第7話 ミオッカの秘密
「……申し訳ないが、あんたは外で待っていてもらえるか? ここのうちは狭いし、込み入った話をするんでな」
お婆にそう言われたエアが首を傾げてミオッカを見たので、彼女は「エアは外で待っていてよ」と香草の植った小さな畑を指さした。そこにはちょっと腰をかけられるように、切り株が置かれている。
「あの切り株に座ってていいからね」
「すわる?」
ミオッカはエアの手を引いて、切り株の前に連れていくと「ここに、座る」と手のひらで切り株を叩いた。
「わたしは、ここに座る」
「そうだよ。ここで待ってて。待つ、だよ」
「わたしはここで待つ。ミオは……うち?」
「そう。うちで話をしてくるから。わかった?」
「わたしはここで待つ、わかった」
切り株に腰かけてうんうんと頷くエアの頭を、ミオッカはエイリナにするように撫でて「エアは賢いね」と褒めてから、皆が待つうちの中に入っていった。
それを見送りながら、エアは「わたしはミオの子分。子分、いい」と呟き、竪琴で明るい和音を鳴らして微笑んだ。
ミオッカが戻ると、星読みのお婆はメイニャに言った。
「予言の書が示したのは『人にあらざる乙女が竜の王に乗る』という言葉だったのだが、メイニャよ、これはエイリナのことではないな?」
お婆の言葉を聞いたメイニャは、予言の言葉が頭に染み込むのに時間がかかったようで、少し経ってから驚愕の表情に変わった。
「人に、あらざる? それは……」
「これはエイリナの生まれた日の予言ではない。その二年前の、ミオッカの誕生した日の言葉だよ。メイニャ、ミオッカの父親は誰なんだい?」
「お婆、やめてくれ」
レットクは真っ青な顔になりガタガタ震えだしたメイニャを抱きしめながら言った。
「やめてくれ」
「やめたらエイリナは死ぬまでその姿のまま眠り続けることになるよ?」
ふたりはぎょっとして半透明な繭の中で眠るエイリナを見た。
「きちんと話を整理して、ミオッカを旅に出すんだ。その子を助けるためには、こんがらがった糸を持つ人々に真の乙女はミオッカだということを知らしめなければならないのさ」
「お婆、いったいなにを言ってるのさ。わたしの父親はレットクに決まっているよ」
まったく疑っていないミオッカをお婆は悲しげに見て、彼女を憐れむように言った。
「違うのだよ。お前はレットクの子ではない。メイニャがレットクと出会ってこの村に来た時には、すでにメイニャがみごもっていたのだ」
「まさか、そんな……それは本当なの?」
かすれた声でミオッカが両親に尋ねると、悲しい瞳をしたレットクが「俺は、ミオッカが生まれた時から自分の子として育ててきた。だが……血は繋がっていない」と答えた。
ミオッカは悲鳴をあげて、髪をかきむしった。
「そんな馬鹿な! わたしが父さんの子じゃない? だって、わたしは狩りの仕方が父さんにそっくりじゃないか! 父さんにそっくりな娘だって村でも評判なんだよ! それなのに……そんな……わたしが父さんの子じゃない、なんて、悲しすぎるよ……」
星読みのお婆は「ミオッカ、ちょっとここに座っておけ」とふらつく彼女を粗末な木の椅子にかけさせた。
メイニャは半ば魂が抜けたような顔で言った。
「そうなのね。エイリナはミオッカの代わりにこんなことに……」
「酷い間違いのせいだろう。ミオッカ本人ならば、このようなことにはならんかったろうに」
お婆に言われて、メイニャは「そうかしら」と呟き、力なく顔を覆った。
しばらくして彼女が顔を上げた時、顔つきが変わっていた。なにかを決心したようだ。
「わたしの名は、メイニャ・クローニー。ここから遠く離れた地の領主の、クローニー子爵の三番目の娘だったの。十四になった年に近くの森の中で不思議な人と出会ったわ。会っている時には確かにそこにいるのだけれど、いざ離れると顔すら思い出せなくなるの。彼はどこかから流れてきた精霊だと言ったわ」
メイニャは、まだ幼さが残る娘時代に精霊と出会い、恋をしたという。
「家族の目を盗んで何度か会ったけれど、彼とは話をしただけよ。でも、彼は消滅する前に自分の子を残したいと考え始めてしまったの。精霊とあまり関わってはならないと親や教師に口が酸っぱくなるほど教えられたけれど、無分別な恋に浮かれた私は愚かだったわ」
メイニャは三十二になった今でも美しい女性だ。精霊は少女のメイニャに魅入られて、あり得ないことを考えてしまったようだ。
「まだ子どもだったわたしは彼に夢中になり、深く考えずに彼を受け入れてしまった。風が身体を吹き抜けて、そのまま気を失ったわたしは、三日間行方不明になってから自宅の寝室で発見されたのよ」
そして、それから二年かけて、わたしのお腹が膨らみ続けたとメイニャは語った。
「未婚のわたしが孕んだと知り、両親はとても怒り、悲しんだわ。これでわたしは政略結婚に使えない身体になったのですもの。冷たい親だと思うかもしれないけれど、貴族とはとても体面を気にするし、恋愛結婚など許されないのが当然なの。でも、一年経っても一年半経っても子どもが生まれてこなかった。一年以上もおなかにとどまる赤子などいないわ。皆に不気味がられたわたしは部屋に監禁されそうになったのよ。それでお金をかき集めて家を飛び出して、そのまま馬車でずっと遠くまで移動していた時にレットクに出会ったの」
「おかしな妊婦だと思ったが、行く宛もないと言うのでうちに連れてきて、そのまま……ということだ。ちょいと早めに生まれてきたが、俺が外に出ている時に出会い、ねんごろになり赤ん坊ができた、という筋書きで、俺はミオッカの父親になった」
ミオッカは黙ったまま、二人の言葉を聞いた。
今まで信じていた世界が崩壊して、彼女はまだ真実を受け入れることができない。だが、星読みのお婆は非情にも「しゃっきりおし、ミオッカ!」と彼女に喝を入れた。
「おまえさんが一番気にしなければならないのは、エイリナを助け出すことじゃないのかい?」
「……エイリナを」
「そうさ。現実を見据えて、なにが大切なのかを考えるんだよ。真実を隠していた両親が許せないと喚き散らしてもなにもいいことはないのさ」
「喚く気力すらないよ……なんだよ、精霊の子どもって……」
ミオッカは大きなため息をつくと、メイニャの顔をちらりと見て「だから母さんは、わたしのことが嫌いだったんだね」と呟いた。
「半分精霊だなんて化け物をおなかに入れて、綺麗な服も美味しい食べ物も、素敵なものをなにもかも手放すはめになったんだもんね、そりゃあわたしを恨むさ……」
「ミオッカ、信じられないかもしれないけれど、わたしはあんたを恨んじゃいないわ」
いつもは有耶無耶にするメイニャがはっきりと答えたので、俯いていたミオッカは顔をあげた。
「わたしはまだ子どもだったし、なにが起きたのかわからなくて怖くてたまらなかった。だけどね……おなかにいるのは確かにわたしの子どもだと思ったのよ。あの家で産み落としたら、あんたは殺されるに違いなかった。だから逃げたの。それは後悔していないわ」
「母さん……」
「ただ、あんたの父親を恨まなかったかと言われたら、答えに困るわね。もしも会ったら引っ叩いてやりたいわ」
ミオッカの顔に血の気が戻った。途端に活力が溢れたミオッカは、大きな声で言った。
「そうだよ、それはわたしも思ったよ! そうか、わたしのせいで母さんに嫌われたんじゃなかったんだね。ちゃんと娘だと思ってくれていたんだね」
「……それは、まあ、わたしの態度については……」
「いいんだよ、悪い精霊の子どもなのに、母さんはわたしを生かしておいてくれたじゃないか。ちゃんとごはんも食べさせてくれたし、たまに殴ったりはしたけれど、まあ、それはすごく機嫌の悪い時だけだったし!」
レットクとお婆に『殴ったのか……』という目で見られてメイニャは「悪かったわ」と小さな声で謝った。
「大丈夫だよ、母さんはたいして力がないからさ! よっぽど小さい時には張り飛ばされて頭をぶつけたこともあったけど、最近じゃあ足のすねをぶつけるよりは全然痛くなかったし、むしろ母さんが手を痛くしてたよね」
「……ごめん」
「いいよ、許すよ。女の可愛いヒステリーだったってことで、忘れるから」
「ヒステリー……ミオッカ、そこまではっきり言ってくれるな」
レットクはミオッカを落ち着かせようとした。
「えっ、でも、絞め殺さないでくれたのは本当にありがたいって思ってるんだよ?」
「さすがにそんなことはしないわよう、ごめんってば……」
「ミオッカ、もう勘弁してやりなさい」
メイニャの表情を見たレットクが取りなすように言ったのだが、ミオッカは今、エネルギーに満ち溢れていた。
「父さん、わたしがやるべきことが見えてきたよ。エイリナをこんなものの中に入れた奴に、人違いだからとっとと出せと話すことと、精霊をとっ捕まえて首をはねて母さんに渡すことだね!」
「ミオッカ! それはよせ!」
「やめて、首なんてはねちゃ駄目よ、そんなもの渡されたくないわ!」
「なんて物騒なことを思いつくんだい……あんたは本当にやりそうだから始末に負えないよ……」
レットク、メイニャがミオッカを諌めようとして、お婆が呆れ顔をしたが、彼女が「どうして駄目なの? わたしならそれくらい、訳なくやってのけるよ?」と不思議そうな顔をするのでがっくりと肩を落とした。
メイニャはミオッカに言った。
「いいから、もういるかいないかわからない精霊には、かまっちゃ駄目。旅に出るなら、エイリナを助けることだけを考えなさい。わかったわね?」
「はい! 母さんがそう言うなら、そうするよ」
ミオッカは、メイニャが今までになくたくさん話をしてくれるし、喋り方もとげとげしていないので、とても嬉しい気持ちになっていた。
「絶対に、エイリナを助けるからね。待っててよ、母さん!」




