第4話 星読みのお婆
そのままひと晩を過ごしたミオッカは、夜明け前に起きて身支度をした。母のメイニャは寝ているようだが、レットクは目覚めてミオッカに声をかけた。
「なにをしている?」
ミオッカは人差し指を唇の前に立てて『静かに』というジェスチャーをすると、彼を外に誘った。
「わたしは星読みのお婆のところに行って、エイリナになにが起きたかを聞いてくるよ。こんなおかしなことに詳しいのはあのお婆くらいだからね。父さん、手土産に干し肉を少し貰うが、かまわないかな?」
「そりゃかまわないが……俺が行くべきではないかと……」
「やめてよ父さん! あの状態の母さんとふたりで、眠ったままのエイリナの側にいるのって滅茶苦茶きついよ」
「……そうだな」
その光景をレットクも想像してみたが、確かに滅茶苦茶きついと思った。
「父さんは昨日の獲物の肉をなんとかしておいて。あと、母さんのそばには父さんがいた方がいいと思うんだ。わたししかいないと、母さんがなにをするかわからないしね、絶対に八つ当たりしてくるよ。わたしはともかく、興奮してエイリナを害するような振る舞いをしたら困るからさ。あの入れ物はとびきり丈夫にできているみたいだけど、油断するわけにはいかないよ」
どうやらメイニャは信用がないようだ。
「興奮したメイニャはミオッカには止められないだろうな。だが、ひとりで森を抜けて行けるのか?」
「行ける。最近は狩りに出てひとりで泊まったこともあるくらいだし、まったく問題ないよ、それは大丈夫」
「うむ、確かに」
最近は、もうほとんどひとり立ちできそうなほどに腕を磨いてきたミオッカを見て、レットクは『息子に追い越される気持ちとは、このようなものなのか』と感慨深げにミオッカを見てから『いやいや、この子は息子ではなくて娘だから』と否定した。
背が高くてすとんとした娘らしさの少ない体型でも、ミオッカは紛れもなく女性なのだ。
「すっかりたくましくなったな」
「わたしは父さんの子だからね! それじゃあ父さん、エイリナと母さんを頼んだよ」
「ああ、気をつけてな」
ミオッカは片手をあげて応えると、あとはもう振り返らずに村の外へと走り出した。
「俺の娘、か……」
レットクは複雑な表情でミオッカの背中を見送った。
星読みのお婆は、森の奥深くにひとりで住んでいる奇妙な老女だ。怪しげな術を使ってミオッカの家よりも良さげな小屋を建て、その周りには獣が入らないように匂いの強い低木や草花を植えてある。
だがミオッカは、お婆は別の方法での獣除けをしているのではないかと考えていた。植物だけにしては効果が広範囲に思えるのだ。
身軽なミオッカは、すでにひとりならばレットクよりも早く森を歩ける。実は親には黙って森を抜けてお婆のうちに遊びに来ることは、ずっと幼い時から度々ある。
小屋にたどり着くと、扉が開け放たれた小屋から「ほっほう、ミオッカが来たか」とお婆の声がした。
ひとり暮らしのお婆の家なのだが、今日はなぜか庭に置かれた椅子に腰かけている人物がいる。ぼさぼさでもつれた長い髪に、泥はねがある元は白かったらしき服を着た、若い男性だ。
ミオッカは『こいつは誰だ?』という目で男を見たが、つるんとした顔の彼は若き女性狩人の鋭い目つきに動じることはなく、手に持った竪琴をぽろんとかき鳴らしてから、ミオッカに微笑んだ。顔も身体も泥やら垢やらで汚いのに、なぜか竪琴だけは新品のように綺麗なままだ。
(魔法の楽器かな? 綺麗な音がする)
蜂蜜のような濃い黄色の瞳を見たミオッカが『まるで太陽の光を煮詰めたような目をしているな』と若者にしばらく視線を向けていると、彼は今度は短いパッセージを奏でてからミオッカを見返した。
ミオッカは、夜明けの空に金の星を散りばめたような不思議な色の瞳で、若者の視線を受け止めて言った。
「やあ、名も知らぬ人。もしやあんたは、言葉を持たないのかな? それとも吟遊詩人は儲けがないと歌わないの?」
首を傾げる若者にさらに話しかけようとしたミオッカの言葉を、お婆が遮る。
「そやつのことは気にせんでいいぞよ。それよりも急ぎの用事があるんじゃないかえ? 早くお入り、ミオッカ」
「あっ、そうだったね。名も知らぬ人、またね」
お婆に促されたので、ミオッカは竪琴を持った男に片手をあげてから小屋に入った。
男は首を傾げるとぽろんと竪琴を鳴らして応えた。
占いや呪い、伝承の知識に長けたお婆は、薬草を集めて薬作りもしているので、小屋の中にはいつものようにたくさんの草がぶら下がって干されている。
ミオッカはこの小屋の匂いが好きだった。子どもの頃にお婆にそう言ったら、機嫌を良くしたお婆は薬草の屑を小さな布袋に入れてミオッカにくれた。寝る前にその匂いをくんくん嗅ぐのが彼女のお気に入りだったのだが、ある日メイニャに捨てられた。
その時は、腹が立つより悲しみを覚えた。
娘の小さな楽しみを冷たい瞳で奪い去ろうとする母。幼いミオッカは、彼女からは愛情のかけらも与えてもらえないと気づいてしまった。
「お婆、お土産の干し肉だよ」
「おや、ありがたい。レットクの干し肉は味がいいからね」
ミオッカは「うん、父さんは肉料理が上手いんだよ」と言いながら、椅子に腰掛けた。
「で、どうしたんだい?」
「変な服を着た男たちがうちにやってきて、エイリナを変な入れ物に閉じ込めてしまった。その後に男たちは消え去ってしまい、エイリナは入れ物の中で眠ったきりなんだ」
「……なるほど」
お婆はしわの中に目が埋まるように目を細めた。
「どうしたらエイリナを出せる?」
「なんでもいいから、そいつらの言葉を言ってみろ」
「母さんからの又聞きもあるけど、誕生日がどうとか言って『人にあらざる乙女』『聖なる乙女』『やっと見つけた』『持ち帰る』……そうだ、石の入った瓶をエイリナに近づけたらそこから糸みたいなものが出て、あの子を包んでしまったんだってさ。なんだかわかる?」
「さすがにわからんわ。石から糸が出るとは奇妙な話だのう」
「魔法の石なのかな?」
「なんでも魔法で片づけたくはないが、絡んでいるのは確かであろうな。はて、エイリナの誕生日はいつだったかな?」
「風の月、前十二。わたしの二年後だよ」
「そういえば、同じ日に生まれたのだっけか」
「あの子はまだ十四なんだ。眠りについていい歳じゃない。お婆くらいになれば諦めがつくだろうけど」
「こら! まったくおまえさんは……」
お婆はぶつぶつ文句を言いながら「調べてみるから、あやつを湖で洗ってきな」とミオッカに命じた。
「この辺りに居着いたんだが、身体を洗わないもんだから臭くてな。わしじゃあ身体が持たんから、代わりに丸っと洗ってやれ」
「お婆の知ってる人?」
「いんや。悪さをするわけでもないから、食べ物を分けてやっているが……得体の知れない男だな」
「ふうん。言葉を喋らないの?」
「声の出し方を知らないようだのう」
「世の中にはいろんな人がいるね」
お婆から手拭いと石鹸を預かると、ミオッカは外に出て薄汚れた男に声をかけた。




