り成しにより、二人の参加が決定した。重箱を囲んでの昼食が始まった。
「お嬢ちゃんの活躍は大したものだな。特に騎馬戦はすごかった」
「ばったばったと倒してましたよね」
「それに引き替え、千早のパン食い競争は酷かった」
「ちーちゃんビリになったから、まゆまゆ口きいてあげないの」
「そんなあ、許してまゆまゆ~」
喋るのと食べるので口を忙しく動かしているうちに、あっという間に昼休みは終了した。午後の部は、園児たちによるダンスだった。黄色いポンポンを持ったまゆまゆは、ライバル視しているウサギ組には負けまいと、より勢いよく回りより高くジャンプする。
するとまゆまゆの対抗意識を察した菜槻は、さらに激しい動きを見せた。二人の勝手なバトルはエスカレートし、会場の温かい笑いを誘う。
千早は思わず頭を抱え、天王寺の姿を捜すと目配せで謝った。天王寺も、苦笑とともに頭を下げてくる。気の強い子ですみません、とばかりに。
ようやくダンスは終わり、まゆまゆは勝ち誇った表情で退場する。それは菜槻も同じで、どうやら二人とも『自分が勝った』と思っているようだ。
そして閉会式が終わり、めぐみ幼稚園運動会は全てのプログラムを無事終えた。
これから会場の片づけだったが、人手が足りないので時間のある父兄は手伝ってください、とのことだった。もちろん千早たちも手伝いに参加する。その間、光海はまゆまゆと一緒に園内を散策することにした。
「あっちにね、まゆまゆたちがおせわしてる花だんがあるんだよ」
「そうか、見せてもらおうかな」
手を繋いで建物の裏手に向かう二人を見送りつつ、千早が片づけに精を出していると、同じく片づけのため残っていた天王寺に声を掛けられた。
「千早さん、実は……私たちは引っ越すことになりまして。今日で、この幼稚園ともお別れなんです」
「えっ、そうなんですか?」
「はい。諸事情がありまして、まだ誰にも話していないのですが、あなたにだけは先に伝えておこうと思いまして。短い間でしたが、ありがとうございました」
「い、いえ、こちらこそ。それにしても、淋しいですね。まゆまゆもきっとがっかりすると思います。菜槻ちゃんのこと、よきライバルと考えているようで」
「はは、うちもですよ。幼稚園から帰ってくると、まゆまゆがこんなこと言ってた、とかこんなお弁当持ってきてた、とかよく話してましたからね」
天王寺はそう言って笑うと、「どうかお元気で」と言って手を差し出してきた。千早は慌てて汚れた手をジャージで拭い、握り返そうとした。しかし、
「天王寺……さん?」
天王寺は目を見開いたまま固まり、千早の背後を凝視していた。つられて振り向こうとした千早に、天王寺はかすれ声で訊ねてきた。
「……千早さん、光海さんは今、どこに?」
「光海ですか? まゆまゆと一緒に建物の裏手にある花壇を見に行きましたが──」
言い終わらぬうちに、天王寺は走り出した。千早は「あれ?」と首を傾げ、
「僕、名前教えたっけなあ……」
次回、第14話「償い」




