第5話 金色の若者
「ええと、あんた、あっちの湖で身体と髪を洗ってやるから来なよ」
ミオッカが声をかけると、若者は嬉しそうな顔をして首を傾げた。だが彼女は「あんた、自分が臭いことをわかってる?」と告げる。
「臭いの。風に乗って臭いが漂ってくるよ、肉食の獣が餌だと思って寄ってきちゃうから、そのままだとまずいんだ」
彼は言葉の内容がよくわからないようで、不思議そうにミオッカを見つめている。
「く、さ、い」
ミオッカは自分の腕を嗅ぐ仕草をして、彼を指さしてもう一度「臭い」と言った。
「なにをどうしたら、そんなになっちゃうんだろう。いい若いもんが、風呂にも入らないで不潔にしているもんじゃないよ。さては独り者だね。そんなことじゃあ女にモテなくなるよ」
言い方がちょっと婆くさいのは、星読みのお婆と仲良くしているせいだろう。
どうやら言葉が通じない相手に説明するのは無理だと思い、ミオッカは若い男に近づくと腕を握って、湖の方へと歩かせた。
「あっちの方に、お湯が噴き出している場所があるんだよ。ここの湖は日当たりが良くて川よりも水がぬるいんだよ。寒くなる時期には川での水浴びは辛いからね、お婆の湖は重宝しているよ」
「……?」
竪琴を抱えておとなしくついてくる様子が子犬のようである。
「身体と、その白い服も石鹸で擦って洗ってしまおう。なに、陽が暖かいから日向で座っていればすぐに乾くよ」
そのままじゃぶじゃぶと湖に入りかけて「おっといけない」と岸に戻る。
「濡れたら困るものは、ここに置いておこう。他の場所では不用心だけど、この湖の周辺はお婆の縄張りだからね、よそ者は入ってこないから安心だ……」
ミオッカは『あれ? この人はよそ者ではないってことか?』と男の金色の瞳を見上げた。
「あんた、お婆の知り合いなんだよね?」
やはり言葉が通じないようで、若者もミオッカの瞳を覗き込んで首を傾げた。
「まあいいや」
ミオッカは大きな石の上に手拭いと腰のナイフ、くくりつけてあった袋、そして革のベストを脱いで置いて、簡素な服とズボンだけになった。サンダルは脱がずにおく。鋭い石で足の裏を切るといけないからだ。
若者は竪琴を置いた。
「それじゃあ、入ろう」
ミオッカは幼子にするように背の高い若者の手を引いて、お湯の湧き出るあたりに進んだ。
「あんまり行くと熱いからね。ここで頭まで潜るんだよ」
水の深さはミオッカの腰まである。これが川だったら流れに巻き込まれて溺れてしまうが、静かな湖ならば安心だ。
身体を沈めて髪の毛を手で解くと、若者も真似をして長い髪をわしゃわしゃと手でかき回した。
ミオッカはしばらくぬるい水に浸かって汚れをふやかしてから、若者と一緒に浅い所に移動して、石鹸を泡立てて彼を丸洗いした。
「汚れが酷くてなかなか泡が立たないよ。最後に身体を洗ったのはいつなんだ? 不潔にしていると病気になりやすいから、これからは面倒でもきちんと身体を清めなくてはならないよ」
ミオッカは根気よく洗っては流し、若者の髪と身体と服を白くなるまで洗った。ついでに自分も洗うとまたさっきよりも熱めの所に浸かって、身体をよく温めてから湖からあがった。
「ここにお座りよ」
ミオッカは丁度いい具合の岩を叩いて、若者を座らせ、自分も隣に座った。
「ずいぶんさっぱりしたじゃないか。服を絞って、なるべく早く乾くように……するんだけど?」
若者の纏う白い服から水滴が大量に落ちて、ほとんど乾いた状態になったのを見たミオッカは「それはお金持ちの服なのかな。便利なものがあるんだね」と感心した。
「ほら、髪はこうやって指を通して整えるんだよ。そのまま乾かしたら始末におえなくなるからね」
ミオッカは肩にようやくかかるくらいの髪を指ですき、自分よりも髪の長い若者にも同じことをさせる。肩甲骨の下まである金色の髪を見て「それ、邪魔じゃない?」と尋ねる。
「この辺では、男は髪を短くするんだよ。女は伸ばして結んでいることが多いけど、わたしはあまり長いのは好かないから、やっと結べるくらいにしてるんだよ。って言ってもわからないか」
若者は口を開けたり閉めたりして、まばたきをした。
「声も出ないのかな? あー、あー、ってできる?」
口を開けて、不思議そうな顔をするので、ミオッカは自分の喉に触って「ここが震えるようにするんだよ」と説明した。そして、若者の指先を軽く喉に触れされて「あー」と声を出してみせた。
「ここ、震えると音になるよ」
「あおう」
「出たね」
ミオッカが笑うと、若者も嬉しそうに「あーわー」と答えた。
「わたしの名はミオッカ。あんたの名前は言える?」
「いーおー」
「ミオ。わたしはミオ」
自分の胸に触って「ミオ」を繰り返すと、若者もミオッカの胸に触れそうになる。
「おっと、そこは夫になる男しか触らないんだよ」
「おうう?」
ミオッカは「ちっちゃい子みたいだね」と笑うと、自分の肩に若者の手を置いて「ミオ」と言った。
「みー、おう、ミオ?」
「そうだよ、わたしの名前は、ミオ!」
「ミーオー、ミオー、ミオ? ミオ。ミオ、ミオ!」
ふたりは顔を見合わせて笑った。
「あんたの名前は?」
ミオが若者の肩に触れると、彼は「あーたー、なあえ、えあ? す、すせー」
サ行の発音が難しいらしく、若者がしかめつらになった。
「ううんと、エア。エアでいいんじゃないかな」
「すえー、えーあ。エア。エア! ミオ、エア、ミオ、エア」
「そうそう、うまいもんだよ。わたしの名前は、エアです」
「わたーしのー、なあえは、エア? なあまーえー、なまえー、エア、でーすー」
「すごいよ、賢いじゃないか!」
ミオッカがエアと名乗る若者の肩を優しく叩いて褒めると、彼は「わたしーのー、なまえー、エアでーす!」と嬉しそうに言った。
「喋れるようになったから、どんどん言葉を覚えそうだね」
「どーどー」
「それにしても、洗ったらずいぶんと綺麗な見た目になって驚いたよ。ほら、髪の毛はとても光る金色で、髪油もつけてないのにサラサラだよ。とっても綺麗だね」
「んー?」
「き、れ、い」
ミオッカは若者の髪を撫でて「エアの髪、綺麗」と言った。すると、若者もミオッカの髪をまるで宝物に触れるかのように優しく撫でて「ミオ、かみ、きれい」と目を細める。
ミオッカは少し寂しそうに首を振ると「わたしの髪は灰色で、光ってないし、綺麗じゃないんだよ」と言った。
「きれい。ミオ、きれい」
「綺麗の意味を間違って覚えちゃったようだね。さあ、そろそろお婆の所に戻ろうか」
ミオッカが立ち上がると、水面から爽やかな風が吹いて彼女の服から水分を飛ばした。
「おやおや、ありがたいね」
ミオッカはベストを着てナイフを身につけて「エア、行くよ」と声をかける。エアも竪琴を手に立ち上がり、ミオッカの手に触れた。
「こらこら、なにをしているんだ」
エアがミオッカの手に自分の手首を握らせて、これでよし、という顔をしたので、思わず吹き出してしまう。
「エアはわたしの弟分みたいだね。いや、子分かな?」
「わたしはー、ミオのー、こぶん? こぶん!」




