「すべてが嘘の世界で、少年と少女とロボットは、家族になる道を選んだ――」
見知らぬ場所で目が覚めた。まるで意味不明な悪夢、あるいは放棄された地帯のようだ。正確な言葉は見つからないが、とにかく異様だった。
そして俺はそこにいた。地面に放り出され、この世界で目を開けていた。どうやってここに来たのか、検討もつかない。みんなはどこにいる?
奇妙で暗い空を見上げながら、思った。夜なのか? それともここは一体……? 頭の中は疑問でいっぱいだった。
「なんだこの場所は? おい!」
起き上がろうと体を起こすが、空気感が妙だった。暑くも寒くもなく、個人的には長ズボンとTシャツ一枚でいる身としては助かったが……こんなことが起こるなんて聞いていない。
周囲には、あちこ치が崩れかけた不気味な雰囲気の家々が見えた。中には、何の意味があるのか分からない高さ4メートルの奇妙な壁が建てられている場所さえある。細部を見るたびに異様さが増し、まるでゴーストタウンに迷い込んだような気がした。
俺はきっと怖がっていなかった。だって、これは明らかに夢なのだろうから? まあ、ほんの少しリアルなだけの、よくある悪夢だ。今までも嫌な夢を見たことはあるが、目が覚めないのは面倒くさいものだ。
(何かがあおるような物音)
(何かが走る足音)
「なんだあれはっ!?」
妙な何かが近づいてくる。犬のようだったが、その生き物は目が3つあり、足の指は5本もあった……それだけの問題じゃない。普通の成犬の倍ほどの大きさがあり、頭の形が識別できない。まるでチーターのような速度で迫ってくる。俺は最悪の事態を覚悟して目を固く閉じた。
(激突のオノマトペ:ドガッ!)
「おや、大丈夫? ここで君を見るのは初めてだな」
目を開けると、そこにいたのは痩せた少女だった。俺と同じくらいの歳、16歳くらいに見え、宝石のついた首飾りをしていた。だが一番驚いたのは、あまりにも白すぎる肌、琥珀色の瞳、そして長い金髪だった。一体どこから現れたんだ!?
おまけに、白くてゆったりとした長ズボンに、丈の短いTシャツ、そしてだけが見えるように前を開けたグレーのパーカーを着ている。モデルの類いか何かか?!
だが一番ショックだったのは、あの犬のような化け物が地面に倒れ、ピクリとも動いていないことだった。彼女がやったのか……?
「あの、僕のほっぺたをつねってもらえますか?」
「構わないけど、どうしてそんなことをしたいのか分からないな」
そうされる直前、もし彼女があの犬にあんなことをしたのなら、お願いするのは悪手かもしれないと少し焦ったが……運が悪いのか良いのか、彼女は本当につねってきた。そしてそれは普通に痛かった。痛みを感じなかったから安心したわけじゃない。むしろ、夢なんかじゃないという現実を突きつけられて青ざめた……。
「ねえ、考え事に夢中みたいだけど、おーい?」
「え、あ、助けてくれたんですよね? 僕は剣刹那。セツナって呼んでいいですよ」
「セツナさん、はじめまして。私はシズカ」
「シズカさん……こちらこそよろしくです。でも、待ってくれ。これはいったい何なんですか? いつからこんな状態なんですか?」
「うーん」
彼女は考え込むように頬を膨らませ、顎に手を当てていて、その姿は少し面白かった。だが彼女が口にした言葉で、混乱はさらに深まった。
「物心ついた頃から、かな? ここに来たときにはすでにこうだったよ。もう結構長くいるし」
「待って、君はさっきここに来たわけじゃないのか?」
「ううん。さっきも言った通り、私はずっと前にここに来たの。でも、この辺りで君を見たことはなかったよ」
頭を整理しようとしたが、イライラが増すだけだった。だが、ここに流れ着いたのなら、きっと出口もあるはずだろ?
「シズカさん、教えてくれ。ここから出る出口ってあるのかな? つまり、この場所以外のどこかへ行く方法」
「うーん、試したことはないけど……特定のエリアに『番人』たちがいるって話だよ。あいつらをどうにかすれば、君の言う『別の場所』に行けるんじゃないかな? まあ、お勧めはしないけどね。あいつらは強いから。昔、君みたいな人たち何人かがそういうのを企てたけど……」
ここに俺みたいな人間がいたのか? 正直、彼らに何があったのかは聞きたくない。知らないままでいたい気持ちもあったが、ここで諦めて留まるつもりもなかった。
「シズカさん、図々しいのは分かってる。助けてもらった直後だしさ。でも……僕の仲間になってくれないか? 一人じゃ何もできないし、大したことはできないかもしれないけど、ここから出たいんだ」
彼女は頭をかきながら考え込み、ため息をついてから承諾してくれた。ただ、「危険だし、生き残れる保証はない」と言い添えられた。その言葉にビビったが、彼女の腕前を信じるしかなかった。
進むにつれて、ゴーストタウンはどこまでも続いているようだった。彼女が俺の手を掴み、「離れないで」と言った。どうやら彼女は自分だけでなく、しがみついている俺の姿も透明化する能力があるらしかった。こんなシチュエーションで女の子と手を繋ぐことになるなんて想像もしていなかったから、内心ドキドキして赤面していたが――まさかこんな状況とはな。
(ミシミシというきしみ音)
(アオーンという遠吠え)
家の周りには、相変わらずあの奇妙な犬たちがうろついていた。さっきより一回り大きな個体さえいる。もしかして、さっきのは子供か、あるいは小犬だったのか!?
おまけに、仲間同士で共食いしている奴まで見えてしまった。グロテスクな光景と、その冷たい目が脳裏に焼き付く。それでも少し吐き気がした。
こんな最悪な状況でも、「そもそもここに食料はあるのか?」なんて考えてしまう。だからこそ、余計なことは考えないようにした。疑問が浮かぶたびに状況が悪化する気がしたからだ。シズカさんと一緒なら、きっと解決策が見つかると信じたかった。
歩みを進めると、遠くに人間らしき影が見えた。だがシズカは「自分と同じタイプの人間に見えない」と言う。よく目を凝らしてみると、グロテスクな特徴があり、肌の色も不気味だった。ゾンビというわけではなさそうだった。中にはとんでもない形をしている奴もいたからだ。もっとも、この場所が相手ならゾンビだろうとなんだろうと驚きはしないが……。
そんな連中を避けながら進んでいると、変なものが見えた。11歳くらいの子供が、ゾンビの群れの中にぽツンと立っていたのだ。黒髪で、ラフな短い服を着ている。十分に近づいていたが……あいつ、僕たちが見えてないのか? いや、そもそも自分以外の人間がいるはずじゃなかったのでは?
「おや! あなたたちもここに来たの?」
子供の声だったが、感情がまったくこもっていなかった。奇妙だ。待て、それだけじゃない。どうやって僕たちを見つけたんだ!?
その瞬間、異形の者たちが僕とシズカのほうへと一斉に振り向いた。見えていないはずなのに。その恐怖に圧倒され、思わずシズカの手を放してしまった。
本能のままにその子供の手を取り、抱え上げて走り出す。背後から化け物たちが追いかけてきた。
「シズカ!」
幸い、彼女は俺の叫び声に反応してくれ、一瞬の隙をついてその群れを切り伏せた。彼女の敵じゃなくて心の底からよかったと思う反面、その戦闘の手際良さには呆気に取られた。
「おい、坊主。教えてくれ、どうやってここに? お前も最近ここに迷い込んだのか? 名前は?」
「田中ヒロト。そう、最近来たんだ。あ、あと僕はロボットだよ」
「ヒロくん、はじめまして、剣ツルギ セツナだ。なんであいつらに襲われなかったんだ? ていうか最近って……え? ロボット?! こんな修羅場の後に冗談言ってるのか?」
「ツルギ、見て」
「おい、誰にタメ口きいてるんだ! 年上に向かって、お礼もないのかよ!」
直後、ヒロくんが片手を振ると、その腕が体からポロリと外れて宙に浮いた。さすがにちょっとビビったが、この場所ではこういう異常事態にも少しずつ慣らされていくらしい……。
外れた腕は、そのまま何事もなかったかのように元の位置へとカチリと戻った。内部構造が普通の人間とは違うのがチラリと見え、本当にだんだん意味が分からなくなってきた。
(足音)
シズカさんはゾンビだか何だかの処理を終えていたが、返り血やら泥やらでひどく汚れていた。それを目にして、ふと「お風呂に入らないとやばいのでは?」という考えがよぎる。そこから先は、あまり深掘りしたくない思考へと発展しそうになったが。
「セツナさん、無事? よかった……って、なんであの子のせいで危険な目に遭ってるの?」
「こんにちは、ヒロくんです。ロボットです」
「うーん、シズカです」
「シズカ先輩」
「おい! なんであいつだけ『先輩』なんだよ!」
「だって。アンタは逃げ回ってて、シズカ先輩が全部やったんだもん。臆病者」
「はぁ?! おい、今笑ったよな!? ロボットのくせにそういう笑い声は聞き逃さないぞ! そもそも危なそうだから連れて逃げたんだろ! まあいいけどさ!」
ヒロくんを下ろして頭を抱えた。どうすればいいんだ。だからといってここに置いていくわけにはいかない。一応戦えるみたいだし、見た目は子供だが……それに、人数が増えた方がなんとなく心強いというのも事実だった。
「セツナさん、この子を連れていくつもり?」
「もう助けちまったし、多分僕より強い。でも、置いていくなんて気分が悪くてできないよ」
「そう。なら、行こっか」
彼に話しかけ、シズカさんと一緒に出口を探しているんだと説得すると、一緒に行くことを承諾してくれた。結構ツンケンしていたし、無表情なせいで気味が悪かったが、中身はしっかり子供だった。ただ、なぜかシズカさんに対してはやけに敬意を払っているようだった。
どこから来たのか聞いてみたが、詳細を語ろうとはしなかった。ただ、俺の知らないことを知っていたりして、同じ世界の人間なのだろうかと疑ったが、このご時世にあんなロボットがいるはずもなく否定した。シズカさんといるときにどうやって僕らを見つけたのかと問うと、返事すらなかったので彼の「テクノロジー」なのだろうと勝手に納得した。
一軒家を調べてみようと提案した。いつもならシズカさんの後ろをついていき、ヒロくんが後ろに続く形になる。本来なら僕が二人を守るべき立場のはずだが、この文脈、この世界では、守られているのは常に僕のほうだった。
幸い、いくつかの家で非常食と水を見つけることができた。最高の贅沢とは言えないが、この状況で文句は言っていられない。手に入ったものでどうにか飢えをしのいだ。
さらに家の中にはバスルームもあり、ありがたくシャワーを借りた。タオルもあり、設備はボロボロでシャンプーも使いかけだったが。シャワーを浴びてバスタオル一枚で出てくると、モンスターの返り血で汚れていたシズカさんにもそれを勧めた。服が手に入るか考えていると、ヒロくんが洗濯機を見つけて動かしてくれた。中には電気がついている家もあったが……一体どういう理屈で電気が通っているんだ? ヒロくんがちょっと触ったら動いたけど……。
言った通りだ。この世界で理屈なんて求めれば求めるほど、わけが分からなくなる。洗濯が終わるのを待っていると、シズカさんがバスタオル一枚姿で浴室から出てきた。必要以上に凝視しないよう、最低限の紳士的な理性は働かせたが……万が一、明日モンスターに首を飛ばされるとしたら、見ておかなかったことを後悔するかもしれないという邪念も脳裏をよぎった。
まあ、色々と諦めつつ、こうして日々を過ごした。シズカさん、そしてヒロくんと共に歩み始めてから、ちょうど15日が経過していた。その間、幽霊から得体の知れない生物まで、次から次へと奇妙な何かに襲われ続けたが、シズカさんが片付け、モンスターとの戦闘はヒロくんが担ってくれた。道中で手に入れたリュックサックと一本の剣は、こんな場所であの化け物たちにどこまで通用するか怪しかったが、それでも少しだけ安心感をくれた。リュックには水筒と即席の食料を詰め込んである。
だが、状況はさらに奇妙な方向へ変わっていった。少しずつ全ての喧騒から離れていくように進んだ結果、たどり着いたのはどこまでも続く平らで何もない大地だった。なぜか薄っすらと明かりが差し込んでいて、完全に闇に包まれているわけではない……だが、それがかえって不気味だ。ヒロくんは非常用ライトのシステムでも内蔵しているんだろうかと、どうでもいいことを考えた。
前方はどこまでも無限に続いているように見えるが、両サイドはみるみるうちに闇に溶け込んでいく。つまり、進むべき道はただ一つ、真っ直ぐ歩くことだけだ。
道中、ヒロくんやシズカさんと他愛のない会話で暇を潰そうとした。それぞれ移動の仕方も独特で、シズカさんは大ジャンプして優雅に着地し、ヒロくんは時々ふわりと浮遊する。その点、僕は何かが現れたら自分の足で必死に逃げるしかなかった。
この異質なエリアに入ってから長い時間を歩き続け、ここ数日は妙な疲労感に襲われていた。なんて言えばいいか……モチベーションが削がれるような感覚だ。本当にここから出たいのに、変だった。他の日と比べて睡眠不足ってわけでもないのに。ヒロくんには剣を持たせていたが、突然体に力が入らなくなり、その場に倒れ込んでしまった。
夢の内容は正確には覚えていない。ただ、あたりが暗くなり、僕が何者かに捕らえられる光景だけが脳裏に残っている。闇の中から無数の黒い手が生えてきて、首を締め上げてきたのだ。
飛び起きたとき、僕は完全に怯えていて、すぐそばにはシズカさんとヒロくんが控えていた。
シズカさんが僕の傍らに膝をつき、自分の頭を僕の胸に寄せた。すると、嘘のように激しい平和な感覚が広がり、さっきまでの悪夢が嘘のようにリラックスしていく。その温もりに触れ、ふとある伝説を思い出した。
――バクさん……?
「バクちゃん、バクちゃん!」
シズカさんは自分が何か特別な愛称で呼ばれたと思ったらしいが、ヒロくんはそれを面白がって何度も繰り返した。彼女も特に気にする様子はなく、僕はこれまで通り「シズカさん」と呼んでいたが、ヒロくんだけは「バクちゃん」と呼び始めた。
「待てよ、ヒロくん。バクさんを知っているのか?」
「バクさんを知らない人なんているの、ツルギ?」
ロボットが悪夢を見るのか? それとも夢を見る機能でも? 問いただそうとしたが、ヒロくんの性格上、まともに答えるはずもない。話を逸らされるか、からかわれるのがオチだ。
だが、このやりとりで色々なピースが繋がった気がした……バクさんと、ロボット……。
それがシズカさんという存在の正体を、少しだけ――理解した気になれた。同時に、これ以上深掘りするのはやめておこうと心に決めた。
歩き続けるうち、リュックの中の食料が底をついたことに気づいた。僕にとって「食料の枯渇」は最悪の事態だ。ヒロくんはロボットだから食事の必要はないと分かるが、シズカさんは何も食べていない。これだけ激しく動いているのだ。妖怪とはいえ、それでも……。
唯一の救いは、この平原エリアに入ってからというもの、あの厄介なモンスターたちが一切姿を現さなくなったことだった。
そんなだだっ広い一本道を進むと、ぽつんと電柱が立っていた。その隣にはなんと自動販売機が2台、そして古びた木製のベンチが置かれていた。警戒しながら近づくと、ヒロくんもその自販機に気づいたようだった。
さらに近づいて目を疑う。一台は『ハンバーガー』の自販機で、もう一台は『ドリンク』の自販機だった! ハンバーガーのサンプルはいかにも美味しそうで、今の飢えた状態の僕には眩しすぎる。しかも種類も豊富だ。
所持金もカードもないことを悔やんだが、隣にいるヒロくんの顔を見てダメ元で頼んでみた。何か細工できないか、と。
彼は自販機に歩み寄り、一言こう呟いた。
「ハッキング」
次の瞬間、内部で調理が始まるような音が響いた。欲深いようだが、僕はヒロくんにお願いしていくつか出してもらい、ベンチに座って待つことにした。金属が落下する音が聞こえたかと思うと、今度はドリンクの自販機が盛大にガシャリと音を立てて横倒しになった。シズカさんが自販機を素手でぶち壊していたのだ。彼女は平然とした顔で冷たい飲み物を僕に手渡し、残りはリュックに詰め込んでくれた。
正直、これって立派な犯罪だよね? でも、こんな状況下で罪に問われるわけがない。分かってはいても、犯罪の共犯者になったような妙な背徳感があった。もし警察に捕まって自白するはめになったら、なんて言えばいいんだ? 『子供のロボットがハンバーガーの自販機をハッキングして、妖怪がドリンクの自販機を破壊しました』ってか……?
ハンバーガーができあがり、僕は心の底から歓喜した。剣をベンチの脇に立てかけ、夢中でかぶりつく。パンがものすごくふかふかしていて、こんな美味いものを食べたのはここに飛ばされて以来だ。あまりの幸福感に笑いがこみ上げてきて、いくつも平らげてしまった。冷たいドリンクもプシュッと開けて飲み干す。長旅の果てに味わう至福の味だった……。
シズカさんにも「飲む?」と一本差し出した。彼女が水分を必要としていないのは知っていたが、数に余裕はあった。ひと口飲んだ彼女は「変な味がする」と言いつつも、嫌いではない様子だった。何も飲み食いしたことがないなら、それが普通だろう。
ヒロくんにも渡してみた。味覚センサーなんてあるとは思えなかったが、せっかくなので手渡す。
「味がしない」
彼はそう呟きながら、何かを内部で一生懸命処理しているような仕草を見せた。
「不公平だ。僕にはドリンクの味が分からない……」
「なんでツルギとバクちゃんには分かるの?」
不機嫌になっているのか? 相変わらず無表情だから分かりにくいが、明らかに文句を言っている。
とその時、遠くからこちらに向かって歩いてくる一人の警察官の姿が目に入った。声をかけられている。――自販機を壊した件のせいか? やっぱりこうなると分かっていた!
弁解しようと、ベンチから慌てて立ち上がる。警官はまだ何メートルか先を歩いていた。
「お巡りさん、誤解なんです! 説明させてください――」
待て……? なんでこんなところに警官がいるんだ? どこから湧いて出た?
その瞬間、シズカさんが僕の前にサッと立ち塞がり、低い声で言った。
—もう着いた……あれは「番人」よ。剣を取って身を守って、セツナさん! ヒロくんも手伝って、遊んでる場合じゃないわよ!
次の瞬間、その警察官の体がぐにゃりと歪んで巨大化し、まるで殻が割れるように異様な姿へと変貌していった。
あの警官は、瞬く間に10メートルもの巨体の化け物へと成り果てた。正確に描写するなら、それは4本指の「ゴーレム」。完全な黒色の巨体で、片手には十字架の形をした巨大な武器を握り締め、ぽっかりと開いた単眼からは深紅の光が漏れていた。
シズカさんは地面を激しく踏み付け、足場を砕きながらそのゴーレムめがけて一直線に飛び出した。あんな本気で戦う彼女を見るのは初めてだった。その鬼気迫る姿がかえって僕の不安を煽る。一方のヒロくんは、まだ不服そうにしていた。
「おい、ヒロくん!頼むから言うこと聞いてくれ! 危ないって、シズカさん一人じゃ手に余る! ほら、番人は一柱だけじゃないぞ!」
「やだ。ジュースの味を確かめたかったのに……」
ヒロくんが手に持ったドリンク缶を見つめていると、視界を巨大な影が覆った。ハッと見上げたとき、ヒロくんが僕を強烈に突き飛ばし、手から離れた剣が遠くへ転がっていった。あの巨大な奴が、ヒロくんの直撃を避けるように一撃を叩き込んでいたのだ。気のせいかもしれないが、その瞬間、ヒロくんの表情に一瞬だけ迷いや焦りのようなものが浮かんだ気がした――だが、あまりにも一瞬すぎて自分の見間違いだと思った。
吹き飛ばされて地面を転がり、起き上がって剣を拾い上げる。見上げると、ヒロくんの片足が地面に転がっていて、少し離れたところで彼は宙に浮いていた。切断された断面から無数の配線や回路が露出している。どうしていいか分からず、ただ剣を握り締めた。あの襲いかかってきたゴーレムの武器は、逆さ十字の形状をしていた。
シズカさんはゴーレムたちの猛攻を紙一重で躱しながら立ち回っていたが、ついに一撃をもらい、盛大に吹き飛ばされた。空中で巧みに回転して四つん這いで着地する。顔や腕は傷だらけで、服の一部も破れていたが、彼女の傷はみるみるうちに塞がっていく。ヒロくんのところへ行って通信機を持っているか確認してくれと叫ぼうとしたが、彼女はすでに戦闘態勢を取り直し、その姿勢のまま地面を蹴って再びゴーレムへと突撃していた。
彼女がヒロくんの近くをかすめ通った際、ヒロくんがポケットから小さな球体をいくつか取り出し、一つをシズカさんへ、もう一つを僕の方へと投げ渡した。うまくキャッチできず、地面に落ちたそれを慌てて拾いに行く羽目になった。こんな緊迫した状況でのファンブルほど笑えないものはない。
それに、あの巨大な十字架を持ったゴーレムが武器を地面に叩きつけるたびに、足元が激しく揺れ動いた。安全な場所になどいない。遠ざかろうにも、離れすぎれば今度は孤立して余計に危険だ。試しに通信機に話しかけてみると、ありがたいことにヒロくんとシズカさんの声がクリアに聞こえてきた。
「ツルギ、僕、戦闘方法なんて分からない。アドバイスが欲しい」
「えっ、ヒロくん! ロボットのくせに戦闘モードとかそういうのないのかよ!」
「僕に何がインストールされているかなんて知らないよ、ツルギ」
「セツナさんとヒロくん、やりたいことに集中して! 今は質問してる場合じゃない、攻撃するわよ!」
「ヒロくん、手のひらをこう、開いてみて! なんというか、火を出そうとするイメージで!」
「そんなのできないよ、ツルギ」
半ばやけくそで指示すると、ヒロくんの手からなぜか本物の火炎放射が放たれ、モンスターを焼き払った……が、奴にはほとんど効いていない。やばい、これは通用しない!
「ヒロくん、手足を射出したりできないのか!? 重力とか重量の制御とか、重くしたりできないのかよ! そのまま奴の上にぶつけてやれ!」
ヒロくんは指示通りに手を飛ばしたが、それでも巨獣は耐え切った。何だこいつ、ダメージを吸収してるのか!? 僕の脳みそはフル回転で恐怖を処理していた。
(遠吠え)
(素早い足音)
えっ? 背後から聞き覚えのある気配。振り返ると、あの大量のゾンビやら犬やら(大中小問わず)の群れがこちらへ雪崩れ込んできていた。最悪だ、完全に足手まといになっている。焦って通信機のヒロくんを呼び出し、ミサイルが撃てるかどうか叫んだ。頼むからそういうロマン装備であってくれと祈りながら伝えると、彼の両肩や装甲の隙間からスライド式に無数の小型ミサイルが姿を現した。おそらく、これが彼の全弾薬だろう。それらは頭上を通過して一斉に群れの中心へと着弾した――次の瞬間、想像を絶するほどの巨大な爆発が連鎖的に発生し、大地を揺るがした。僕は振り返ることもせず、ただ前へ前へと走り続けた。
運よく追っ手は振り切れたようだが、ヒロくんのミサイルはもう残っていない。だが、最大の脅威は目の前にいる二体の「番人」だ。
その時、ひらめいた。
「ヒロくん、凍結できるか!? あいつらの武器を凍らせろ!」
ヒロくんがゴーレムの武器に狙いを定めると、みるみるうちに凍りついていく。この二人と同じチームで本当に良かったと心から安堵したが、ゴーレムたちはあっさりと凍った武器を手放してしまった。予想外の行動に驚いたが、通信越しに「武器が凍っているうちに破壊してくれ!」と指示を飛ばす。二人とも同時に突撃し、脆くなった武器を粉々に砕いた。
これで面倒な武器は消えたが、まだゴーレム本体が機能している。シズカさんが死力を尽くして片腕をもぎ取ったが、すぐに再生してしまった。
奴らの構造を観察し、ある弱点に気づいた。
「おい二人とも、目を直接狙え!」
指示通りに攻撃すると、その単眼の周囲に細かい亀裂が走り、今度は再生しなくなった。すかさずヒロくんへ、両方のゴーレムの頭部を凍結させるよう命じる。それでもまだ動き続けようと、氷を必死に砕き始めている。
「ヒロくん、頭部を凍らせたまま、その一点を集中攻撃してくれ!」
(ガラスが砕け散るような音)
二体のゴーレムが凄まじい地響きを立てて崩れ落ちた。ついに……やったんだ。
奴らは見る見るうちに灰へと変わり、跡形もなく消え去った。あの巨大な脅威が最初から存在しなかったかのように。
「ヒロくん、シズカさん……やったな……」
その瞬間、体に異変が起きた。急激に全身の力が抜け、自分の感覚がみるみる希薄になっていく。まるで、内側からぽっかりと奇妙な空洞が広がっていくような感覚だった。
シズカさんとヒロくんが駆け寄ってきた。ヒロくんが僕を立たせようとしたが、シズカさんが急にパッと身を引いた。
「シズカさん……?」
「セツナさん……」
「セツナさん、意味が分からない! 番人を倒したのに、何も変わってないじゃないか。僕たちにどうしろって言うんだ!?」
「バクちゃん、ツルギの様子がおかしい。普段よりずっと弱ってる」
「そんなの分かってるよ! それよりヒロくん、アンタだって! 一歩間違えばセツナさんが潰されてたんだぞ!」
「……」
「もう降りる。番人を倒したって何も変わらなかった。僕も危険だった、セツナさんも危険だ」
「……」
「セツナさん、最近、自分のエネルギーが削がれていくような感覚がなかった?」
「シズカさん……」
「私のせいだ。以前にも言ったよね、私みたいなのがいるって。私の『呪い』のせいで、そばにいる人間はどんどん消耗していくの。昔ここにいた人たちの末路を知りたかったんでしょ? もう察しているはずだよ」
「おい、シズカさん、ここから出たいんだろう!? なら、外に出れば何か解決策が見つかるかもしれないじゃないか! ここまでやっておいて、投げ出すなよ! 一緒に出るために頑張ってきたんじゃないのか!?」
「セツナさん、私は私で行くわ。自分の心配をしなさい、私のことじゃなくて」
シズカさんは僕に歩み寄り、首にかけていた自分のネックレスを外し、僕の首にかけてくれた。そしてヒロくんの頭にそっと手を触れると、くるりと背を向け、反対方向へと歩き出した。引き止めようと必死に手を伸ばしたが、彼女はもう振り返らなかった。
「ツルギ、バクちゃんが行っちゃった……」
「ヒロくん、行くぞ。お前も片足を失ってるんだ、これ以上無茶は――」
地面に落ちていた剣を拾いに行った。驚いたことに、さっきまでの倦怠感が嘘のように消え去り、剣を手にした瞬間、驚くほど軽く感じられた。重さが消えたのか? リュックは前の戦闘で消滅していたのでもうない。
剣をヒロくん預けようとしたが、彼は「ちょっと待って」と言い、その剣に対して何やら奇妙な作業を始めた。何をしているのか尋ねると、彼は淡々と答えた。
「重量を自在に変化させられるように調整した。手から離れても1秒間は状態が維持されるようにインターフェースを書き換えたんだ。それに、少しだけ耐久値も底上げしたから、そう簡単には折れないはず」
「めちゃくちゃ便利だな、おい。それって、お前がいつも手でやってるやつか? 他の物にも応用できるのか?」
「ううん、この剣に特別にプログラムしただけ。僕自身にはもうその容量がない」
「えっ!? おいヒロくん、それ取り消せないのかよ?」
「戻せないよ、ツルギ。その剣の重さは君の意志でコントロールできる。他の奴が持てばただの超頑丈な剣だけど、君が使えば最強の武器になる」
ヒロくんは片手でサムズアップ(いいね)を作り、もう片方の手で剣を肩に担ぎながら、相変わらずの無表情を貫いた。
「ヒロくん、ありがとう……でも、そこまで自分のリソースを削る必要あったのか? そんな機能、自分のために取っておけばよかったのに。お前が一番の戦力なんだからさ」
「ツルギ、僕はまだ自衛できる。でも君は無防備で、あまりにも弱すぎる。その剣は、君が生き残るためのものだ」
「もう二度と、自分のパーツやリソースを犠牲にするなよ……これで十分だ」
それ以上は何も言わず、ヒロくんは剣を僕に手渡した。設定がおかしかったのか、200グラムに設定したはずの剣が、なぜか羽毛のように軽かった。
ヒロくんが片足を失っているせいで浮遊移動するバランスが崩れないよう、僕は彼を背負い、もう片方の手でその剣を握りしめ、周囲の警戒を任せた。彼は驚くほど軽かった。
(遠吠え)
前方を警戒しながらヒロくんを背負って歩いていると、背後からあの異形の犬が猛スピードで走り寄ってきた。反射的に剣の重さを通常に戻し、飛びかかってきた犬の軌道に合わせて横へステップを踏み、一閃――首をスパリと両断し、胴体がゴロゴロと転がった。
「ツルギ、今の動き、ちょっとだけ弱く見えなくなった」
自分の反射神経に驚いた。あれだけの衝撃を受けたら普通は手首が砕けているはずなのに、痛みもなく、手は無事にくっついていた。
「バクちゃんのネックレス……」
そういうことか。どうして感覚が妙に冴えているのか、物の重さがしっくりくるのか分かった。シズカさんはもういないけれど、彼女はまだ僕を守ってくれている。
少なくとも、これで戦うための自信がついた。相変わらずヒロくんやシズカさんには遠く及ばない雑魚だが。
さらに歩を進めると、前方の景色が一変し、すぐ目の前に不気味な黒い壁がそびえ立っていた……おい、まさかここ行き止まりか?
だが、その黒い壁からドロドロとした不定形の巨大な塊が剥がれ落ちるように現れた。壁が割れ、その奥から巨大な玉座が姿を現す。そこに腰掛けいていたのは、身長3メートルはあろうかという、言葉を失うほどの美貌を持った女だった。
硫黄のような黄色の瞳、燃えるような赤髪、頭部から生えた二本の角。赤い着物は腰まではだけ、胸元は晒しで固められている。黒い袴を締め、腰には藁の太い注連縄を ceremonial belt(祭祀用の帯)のように巻き付け、足元は裸足だった。
玉座の脇には、彼女の身長ほどもある巨大な金棒が無造作に立てかけられていた。彼女は頬に手を当てて妖しく微笑み、圧倒的な威厳と余裕に満ちた声を響かせた。
「ようやく着いたようね。ずっと見ていたわよ、たった二人きりだけど」
「ここから出したいんだ」
「ふふ……そんなに?」
彼女は玉座に座ったまま、余裕綽々で答えた。
「……ここから出るために、僕らは番人を倒した。それじゃダメなのか?」
(笑い声)
「なるほどね。勘違いしているようだけど、あなたたちが倒した番人なんて、せいぜい私のもとにたどり着くための入場券にすぎないわ。本気でここから出たいなら、今の実力じゃ逆立ちしたって無理よ」
僕は剣を構え、ヒロくんをかばうように立った。遠目に見ていても、あの女の放つプレッシャーは尋常ではなく、自分が子供のように無力に感じられた。武器すら手に取っていないというのに、この実力差は何なのだ。
「10から0までカウントダウンをしてあげる。ゼロになるまでに、その武器を捨てなさい」
「十、九、八……」
剣を握る手が震える。ここで素直に従ったらどうなる? そんなの納得できるわけがない。
「三、二、一……零」
女はたった一撃を放った。だが、なぜか僕は無事だった――なぜなら、その直撃を身を挺して受け止めたのは、間に飛び込んだヒロくんだったからだ。
(金属パーツが弾ける音)
「おいっ!! ヒロくん、お前……っ!」
ヒロくんの小さな体は数メートル先まで吹き飛び、その軌道上に無数のパーツや基盤をまき散らした。胴体から上しか残っておらず、片方の眼球センサーは完全に機能を停止している。絶望的な光景の中、ヒロくんはかろうじて首を動かし、僕に視線を向けた。まだ意識はある……だが、内部の損傷はどれほど深刻なんだ!?
「よほどあの子が大事なのね? ざまあみろ、あのネックレスがあったって、今の攻撃をノーダメージでやり過ごせるわけないでしょうに。それでもまだ武器を下ろさないの?」
ふと、過去の記憶がよぎる。これは夢でも悪夢でもない。彼女は行ってしまったけれど――我儘だと分かっていても、頼むから――
「バクさん……バクさん、ば……」
ほんの一瞬だった。だが、見えた。確かに現れたのだ。どこにいたってすぐに分かる。腕を組み、険しい顔で女を睨みつけるシズカさんの姿がそこにあった。
「シズカさん……ヒロくんが大変なんだ、僕も……」
目の前に立つ女の瞳の色が、それまでの硫黄の黄色から、ドス黒い血のような赤へと変わった。彼女は不敵に笑い、玉座の脇にあった金棒を掴み取った。
シズカさんは全力を振り絞って女に突撃したが、空中ですらあっさりと捕らえられてしまった。物理法則を無視した圧倒的な力の差。ここまで命がけで辿り着いたというのに、あの女からすれば僕たちはただの鬱陶しい虫けら同然だった。
女はシズカさんの首根っこをつかんで締め上げた。彼女は必死にもがいたが抜け出せず、そのまま地面へと投げ捨てられ、容赦なく金棒で野球のボールのように打ち抜かれた。
シズカさんは遠くまで吹き飛び、鮮血の軌跡を描きながら地面に叩きつけられた。全身が破壊され、かろうじて自己治癒で傷口は塞がろうとしているが、その再生速度は以前よりも明らかに遅い……!
「ふん……茶番ね。ここまで這い上がってきたところで、あなたたちに何ができるというのかしら」
「あなたたちは悪人だからここにいるわけじゃない。ただ、運悪くこの『 limbo』に迷い込んだだけ。ここを支配しているのは私よ。ここに流れ着く人間はみんな人間だけど、最後まで人間のままでいられるとは限らない。もう気づいているでしょう?」
頭がどうにかなりそうだった。最悪の状況だ。ヒロくんは破壊し尽くされ、シズカさんは満身創痍。僕にいったい何ができると言うんだ!?
女はフッと体を傾け、指先一本で僕の剣の切先を軽く押し下げた。まるで子供の遊戯をあしらうかのように見せつけ、再び元の姿勢に戻る。
「私は話の分かる女よ。ここから出たいんでしょう? チャンスをあげるわ。私は約束は守るタイプよ。その役立たずの二人をここで生贄に差し出せば、あなた一人だけは外に出してあげる」
……僕はシズカさんとヒロくんを交互に見つめた。頭の中はぐちゃぐちゃで、恐怖と混乱、そしてどうしようもない無力感に支配されていた。
「よく考えなさい。理由なんていくらでもあるでしょう? 分かっているはずよ」
「あいつらは最初からあなたにとって足手まといでしかなかった。あの女なんて、嘘つきのペテン師よ。あなたを利用するために近づいてきただけ。そしてあのガキも……面倒ごとに巻き込んだ張本人よ」
地面に伏せたまま、シズカさんが血を吐きながら叫んだ。
「――嘘よ、セツナさん、あいつの言うことを聞いちゃダメ……!」
「おや、見苦しいわね。本当に彼女が言った『呪い』の話を信じていたの? まあ、半分は本当だけど、あんな純粋ぶった作り話に引っかかるなんてね」
「騙されていたのよ。気づかなかった? あなたがここに落ちてきたそのタイミングで、都合よく彼女が現れて助けてくれたなんて……そんなご都合主義な展開、誰が信じるというの? 最初から彼女があなたをその状況にハメた仕掛け人だとしたら?」
「あなたに恩を感じさせ、依存させる必要があったのよ。ここには人間なんてほとんどいないし、霊的なエネルギーの供給源も枯渇している。あなたは最高の『バッテリー』だったの。以前ここに迷い込んだ人間たちがどうなったか知っている? 不慮の事故死もあったけど、その大半は彼女にエネルギーを吸い尽くされて消えていったのよ。そばにいるだけで少しずつ生気を奪われ、最後には抜け殻になる……死ぬより残酷な結末よ。一応彼女は守るフリをしていたけれど、それはすべて自分の延命のためよ」
僕は恐る恐るシズカさんの方を振り返ったが、彼女は顔を背け、気まずそうに目を逸らした……。
「ねえ、思い当たるフ節があるでしょう? 最近やけに気だるかったり、疲労感が取れなかったりしたはずよ。最後にあっさり身を引いたのもそのためよ。そんな、欺瞞まみれの嘘で近づいてきた化け物を信用できる?」
「あいつはただの『寄生虫』よ。あなたを食い潰したら、次は別の人間を待つだけ。生き残るためにはそうするしかないんだから」
「さあ、どうする? 私の提案に乗って、二人を切り捨てて一人で外へ戻る?」
これまでこの世界で経験したすべての記憶が走馬灯のように頭を巡る。決断を迫られ、胸につかえていた本当の想いを、僕は声を大にして吐き出した。
「外に出たって……そんなの、もうずっと前から覚悟してるさ。そもそも、僕を待っている外の世界なんて、本当に僕の知っている世界なのか?」
「分かってるさ……!」
声が震え、冷静さを保つことなどできなかった。
「もう誰もいないかもしれない! 友達も、家族も……! 仮に外に出られたとして、これがまた別の都合の良い罠じゃないって、一体誰が保証できるんだよ!」
「こんなことなら、あのゴーストタウンで一生引きこもっていた方がマシだった!」
「生贄にしろって? 確かに利用されたかもしれない、面倒にも巻き込まれたさ! でも、それの何が悪いんだよ! 僕だって二人を利用した! 一人じゃ到底生き残れなかった、ここまで来られたのは間違いなくあの人たちのおかげだ! 二人は僕にとって……かけがえのない家族なんだよ!」
「もういい、帰るぞ」
「シズカさん……」
「……何?」
「行こう。ヒロくんもだ、一緒に生き残る方法を探すんだよ」
「……なぜそこまでして自分を偽るの? その女を側に置けば、近いうちにあなたは完全に干からびて消え失せる運命なのよ」
「知ったことか! もう決めたんだ、逃げない。お前の思い通りになんて絶対ならない!」
僕はシズカさんのもとへ駆け寄り、その肩を抱えて無理やり立たせた。
(不気味な笑い声)
「――ふふ。私から逃げられるとでも思った? ここまで来ておいて、今更撤回なんて許さないわ。誰か一人の『魂』を支払ってもらう。ここから出たいんでしょう?」
本能が警告を発する。僕はシズカさんを背後に押し隠すように一歩前に出ると、かつてないほどの強い意志と力を込めて剣を掲げ、正面からあの女の目をまっすぐに見据えた。
「――雷光……?」
この世界で魂を持っているのは、僕とシズカさんだけのはずだ。ヒロくんは……機械だから関係ないはずなのに。ふと気づくと、ヒロくんの姿が視界から消えていた。
いつの間にか、破壊し尽くされたはずのヒロくんが、地面を這いずるようにしてあの女の方へ近づいていた。
「ヒロくん、離れろ! 危ない、そんなボロボロで……!」
だが、その直後に耳にした光景は、僕の胸を容赦なくえぐり、どんな防壁も無視して心臓を直撃した。
「……大丈夫だよ、兄貴」
ヒロくんは、そう言って微笑んだ。
――え? あいつ、そんな表情ができるのか? でも――
次の瞬間、周囲の空間がガラス細工のように粉々に砕け散り、まったく別の場所に放り出された。足元も、頭上も、左右の壁も、すべてが奇妙な空模様の膜に覆われている。僕は震える手でシズカさんを強く抱きしめた。その目の前で、ボロボロになったヒロくんの傍らに、一人の小さな子供の姿が投影されていた。
「兄貴、面倒かけてごめんね……本当はすごく怖かったし、どうしていいか分からなかったんだ。唯一の居場所だったみんなと離ればなれになるのが、悲しくてたまらなかった。自分がどうしてロボットになっちゃったのかも分からないし、空を飛ぶのはちょっと面白かったけど……痛みも味覚もないなんて、やっぱりおかしかった。自分の感情を出したら、もっとみんなの負担になるって思って……だから、ずっとロボットのフリをしていたんだ。迷惑をかけないようにって……僕、ちゃんと上手に演じられたかな、兄貴?」
「ヒロくん……っ!」
「二人とも、元気でね……僕が今まで出会った中で、一番最高の人たちだったよ」
ヒロくんの目から、オイルではない、本物の涙がぽろぽろと零れ落ちていた。
「僕も……本当はもっと一緒に外に出たかった。もっともっと、兄貴とも、バクちゃんとも一緒にいたかったよ……お願いだから」
「僕を……忘れないで……」
「ヒロくん――っ!!」
視界のすべてが、漆黒の闇に飲み込まれていった。
* * *
パッと目を覚ますと、そこはどこかの見慣れた丘の上だった。遠くには都会の街並みと、一本の大きな橋が見える。すでに空は白み始め、夜が明けようとしていた。慌てて周囲を見回すと、すぐ隣にシズカさんが倒れ込んでいるのを見つけた。
「シズカ!」
「セツナ……! ……それに、ヒロくんは……」
僕は彼女を強く抱きしめ返した。
しばらくして街中を歩いていたが、僕らは二人きりだった。ここがどこなのか分からない。どこか見覚えがあるようでもあり、どこか微妙に違っているようでもあった。
(グゥー……とお腹が鳴る音)
「いまの音、僕じゃないぞシズカ……もしかして、君の腹か?」
「え……うそ、私が?」
理由は分からないが、なぜか現実的な生理現象が起きて驚いた。
「待ってシズカ、跳べるか? 能力はまだ使えるか?」
彼女が試してみると、驚くべきことにその身体能力は健在だった。一瞬で数メートルを跳躍し、ふっと姿を消して透明化まで見せる。
「待てよ……」
もしかして、これはヒロくんが――? 僕は深く考え込んでしまった。
シズカさんはどこか晴れやかな顔で微笑んだ。
「ねえ、セツナ、これが何を意味するか分かる? 私はもう、あなたにとって危険な存在じゃないわ。これからはずっと、一緒にいられる……」
だが、ふと僕の顔色を察した彼女は、ぱっと視線を落として自分の腕をぎゅっと抱きしめた。
「……これって、あの子が最後に……お願いしていったから、なのよね……?」
僕たちはそのまま街の中を宛てもなく歩き続けた。どうすればいいのか分からず、所持金も食料すらない。そんな行き場のない僕たちに、一人のくたびれた初老の男が声をかけてきた。
「お前さんたち、この辺りの顔じゃないな。行く当てもなさそうだし……どうだ、うちの仕事を手伝わないか? 私の監督下に入るなら、寝場所も世話してやる」
「……どんな仕事ですか?」
「――『異常者狩り』さ」
――それはきっと、嘘まみれで、誰かに利用されて、泥だらけになって足掻く人生かもしれない。だけど、間違いなく僕たちの物語だった。
一人の少年と、一人の少女と、そして一人の――「子供」の物語。
ここまで読み通してくださった方、本当にありがとうございます。正直に言うと、今までで一番力を注いだ作品です!
疲れている時でも書き続けたので、もし至らない点やミスがあれば、どうか教えていただけると嬉しいです。
思っていたよりもずっと長いお話になってしまいましたが、それだけ執筆に夢中になってしまいました!本当に心血を注いだ物語で、ラストシーンを書いている時は自分でも泣いてしまいました……少し感傷的になりすぎたかもしれませんね。
私がこの物語を書いたのと同じくらい、皆様も楽しく読んでいただけていたら幸いです。




