日和、幻想入り 1
今日、成人の日を迎えたこの日。
昔を懐かしみ手を取り合い、大学や専門学校、または仕事での出来事を合間に挟みながら楽しそうに会話をしていた人達。どこぞのお偉いさんのありがたい話もそこそこに騒ぐ人達。早くも仲間達と飲みに行く計画を立て始めていた人達。どこを見ても楽しそうな表情で溢れていた。
もちろん中には面倒くさそうな様子の人や、仏頂面で椅子に座ってるだけの人もいる……私も、その中の一人。
親はせっかくの記念日なんだからと、振袖を勧めてきたが私にとっては面倒ごとに変わりは無い。親の勧めに首を横に振り、私はスーツ姿でこの会場に訪れた。
(お手洗い行く振りしてバックレようかな)
お偉いさんの話の最中ではあったが、徐々にその念が強くなってきた私はやがて席を立ち、椅子の合間を縫って会場の外へと向かう。途中、見覚えのある女の顔がこちらを見ると少し驚いた表情を浮かべる。しかしその顔はすぐに隣にいる人へと向けられ、こちらを尻目に何やら会話を始める。
話の内容は、別に問いただすまでも無く分かっていた。私はそれを横目に、真っ直ぐ出入り口のドアへと歩いていく。やがて扉の前に着きドアノブに手をかける。
【――あら、随分とつまらなそうにしていますわね。せっかくの記念日なのに】
すると不意に、そんな女の声が聞こえた。どこか嘲笑っているような、耳障りな口調だった。思わず周りを見渡しても、誰一人こちらを見てはいない。
【貴女は独りなのかしら?】
先ほどと同じ声が聞こえる。どこから聞こえてくるのかも分からない。
【返事くらいしなさいな。それとも、図星】
(五月蝿いな。独りだからなんだってのよ)
たまらず脳内で悪態を吐く。
【あらあら怖いわねぇ。でも初対面の人に向かってその言い草はどうなのかしら?】
(……その初対面の人に向かって、唐突に話しかけてるのはどこのどいつよ)
なるほど。どういう原理なのか分からないが、この女の声は脳内に直接聞こえてるらしい。エスパーとかテレパシーなんてテレビの中での茶番だと思っていたけど、こうして聞こえてしまうとは不思議なもの。
【これはこれは、失礼致しました。私の名は紫……八雲紫と申します。とある所で、妖怪を勤めていますわ】
慇懃な声が脳内に響くと、その怪し過ぎる単語に眉をひそめた。
(……あんた馬鹿じゃないの? 妖怪っておとぎ話じゃあるまいし)
呆れ口調で物申すと、八雲と名乗ったの女は何が可笑しいのか小さく笑う。
【ふふ、この世界の住人はやはり視野が狭いですわ。おとぎ話? じゃあ今貴女の頭の中の現実はどうなるのかしら……聞かせてくれませんこと?】
(……そりゃ夢、とか……この式のドッキリ、とか)
現実離れした現象を前にしてロマンチックでいられるほど私は若くはない。そう思いたいのは山々であった。
すっかり勢いの落ちた私に、八雲はまたしても笑う声を響かせる。
【世界は、貴女が思っているように出来てはいないのです。様々な学者をもってしても解明できていない部分は未だ多いでしょう? おとぎ話、怪談話、怪奇現象、未確認生物、妖怪、幽霊……"現実ではない現実"に興味があるのでしたら招待しますわ。
それはそれはとても簡単なこと。さぁ、その扉を開けてくださいな──幻想郷は、貴女の全てを受け入れます──】
そこからは、八雲からの声は一切脳内には聞こえてこなかった。後ろを振り返ると未だにお偉いさんの話が続いている。
(白昼夢でも見てたっての……?)
その景色と自分の状況に混乱しつつ、私はドアノブを捻る。
(世界は私の思ったとおりには出来ていない。そんなの、当たり前じゃない)
八雲の台詞を脳内で反芻する。
("現実ではない現実"って一体何よ? 馬鹿らしい)
幻想郷、と言ったか。桃源郷は聞いたことがあるが、幻想郷とはどういう場所なんだろう。
「幻想郷は全てを受け入れる、か……」
口から言葉が漏れたことに私は気付かないまま、その扉を開いた。
そして唐突に目の前に広がった景色が、私のちっぽけな世界を根底から覆すことになる。