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婚約破棄ですか?では、こちらの誓約書にサインをしてください。

作者: 夜分
掲載日:2026/09/10

「アイラ! 貴様との婚約を破棄させていただく!」


「そうですか。では、こちらの誓約書にサインをしてください」


「は……?」


 呆気に取られているアイリス王国の王太子、リゼル殿下の前に私は冷静に、淡々と用意していた二枚の誓約書を近くの机の上に置く。なんせ、今回の婚約破棄は容易に想定できていたからだ。


 こんな真夜中に、人目を避けるように誰も使っていない空き部屋に呼び出す安直な選択。言われた瞬間に、すぐに私は以前から準備していた誓約書とペンを持参していた。


「王太子という立場を利用して、数多くの女遊びをしていたことは把握しています。恐らくは、最近出会った娼婦を気に入り、私という存在がありながら鞍替えしよう……なんて思ったのでしょうね」


 というのも、彼の女遊びが酷いという話は宮廷で働く人間にとっては既知の話題だからだ。侍女たちが酷く嫌悪し、陰で「気持ち悪い」「こんな話も聞きまして……」と私に情報共有をよくしてくれていた。


 いざ密偵を雇い、調査してみたら笑いが出てしまうほどに証拠が出てきた。


「この写真、心辺りがあるんじゃないですか?」


 そして、そこで入手した派手な格好をした娼婦と肩を並べて歩いているリゼル殿下の写真を机に置く。


 殿下は顔を青ざめながら写真を手に取り、憎くて仕方がないような表情で私を見た。


「お前……こんなことまでしていたのか! なんて卑劣な……!」


 なんて卑劣……そう、彼にとっては私が卑劣に見えるのか。


 だがそれはいい。別にそこを追求するつもりで来たわけじゃない。


「私はあなたの婚約者として、あなたが国王から拝命されている法務の補助を務めてきました。まああなたは私が作成・調整したものを確認せずに頷くだけでしたが。宮廷の法管理をしているあなたが、こんなことをして……大事になれば大変なことになりますね」


「やはりお前は卑劣だ! まさか俺を脅そうってのか!? 何を要求する気だ! 金か!?」


 リゼル殿下は私に指を差して、唾をまき散らしながら怒鳴る。せっかくの親譲りの美しい顔が台無しではないか。


 だが、私は別に脅すつもりなんかない。


「いえ、そのようなつもりはありません。だから誓約書を用意したんじゃないですか」


 そう言って、私は誓約書を人差し指でとんとんと叩く。


 殿下はどこか少し安心した様子で私を見る。


「ど、どういうことだ?」


「この誓約書に記載していることに同意し、サインをしていただけるならば私は今回のことを秘匿しますし、婚約破棄も素直に受け入れます。争うつもりなんて毛頭ございません」


「そ、そうなのか!? な、ならサインを……!」


 リゼル殿下が急いで誓約書にサインをしようとするので、私は彼を止める。


「ちゃんと内容を確認してください。殿下はご存じかと思いますが、誓約書は双方向が権利と義務を負うのではなく、殿下のみがそれを負うものになります。なので、簡単にいえば、私からの一方的な要求を呑む、ということです」


 念のため、サインをしてもらう以上は確認を取っておく。


 契約書とは違うので、もちろん私の署名や捺印はない。これはあくまで、私からの要求なのだ。


「分かっている! どうせ、金輪際関わるなとかだろう? なら俺も都合がいい!」


「確かにその条項はありますが、それはあくまで一つにすぎず……」


 だが、彼はまともに確認をすることなく誓約書に署名をした。相変わらずこんな大事な書類なのに読まずに通すだなんて。


 法務の仕事をしているにも関わらず、こんな姿を見たら国王陛下は落胆するだろう。


「署名ありがとうございます。では、確かに拝受いたしましたので。もう一枚は控えですので、置いておきます」


 私は殿下から書類を受け取り、くるりと踵を返す。


「これで厄介な私との関係は終わりです。どうぞ浮気相手とお幸せになってください」


「ああ! お前のような卑劣で面倒くさい女と関係を切れてせいせいしたさ!」


 はぁ。酷い言い方をするな。


 とはいえ、今更私が気にするようなことではないが。


「あと……今後の仕事は、しっかりと務めるようにと助言をしておきます」


 といって、私は部屋を後にした。



 隣国、ダリア帝国城内の庭園にて。白い東屋の下で、椅子に腰を下ろし、優雅にティーカップを手に取り紅茶を楽しんでいた。


 アイリス王国の王太子、リゼル殿下に婚約を破棄されたあと。私は帝国の法務として仕事を行っていた。


 今は確認すらせずに契約書を素通りさせるような人はいない。そもそも私がその仕事では一番の立場を与えてくれているのだから、そんな人間と関わることなんてない。


 この帝国の人たちは勤勉だ。細かいことまで入念にチェックをし、間違いのないよう動いてくれる。


 アイリス王国よりも栄えている国なだけはある。


 そうそう。アイリス王国と言えば、殿下のスキャンダルが表沙汰になり、しかも私が抜けたあとの契約書には不備がありまくりで、あらゆる国と不利な契約を結んでしまったらしい。


 結果……待っていたのは民の反乱。リゼル殿下の立場は今にも下ろされそうになっているようだった。


 国王陛下からは叱責どころではないらしく、これまでの責任を追及されて大変なことになっているらしい。その中に、私が去ったあとの損害も言われているらしく。


 焦った殿下が急いで私のところにまで会いに来るようだ。


 ただし、これは私は許可していることだ。


 誓約書にも、その旨の記載はしてある。


 まず、私がリゼル殿下に用意した誓約書の内容はこうだ。


 ————————


 一つ、私には金輪際関わらないこと。


 二つ、婚約破棄後に生じる一切の損害、名誉の毀損などを私に請求しないこと。


 三つ、私を連れ戻すことを目的とした要求を行わないこと。たとえ、国家命令であってもしてはならない。


 四つ、私に対し、国家含めて一切の危害を加えないこと


 五つ、本誓約書について、質疑がある場合は一度のみ面会を許可すること。


 六つ、本契約に違反した場合は、私からのいかなる報復を受けても許すこと


 ————————


 といったものだ。恐らくは大事になったあと、急いで控えの内容をチェックしたのだろう。


 そして、五つ目に合法的に私と面会できることを知って、急いで連絡をしてきたといったところだろう。


 もちろん、誓約書には私を連れ戻すことを目的とした要求は禁止しているので、もしここでそんなことをしてしまったら契約違反である。


 だが、もしも私との面会で和解が成功したらこの誓約書も関係ない……いわば賭けといったところだ。


 私はすっと紅茶を飲み一息つく。静かな空間だったが、すぐに騒がしくなった。


「アイラ! やっと会えた……!」


 バタバタと走ってきて、息を切らしながら目の前に立つ人物。リゼル殿下だ。


 随分とボロボロな衣服で、頬もこけているような気がする。たいそう苦労しているのだろう。


「誓約書の質疑ですよね。もちろん答えますので、どうぞ」


 淡々と答えると、リゼル殿下は急に私の手を握ってくる。


「頼む……戻ってきてくれ! 今までのことは謝る! お父様もアイラが戻ってきてくれたら少しは怒りを収めてくれるはずなんだ!」


 やはり来たか。けれども想定はしているので冷静に処理をするだけだ。


「申し訳ありませんが、その要求は受け入れられません。……違反行為ですよ」


「……だが! 報復がどうした! お前にそんな力があるわけ——っ!?」


 勢いよく殿下の腕を振り払い、じっと瞳を見据える。なんて無知で美しい瞳をしているんだ。王族としては、失格だけど。


「まず、冷静に考えてみてください。私があなたを呼び出した場所を」


「……っなにがいいたい!」


「私は今、この帝国で城勤めの法務をしております。かなりの立場を与えてくれました。なので、報復するとなれば皇帝が動いてくれるでしょう」


 リゼル殿下が狼狽える。だが本題はそれじゃない。


「そもそも、あなたには想像できないかもしれませんが、何故何もコネクションもない私が隣国の帝国で、ここまでの地位を得ていると思います?」


 彼は黙る。汗を滲ませながら、必死で考えているようだった。だが、考える時間を与えるつもりはない。


「結論から言えば、あなたの不祥事は全部帝国に渡しました。もちろん証拠つきで。陛下は大層喜びましたよ。なんせ、隣国の王家の立場を揺るがすスキャンダルを得たのだから」


 私が言うと、彼は目を見開いて驚く。


「まさかこの事態も全部お前が……!? そ、そんなことをして許されるわけがないだろう!? 極刑だぞ!?」


「それはできません。契約違反です。ただちに帝国が動くことになります」


「で、でも!」


 私は息を吐く。


「そもそも、私は説明しましたよね。契約の際に、契約書とは違い誓約書は私からの一方的な要求と。だから私に義務などない。今回の件を秘匿するかどうかは、私の判断に委ねられていました。それに、あなたはサインしたんですよ? その無茶苦茶な誓約書に」


 リゼル殿下はガタガタと震えながら膝をつき絶望する。あまりの悲痛な現実を直視できないでいるようだった。


「だから言ったじゃないですか。仕事はしっかりと務めた方がいいと。まあでもこれで反省できたんじゃないですか? あなたが座る椅子はもうないでしょうが」


「ふざけるなっっ!! こんなこと、こんなこと許されるわけがない!! ふざけるな!! お前!!」


 殿下は立ち上がり、勢いよく私に拳を放ってくる。だが寸前で、待機していた兵士が彼の腕を掴んだ。


 兵士は殿下を引きずりながら、城外へ追いだそうとする。


「待ってくれ! 待ってくれぇぇぇぇ!」


 私はその様子を見ながら、静かにティーカップを手に取る。


「ごきげんよう、殿下。もし機会があれば、私のような卑劣な人間が出すようなものは、ちゃんと内容確認するようにしましょうね」


 一応優しさで言ってみたが、彼には届かないだろう。届いたところで、もう手遅れなのだから。


 


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